パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『ETV特集』「水俣病は終わっていない〜医学からの再発見」

2004/4/24放送、90分、構成:山口智也、制作統括:安斎尚志、スタジオゲスト:藤野糺(水俣協立病院名誉院長・水俣診療所初代所長)/吉田克己(三重大学名誉教授・四日市喘息に携わる)、インタビューに答えた人:荒木淑郎(熊本大名誉教授神経内科)/徳臣晴比古(熊本大学第一内科助教授当時)/三浦洋(阪南中央病院長)/原田正純(元熊本大学医学部助教授・新潟水俣病を視察、胎児性水俣病の研究者)/浴野成生(熊本大医学部)&二宮正(同助手)/津田敏秀(岡山大学医学部講師)
基本的には、番組の冒頭と最後で取り上げられた東大阪市在住の川上敏行氏(79歳)が原告団団長を務めるチッソ水俣病関西訴訟を側面から支援する内容だが、政治の部分に言及したり、国や官僚、日本窒素の責任を追及・批判する内容ではなく、医学関係者にのみインタビューして、あくまで医学の問題として構成している。体制側だった荒木氏や徳臣氏(認定診査会長としてハンター・ラッセル症候群を基準に決めた人)、当時から患者のために尽力した三浦氏や原田氏、最新の疫学を活用して当時のやり方を批判する浴野・二宮両氏や津田氏などから満遍なく話が聞けたのも「別に吊し上げるために番組を作るのではないです」という製作者の意図が理解されたからだと推測される(隠れた意図があったとしてもそれはそれ)。
番組をみる限りで流れとしては、まず奇病発生→熊本大医学部で重症患者の症例を研究し、メチル水銀中毒患者に類似しているとした→並行して喜田村正次氏(元熊本大学公衆衛生学教室教授)が疫学的見地から原因が魚だと発見→更に水銀の出元は日本窒素だと判明、こんな感じか。この間、漁業組合は魚が売れなくなるから患者を隠したらしいし、「魚が怪しい」とか「チッソが怪しい」とか地元で噂はあったのだろう。伝染病だから患者には近づくなみたいな差別もあったようだが、正史的には省略される。
個人的には津田氏の「水銀が蓄積した魚を食べた事によって発症した食中毒なんだから、それが分かった時点で、別に日本窒素に水銀垂れ流しを止めさせなくても、食品衛生法に基づいて漁業禁止・流通禁止にすれば患者は増えなかったのに、馬鹿じゃねーの」という発言が印象に残った。「こんなもん現地で調査しなくたって、当時の書類見れば、そのデタラメっぷりが分かるじゃん」と言いたげな、感じ悪い書斎派という印象なんだけど、検索してみると現行裁判で原告側の証人として法廷に立つなど良い奴だった。まあ想像通りの人っぽい(http://www.kumanichi.co.jp/minamata/kankyo/kankyo12.html)。
津田氏の疫学的手法から考えると「水銀が蓄積された魚を食う事で起きた食中毒」が水俣病だから、重症患者の症状を基準に症状の軽重で患者認定する事自体医学的ではないのだろうが、恐らく当時の裁判で争われたのは、最終的には国や企業から補償金が貰えるかどうかで、そのため「日本窒素が垂れ流した廃水と病気の因果関係」及び「病気であるかの判断」という二つの論争が混在する。とりあえず裁判で廃水と病気の因果関係は認定されても、補償は食中毒という被害に対する補償ではなく、病気で働けない、治療費がかかるといった具体的被害に対する補償だろうから、裁判上は医学的根拠がなくても症状の軽重で患者認定する事はおかしくないといえないこともない。同様に公衆衛生的考えからいくと、まず被害地域で水銀中毒が広がらないように原因を断ち、更に汚染地域の状態を汚染前に回復させれば、それ以上の補償は必要ないかもしれない。この考え方だと、病院に通う程ではないが、一生涯苦痛を伴う体になった人に対する補償がこぼれ落ちる事になる。これは原爆症もそうだったろうし、地下鉄サリンの被害者なんかも既にそう(症状の軽重=補償の有無)なっているようだ。かといって症状重視ではなく、因果関係の当事者であるかを基準にすると「何匹食ったら被害者」「爆心地から何キロのところまで被害者」「症状は出ていないけど、その場にいたから被害者やろ」みたいな事態も予想されるし、難しい問題。
……
以下、蛇足の自分語り。最近はどんな運動も時代の空気とセットで知らないと理解出来ないと感じるようになった。80年代に戦後民主主義な中学生だった自分は、図書室にあるガキ向けの公害関係本を読み漁ったものだが、記憶しているところ、大抵、昭和30年代の公害発生から庶民派医者の努力、国と公害企業の無責任を経て、1970年代には裁判で庶民が感動の勝利、というストーリーだった。たとえば訴訟に対してどの程度の国民的支持があったか(当時から「名乗り出た患者は補償金目当て」といった中傷はあったようだが)とか、そもそも当時の空気、経済成長に向かう戦後まもなくの空気とか意義物申し立てが流行ったらしい70年代の空気なんかを体験してないから「当時の自分が読んだあのストーリーは誰(どの勢力)が誰に向けて書いたものか?」と疑い、自分の記憶・知識の洗い直しが必要だと感じてしまう。80年代からみた70年代と2000年代からみた70年代では違った解釈になって当然だろうに、史学者ではなく当時のジャーナリストが決めた歴史にひきずられる不安感とでもいおうか。当事者の方々からは「まだ歴史じゃねーよ。現実の問題だ」と怒られそうだが、あくまで自分の世界観の問題としてみた話。