パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『ETV特集』「裁判員へ〜元死刑囚 免田栄の旅」

2010/2/14初回放送、90分、撮影:地主浩二、ディレクター:大森淳郎、制作統括:増田秀樹、制作・著作:NHK
話の枕に郵便不正事件で逮捕された村木さんの件に触れる。ほとんど冤罪確定の村木さんだが、マスメディアの歯切れは悪い。

マスコミ報道で垂れ流された「村木氏が政治家に依頼されて虚偽の証明書を作成するように部下に指示した」という検察のストーリーに、村木氏の人柄を知る多くの支援者の人達が強い違和感を持ち、インターネット等を通じて公判経過も詳細に報じるなど冤罪を晴らす活動を展開したからである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100601/214712/?P=3
郷原信郎「ニュースを斬る」『日経ビジネス

経緯としては上記のような感じだが、基本的にマスメディアは検察の流したストーリー通りに書いたりすることは全然恥ずかしく思わない。裏を取ったりしていなくても「俺達も騙された被害者だ」とばかりに開き直って手のひらを返すことに躊躇はない。それはそれでどうかと思うがここでは置いておく。ただ村木さんの場合、逮捕当時の報道を思い出すと(記録してないので薄い記憶で申し訳ないが)きちんと周辺取材をした上で「出世主義者」「上に媚び、部下に厳しい」などといった人格批判をしていた。マスメディアもバッシング元が自社ソースだけに引き返せない。手のひらを返すのが難しいことになっている。
事件があり、加害者と被害者が生まれる。その時、タブロイド紙やテレビのワイドショーも含めてマスメディアは事件の詳細のみ報道するべきなのか、事件の背景や人間物語まで含めて報道するべきなのか。ワイドショーの類が被害者・加害者のプライバシーを暴くことを非難する声は多いが、資金も人材も持っている大手マスメディアが独自の取材を行うことで、国家権力が書いたストーリーに当てはまらない情報を提示することは、民主主義下のジャーナリズムとして本来は必要なことだろう。ただ現状はマスメディアの独自取材が権力のストーリーを補完する役割(「オタクだった→犯人に違いない」「借金あった→犯人に違いない」「喧嘩していた→犯人に違いない」など)しか果たしていないことに問題がある。
………
本題に入って『ETV特集』の一場面を以下に書き抜く。

ナレ:なぜ自分は無実の罪を背負うことになったのか。免田さんは「一つの事実を裁判員になる人に知っておいてもらいたい」と言います。免田さんには明白なアリバイがありました。事件があった12月29日は人吉市内の旅館に泊まっていました。しかし警察に呼ばれた旅館の女性が免田さんが宿泊した日を30日と証言していたのです。
(映像:裁判記録を指しながら免田さんが読む、※証言した給仕の名前にはモザイク)
免田:“12月30日の夜、私に宿られた人の事について申し上げます”
ディ:彼女が29日って本当の事を始めから喋ってれば、こんな…
免田:そりゃあもう、私はもう、全然関係ないわけですから。
(映像:供述速記録を映しながら)
ナレ:なぜ彼女は警察に偽りの証言をしたのでしょう。これは再審請求にあたって弁護側が女性から聞き取った記録です。“「最初は28日か29日だったと思うですけど」と言ったら、「いや30日じゃなかったですか」と言われたんですよね。だから「30日じゃなかったですか」と言われれば「30日だったです」って。やっぱしその当時問い詰めになればですね、やっぱし私も「ああ、そうですか」。もう向うがいう通りに”

これを見た2ちゃん実況板住人の反応は以下の通り。

797 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:54:58.17
明確なアリバイとか意味ないじゃんw
798 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:55:03.11
その女から賠償金とれ
803 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:55:35.33
誘導尋問かよ・・・
804 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:55:37.47
帳簿もねえのか馬鹿
805 名前:NHK名無し講座 投稿日:2010/02/14(日) 22:55:41.96
おいおいこの女死刑だろw
807 名前:NHK名無し講座
投稿日:2010/02/14(日) 22:55:46.47
おいおい、ふざけんなよ。
809 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:55:51.29
警察ひでえ
810 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:55:59.88
最低だなこの女
811 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:56:04.45
泊まった記録があるだろ
812 名前:NHK名無し講座[] 投稿日:2010/02/14(日) 22:56:08.04
馬鹿女
816 名前:NHK名無し講座[sage] 投稿日:2010/02/14(日) 22:56:31.44
警察酷すぎるだろ。

警察より女性への罵倒の方がやや多いのは、2ちゃんねるにミソジニーな傾向があるのを差し引いても、番組の作り方自体がそのように誘導している面があるのは否めない。だが番組では触れていないが、調べてみると「旅館」とは売春宿のことで「女性」は未成年のセックスワーカーだった。その事実を踏まえれば、警察が証言する女性に対してどのような圧力をかけたのか想像に難くないし、ウソの証言をした女性を責める論調も減っただろう。
ディレクター氏とすれば「冤罪被害者である免田さんの印象を少しでも悪く描くのはよそう」という気持ちからかもしれないが、結果として警察から偽証を強要された女性を二重に傷つけたのではないか。誰かを必要以上に綺麗に描くことで、誰かを必要以上に貶めることがあることに鈍感ではないか。まあそもそも、昭和20年代に独身の20代男性が人恋しい年末に売春宿で1泊したって、それを悪く受け取る人がそれほどいるとは思えないし、仮に道徳的非難をする人がいたとして、そもそも視聴者の感想を気にしながら恐る恐る作るドキュメンタリーってどうよ、という話である。
※話は逸れるが、「免田+接客婦」で検索すると昭和38年の衆議院議事録が出てくる。熊本県選出の社会党人権派議員が免田事件の再審請求について法務省の対応を問うものだが、そこでは証言した女性の名前も(恐らく仮名ではなく)本名で掲載されている。最近は「ネット万歳、電子化万歳」「紙媒体の公文書は電子媒体で読めるようにしろ」みたいな意見も聞くが、昭和30年代の感覚だと当たり前でも現代の人権感覚だとアウトという事例はかなりあると思う。図書館や裁判所に赴いて身分証明書を提示して閲覧してコピーして…という手続きを踏むのと違い、自宅からネットでアクセス、単語で検索して文書ごとコピペすれば流出も思いのままになることに対しては、かなり怖さもあると思うのだが、法整備等ちゃんと考えられているのだろうか。まあ悪意さえあれば、紙でコピーしたってワードで打ち込んでネットで流せば同じなんだけど、便利さ優先になり過ぎて、この面倒な手順が多いってこと、ハードルを上げることで防げるものも防げなくなっちゃうじゃん。
………
番組には足利事件の菅谷さんも登場したが、恐らく視聴者にはやたらと上手いカラオケのシーンしか印象に残っていないと思う。それはともかくとして、菅谷さんをTVドキュメンタリーでどう描くのかは結構難しい。まずメディアを通じた私(世間)の菅谷さんの印象の変遷をまとめてみる。
初期の報道では、菅谷さんは軽い知的障害があり、そのため取り調べの際に誘導されて自白してしまったということになっていた。しかし最近は世間にも検察は自白を引き出すためにはどんな手でも使うところで、検察が本気で吐かせる気になったら知的障害の有無はあまり関係ないということが伝わってきた。実際、記者会見で質問に溌剌と答えている菅谷さんをみると知的障害があるようにはみえない。しかし菅谷さんが「取り調べた刑事は絶対に許さない、土下座させてやりたい」と言うシーンが流れると、また風向きが変わる。知的障害はないかもしれないが、空気が読めないっていうか社会性がないっていうか、ある種ちょっと浮いた人だなあと感じるようになる。←今ここ
最初の問題は、知的障害があるという情報そのものへの疑問。情報の出所を検索してみると、福島章という精神科医が菅谷さんと何度も面接したかも疑われるなか裁判に提出した精神鑑定が元のようだ。この精神鑑定で菅谷さんは代償性小児性愛者とされてしまったが、そこからして疑わしい。つまり鑑定結果自体が疑わしいなら、知的障害という情報も疑わしいといえる。これは情報の正確さの問題。誤った情報を受け取ったまま誤った先入観を持っている人に対し、新たに正しい情報を提供しないままドキュメンタリーを進行するのはどうなのか。
次に知的障害に対する世間の理解度の問題。IQ××という数字の上か下かで健常と障害をきっぱり分けられると思っている人と、障害の重さにもグラデーションがあることを知っている人とでは想像することも異なってくる。「知的障害者なんて全員座敷牢に閉じ込めてしまえ」という考えの人と「軽度の人は社会生活も営めるよ」という考えの人に同じドキュメンタリーを見せるのはどうなのか。
最後は人間・社会・世界をどう解釈するかの問題。17年以上も冤罪でムショ暮らしを強制されたのだから、許せなくて当然だし感情的になって当然で、辛淑玉氏風にいえば、むしろ怒るべき時に怒らないのが日本社会の欠点かもしれないが、世間はずっと怒っている人を見ると「扱いにくいなあ、いい加減落とし所を見つけて許してやれよ」みたいな気分になる。そして松本サリン事件の冤罪被害者河野さんのように、決して声を荒げず、でも制度的な不備を改善する声は静かに上げる「罪を憎んで人を憎まず」的な被害者を、恐らく望んでいる。「人間は社会に対してどういう態度をとるべきか」という問いにバラバラな回答しか持っていない一つの社会集団に対し、フリー(自由に無料)で予備知識も与えずTVドキュメンタリーを見せるのはどうなのか。
世界の映画祭で上映されているドキュメンタリー映画を見るのはインテリ変人しかいないから、どんなに小難しくてもいいし、解釈も多様で構わないだろう。だがTVドキュメンタリーを「広く世間に見てもらい内容を理解してもらうべきもの」と考えるならば、制作者のレベルではなく視聴者のレベルに合わせて作られるべきであろうと思う。しかし現状は視聴する層のレベルを想定するのが難しい上にレベルにばらつきもある。理想はドキュメンタリーが市民社会のコモンセンスを創る一端を担い、そのコモンセンスを持った市民が同じドキュメンタリーを嗜み…、を繰り返すことなんだろうが、今の日本では難しい。どこかで好循環を生む流れを作りたい。