パロップのブログ

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CS「第4節・清水エスパルス戦」

9/11、主審:家本政明、実況:西岡明彦、解説:渡邊一平
石崎監督対小野監督といえば去年を思い出す。
内容は噂ほど悪くなかった。前半の前半はボールを奪ってから縦に速かったし、戸田が退場になってから前半終了まではキープ率を上げてゆっくりと相手エリアに迫ってはボールを奪われて高萩の裏を突かれる展開。中盤の数的有利があったにしても、結局FW対DFの局面になればそれも関係ない。中盤から数人上がってゴール前で相手のマークのズレを誘えるくらいになって欲しいが、そこまでいっていない。
今年の前半まで攻めの合図はサンパイオにボールが入った瞬間だったのに、それがなくなって混乱が起きているのだろう。服部を一番生かせたのもサンパイオだったし。しかもサンパイオがいた頃から明確な意図がみえないまま中盤でボールを回す場面もあったわけだし、更に大切なメトロノームを失ったのだから、今は我慢も必要。
「対面の1対1に勝つのが前提」というのが微かな記憶に残るヤンセン時代の格言。3-5-2同士ならば、今に通じるものがあるかもしれない。たとえば右WB、去年の松下のように守備に自信がないからこその専守防衛というのも(特に昇格争いをしているような場合)1つの考えだし、高萩のように自分の持ち味を活かすために裏を取られても取られても浩司やベットと絡めるように中盤から下がらないのも1つの考え。小野監督は1対1で負けても負けても勝負する前俊を気にいっているようだし、他の選手も勝負する気概を持つ事が大切。
大木が使われる理由はセレッソ久藤が使われるのと同じで、監督には攻撃にアクセントをつける突飛さと地道なチームプレーを併せ持つようにみえるのだろう。意図は分かるがほとんど成功しない大木の「あとコンマ5秒早くボールを放せばカットされなかったのに…」「あと50センチパスの精度が高ければ味方に繋がっていたのに…」というプレーを「リスクを負ってトライしている以上仕方ない微妙なズレ」とみるか「惜しくても結局いつもあの結果という事は所詮そこまでなんだよ」とみるかは世界観の違い、神学論争。もちろん意図よりも結果・実効性で判断するべきというのが正論だろうとは思う。
ハンジェも多く批判されているが実際のパスミス度などは服部や吉田とそう変わらないと思う。ただ高萩とハンジェはタイプは違えどカズ/浩司/ベットのトライアングルに加わる一角としては同じような役割で、どちらかが先発した時はもう一方は途中から投入するべき選手ではない気がする。代わって入っても変化を起こせないだけに批判も集まる。中盤の選手同士で交代するにしても、入る選手をみればベンチの意思がピッチの選手に伝わるような、ユーティリティよりは特徴的な選手を活かして欲しい気持ちは分かる。
カズ×カズのマッチアップ。「カズ!」というベンチの声が戸田への指示なのか森崎兄さんへなのか確認出来なかった。
家本氏はモットラム師匠の真似をしているのかもしれないが、選手間の仲裁をするから笑顔に効果があるわけで、今後もヘラヘラしながら赤紙出していたらいつか本気で殴られると思う。それを聞いた他の選手も「お前がやらなくてもオレがいつかやっていたよ」と同情するだろう。