パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

短編映画集『9・11』(後半5本)

(7)アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(メキシコ)…たった11分間で、チンケな小物語を撮るよりも、ミュージックビデオのような音と映像で一点突破を計ったのだろうが、企画倒れのような。『アモーレス・ペロス』も最初の数十分しかテンションが保たれていなかったし、3時間ドラマのこけおどしサワリ11分を撮るつもりで、思わせぶりな映像をはめ込んだ方が良かったのでは。飛び降り映像とかガチャガチャ声ネタとか、静と動を使い分けた割には、あまり印象に残らない。
(8)アモス・ギタイイスラエル)…偶然テルアビブのテロ現場にぶつかり、スクープだと思って取材している女性レポーターが、同時に起こったアメリカテロに放送時間を奪取されてキレる話。テロ発生直後からの11分間を同時間1台のカメラを動かしながら長回しで撮影。この監督は、この企画が持ち込まれた時、「けっ、アメリカで起きる事は何でも特別な出来事かよ」と思い、アメリカ中心主義な業界を皮肉りつつ、アイディアにあった映像実験してみただけちゃうんかと。『ER』『サード・ウォッチ』みたいな事を遊びでやってみたかっただけちゃうんかと。出来映えは最高だが、監督から事件に対する衝撃とか全然伝わってこない。熱意の無さを感じながら見ていると、白熱のテロ救助現場もスタジオのセットに見えてきた。どうだろうか、ロケのような気もするが。
(9)ミラ・ナイール(インド)…パキスタン系の救護士が9・11で行方不明となり、テロリストの疑いがかかるが、遺体が見つかった事で、非番で救助に駆けつけた英雄へと変わる(と同時に周囲の人々の態度もコロコロ変わる)話。短編のなかで物語としての面白さも監督のメッセージも備えているのは見事。この監督を調べると、ドキュメンタリー出身で、代表作は『カーマ・スートラ』『モンスーン・ウェディング』など。これだけだとイスラム系かヒンディ系か分からないが、パキスタン系アメリカ人が撮っても「人間考え方は色々なのに、お前がパキスタン人の代表者みたいな顔するな」と、パキスタン在住パキスタン人ならもっと、インド系ならもっと言われそうな題材だが、それを敢えて「見せたい物語」として選んだのは強いハートを持っているのだろう。ちなみに監督はハーバード大卒のアメリカを知っている人(今、活動の拠点がインドにあるのかアメリカにあるのかは知らない)。なので、物語に出てくるニューヨークの郊外にある地下鉄路線沿いのパキスタン系コミュニティなんかは、本人にとって知り尽くした馴染みの場所だったと思われ。
(10)ショーン・ペン(アメリカ)…テレビの音を消しているとはいえ、ビルが倒壊して光が差し込むような位置に住んでいたら、轟音で目が覚めるだろう、というツッコミをしてみる。しかし、独り言老人、妻の思い出に浸る生活、急速に開く花、など「これは現実ではなく、老人の頭の中だよ」とか「一般的な大きな事件より身の回りの個人的体験の方が重い」とか、もっと深い意味がありそうで、道具立ても読み取れれば、何かあるのかもしれないが、よく分からない。3分の2ほどを前振りに使った結果、ビルが崩れて花が咲く場面のインパクトがある。きっと上手い短編なんだろう。
(11)今村昌平(日本)…「本人は戦争の狂気の中で人間止めたいから=蛇」が、いつの間にか「周囲の人がお国のために戦ったから聖人扱い=田舎で神様扱いといえば蛇」みたいな皮肉か。「日本軍兵士もテロリストも聖戦と騙されて命を賭けたが、結果はどうよ」が主題かも。最初は「1人だけ日本に置き換えて訳分からない映画撮ってんだよ」と思ったが、他の監督も多かれ少なかれ、自国の体験とか過去の事件なんかと比較相対化しているので、別によしとする。