パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

WOWOW『9.11への道』の感想

を書こうと思ったが、ドラマとドキュメンタリーの境が分からない故、作品の感想と事件の感想とを分けるのがなかなか難しい。
まず「このドラマは中間選挙前に共和党とABCが仕掛けたプロパガンダだ」という見方について考えると、クリントン政権を無能として描いているのは確かだが、テロの責任をクリントン政権に転嫁しているという批判は微妙だと思う。何故ならば、2002年10月に米公共放送局WGBHで制作され、2003年3月にNHK-BSでも放送されたジョン・オニールのドキュメンタリーでも、このドラマとほぼ同じような構成でクリントン政権やFBI、イエメン大使の失策を指摘しているからだ。ドラマの制作過程で「9/11独立調査委員会による報告書をドラマ化」という触れ込みから段々と「元にしたフィクション」というニュアンスになったようだが、様々な検索情報によると、報告書のほかにドラマの中でビンラディンへインタビューしていたABC記者ジョン・ミラー等による著書(2002年出版)も参考にしているようだ。もっとも、実際に民主党が放送前にクレームを付けてカットされたシーンが、事実関係をめぐって揉めたのか、ドラマ仕立ての部分で演出が過ぎたのか、論争の元を自分はよく知らないので何ともいえない。ちなみに、オニール氏のドキュメンタリーは映像もスクリプトも以下のサイトで確認することが出来る(http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/knew/)。これの他、NHKが制作したザワヒリやアタのドキュメンタリーを見た人間としては、マスードとCIA工作員が頻繁に接触していたのが事実かフィクションなのか気になったくらいで、他にドラマを見ての驚きはあまりなかった。
仮にこのドラマが共和党のプロパガンダだとすれば、クリントン政権への責任転嫁よりもむしろ、9.11テロ以降のブッシュ政権スタイルを擁護する意図を考えた方が良いかもしれない。このドラマを見た米国一般人の反応を妄想するとすれば、「1993年のWTC爆破犯を捕まえたきっかけは爆破に使った自動車の車体番号板を崩れ落ちる建物から取ってきたことだが、本来現場の維持を怠った場合は裁判の証拠には使えなくなるから厳禁なのか。1994年のフィリピンテロを阻止出来たのも押収した犯人のパソコンに計画が残っていたため、事前に察知できたからだが、米国の法律だと犯人のパソコンを勝手に開けると裁判で証拠としての価値がなくなるのか。大体“米国の原則に奇襲や先制攻撃という文字はない”なんて言ってたら、テロを食らうまではテロ犯を捕まえられるわけがないではないか。飛行機で自爆攻撃かますテロ犯は爆弾を製造したりするわけではないから、自宅に踏み込んでも証拠はないし、パソコンは開けられない。テロを防ぐには、せいぜい本人をビザ切れで拘束・国外退去処分にするしかないが、これだって人権団体に言わせれば『別件逮捕』になってしまうではないか」となりそうな気がする。テロ事件を国内法、国内裁判に基づいて処理しようとすればするほど、無理が来る。そうした鬱屈が溜まるような描写が多かった。9.11後に政府が進めている先制攻撃論、予防戦争論、その他人権抑圧的な政策を間接的に擁護しているといえなくもない。ドラマの中でFISA(外国諜報監視法)の適用を裁判所だか検事だかに申請するべきか、手続きが面倒だから止めようか、というシーンがあったが、テロ後は過剰で不透明な盗聴等の捜査が行われているという批判があるらしい。使える法律を使わなくてテロが起きたら批判されるし、使っても「過剰だ」と批判されるし、個人の判断で暴走しても批判されるし、手続きに従っても「官僚主義」と批判されるし、結果が出てからあれこれ言うのは簡単だが、おそらく実際に法を運用するのは簡単ではない。
そもそも国内で起こったテロだから国内法で裁こうという考えに無理があるような気もする。いわゆる「非対称戦争」の敵を、様々な政治的な障害を乗り越え、パキスタンのような国外で逮捕しても、国内犯罪の容疑者として扱うから、証拠が揃わなければ公判が維持できないとか、腕利きの弁護士が付くと勝てないとか、一般人の感覚からするとピントがずれている法廷闘争になってしまう。テロを未然に防いでも「未遂」だと大した罪に問えないならば、いっそテロを遂行させちゃって一網打尽にした方が良さそうな気さえしてくるし、未然に防ぐには暗殺という手法も選択肢に入ってくることになる。1998年にアフガン滞在中のビンラディンを暗殺する機会はあったけれど、クリントン政権が許可を出さなかったことを、ドラマでは批判的に描いているが、「米国外にいる犯人を非合法的に殺すのは、ロンドンでポロニウムを盛るのと何ら変わらないではないか」という立場をとれば、確かに暗殺は出来ない。
それから、FBIの捜査員がパキスタンでの捕り物に指示を出したり、イエメンまで出張しているのに違和感があった。米国内で起きた刑事事件だからテロでもFBIが扱うことになるわけだが、海外で諜報活動をしようと思えばCIAの助けがいるし、外国領土で犯人を拘束しようと思えば国務省の力も借りるし、軍事的な援助が必要ならば、国防省も関わってくる。しかも、それぞれの組織が官僚主義に侵されている。そのために、これを統括する国家安全保障会議NSA)が存在するのだろうが、各々泥を被りたくないから責任を押し付け合い、そこへ大統領や閣僚の国内問題もリンクしてくる。ということで、独立調査委員会の報告書が情報機関を統轄する新機関の設立を提言しているのは理解出来る。
まとめとして、ドラマの論調というかABCの論調は「1998年頃からビンラディン資金源とするテロがあるのは分かっていたし、捜査もしていた。対処もしていた。ただ、誰が、いつ、どこでテロを行うかは分からなかった。現場レベルに金と権限がなかったがために、防ぐための精度を高めることが出来なかった。クリントン政権の誤りは、(1)パキスタンとの付き合いやらルウィンスキーやら諸事情を考慮し過ぎ、(2)予算の削減等で情報機関の官僚主義を助長させた、(3)テロを食い止めるために暗殺等の超法規的な手段をとらなかったことだ」辺りだろうか。特にミラーのようなニューヨーク詰めの記者は、交流があったFBIやCIAの現場組から無能な政権や上層部に対する愚痴を聞かされていた分、無念な思いもあるのだろうと推測する。なので「テロ直後に容疑者としてビンラディンの名前が挙がったのはおかしい。きっと事前に台本があったのだ」みたいな疑いは否定出来るだろう。「1996年のクリントン再選以来、女性スキャンダルやホワイトウォーター疑惑から東南アジアやアフリカでのテロの犯人捜しを経て9.11に至るまで、全てネオコンユダヤ人が仕組んだ陰謀だ」と言われれば、自分にはそれを否定する能力がない。それからドラマの主眼はあくまでテロへの対処なので「テロ防止には、捜査や逮捕や武力攻撃のような強権発動ではなく、社会的不平等の是正や異文化への寛容さこそが必要」みたいな論はここでは取り上げない。

個人的な余談としては、様々な事件の原因・動機を正確に把握していないまま、日本メディアの第1報だけを何となく記憶していても、世界の把握には全く繋がらないことを痛感した。1993年のWTC爆破事件の記憶は、ティモシー・マクベイによるオクラホマ連邦政府ビル爆破事件とごっちゃになっていた。付け加えると、盲目のアブデルラーマン師とハマスのヤシン師もごっちゃになりやすい。1994年に起きたマニラ発セブ経由成田行き航空機内で爆発し、日本人男性1名が死亡した事件は、1997年に太平洋上で発生したジェット機乱気流事故で1名が死亡した事件とごっちゃになっていた。イスラム原理主義者による初期の爆弾テロで日本人が亡くなっている事実は衝撃的なはずだが、あまり知られていない気がする。2000年のイージス艦コールへの自爆テロも、1980年代のレバノン海兵隊爆破とイメージが被ってごっちゃになる。
マスードが殺されたのは9月9日だが、新聞をとっていない無職だったから怪しいけど当時の記憶を辿ると、確か第1報は「殺されたらしい」とだけニュースがあり、それが戦闘中なのか、やったのは誰なのかもよく分からず、そうこうするうちに2日が経って詳細を把握出来ないまま今度は9.11テロが起きた。その時、自分はテロとマスードどころか、テロとアフガンも全く結びつかなかった。情報が分析に全く繋がらない。逆にいえば、自分みたいな分析能力、把握能力のない人間は、権力者が単発で起きた世界各地のテロ事件に意図的な補助線を引いて「全て関連があるのです」と言えば、それに飛びついて信じてしまう危険がある。
………
(2007/7/18追記)2007/7/17放送のNHK-BS1BS世界のドキュメンタリー』シリーズ〈アメリカ ニュース報道の危機〉「第2回〜国益か国民の知る権利か」を見ていると、ジョン・ミラーが出てきてABCを辞めてFBI広報担当次官をしているという。いつの間にか政府側に鞍替えしていたとは。NHKキャスターから外務省報道官になった高島肇久氏のようだ。取材する側から見て「もっとうまく情報を発信すれば良いのに…」と思うことがあったのだろうか。というわけで、上に書いたミラー氏やABC発の情報については、疑わなければならない部分があるかもしれない。