パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS1『BSドキュメンタリー』〈証言でつづる現代史〉「こうしてソ連邦は崩壊した」

2007/1/1再放送(2006/12/29初回放送)、50分×2、【前編:8月の“クーデター”】撮影:野瀬典樹/ウラジーミル・メルクーロフ、リサーチャー:中里雅子/柴崎太久郎/イリーナ・マハラゼ、ディレクター:長谷川格、制作統括:川良浩和/石川一洋/佐橘晴男、共同制作:NHKエンタープライズ、制作協力:パオネットワーク/藤枝融、制作・著作:NHK、【後編:森の奥の静かな闘い】撮影:野瀬典樹/ウラジーミル・メルクーロフ、コーディネーター:タチアナ・ドマシェービッチ、リサーチャー:中里雅子/野口修司/ユリア・ナタロバ、ディレクター:太田宏一、制作統括:川良浩和/石川一洋/佐橘晴男、共同制作:NHKエンタープライズ、制作・著作:NHK
8月クーデターはともかく、ベロベージの陰謀に興味があったので、このドキュメンタリーを見る前に予習を兼ねて以前から気になっていた関連書を読む。

ベロヴェーシの森の陰謀―ソ連解体二十世紀最後のクーデター (潮ライブラリー)

ベロヴェーシの森の陰謀―ソ連解体二十世紀最後のクーデター (潮ライブラリー)

ソ連は、早晩、崩壊する運命にあったかもしれない。これを否定する材料はない。ただ、問題はなぜ「あの時点であのような方法で解体されたのか」である。私はこうした疑問を抱いて、「ソ連解体」を研究テーマの一つとしてきた。誤解のないように付言すると、ソ連解体の是非を論じるつもりはないということである。そうではなく、ソ連解体がエリツィン政治の原点であるとの確信から、この問題を追い続けてきた。したがって、本書はソ連解体の遠因を探ることを目的としたものではない。
(P.4-5)

実は私も、ソ連解体の原因をゴルバチョフエリツィンの権力闘争にあると、一貫して考えてきた。ソ連解体が両者の権力闘争の一つの帰結であるとする説に異を唱える専門家もいるかもしれない。しかし、エリツィンゴルバチョフに対する見方、その強烈な権力志向の性格、そして、ペレストロイカ初期のエリツィンの一時的な失脚などを考慮すると、両者の対立、というかエリツィンゴルバチョフへの怨嗟に似た敵愾心が、エリツィンをしてソ連解体を決意させた主要な直接的な動機であったことは明らかだ。これは本書の後半で実証的に分析していくつもりである。後世の歴史家がベロヴェーシの陰謀をエリツィンによる「反ゴルバチョフ・クーデター」と位置付け、二十世紀末のロシア国民の最大の不幸はエリツィンを最高指導者にいただいたことであったとコメントするだろうと、私は確信している。
(P.34)

とあるように、内容は、ゴルバチョフを持ち上げ、倫理観を欠いたエリツィンの糾弾に終始し、ウクライナベラルーシの情勢、東西ドイツの統一やスロベニアクロアチアの分離独立によるユーゴ内戦など同時代に進行していた欧州の動きなど一切考慮されていない。あくまでエリツィンを吊すためのソ連解体論で、ソ連解体の遠因を探るものではない。とはいえ、1990年から91年にかけてのソ連とロシア共和国の権限争い、ゴルバチョフエリツィンの確執、ベロベージへ至る流れは概観出来る。
同書を読んだ後でのドキュメンタリーへの興味は、出版時点(1999年)で当事者の中では珍しくベロベージに関する証言を控えていた一人であるブルブリスがカメラの前で語るかどうかにあったわけだが、ブルブリスは前編の8月クーデタに関しては登場して話していたのに、後編には出てこなかった。残念。陰謀参加者でカメラの前に登場したのは、コーズィレフ(ロシア外相)、シャフライ(ロシア大統領顧問)、ガイダール(ロシア副首相)、クラフチューク(ウクライナ大統領)、クリジャノフスキー(ウクライナ最高会議議員)、シュシケービッチ(ベラルーシ最高会議議長)、クラフチェンコ(ベラルーシ外相)。
検索すると、クラフチェンコが2006年に『岐路に立つベラルーシ、あるいはベロベージ合意における「真実」外交官の手記』(http://www.nisso.net/shosai/200608/H0121.asp)という本を出している(邦題はリンク先の本屋が付けただけで、当然日本語訳はない)。番組の最初に、秘密会議で合意された協定の書き込みが入った草稿をカメラの前で公開したのも彼だったし、恐らくはこの本を読んだNHKスタッフが番組を組み立てたことのではないかと推察される。この他、ネットで検索すると、2001年に行われたシュシケービッチへのインタビュー(http://www.geocities.jp/hmichitaka/shush.htm)があった。
中澤本では「ガイダール曰くウクライナ代表団は協議に参加せず、ロシアとベラルーシで協定文書を書いた」となっているが、ドキュメンタリーだとウクライナも参加していない体裁を取りつつ協議に混ざっていたらしい。シュシケービッチも3カ国の作業チームと言っている。そもそもウクライナは独立に向かって邁進しており、ソ連どころかCIS的な国家共同体すら興味ナッシングなのだから、協議に参加してサインする意味がよく分からない。ドキュメンタリーでは核兵器とクリミア問題でロシアとウクライナがやり合ったとしているが、結局ウクライナはベロベージ協定をほとんど履行することもなく、CISを有名無実にしちゃったみたいだし。ロシア側があらかじめソ連解体を意図して草稿を用意していたかどうかも謎。中澤氏は最初から企んでいたに違いないと考えているようだが、ドキュメンタリーで映った草稿はタイプ打ちだったから何ともいえない。いわゆる「ブルブリス・メモランダム」は方針であって、条約案ではないようだし。
整理すると、ベラルーシゴルバチョフの提案した新連邦案よりましな協定を新たに3カ国で作成したい。ウクライナは独立に向けてゴルバチョフ案では満足しない。エリツィンゴルバチョフ外しさえ出来れば、ゴルバチョフ案だろうが新案だろうがどうでもよい。その中でまず、シャフライがソ連の解体方法に関して1922年憲法を持ち出すウルトラCを思いついたのは、多くの証言が一致する。その後、3カ国の作業チームが新案にとりかかったとすれば、おそらくベロベージに来るまでロシア側もノープランだったと推測されるがどうだろうか。ウクライナを連邦(国家共同体)につなぎ止めるにはソ連ゴルバチョフ案を葬り去る必要があったけど、それはエリツィンにとって渡りに船だった、というのが自分の推測。
佐藤優(著)『自壊する帝国』にブルブリスの話が出てくるらしいので読もうと思ったが、どうやら次は一冊まるまるブルブリスについて書くらしいので、それまで待つことにする。