パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『BS特集』「民主主義」7〜8

本題に入る前に、9/12放送のBS1BS世界のドキュメンタリー』「隠蔽された真実」が面白かったので少し触れる。
福祉を充実させ過ぎたせいで国の活力が失われているんでないの?」と言いそうなタイプ、アスナールやサルコジに似た系統と思われるデンマークのラスムセンが、2001年後半に首相就任してすぐに米国の要請を受け、人道支援の名目で軍隊をアフガンに派遣したけど、実際は特殊部隊がタリバン等の掃討作戦に従事し、捕虜を米軍に引き渡していた。首相は事前説明で軍の任務を偽っていたのではないか、というのがまず1点。
首相は議会に対してジュネーブ条約の遵守を約束していたが、米軍(というかラムズフェルド)が捕虜にジュネーブ条約を適用しないことを明言したのを知りながら、デンマーク軍が捕虜を米軍に引き渡したとすれば、デンマーク軍もジュネーブ条約違反ではないか、というのがもう1点。
番組では疑惑を追求する調査報道の素晴らしさが出ていた。日本も似たような状況に置かれる可能性は多々あるし、対岸の火事ではないからNHKも放送を選択したのだろう。ただ、番組ではデンマーク軍の任務実態と政府の隠蔽工作を追求するという証明可能な範囲で留めていたが、妄想を膨らませば、ラスムセン首相がアフガンに特殊部隊を送ったのは、自国の特殊部隊に実戦経験を積ませたいという狙いがあってのことではないだろうか。野党側も番組内の証言では「任務の内容は聞かされてなかったし、聞きたくもない」みたいなことを言ってたが、つい数ケ月前まで与党だった人間が国家レベルで必要な軍事訓練を知らないはずはないだろう。おそらく与党から「今度の派兵では特殊部隊を送るから」と説明された野党は「俺達は聞かなかったことにする。ばれた時は追求する態度をとらざるを得ないから、お前等もうまくやれよ」くらいの密約はあったかもしれない。
仮に日本の自衛隊イラクライフライン敷設援助部隊だけではなく、密かにテロ対策特殊部隊を派遣していたことがスクープされたら、当然大きな政治問題になるだろうけど、たとえば最近あった愛知県の立て籠り事件への対応なんかをみると、与野党で「我が国の特殊部隊にどっかで実戦経験を積ませるべきだ」というコンセンサスがあってもおかしくはない。

『大統領との晩餐』
個人的には、ここまででベストの出来。西側人から見て意外性のあるステレオタイプなパキスタン像が揃っていた。というと分かりにくい言い方になるが、要するに今まで知らなかったけど、器に盛られて出されてみると確かに存在して不思議でない発言や光景のオンパレード。西洋人のオリエンタル趣味を満たしてくれるけど誇張や捏造ではない。最後まで飽きずに興味を持って見ることが出来る。その辺の匙加減が素晴らしい。「軍政と民主主義は両立するの?」をテーマにした番組で、メディアには軍服等の正装で登場するのがほとんどのムシャラフ大統領を画面に出す時には、普段着でディナーをとっているシーンを敢えて見せるというのも上手い演出。ただ、登場する人々の生活や人生に思いを馳せるよりも、スキのない物語的面白さを満喫してしまうのが問題といえば、問題かもしれない。あまりに完成度が高過ぎて、視聴者に考える余地を与えないドキュメンタリーは果たして正解なのか。
貧しい人々の「我々教育のない貧乏人はお上には逆らえないよ」「制度や法律はお上が勝手に作るものさ」「我々が制度や法律に従うかはケースバイケース」の三すくみというか、法治意識の無さ(官憲に違反を咎められるとその場だけごまかしてしのげばいいや)が視聴する私の価値判断と衝突して、不思議な世界に迷い込んだような気分になる。
女性ディレクターがジルガに趣いて部族リーダーと問答するシーンが面白かった。出てくるイスラム男性が狂信的だったり、暴力的だったりするわけではなく、暖簾に腕押し的な対話にしかならないのが可笑しくて、やがて悲しい。
私事ながら、シャリフとブットが交互に首相になっていた頃は知識の片隅にあるようなんだが、1999年10月のクーデターは全く記憶にない。自分にとって現実世界での生活が一番忙しかった頃だと思う。というか、1989年前後に覚えた旧東欧の新しい元首なんかも2000年前後に交代し始めたのだけど、この辺りから人名が全然覚えられなくなった。好事家としての国際政治ウォッチングの限界。

ガンジーの心はいま』
ディレクターは「かつてインド民衆の間に存在したガンジー主義への信奉が現代社会で薄れていることを嘆きながら取材する」という立ち位置だと思うのだが、実際はガンジーが生きていた時代でもガンジードンキホーテで、そのドンキホーテ的試みを成功へと導いたから奇跡的な存在なのではないか、というのが自分のガンジー理解。現代で失われているも何も、インドとパキスタンが分離独立した時点でガンジーの精神は失われているやん。
日本におけるガンジー受容(というか私自身の漫画偉人伝なんかでのガンジー受容)は半裸で非暴力を唱える聖人(ダライラマ系の宗教的人物だと思われがち)。推測に過ぎないが、インドでのガンジー受容は独立運動の指導者(余談ながら、番組中で一番面白かった場面は、熱烈なガンジー信奉者が「イスラム教徒は悪魔だ」と言い切るところ)として偉大、西欧でのガンジー受容はインテリ弁護士として貧しい人々を救う術を考え抜いた20世紀屈指の偉大な思想家、といったところではないか。そのズレを考慮しないで「ガンジーの教えとは〜インドローカルバージョン」のドキュメンタリーを作っても、メッセージが届くのかやや疑問が残る。世界中で放映されることが前提にありながら、ローカル過ぎる。しかも、ローカルなネタをまっさらな気持ちで見ることが出来るわけでもなく、主として先入観に基づいた自分なりのガンジー像が既にある。これは難しいテーマを選んでしまった。
自分は、キリスト教イスラム教と比べてヒンズー原理主義者のイメージがわかない。カーストとか嫁を生きたまま火葬するとか同宗教内での慣習は誤解も含めてイメージ出来るが、他宗教へ憎悪を向けるイメージがない。原典があり、それに忠実であろうとする非近代主義者が原理主義者だと思うのだが、自分はヒンズー教の経典とか知らな過ぎる。
「塩の行進」は検索すると1930年。行進するガンジー達をタコ殴りにするイギリス官憲がアイルランド独立を描いた映画に出てくるイギリス官憲とそっくりだった。やはり大英帝国内で暴徒鎮圧の方法に関する共通のマニュアルがあったのだろうか。