パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

「避妊は考えなかったのか?」

タイトルは、辻ちゃんと太陽の結婚記者会見の場で、石川敏男という芸能リポーターがした質問。下世話だとは思うが、そもそも芸能人というのはプライベートを切り売りする面も多々あるので、いかに答える側が不快に思おうとも、質問すること自体はそう批判できない。ただ、この質問が質問になっていないというか、質問の本質が字面にはないことが気になる。おそらく「どうせ、お前ら馬鹿なヤンキーカップルは避妊なんてしてないんだろ?」と決めつけた上で、「記者会見ではバカップルのでき婚に祝福ムードを演出する気らしいが、ここは一つ、芸能界で仕事をする責任の重さについて年長者の我輩が説教してやろう。正義は我にあり」くらいのつもりで質問したと思われる。
太陽はこの質問に対して「恋愛の結果、生まれた命なので大切にしていきたい。ぼくは男なんで、彼女を一生守って、子供もいるんで見守っていただけるとうれしい」と答えたようだ。 匿名掲示板や一般人のブログなんかをみると「質問に対する答えになってねえ」と笑う御仁もいたようだが、そもそも質問が婉曲に「仕事に穴を空けて、どう責任取るの?」と聞いているわけだから、婉曲に「仕事の件は申し訳ないと思っているが、責任については今後の活動を見て判断してください」と答えるのは間違っていない。むしろ婉曲な質問をストレートにとってストレートに答える方がよほど馬鹿。
仮にこれがサラエボ生まれの偏屈な爺さんだったら、

―避妊は考えなかったのか?
イビッツァ「あなたが聞きたいのは、本当に『避妊を考えたか否か』ということなのか。真意は他にあるのではないか。避妊をしなくても妊娠しないこともあれば、避妊をしていてもコンドームが破れる場合もある。避妊を考えたかどうかは、責任ある大人が仕事を降板することで周囲に大きな迷惑を掛けたこととは関係ないのではないか。逆に私は質問した記者に尋ねたい。もし、大きな仕事を控えている時期に妊娠が分かった場合、その人間は中絶するべきなのか。あなたが質問しているのはそういうことではないのか」

一般には質問に対して質問で返すのは失礼なことらしいが、質問した石川氏は上のように逆質問を返されたら、どう答えただろう。人に質問するということは、自分の価値観と照らし合わせて相手の価値観を問うことである。ましてや結婚や出産となれば人生の一大事に関する価値観を問うことになる。人は自分の側に正義があると考えた時、不遜な態度をとりがちなものだが、たとえ芸能リポーター風情でも胸に手をあてて自分の発言を顧みた方がよかろう。
その後、太陽は割合に下世話な話も出来る関西ローカルの番組で「避妊はしていたけど授かった。運命だと受け止めた」という話をしたらしい。冒頭の質問に戻れば「避妊は考えなかったのか?」「していました」ということになる。もう少し踏み込めば「避妊は考えなかったのか?」「していましたが失敗しました」か、言葉を足すと「避妊は考えなかったのか?」「(していましたが失敗しました)(大きな仕事も控えていたので、中絶するかも含めて悩みました)(それでも)恋愛の結果、生まれた命なので大切にしていきたい。ぼくは男なんで、彼女を一生守って、子供もいるんで見守っていただけるとうれしい」となるだろうか。会見の場では言いにくいところ、単純に言葉が足りなかったところ、もろもろを加味しても、立派な受け答えだったのではなかろうか。

前置きが長くなったが、サッカーの話に入る。
U20のワールドカップで、フジテレビが「日本がヴィクトリアに残って決勝トーナメントを戦うためには、1位通過しなければなりません。そのためにはナイジェリアには勝つか引き分けなければなりません」みたいなことを連呼していた。確かにヴィクトリアの観客は日本贔屓で雰囲気も良かったし、選手自身もヴィクトリアを気に入っていたようなので、ヴィクトリアに残って決勝トーナメントを戦いたいというのは、まあ分かる。
続くアジア杯、「コンフェデ杯の出場権を獲得するためには、日本は優勝しなければなりません」ときて少し疑問がわく。4年に1度しかない大会を3回連続で確保しなければ出来ない、そんな異常事態が規定事項に組み込まれている代表強化って、逆におかしくないか。大体、サウジアラビア人やイラン人が「コンフェデ杯に出られなくて代表が強くならない〜」とか嘆いているか。コンフェデ杯に血道を上げるよりかは、欧州トップリーグに10人くらい選手が移籍する方がよほど継続的な代表強化になるような気がする。
更には「引き続きヴェトナムに残って決勝トーナメントを戦うには、必ず1位で通過しなければなりません」である。別に会場を移動したっていいじゃん。ヴェトナム、マレーシア、インドネシアと順繰りに移動して戦うのは、そりゃあ選手は大変だけど、日本サッカーとして大きな財産になるかもしれないじゃん。確かサカダイの清水氏コラムだったか「一ケ月も同じ顔触れで同じホテルに缶詰めだと煮詰まってくる部分もあるから、移動がないのも善し悪し」と書いていた記憶があるが、そういう複合的な見方が無さ過ぎじゃないか。
最後は「次回アジア杯での予選免除を得るためには3位決定戦に勝たなければなりません」だと。協会は「予選がインターナショナルマッチデーと重なると、ライバル国が強豪と親善試合をしている時に、格下のアジア国と試合をしなければならない」とか言うけど、今までマッチデーにまともな対戦相手を組んだことなんて大してないくせに、結局ホームに温い相手を呼ぶしか能がないくせに、こういう時だけ「マッチデーの使い方が云々」と言うな。
とまあ、やや乱暴にいちゃもんをつけてはみたが、実際のところ協会が強化のために高い目標を掲げるのは当たり前で、達成出来なかった時に反省したり検討したりするのも当然。その事自体には文句もあまりないし、正直ちょっと大袈裟に言ってみただけだったりする。自分が引っ掛かったのは「○○を得るためには、必ず××しなければならない」という表現が連続したこと。重ねていえば「××出来なかった場合には、責任者出てこい!」もセットになっている。しかも「○○を得るためには」の「○○」が本当に必要不可欠なのか、あまり省みられないまま。何と言うか、最適な道をひた走るのが当然で、もしそうならなかった場合は誰が悪いのか犯人を探さなければならない、みたいな空気がどうも気持ち悪い。毎年、売り上げ前年比200パーセント増を掲げてノルマに追い捲くられているITベンチャー企業みたいな感じがする(ベンチャー企業のイメージが貧困なのは私の問題なので御容赦を)。
もちろん、アジア杯で負けても監督は責任を取らなくても良いとか、W杯で負けても協会会長に任命責任はないと言っているわけではないけれど、「○○を得るためには、必ず××しなければならない」の「○○を得るためには」部分だけが肥大すると、どんな手段を使ってでも「必ず××しなければならない」になってしまうのではなかろうかと。この路線の行き着く先は「絶対にアジア杯が欲しいなら、アジアの小国に援助ばらまいてAFC会長を日本人にして、レフェリーの任命とか権限を発揮しようよ、協会は金持ってるんだから」「コンフェデ杯に出られないなら、コンフェデよりも相手が本気で戦ってくれるような賞金大会を日本が作ればいいじゃん、協会は金持ってるんだから」みたいなことにならないか。それはそれで面白そうだし、案外と有効なお金の使い方かもしれないけど、「障害は有力者に金ばら撒いて手っ取り早く取り除きましょう」というのは、やはりリクルートの元社長やライブドアの元社長と発想が似ている。
そこで冒頭の長々とした話に繋がるわけだが、このギスギスした感じは社会全体に共通するものなのだろうか。人生はあらかじめ立てた計画通りには進まないし、失敗もある。誰かに迷惑をかけたときは謝ってまた前に進めばいい。はずなのに、どうもトラブルやハプニングを許容出来ない雰囲気を感じる。「日本人は杓子定規過ぎる。サッカーは予測出来ないハプニング満載のスポーツなんだから、もっと不慮の事態に機転が効く選手を生まなければ」みたいことを言っている人が、ピッチを取り巻く外側のことに関しては、スケジュール通りに進まないと気が済まない雰囲気というか。この雰囲気が気にいらないのは、自分の無職生活が長引いて社会に被害妄想を抱いているからだけではないと思いたい。

おまけ。上の文章を2週間くらい前に書いてみたものの、サッカー協会に向けているのか、マスメディアに向けているのか、どこかの個人ブログに向けているのかがさっぱり分からない、哀れにも見えない敵と戦っている典型的な文になってしまったので、お蔵入りにするつもりだったが、エジプト戦の後で代表監督が「まあ要するに自分が言いたかったことはそういうことだ」と自分の中で勝手に納得する言葉を発してくれたので、それを以下に引用して、何とか体裁が整えられたことにして頂きたい。偶然にも生まれてくる子の喩えまでしてくれているし。

――今年は13試合を行っていろいろなものを積み上げていったと思うが、狙いはどこまで達成されたか?
 計画が具体的にあったわけではない。今年の初めに考えていたことと(現状とは)多少は違う。13試合あるのは、事前に分かっていたわけではない。アジアカップグループリーグで敗退していれば、この数にはならなかったからだ。すべてが計画されたことでも、計画があったわけでもない。たとえ双子を期待しても、四つ子が生まれるかもしれない。サッカーとは違う話だが。サッカーでも計画は可能だが、実現しないこともある。もし(年初に)さかのぼって今年の計画を尋ねられれば、「分からない」と答えていただろう。あるいは「これこれの計画がある」と話したかもしれない。しかし、サッカーは計画通りに進むものではない。なぜなら、相手があるからだ。こちらの計画を台無しにしようとする相手に対して、そのまま(計画通りに)進むと考えてはいけない。計画を立てるなら、そういうことも含めた計画でないとならない。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200710/at00015050.html

Q:この一年は狙い通りの一年だったのか?
「計画が具体的にあったわけではありません。年の初めに考えていたこととは違います。双子を生もうと計画していても6つ子が生まれてしまうこともあるということ。もちろんサッカーでも計画を立てることは可能ですが、実現しないこともあります。だから、今年の初めに『今年の計画はなんですか?』と聞かれたら『わかりません』と答えていたでしょう。あるいは逆に『こういったの計画があります』という話をしたら、それを皆さんが信じたかもしれませんが、サッカーは相手があるスポーツですから、計画通りには進みません。こちらの計画を台無しにしようとする相手に対して、計画通りにいくわけはありません。どこまで来たかということが話せるくらいなら、先のことも話せるわけで、私はそんなにクレバーではないし、預言者ではありません。
http://www.jsgoal.jp/news/00055000/00055878.html