パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS1『BSドキュメンタリー』「出兵を拒否した者たち〜アメリカ軍兵士 3人のケース」

2006/4/9再放送(4/1初回放送)、50分、撮影:川越道彦、コーディネーター:成本慶吾、取材:佐藤純子、プロデューサー:二宮一幸、ディレクター:吉岡攻、制作統括:小谷亮太/岡田俊郎、共同制作:NHKエンタープライズ、制作・著作:NHK/アウンズ
放送から随分と放置してしまった。言い訳すると、番組を見てすぐに適当な感想を書いた後、フリージャーナリストである吉岡ディレクターのブログ(http://blog.goo.ne.jp/ysok923)を発見、そこに本ドキュメンタリーの制作過程(「テロとの戦争」というカテゴリーの2005年12月頃から)が書いてあるのを発見、興味深い例なので少し真面目なドキュメンタリー評を書こうと思った。そうなると基本的な事実誤認はしたくないが、既にHDレコーダの録画データは消去済み。初見が再放送だったため、その後は再々放送もなし。その後、『論座』2006年6月号に吉岡氏の「出兵拒否したある米女性兵士の意思」(P.116-123)という、ドキュメンタリーをほぼ文章化したものが掲載されていると判明し、『論座』を図書館で借りた後で書こうと思ったが、なかなか「貸し出し可」にならず、ようやく借りられた頃、吉岡氏のブログを見直すと、『論座』の原稿が掲載されていてギャフン。
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本題に入る前に、まず下らない余談から書いておくと、吉岡ブログの4月6日付には視聴者からのメールがいくつか紹介されているが、その中の1つで「3人とも良かったですが、私はキャサリンが印象に残りました」という感想が個人的なツボに入った。キャサリンのエピソードが特別に印象的な内容だったわけではない。本編50分間中、時間の配分がメヒーア軍曹7分、キャサリン・ジャシンスキー30分、ベンダーマン軍曹7分という構成なのだから、それでジャシンスキー氏が印象に残らない方がどうかしている。そんな自明のことをわざわざ感想に書いてくる人はどんな素直な人だろうと思った。
それから吉岡ブログ3月28日付にある放送前の内容紹介文が、NHKサイト内「今週のおもな番組」とほとんど同じ内容(「ですます調」を「である調」に直しただけ)。ということは「おも番」はディレクターに紹介文を提出してもらって転載しているのではないかと推測する。ちなみに番組紹介文は、

(前略)番組では、出兵を拒否し、軍事裁判で有罪とされたカミーロ・メヒア軍曹とケビン・ベンダーマン軍曹の2人とその関係者、そしていま現在軍事裁判を待つ身となっている女性兵士、キャサリン・ジャシンスキー上等兵の姿を追いながら、彼らはなぜ出兵を拒否したのか、軍事裁判の過程で何を訴えたのか、そして出兵拒否によってどのような事態に見舞われたのかを取材、長引くイラク駐留によるアメリカ軍兵士たちの一断面を見ます。(後略)

となっている。一方、NHK『BSドキュメンタリー』サイトでの番組紹介文は、

(前略)番組では「拒否」を表明し軍事法廷に掛けられる直前の女性軍曹をはじめ3人の出兵を拒否した軍曹とその家族、地域社会、軍関係者を取材し、「決断の理由」そして「軍の対応」「裁判での議論」「周辺の眼差し」を検証する。さらに現在「拒否」を表明するか否か迷う軍人たちを追跡、広まる「拒否」の波紋を探る。退役軍人や弁護士が設立した「相談所」には月3000件以上相談が舞い込む。説得する軍、戸惑う家族。「正義の拒否」を貫こうとする者、「イラク撤退論」が取りざたされる中「正義の拒否」をこのタイミングで表明するか悩む者。長引くイラク駐留に揺らぐ軍の一断面、出兵拒否に賛否分かれる親や地域を描き、出兵拒否を切り口にイラク戦争に右往左往するアメリカ社会の混迷を見つめる。(後略)
ttp://www.nhk.or.jp/bs/navi/docum_bk.html

とある。後者はNHK側のプロデューサーが書いた企画書を元に、ウェブ担当者が仕上げたのだろうか。「さらに現在〜」以降の内容は、実際に完成した番組中ではあまり触れられていないし、「アメリカ社会の混迷を見つめる」という締めの言い方も随分と大風呂敷を広げている印象である。企画段階で想定していた内容と実際の取材にずれが生じたのか、それともNHKプロデューサーと吉岡氏の目的意識に当初から乖離があったのか、推測するのも一興。
恐らく吉岡氏の関心はアメリカ社会や戦争にはない。むしろ「国家と個人のせめぎ合い」という事象への問題意識の方が大きいはず。今日「公共空間に監視カメラを置くな」や「嫌煙運動などで国家が個人の健康に介入するな」など、確かに筋は通っているかもしれないがラディカルな意見は、現実に存在する不快感や不安感の前には説得力が弱くなっている。こうした時代状況のなか、あくまで「国家と個人のせめぎ合い」を問う材料として海の向こうの『良心的兵役拒否』という事柄に目を付けたのではないだろうかと、自分は推測する。
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さて、ここからが本題。この作品最大のポイントは「志願兵制度」に対するブッシュ政権の準公式見解を映像として入手したことだろう。

保守系シンクタンクの上級研究員で、元陸軍中佐のジェームズ・カラファーノ氏は、志願兵制の下で良心的兵役拒否を申請する厳しさについて言う。「軍は軍の役割を理解したうえで志願したと考えますから、心変わりしたのであれば、価値観の土台が本質的に変わったことを証明する責任は申請者側にあります。信条が変わったのであれば、それなりに本を読んだり人と会ったりしているはずなので、その人の変遷をたどれるような証拠を示さなければなりません。証明する負担はより重くなっていることは事実でしょう」
P.120
「出兵拒否したある米女性兵士の意思」『論座』2006年6月号(P.116-123)

この部分に関し、吉岡ブログの2月6日付には、

総仕上げとして会った人物は、ワシントンにある保守系シンクタンクの上級研究員だった。自身は陸軍中佐で現役を終え、いまは国家安全保障省から派遣されていた。まさにブッシュ政権が進める安全保障対策を、アカデミックな立場から研究をする立場にあった。その意味ではいまの「国家」を代表する論客のひとりで、だからこそ本音を聞きたかった。インタビューというものは難しい、ということを時折感ずるが、それはインタビューが時に議論になってしまうことである。今日はそこをジッと抑え聞き役にまわった。「国家と個人」という今回の旅の目的でいえば、上級研究員は私の思いを見事に果たしてくれた。

とあるが、取材で渡米する前の2005年12月31日付にはこうある。

アメリカは、徴兵制から志願制に変わった。ベトナム戦争当時には「良心的兵役拒否」も可能だったが、志願制のいまは、「そんなこというなら軍隊にくるべきではなかった」のひと言でかたづけられかねない。しかし、耳を澄ませて聞き入れば、国民のひとりとして国家の安全に寄与することは当然だが、その国家の安全保障政策が間違っている、となれば拒否するのもまた当然である、という理屈も成り立つ。私はいま、そういう前線で戦っている人々に会うためにアメリカに来ている。

読んで分かる通り、吉岡氏は、取材で渡米する前から米軍上層部がどういう理屈を持ち出してくるか、よく分かっていた。分かっていながら、ドキュメンタリーのパーツとして必要なコメントを引き出すために、敢えてカラファーノ氏に尋ねている。本ドキュメンタリーの構成上「徴兵制ではなく志願制の時代、個人の選択として軍隊を選んだのだから『良心的兵役拒否』は通用しない」という心ある人間ならば背筋が寒くなるコメントを、隠し撮りの本音トークではなく、相手を挑発して思わず本音をぶちまけさせたのでもなく、政府中枢にいる人間が公式に真顔で言うシーンが絶対に必要である。そう吉岡氏は分かっていた。実際のところ、2月6日付の吉岡氏のコメントは建前というか嘘だろう。番組内で言及されていたが、軍そのものには取材を拒否されたようだ。なので、カラファーノ氏とは渡米前にアポをとっていたのか、軍からコメントを引き出せなくて、急遽コンタクトをとったのかは分からないが、カラファーノ氏の場面は「この作品にどんな素材が必要か」という事を分かっている優れた人物が制作していることの証明である。
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ここまでは本ドキュメンタリーを絶賛してきたわけだが、実は致命的な欠陥を備えているのではないかという疑念もある。つまり「徴兵制ではなく志願制の時代、個人の選択として軍隊を選んだのだから『良心的兵役拒否』は通用しない」という背筋が寒くなるコメントを、お茶の間の視聴者は「確かに一理ある」と額面通り受け取るのではないだろうかという疑念である。例えば、キャサリンの番組内での印象を日本風に喩えると、東北辺りの保守的な空気の中で育ったガリ勉優等生が、京大辺りに進学して同級生や上級生のリベラルな思想に感化されてコロッと両親の価値観を否定するに至った感じ。こういう人は確固たる自分がなく、イラク戦争が終わった頃、卒業して実家方面で就職すると、また元の価値観に戻りそう。若さ故の反抗期を通過し、必死こいて学費を払ってくれた両親の大切さに改めて感謝したい、と言い出しかねない。日本人視聴者ならば充分有り得る視点であると思う。また、同じく番組内での印象でいえば、ベンダーマン軍曹は「イラク戦争」には反対であるが、戦争そのものには反対していない誇り高い人物のように自分には見受けられた。米軍の屁理屈では、『良心的兵役拒否』の理由は「イラク戦争反対」ではなく「戦争反対」でなければならないはずなのに、ベンダーマン軍曹が「前途ある若者が無為イラク戦争で命を失うのが許せない」という理屈で対抗すれば、当然裁判には負ける。ベンダーマン軍曹と軍との戦いは、米軍の屁理屈を揺さぶる例として適当だったろうか。例えば、米国では、軍隊に志願して入る若者が貧しくて大学の学費を稼ぐためだったりするという話は、具体的な例は知らないにしても、日本で何となく知られており、イメージもわく。であるならば、「志願制は個人の選択」と言いつつも、実際は「経済的に強いられた人」が軍隊に入ったものの、今は後悔して『良心的兵役拒否』をしているという事例を選択していれば、より一層視聴者に対して分かり易かったはずだ(メヒーア軍曹の例はそれっぽかったが、もう思い出せない)。

※2009/3/31追記:2009/3/16に再放送されたのでカミーロ・メヒア氏のパートを見直す。「自分の良心に従うことに勝る自由はありません」と言うコメントは印象に残るが、軍隊に入隊した理由を語る場面はなかった。メヒア氏が何故軍隊に志願したのか、軍隊に入らない自由もあったのではないか、或いは経済上やその他の理由から否応なく入隊するしかなかったのか。番組からは分からない。

ここで、もう一度吉岡ブログの2005年12月31日付を読んでみる。

国民のひとりとして国家の安全に寄与することは当然だが、その国家の安全保障政策が間違っている、となれば拒否するのもまた当然である、という理屈も成り立つ。

そう、吉岡氏は「『良心的兵役拒否』とは戦争そのものへの否を示すものである」という米軍の理屈に対して、「戦争自体は否定しないまでも、良い戦争/悪い戦争を自ら判断し、悪い戦争に対しては『良心的兵役拒否』を行使する自由が国民にはある」という理屈をぶつけている。これならば、確かに「経済的に強いられた人」などを問題に取り上げているわけではない。論点は国家の理屈と個人の信条とのせめぎ合いだ。だが、そうすると、やはり「私、大学に入って『戦争は絶対にいけない』という価値観に変わったんです!」と言うキャサリンの例は失敗ではないか。むしろ「戦争そのものには反対しないがイラク戦争には反対」というベンダーマン軍曹の事例の方がまだ説得力があったのではないか。そういう疑念は晴れない。
もう一度整理する。志願制下の『良心的兵役拒否』問題を取り上げるには3つの論点がある。(1)現在の米軍は志願制に見えて実は貧しい人や市民権が欲しい人を徴兵している、(2)志願制下であろうが徴兵制下であろうが『良心的兵役拒否』の古典的な解釈は未だに有効である、(3)たとえ志願制下でも、個々の戦争について是非を判断する自由が市民にはあるのではないか、の3つ。(1)は関心の薄い日本人には分かり易いだろうが今回の論点ではない。(3)が今回のディレクターが狙ったものだろうが、実際の内容は(2)を考えさせるものになっている。更にいえば、ディレクター自身、全ての戦争に反対する(2)の立場を取る人であるらしいことが論点を分かりにくくしている。吉岡ディレクターが「自分自身は全ての戦争に反対だけど、番組自体は全ての戦争に反対しているわけではない人と国家とのせめぎ合いに関する作品だ」と言明していれば、納得のしようもあるのだが。
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もしかすると、吉岡氏はお茶の間の視聴者を過大評価しているのかもしれない。理路整然と弁舌さわやかに「徴兵制ではなく志願制の時代、個人の選択として軍隊を選んだのだから『良心的兵役拒否』は通用しない」と言い切るカラファーノ氏の映像を流せば、誰もが「何て恐ろしい奴らなんだ」と感じるに違いない。それは「見せ方の工夫など考慮する必要もないくらい明らかなことだ」と。だが、お茶の間の視聴者は、有給を取って山形の映画祭まで足を運び、フィルムを見てくれるような熱心な人々とは違う。むしろ、チャンネルをザッピングしながら、ふと映像に見入って手が止まる。そして見終わった後に、何か心に残るものが生まれる。そんな偶然の出会いこそTVドキュメンタリーの真骨頂だろう。
例えば、何があろうと戦争には絶対反対で、徴兵制と志願制の論理的相違など気にもならない人が本ドキュメンタリーを見たとする。そういう人の反応は当然「本人がイラクに行きたくないと言っているのだから、認めてあげなさいよ。全く軍隊という所は個人の自由を認めないひどい所ね」となるだろうが、自分の推測では、本ドキュメンタリーの作り手はそういう脊髄反射的な受け取られ方を期待しているのではないだろう。そうではなく、例えば日頃から「国家と個人」の関係についてグルグルと何周も思考を巡らせている人間、その人間がたまたま偶然このドキュメンタリーを見て、更にまた何周も思考を巡らせた先に「志願制とはいえ『良心的兵役拒否』を行使する個人の自由は認められるべきだ」という結論に達する。それこそがディレクターにとっての本懐なのではないかと勝手に想像する。そう想像し、敢えて言おう、「本ドキュメンタリーは残念ながら事例の選択を誤った失敗作である」と。
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最後に本論とは関係ない素朴な疑問を記しておく。ぶっちゃけ「『学費の足しに』と軽い気持ちで軍に登録した若い女性がイラクへ派遣されそうになり、改心してこれに抵抗する」というストーリーは魅力的だ。制作者が軸に据えたくなるのも無理はないが、このストーリーは日米で解釈のされ方が違ってくるのではないかと思う。日本では建前はどうあれ大学に入学したばかりの18歳なんて、何の人生経験もない「お子様」として扱われるのが普通だと思う。これに対して米国(或いは欧州)だと、高校を卒業する時には1人の大人として尊重されるべき人格を備えて旅立つ、よって同様に大学生は自身の考えを確立した人間と見なされる。そんなイメージがあるのだが、実際はどうなのだろう。日本人と米国人とでは、『良心的兵役拒否』論争をする以前に「18歳って自己判断出来る大人なの?」っていう入口で、キャサリンをみる眼が全く違うのではないだろうか。番組の中だと「田舎だからキャサリンの進歩的な考えは白い目で見られる」という解釈だったけど、キャサリンを一人前の大人として扱った上で「簡単に考えがぐらつくのは年齢の割に未熟だから」という白い目だったと解釈出来るのではないかと思う。