パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『ETV特集』「バチカンと現代世界」

2004/8/7放送、90分、構成:草川康之/熊田佳代子、制作統括:安斎尚志、スタジオゲスト:加藤周一西谷修
5月25日放送の『BSドキュメンタリー』「バチカン外交〜ヨハネ・パウロ2世と冷戦後の世界」(http://d.hatena.ne.jp/palop/20040527#p1参照)及び6月20日放送『NHKスペシャル』「ローマ教皇、動く〜イラク戦争バチカン外交」(http://d.hatena.ne.jp/palop/20040622#p1参照)の焼き直しということで当初馬鹿にしていたが、加藤・西谷両氏の話が結構面白くて良かった。特に西谷氏は「教皇個人の意思とバチカンの意思を区別すべき」という私と共通の意識があったので、共感し易かった。
過去2作の取材に追加されたのは、濱尾文郎枢機卿(移住・移動者司牧評議会議長)のインタビュー。これは「バチカン上層部と底辺で努力する神父の立場にはズレがあるのでは」という私の疑問に対する「上層部も現代の貧困や人権抑圧に心を砕いています」というアンサーかもしれない。
また加藤氏の「今回の教皇による『一般的な平和より具体的な戦争反対』は、今までのバチカン的戦争反対とは違う」という発言も、私の「バチカンは第2次バチカン公会議を経ても中世以来の絶対平和主義から抜け出せていない」へのアンサーか。
その他、加藤・西谷両氏による「世界史におけるカトリック」という話も、私にはよく理解出来なかったが、カトリックが現実と向かい合って変化してきた事を訴えていたようだ。
という事で、過去2作に対する私のいちゃもんによく応えた内容だった。それでも敢えて2点ほどいちゃもんを。
まず「バチカンは第三者の立場から介入」という話だが、99年にNATO軍がユーゴスラヴィアの一般市民を虐殺した時、バチカンが防ぐそぶりもみせなかったのは、多分「ギリシア正教徒(セルビア人)によるムスリムアルバニア人)虐殺を擁護している」という非難を恐れたから。残念ながらバチカンは「キリスト教徒(米国)がイスラム教徒(イラク)を殺す事」には倫理的に介入出来るが、その逆は出来ないダブルスタンダード。番組最後の字幕では「教皇は現在のイラクにおけるキリスト教徒へのテロに対し、キリスト・イスラム両教徒双方に話し合いによる解決を求めている」とそれらしい道徳的なオチをつけていたが、その呼び掛けこそ「誰もが賛成する言葉は、何も言ってないに等しい」(by加藤氏)ではないのか。
もう1点。教皇バチカン枢機卿が投票して選んだ後は半永久的に教皇、米国大統領は国民の選挙で選出された後は4年間ほぼフリーハンド。今回たまたま米国大統領に「(メディア的に)馬鹿」が当たり、教皇は「(メディア的に)賢者」が当たった(まあ実際恐らくブッシュジュニアは馬鹿だろうし、ヨハネ・パウロ2世は賢者だろうけど)。とすれば、次のクジ引きで米国大統領に「賢者」が、教皇に「馬鹿」が当たる可能性もあるのに、今回たまたま教皇が「賢者」だからって、バチカンという被民主的な組織の長を「倫理で戦っている」なんて持ち上げて大丈夫か。正直、ここ数年上昇している教皇様の道徳的権威は、バチカンがどうこうよりも、ヨハネ・パウロ2世がこの25年で築いた個人的な信用の方が大きい。最初にも書いたけど、バチカンの意図とヨハネ・パウロ2世個人の体験に根ざした行動・発言を切り分けるくらいの検証はすべき。
もう1つおまけ。今のイラク戦争反対論者には、そもそもテロ報復戦争たるアフガン空爆に反対した人、アルカイダイラクの結びつきはでっち上げだからイラク攻撃に反対した人、確かにイラクは悪いけど国連決議に基づかない攻撃は許されないという国際法を重視する人、もっと大まかに馬鹿ブッシュの石油戦争に加担したくない人など様々な立場の人がいるのに、何故この番組は国連決議の有無に拘るのだろうか、と過去2作から思っていたが、それは教皇国連を通した解決を望む立場で、米国とバチカンの対立の論点が国連決議だからだった。この「バチカンは絶対平和主義ではないが、国連を通すから倫理的に中立な立場をとれる」というバチカンの戦略はずいぶんと政治的で、そのしたたかさには戦争反対論者の中にも反発する人が結構いるはず。
以上、NHKと対話している妄想に憑かれた人間の戯れ言。