パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

「てらやぐ」というカップリング

春先の矢口騒動を耳にして、最初に浮かんだのは「寺田♂はこの事を知っていたのだろうか」「彼はどちら側の味方だったのか」という疑問だった。

このあいだ、つんく♂さんと上の4人―私となっちと圭ちゃんと矢口で、ゴハン食べに行ったんですよ。それで思い出というか、ま、こんなに大きなグループになるとは思ってなかったし、あのときはね〜とか、いっぱい語ったんですよ。私たち4人は最初の頃からのメンバーだから、ああ、この4人で長く頑張ってきたんだなあって、歴史みたいなものを感じて。改めて、仲間っていいなあって。
(『JUNON』2003年6月号より飯田さんのインタビュー[のはずだけど、ネットでの拾い物だから間違っているかもしれない])

これは確か正月ハロコンだか保田卒コンでの打ち上げのネタだったと思う。この時既に「このメンツで集まったのは久しぶり」という状況で、更に言えば、この後、寺田氏を交えて集まったというエピソードを聞いた記憶はないし、最近では娘。のレコーディングにも立ち会っていないらしい。年少組とは違って(←まあこれも神話だが)、恐らく20歳超えた年長組が寺田氏にメールであれこれ日常の相談を持ちかけるような事はしていないと思うけれども、

矢口「あのー、つんくさん、他のみんなはもう知っていますけど、実は私、付き合っている人がいるんです」
寺田「なんや、矢口、ほんまか。そら良かったなあ。けど、山崎さんや瀬戸さんにはばれないよう、気い付けや」

寺田「なあ、矢口、最近どうや。なんや楽しい話でもないんかい」
矢口「えー、別に何もないですよ、つんくさん。(寺田うぜー。早く話終われよ〜)」

似非関西弁に関しては御容赦を)要は、後者ではなく、前者のような会話があって欲しいなあという事。音楽に惹かれた訳でもなく、アイドルとして惹かれた訳でもない、2000-2001年頃に、幸福な共同体の物語に惹かれてハロヲタになった人間としては、彼氏がいようと糞曲連発しようと構わないので、「メディアの中の素」と「素の素」が限りなく近いものであって欲しいと願ってしまう。糞曲連発はちょっと困るけど。

なんて事を考えつつ数カ月が過ぎ、矢口騒動は脚本ありというか茶番劇だったのではと思っている。
理由は『「矢口真里」についての重要なお知らせ』が発表された4月14日という日はタイミング良すぎるから。肉声で何らかのコメントを出さなきゃならなくなる矢口annsラジオがある間は公表したくなかったはず。ラジオ終了は3月27日。また「4月16日の八王子市民会館は大混乱だったじゃないか」と言われそうだが、首都圏開催のコンサートだから「リハが長引いて開演が遅れます」なんて事態でも、客の交通手段なんかは結構融通がきく。これが4月9-10日の大阪公演前に発表すると、リハ延長とか簡単には出来ない。そういう意味で、様々なしがらみの間をぬった絶妙のタイミングでの発表だという気がしただけの話。
もちろん「それだけ内部でコントロール出来るネタだったのならば、別に石川さんの卒業後でも良かったじゃないか」と言われればその通りだし、「犯人を推理するには、事件で誰が得をしたのかを考えるべし」という発想からすれば、この騒動で誰も得していないようだから、意図的な犯人はいない、まさしく偶発的な事件だったのかもしれない。だから、ここでいう「茶番」とは「矢口と事務所の対立という図式は茶番であり、近しいメンバーもおおよその裏事情は聞かされている」くらいの意味で、実は『FRIDAY』もグルだったとか、娘。コンの演出監督も事情は知りつつ「後藤真希、10日間で10曲覚える」みたいに、あえてチャレンジ感・緊張感を煽ったとか、現メンバーは今も事情を知らず矢口を軽蔑しているかもしれないとか、その辺の「茶番劇参加者の範囲」は分からない。
もっと言えば、私は自分の精神衛生上、何を信じ、何を信じないべきかを考え、どのエピソードを取捨選択したのか、という話だったりする。自分は『題名のない音楽会』で、男性バレエ集団を見ながら寺田氏が真後ろに座っていた矢口の方を振り返って「なっ、めっちゃオモロイやろ」みたいに爆笑していた場面を信じる事にした。『情報ツウ』にゲストで登場したヤススが公開した楽しそうな中保矢の映像を信じる事にした。ハロコン舞台裏の楽しそうな雰囲気を信じる事にした。そういう事。
なので、「そもそもこっそり彼氏がいたことや、彼氏がいるのにラジオその他で嘘八百を並べていたのが許せない」という方々を和ませるのは無理。あくまで「ハロプロという幸せな共同体の物語」を愛した人間が、その物語から矢口を排除しないための方便。「矢口の件は事務所も仲間も了解済みだよ。矢口は仕事を途中で投げ出したわけではないんだよ。だから帰ってくる場所を空けておいてあげようよ」という結論を自分に信じさせるための方便。大体『題名のない音楽会』では、矢口も『ラブマ』に参加していたし、結局うやむやの内にみんなと同じ舞台で歌い始めるに決まっているんだから、それに備えて自分で自分に納得出来る物語を用意しておきたいのが人情というもの。いいじゃないか、メディアの向こうの話なんだから、自分に都合の良い物語を信じたって。

ただし、自分の脳内では、矢口の円満退職は確定だけど、そもそも3代目襲名から数カ月、矢口が「これからはリーダーとして甘っちょろい後輩をビシビシ鍛えて、輝けるモーニング娘。を育てるぞ」と意欲に燃えていたのか、「沈み行く泥船のリーダーは嫌だよー。私も裕ちゃん達と一緒に歌いたいよー」と思っていたのかは、全く想像もつかない。物語のパズルを組み立てるのは大好きだけど、他人の心を推し量るのは絶対に無理。それが在宅ヒッキー・クオリティ。