パロップのブログ

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BS1『BSドキュメンタリー』「バチカン外交〜ヨハネ・パウロ2世と冷戦後の世界」

2004/5/25放送、50分、取材:入江茂樹/本間修二、構成:天野裕士、制作統括:草川康之/藤井勝夫、制作協力:NHK情報ネットワーク/映像未来
「第2次バチカン公会議の目的―カトリックの現代化と他宗教との和解―は表向きで、実は共産主義を倒す裏プログラムが発動、そのために500年ぶりにイタリア人以外の教皇誕生」などといった陰謀史観を信じるかどうかは別として、ヨハネ・パウロ2世の発言・行動が、人間カロル・ヴォイティワの個性なのか、バチカン上層部が決めた方針を、教皇が最高地位の官僚として右から左へ捌いているだけなのか、組織の仕組みが分からないので、資料として教皇の個人的な手紙とか提出されても評価不能。ヴォイティワが第2次世界大戦共産主義という個人的体験から80〜90年代の方針を全て決めたのではないにしろ、バチカンの方針に適った人物であったのだろう。「解放の神学」に対する態度とか、避妊・中絶に対する態度とか、今回の戦争に対する態度とか、共通点を推測すれば、貧困や不平等よりも無信仰の方がよくないという事か。カトリックは謎。
そんな番組構成自体へのモヤモヤはあるにしろ、公会議に共産圏から参加した唯一のオブザーバーだったという哲学者ステファン教授は、バチカンの方針に大きな影響を与えたのだろうし、ネタの貴重度からいえば、もう少し扱いの良い(『Nスペ』とか)番組になってもよさそうな気がする。というか今回、バチカン部分はNHKが取材し、ステファン教授部分は外部の制作会社の取材で、いずれ「ステファン教授の生涯〜激動の1世紀を生きる」みたいな別番組があると推測。多分「本人が死ぬまでは放送してくれるな」と遺言したので、5月まで寝かしていたと。教授は大体1910年前後生まれだから、あの20世紀ポーランド史を丸々生きている、とんでもない生き証人。
(以下、2004/6/12追記)
自分の推測だけだとあれなんで、小坂井澄『ローマ法王の権力と闘い』(講談社+α新書、2002年)から要約して抜粋する。
・1891年、レオ13世(位1878-1903年)が、社会主義の誤りを強調する回勅を発布。
・1914年、セルビアに宣戦布告したオーストリアのフランツ・ヨーゼフ1世はオーストリア軍に法王の祝福を求めたが、ピオ10世(位1903-14年)は「戦争や戦争を欲する人を祝福することはできない」と回答。
第1次世界大戦中、ベネディクト15世(位1914-22年)はボリシェヴィキの脅威に対抗するため「独英仏の戦い=キリスト教世界内の内輪もめ」という立場から仲裁を図る。
・後のピオ11世(位1922-39年)、1920年ワルシャワ赤軍の恐怖を体験する。
・後のピオ12世(位1939-58年)、ベルリンでスパルタクス団に襲撃される。
・1937年、ピオ11世は、回勅でナチズム共産主義をともに断罪。カトリックには、ユダヤ人とボリシェヴィズムを結びつける傾向あり。
・第2次大戦中、ピオ12世がホロコーストを糾弾しなかったのは「平和を希求する者として戦争当事国に対する中立」「カトリック教会自身の反近代姿勢が国際主義・民主主義・ユダヤ人への敵対を内包」「ヒトラームッソリーニを反共の闘士として期待していた節」など複合的な要因。
・「どんな社会的矛盾も、いつか天国で報われるはかないこの世の問題であり、それよりも許し難いのは神と人間の霊魂を否定し、攻撃するイデオロギー」というのがカトリック教会全体の主流。
・1949年、「イタリア共産党に協力したカトリック教徒は破門」と布告。
・第2次ヴァチカン公会議を開いたヨハネ23世(位1958-63年)は容共の人。
ヨハネ・パウロ2世(位1978年-)の選出は、イタリア人以外の枢機卿が増えたのも一因。ヴァチカンも「東欧に楔を打ち込むといった明確な意図までは持っていなかったようだ」。
※この本を読む限り、ヨハネ・パウロ2世の反共、反戦争、現世より来世などの方向性は、個人の資質よりもバチカン内の流れっぽい。40〜50年代の「労働司祭運動」は後の「解放の神学」を思い出させるし。