パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS1『戦後60年・歴史を変えた戦場』「カンボジア ポル・ポト政権 150万人の虐殺」

2005/10/29初回放送、50分、撮影:一之瀬正史、リサーチャー:川島茂、ディレクター:松本武顕、プロデューサー:宮本康宏、制作統括:辻泰明/東野真、制作協力:ルビコン/橋本純雄、共同制作:NHKエデュケーショナル、制作・著作:NHK
当初の目玉企画からすっかり捨て枠と化し、迷走を続ける『戦後60年・歴史を変えた戦場』シリーズだが、今回は「ディエンビエンフー陥落」「サイゴン陥落」に続いて松本氏が手掛けるインドシナ史の第3弾。「いくらなんでも『歴史を変えた戦場』で大量虐殺を扱うのは無理あるだろう」という視聴者(というか私)の声を見透かしたかのように、番組の冒頭で、

5年間に及ぶ内戦の末に、民族の解放を目指して生まれたポル・ポト政権。しかし、そのもとで行われた大量虐殺の現場は、カンボジアの人々にとって、まさに形を変えた戦場でした。

とのこじつけを説明する松本氏、恐るべし。というか、普通に『BSドキュメンタリー』の枠で放送すれば済む話なのでは。
内容は、当時の記録映像と現在の証言インタビューとを交互に重ねるオーソドックスなスタイル。証言者には、今もパイリン(ポル・ポト派の本拠地)でのどかに暮らす元人民代表議会議長(当時のナンバー2)ヌオン・チア氏(78歳)のほか、地方幹部や獄中から奇跡の生還を果たした一般住民など。ヘン・サムリン氏も登場。
作品のプロローグには、

理想の国家建設を目指したポル・ポト政権の革命、それがなぜ大量虐殺を引き起こし、共産主義に対する失望を世界に広げてしまったのか、当時の関係者の証言をもとに検証します。

と来て、エピローグでは、

カンボジアの現実は、侵攻したベトナム軍の想像をはるかに越えたものでした。同じ共産主義のもとで、民族の独立と解放を目指したカンボジアは、なぜ道を誤ったのか。西側のメディアによって大量虐殺の事実が世界に報じられるにしたがって、その重い問いが国際社会にも広がっていきました。150万人にものぼる虐殺、それは戦後、冷戦構造のなかで続いていた共産主義に基づく民族解放という理念に、大きな疑問を突き付けることになったのです。

というナレーションが入る。1974年生まれの自分には断言出来ないことであるが、当時すでに「世界」や「国際社会」が「共産主義による民族の独立と解放」を信じていたとは思えない。共産主義に対して失望したのは「世界」や「国際社会」ではなく松本氏であり、「なぜ大量虐殺を引き起こし」たのか、「なぜ道を誤ったのか」を知りたいのも松本氏自身なのだろう。これは松本氏が60〜70年代に信じたものに対して落とし前をつける魂の旅。

私の記憶に残っている1980年代後半のカンボジア発ニュースでは、既に「ヘン・サムリン政権」という割に、登場するのはフン・セン氏のみで、「もしかするとヘン・サムリンは実在の人物ではなく、象徴というか概念?」くらいに思っていた。それが確か90年代の終わり頃、朝日新聞ヘン・サムリン氏へのインタビューが掲載されているのをみて、初めてその存在を確認出来た。そして今回の番組で、初めて動くヘン・サムリン氏を見たわけだが、頭の切れる野心家というよりは、脱走兵をまとめる器量と人望を持った田舎のおっちゃんだったのではないかと想像した。ベトナムの戦車とともにカンボジアへ帰ってきた後は、形だけの指導者だったのだろうか。
あの頃の空気をリアルタイムでは知らないので、大それた物言いは出来ないが、1975年当時から、カンボジアで都市民の追放や虐殺が行われているという報道はあったが、それを人によっては「CIAのデマ・陰謀だ」などと言って否定していただけのようだ。反米親共の仲間が親中と親ベトナムに割れたり、立ち位置によって主張する事実もコロコロ変えなければならない面倒な時代があったらしい。
D・ボゲット/鵜戸口哲尚『カンボジアの悲劇』(成甲書房、1979年)という本によると、初期の餓死はむしろ米軍の侵攻による国土の荒廃が原因らしいし、労働者の環境も山谷の日雇い労働者よりもよほど快適だったらしい。ポル・ポト政権の性格とか政策も発足当初と崩壊前では変化しているだろうし、施政4年間中の出来事を一緒くたにしてはいけないのかもしれない。