パロップのブログ

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『日中戦争の軍事的展開』

慶應義塾大学出版会、2006/04
日中戦争の軍事的展開 (日中戦争の国際共同研究)
自分は高校の時、世界史と地理を選択したので、日本史は中学歴史のぬるい知識しかない。一般人がどのくらいの知識を持っているのかは想像でしか分からないが、多分高校で日本史を勉強したにしても、特に現代史までちゃんと流れを掴んでいる人はそう多くはないのではなかろうか。加えて、日本の場合、戦争に賛成/反対する以前に、戦争の事実を学ぶ事自体がタブー視されているような面もある。本当は日本だけではないのかもしれないが、西洋東洋問わず、軍事史や戦史が歴史学の一端を担っているものだと思うがどうだろう。その結果、戦争のイメージが『北斗の拳』のように「平和に暮らす村へ武装勢力が殴り込みをかけて物資を奪い、逆らった者はぶっ殺す」みたくなっちゃって、「本国の命令を無視して華北に侵攻した日本軍は馬鹿だよね」といった冷静な議論を出来るのが軍ヲタ・歴史ヲタくらいしかいないという不幸な状況にあるのではなかろうか。
そんなわけで、偶然読んだ2ちゃんの児島襄スレで紹介されていた同書を県立図書館で借りて勉強してみる事にした。出版元のホームページ(http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/476641277X/)にあるように「政治的・感情的要素を排除して、日米中台の研究者が新たな視点から日中戦争史を捉えなおす」論文集で、初歩的な知識すらない自分が読んでも理解出来ないかと危惧していたが、むしろそれぞれの国の研究者が受け入れる事が出来る解釈しか出てこないから、研究の最先端というよりはスタートラインとして丁度良かった。多分、軍ヲタ・歴史ヲタには既出の事項ばかりだと思われる。
それでも「そんな人間性を無視した典型的な軍ヲタ視点の書き方して大丈夫?」な日本人学者の表現とか、「中国共産党のカンペを読んでるのか?」といった中国人学者の表現とかも結構あり、これに「結局、史実は史実でしかないじゃん」的な、軍事史をあくまで歴史学の一分野として研究する新世代の割合に冷静な文章も混じり、「政治的に正しい歴史記述とは何か」を考えるには良い材料になる。とりあえず軍事の流れは掴めたので、今後はこれをベースに政治史の方もぼちぼち勉強したい。で、分からないなりに考えてみた。
戦争初期、華北に住む一般民衆にとっては、国民党政府だろうが共産ゲリラだろうが日本軍だろうが、治安を回復してくれれば、誰が支配者でも構わないという感じだった事が想像される。日本軍が村に来る→村の長「よろしくお願いします」→日本軍が一旦去る→共産ゲリラが村に来て「日本軍に協力したらどうなるか分かっているんだろうなあ」と脅して村長タコ殴り→日本軍がまたパトロールに来る→村人は「あんたらが来るとトラブルの元だ。とっとと帰ってくれ」→中国の村を「協力村」「もう少しで協力村」「反抗的な村」に3分類していたらしい日本軍、この村を「もう少しで協力村」から「反抗的な村」に格下げにして焼き払う、みたいな事がいろんなところで起こったのだろう。ベトナムイラクと同じで「俺たちゃ前の独裁政府よりはマシな統治をするぜ」と意気込んで乗り込んでも、異民族を支配するのはなかなか難しい。結局、日本人が中国の領土にいる事自体が間違いなんだよという結論になる。
台湾行政府の地図には外モンゴルも未だ中華民国らしいし、どこまでが中国政府の領土と考えるかにもいろいろ一悶着ありそうだが、それは置いてとりあえず中国人の住んでいるところは中国領土だと便宜上考えると、『論座』2006年6月号の座談会で山内昌之氏が言っていたが、西洋人は中国を含めてアジア・アフリカの植民地支配を反省も総括もしていない。しないで人権やら民主主義を前面に立てて途上国に命令している。多分、本来ならば、日本とともに米英仏独葡露まで雁首揃えて19世紀末からの中国領土支配の総括をしなければならなかったのに、1931-1945年の戦争によって日本だけが19世紀までさかのぼる「国際法上は無問題だけど、そこに住んでいる人間は良い気はしないな」問題を全部押し付けられちゃった面はある気がする。よって、日本が「中国に租界を持っていたのは俺だけじゃなかったじゃん」と米英仏独葡露まで巻き込んで泥仕合にしたら面白そうだけど、あまりお薦め出来る戦術ではない。
「いやいや、我々が非難しているのは、華北・華中を占領した事ではなく、占領下でした残虐な行為に対してなのだ」という反論もありそうだけど、単に残虐行為ならば国民党政府も共産ゲリラも似たようなものだし、「日本軍が中国民衆を殺すのはダメだが、中国軍が中国民衆を殺すのはいいんだよ」という話になると、前段で書いた内政干渉云々の問題とループする。歴史にイフが許されるならば、日本軍が南京を占領した後に、さっさと国民党政府と停戦に合意し、例えば蒋介石を退陣させた後に汪兆銘政権でも作って日本軍は満州まで撤退し…となれば、中国で共産ゲリラが政権を奪う事もなかっただろうに。同様の議論に「イラクでテロリストが一般人を殺しているのは、米国がフセインを倒したからだ」もある。「そう言われれば確かにそうなんだけど、フセインを倒した後、米国がもう少しうまく占領下政策をすすめれば、フセインもテロリストも米国軍もいないイラクが存在した可能性だってあったはず」という歴史のイフ議論をしたくなる。

読んでいると蒋介石の無能っぷりに腹が立ってくる。中国の研究者は当然共産党公式史観寄りだし、台湾の研究者も最近は国民党離れが激しそうだし、日本の研究者は「太平洋で負けただけで中国本土じゃ負けてねえよ」と思っているわけで、その辺りは差し引いて読まないといけないのだろうが、政治的戦略・軍事的戦略の両方で失敗続きに「ずっと西安に監禁しとけよ」と言いたくなる。それでも指導力やカリスマ性は持っていたのか「蒋介石の立てた作戦失敗→側近達が挫けたりびびったり→蒋介石が立派な演説→皆の気持ちを奮い立たせる→蒋介石の立てた作戦失敗」の無限ループ。大体、中華「民国」なのに、国父孫文が見込んだという理由で後継者が決まり、選挙をやっているようにもみえず、政治指導者が軍の作戦まで立案しているのはどうなんだ、という疑問が晴れない。イメージだけでいえば、MLKの側近だったというだけでその後継者をやっているように見えるジェシー・ジャクソン師と被る。余談だが、「ジェシー・ジャクソン」で検索しても基本的な情報すらほとんどヒットしない。確かに公的な役職があるわけでもないし、ハリウッドスターのように日本で注目を集めるわけでもないから、日本語でジャクソン師を紹介する仕事が商業ベースに乗らないのも理解出来るが、米国を知るキーワードとしてネット上に何の情報もないのは、現代アメリカ合衆国研究者の怠慢ではなかろうか。