パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

次期日本代表監督にビエルサを!

まあ、あれだ。思いついたネタを寝かせたまま放置しておくとタイミングを外して恥ずかしいことになる。

☆☆☆

とりあえず口説き文句を考えた

「我が国は現在世界ランキング5位で、2015年のワールドカップと2016年のリオデジャネイロ五輪の2冠を目指すという野心を持っています。それはきっとあなたの野心をも満たすことでしょう」
「我が国はFIFAも認める有望なスーパースター候補を抱えています。しかも日本には自分勝手なプレーに走るスターはいませんし、選手はみな規律正しく勤勉です」
うん、女子サッカーの話だ。
こんなのも付け加えてみようか。
「我が国ではスカパーをつけたら毎日世界中のサッカーを見ることができます」
ビエルサならこれで釣れそう。

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女子サッカー(日本)に関する私見

規範意識が高い。試合前に監督から言われた戦術・約束事を全選手が最後まで忠実に遂行しようとする。逆にいえば少し自己修正力が足りないのかもしれない。だから1対1でミスマッチが発生してボコボコにされていても45分間放置されている試合をみることがある(もちろんこれは選手層の薄いチームが多くて手の施しようのない場合もあるだろう)。ある意味で戦術家には腕が鳴る職場だといえる。
スタミナの消耗が緩やか。トップスピードが速くない代わり、試合の最終盤になっても極端に運動量が落ちたりすることはない(これはマラソンにおける男子と女子のラップタイムの違いに似ている)。90分間走り回るサッカーが出来る素地がある。
サイドチェンジは怖くない。ゴールから遠い所=サイドで起点を作られても、そこから一気にゴール前の決定的なチャンスまで繋げられることは少なく、大抵は起点から何本かのパスを繋ぐ必要がある。それならばしっかり守れば防ぐことができる。つまりはリスクを負って攻めるサッカーが肯定される土壌がある。
事故による失点が結構ある。男子だと9割方通らない無理目なパスも女子だと確率が7割方通らないになる。逆に男子なら9割9分安全な最終ラインでのパス回しやバックパスでも、女子だとFWが前から追いかけ回すことで思わぬミスが発生していきなりGKと1対1になるようなビッグチャンスも生まれやすい。つまり下手に後ろでチンタラ回すくらいなら、多少無理目でも縦パスをどんどん狙った方が結果的にもチームの為になる。
どうだろう。女子サッカーこそビエルサが監督するべき理想郷なのではないだろうか。

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3-2-2-3

上に書いた私見の多くは、数年前に常盤木学園高校の試合を観たときの衝撃に依るところが大きい。当時、以下のように書いた。

3-2-2-3のフォメもロングボールではなくパス回しでピッチを広く使うために最適化されているみたいだし、女子サッカーの特性を活かしたサッカーをしていると思う。それから常盤木はバックパスがほとんどない。少々難しい態勢/角度でもボールを前に送る。7対3で相手ボールになるようなパスでも前からプレスをかけたら相手にミスも出るし、逆に絶対フリー9対1でマイボールになると思ってDFに下げたらミスで大ピンチ。

3バックは細かいパス能力よりも長いボールを蹴る能力が問われる。2ボランチも展開力やパスセンスよりはボール奪取力が必要。相手ボールになったら素早く取り返して「ずっと私たちのターン」状態を生む出すため。2シャドーには得点力が求められ、特にどちらか1人は2トップの片割れみたいにゴール前で絡んでもらいたい。両ウィングが中盤化して3-2-3-2に見えることもしばしば。3トップはポストとウィングとか役割を分化せず割と自由にポジションを変えつつゴール前を陥れる。
攻撃時に前の3人でカウンターを狙って間延びするわけではなく、後ろでゆったり安全第一のポゼッションを狙うわけでもなく、とにかく10人が同じようなゾーン幅を作ったまま縦へ縦へボールを運び、百姓一揆のような怒涛の攻め上がりを見せる。そんな常盤木式のサッカーを基盤にビエルサのエッセンスを加えたら、夢のような攻撃サッカーが出来上がるはずだ。

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タイムテーブル

「もうビエルサはチリと再契約したじゃないか」と仰る方もいらっしゃるかもしれないが、それは問題にならない。何故ならば、就任を予定しているのは来年7月以降だから。以下に今後の予定を確認する。
女子ワールドカップ(ドイツ) 2011年6月26日-7月17日
コパアメリカ(アルゼンチン) 2011年7月3日-7月24日
というか、そもそも女子代表には今現在も任期が残っている佐々木監督がいるわけで、佐々木監督で来年のドイツワールドカップを戦うのが既定路線。今ビエルサと契約できてしまったら、それはそれで困る。
そんなわけで来年夏に期待されるシナリオはコパアメリカ・アルゼンチン大会で、日本がチリに勝つ。そんな事態になったらビエルサを英雄扱いしている流石のチリ国民も「東洋の雑魚なんかに負けおって」とビエルサを解任してくれるだろう。そこを狙って現地入りしている原委員長がそっとビエルサに囁く。「スター揃いの強豪国や強豪クラブに戻っても、あなたの思い通りにはチーム作りなんて出来ませんよ。でも日本に来ればほら、才能豊かな選手を教師と生徒のような関係で思う存分指導できますよ。あなたの理論をピッチで実現できるのは日本女子代表だけ! さあ、我々と一緒に五輪とワールドカップの2冠を目指しましょう!」というわけで、コパでの男子代表のノルマはアルゼンチンの地でチリ代表に勝つだけの簡単なお仕事です。

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チラシの裏的な勝手に2015年の俺希望スタメン

………加戸………
後藤…………岩渕
……鮫島…宮間…
……岸川…阪口…
宇津…熊谷…堂園
………山根………
まあ、知ってる名前を並べてみただけ。ビエルサは3バックといわれているが、実際には相手FWの数に合わせて人数(FW+1)を変えているらしい。この場合、鍵を握るのはSBにSHにボランチと左半身ならどこでも出来る宇津木選手、CBとボランチをこなす岸川選手、そして所属のレッズですらポジションどこかよく判らない堂園選手。ポリバレントな選手をうまく活用して試合開始後の配置変更を極力減らすことができる。
宮間・加戸の湯郷ホットラインは吉備団子県民たる個人的趣味。加戸ちゃんは最初サイドハーフと起用されながらのちにCFとして開花する「和製アンリ」だと思っている。
山根選手はちょろっと見た限りだと、長身選手特有の足の畳めなさが感じられた。フットサルのゴレイロをする大林素子的な意味で。5年で矯正出来るかな。
真奈はチリ代表でいう処のアレクシス・サンチェスのイメージそのまま。
2012年のロンドン五輪ビエルサ体制の肩慣らし。2015年W杯と2016年五輪が集大成。その間もビエルサには新戦力の発掘などに携わってもらう。なんとなくのイメージだけどビエルサなら「神村学園に気になる選手がいるんだ」とか言って鹿児島県予選決勝を観に飛行機で飛んでいきそうじゃないか。そうやって代表監督が全国に出没したら、選手への励みとなってモチベーションも上がりまくるだろうし、携わる大人も巻き込んで大きなうねりとなるだろう。

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その先の話

というわけで、ここまではすごく現実味のある具体的な話をしてきたわけだが、少し先の妄想を書く。
そもそも代表で攻撃的なサッカーがしたいなら、高い金を出してビエルサを雇うまでもなく、思い切って常盤木学園の監督を据えてみればいいだけの話かもしれない。だから、むしろ高い金を出してビエルサを雇うからこそ逆に意味があるんだという話をしなければならない。何故私がこんな法螺話を書いてるのかといえば、2015年開催のワールドカップを日本に招致して欲しいからだ。2015年の開催地は来年行われるドイツ大会の前後に決定されるらしい。男子と違って大規模な大会ではないから4年もあれば準備可能だということだろう。軽く調べたところ、今はニュージーランドとオーストラリアが立候補の意思を表明しているらしい。FIFAは若年層や女子の国際大会をこれから市場の伸びが期待される地域に持っていく傾向があるので、このままなら2国のどちらかになるだろう。そこに割って入ろうというのが今回の趣旨。
ネクストスター岩渕を抱える日本が、監督には数億円の年俸を払ってビエルサを呼ぶ。ほら、女子サッカーの普及と強化への並々ならぬ意思が伝わってくるじゃないか。これで開催地に立候補すればまず勝てるだろう。そして実際この真奈世代(主力は真奈より2〜3歳上だけど)を強化すれば世界チャンピオンだって狙えると思う。
なんていうか、この真奈世代には時代の象徴になって欲しいんだ。1998年のフランス代表が単にサッカーのワールドチャンピオンというだけじゃなく、サッカーを超えた人種間融和の象徴となったように。たとえば決勝戦を埼スタで行うとする。日本代表スタメンのうち4〜5人はレッズレディースになるはずだから、「レッズ」と聞けば(良い意味で)ノコノコと集まってくる人々が1万人、「代表」と聞けば(良い意味で)ノコノコ集まってくる人々が1万人、それに地方の津々浦々で女子サッカーの普及と携わってきた指導者や現役選手を集めたら、ほら63000人くらい埋まるだろう。その中で女子スポーツの団体競技、それも世界中で広く行われている競技の世界チャンピオンになる。カップを高々と掲げる瞬間をテレビを通して大勢の人が見る。ぶっちゃけ言えば、常日頃「国会議員に占める女性の割合」やら「大企業の経営陣に占める女性の割合」やらのデータを持ち出しては東洋人に説教を始める北欧人どもをギャフンと言わせたい気持ちも若干ある。「この社会には未だ色々と問題もあるけれど、少なくとも女性が世界一普及している競技の頂点に立てる国だぞ」と。もちろん、象徴というのは本当の問題を覆い隠してしまう機能として働くかもしれない。それこそ98年以降のフランスが民族の融和を実現しているとは思えないように。それでも“埼スタでの戴冠”を目撃した多くの子供たちが大人になる頃には、ワールドカップ開催が社会にポジティブな影響を残してくれていると思う。そのときワールドカップという象徴は象徴的意味を超えて実社会を動かすだろう。
さあ、日本代表監督にビエルサを!