パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『仔犬ダンの物語』評リンク集

昨年、映画館で『17歳 旅立ちのふたり』をみて分かったのは、私は撮影所システムで培われた古き良き日本映画の文法を知らないということだった。たまに見る最近の日本映画の監督はほとんどがテレビドラマかCMかPVの出身だ。
「遅れてきた日本映画の良心」ともいわれる東映出身の澤井監督による『仔犬ダンの物語』はモーヲタから一般の映画好きまで「脚本ひど過ぎ」「演技下手過ぎ」との評で溢れるなか、日頃から日本映画に通じている人達からは「流石澤井監督!」といった評価が見受けられた。それをまとめてみた。もちろん澤井監督の腕を認めつつも「だめだこりゃ」という映画評サイトも多々あったが今回は取り上げていない。
これを読んだからといって突然映画を観る眼が肥えるわけではないし、ましてやこの映画が面白くなるわけでもないが、これを読んで各ショットの意図などを掴んでから観れば、多少ブーブー言う気も収まるのではないだろうか。というか自分もまだこの映画を観ていないので自分用メモも兼ねて居る。
映画名やら役名やらをグーグルで検索し、個人サイトを各個チェックするという原始的な方法で採集したので、当然完璧なリストではない。
一応全文引用は避け、監督の手腕に関係ありそうな箇所を抜粋した。詳しくはリンク先へ。

名人芸ともいうべき澤井映画の特色を挙げれば、演技のツボを心得た演出の細やかさ、躍動的な移動シーン、ここぞという場面でのクレーン撮影、そしていかにも映画らしい、リズミカルなカット割りなどなど、活劇の魅力そのものである。くだらない映像美にも(そしてときには出演者の演技力にも)頼ることなく、最小限の要素でサクサクと物語を語る澤井映画を観ていると、どんなに通俗なストーリーを語る場合でも、黄金期のハリウッド映画を実用的に咀嚼し尽くした映画人の心意気が感じられる。(海外ではなぜか理解されにくく、未だまったく評価されてない)「活動屋」的な日本映画の美質をふんだんに持った、いまや貴重な存在である。

例えば冒頭近く、リストラ求職中らしい榎木孝明が、食卓に座った子供たちに、お父さんは富山で働くことになったのだと告げるシーンがあるのだが、富山って遠いんでしょ、と娘に言われてちょっと遠い目をした榎木のアップに、戸外からかすかに聞こえてくる列車の警笛がかぶさるところなんて、よくある工夫なのだが、最近そういう細かい芸を見てなかったなと、のっけから嬉しくなってしまう。

家出同然でおじいちゃんの家で暮らす少女が、公衆電話から自宅に電話をかけて、気まずい関係になっている母親が電話口に出たとたんにテレホンカードの度数が切れてしまうシークエンスのサスペンスの作り方。貰われていった仔犬に会うために、一人で出かけてしまった級友を自転車で捜す少女の、見ていてワクワクしてしまう移動撮影。少女と母親が再会した、渓流沿いのカフェのような場所での、見事なクレーン撮影。それらがみんな、少女の心理にピッタリと寄り添っているのを見ていると、やっぱり本作も傑作なのだった。

はじめて見たモーニング娘。と、子役のハロー!プロジェクト・キッズとかいう子供らは、みな驚くほど演技が稚拙である。しかしそれは、役者が能力不足だとカットを細かく丁寧に切ってフォローしてくれるこの監督の腕の冴えがみられる部分でもあって、退屈をする瞬間がない。シロート同然の子供らを主役に使って、60分ちょいの上演時間内に、ここまで濃い映画が作れるもんなのである。
TaRaGa氏:モニターの中の映画館
http://taraga.at.infoseek.co.jp/bangai/roadshow/report/koinudan.html

特に、おじいちゃんとの別れ、おじいちゃんが、可愛い孫の方を見たくても見れない、その気持ちを、縁側に座った角度でうまく表現。そして、子供が、肩を、「98、99、100」と叩いて去る、この演出の呼吸は、たいしたもの。

他にも巧いところはイパーイあるよ。始まってすぐに、<木漏れ日>→<長靴で歩道橋を昇る足>で、「ある日の雨上がりの午後でした」という小説の書き出しみたいなのをキチッと映像で語ってるのは、快感。スッと歩道橋の横からの引きになって、子どもたちが走る、このテンポは得難い。街の雰囲気も、下校時の感覚も、よく出ているし、歩道橋を渡る動きが、ラストのバスが橋を渡っていくのに呼応しているのも心憎い。主人公は今後も転校を繰り返すんだろうね、彼女は「橋を渡る少女」だから。

主人公が道に迷って看板の地図を見ていると、フレーム外から手が伸びて、肩をポンポンと叩く。観客に「おや、誰だろ?」と思わせる撮り方。カメラが切り返すと、紺野が「どした?」と問いかける。これがレフが効いてキレイに撮ってあるんだな(笑)。さすが、ロリコン澤井。好みのコに対する感情が率直に画面にあらわれる。一番出番が少ないのに、その次のカットでも「自転車をこぐ制服の少女を正面から望遠で撮る」という王道。他のメンバーは、「紺野、ヒイキされてる!」と怒るべき。怒ったら、見込みあるよ(笑)。
2ちゃんスレ:♪仔犬ダンの物語&ミニモニじゃムービー♪
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1039273051/201-207
(既にdat落ちしているので、ほぼ全文引用はご容赦を。読みやすさを考慮して改行も多少直した)

両親の離婚によって短い間祖父の家から学校へ通っていた女の子が、父親と一緒に住むことを決意して土地を離れる時、バスの窓から同級生たちが「さよなら」と手を振るのが見えるという、いまやお約束を通り越してコントにしかならないようなシーンを澤井氏はわざわざ設定する。このシーンでバスは橋の上を(不自然なほどゆっくりと)走っていて、同級生たちは川原にいることで高低差が生じ、空間的にダイナミックな動きが出るような工夫はしているものの、このシーンの成否はひとえに女の子の涙するクローズアップにかかっている。作品を締めくくる重要なところで、演出家澤井信一郎は自らの演出によって「決める」のではなく、女の子の表情に成否を委ねてしまう。

余談だけど、この映画でもモーニング娘。の演技はあまりにもひどかった。唯一まともだったのは紺野あさ美くらいだろうか。
古谷利裕氏:偽日記(2003年12月30日付)
http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/ni.a.4.html

さて、基本的にマイナスの手札しかない状況下で、澤井信一郎はしかし、きっちりと正攻法の「映画」を創ってみせる。素人の少女たちに今できる限りのこと(「科白をしっかり云えるかどうかを重視した」との監督の言あり)をさせて物語を動かし、そこにバランスよく娘。の皆さんを配していく手際の良さ。そして、「引き」の画を効果的に使うことで、画面にリズムを生んでいく技は、「プロ」としか云いようがない。犬に向かって少女たちが車道を突っ切り、複数の車が急ブレーキをかけるシーンを、俯瞰、フィックス、ワンカットで撮ったシーンには正直、痺れました。

澤井監督が「素材」としてもっとも興味を惹かれたのは、石川梨華かもしれないという、まあ、これは私の妄想。
酔呆庵酩迷録(2003年1月12日付)
http://user.cnet.ne.jp/t/tsubono/meimei2003_1.html