パロップのブログ

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『エルヴィス』

2022年7月5日

 

 90年代後半、私が20代の頃、WOWOWに加入して年に200本くらい映画を見て、映画館でも50本くらい観て、という時期があったのだけど、そんな自分が映画館に行かなくなったのは21世紀に入った頃。「あれ?目の演技や表情の演技を見たところでアスペのオレは人の表情とか読めないし、演技の良し悪しとか分からないし、セリフのないシーンの行間とか読めないし、言語化された情報の粗筋(ストーリー)を見ているだけじゃね?なら、状況も感情も全部セリフで説明してくれる日本のドラマでも見とけばいいじゃん」とふと思い当たって、それからは映画館から少し遠のいて、演技合戦とかなくても情報の粗筋を楽しめるもの、『ミュンヘン』とか『スポットライト』とかああいうの、テレビで見ても問題ないけど自分の集中力が続かなくなったので隔離された方が楽しめるものを観に行くようになった。

 それでまあ相変わらずブログのネタに映画の感想を書いたりしてはいるんだけど、映画に関する情報を検索して写すだけなら誰でもできるし自分で書く必要もない。そんなことを考えながら最近は、見ていて何が分からなかったかを書くようになったら、これが割と面白いんじゃないかと思い始めた。「行間が読めないアスペは映画のどこに躓くか?」を文章にしたら他人と違う事が書けるぞ。みんな、自分がどれだけ読み解いたかは書くけど、どれだけ読み取れなかったかという自分の恥を晒すような事はなかなか書かない。その辺りをまだ意識せずに書いたけど、書いたら手ごたえがあったのが『僕たちは希望という名の列車に乗った』『シカゴ7裁判』辺り。さて。

 市内の南の涯にある区役所まで期日前投票へ行くついでに、南の涯にある映画館で映画でも見ようという消極的理由で選ばれた『エルヴィス』なので、幸か不幸か事前情報を全く耳に入れることなく映画を見る事が出来た。

 『エルヴィス』には3つの水準がある。⑴私のように断片的なエルヴィス情報しか持っていない奴、⑵ちゃんとしたジャーナリストが取材して明らかにした正伝、⑶2022年にもなってエルヴィスの伝記映画を撮ろうと考えたバズ・ラーマン監督(と共同脚本家)による歴史の再解釈・読み直し。

 ⑴の知識しかない者が⑶を語ろうとして「それって⑵で既知だよ」とつっこまれて恥をかいていくスタイル。ちなみに映画を見る前の私のエルヴィス知識とは、黒人音楽をパクった、腰振りダンスが女子にウケた、エドサリヴァンが「この若者は立派な若者です」と讃える映像、ラスベガスで懐メロで大復活。そういや娘リサマリーってマイケルジャクソンと結婚したよな。グレイスランドって広大な敷地にガードマンいっぱい並べてデブが孤独に暮らしている所だと思ってた、くらい。

 

映画のメッセージ、その1:エルヴィスがバッシングされたのは性的な不道徳ではなく、人種問題である。

・2022年にエルヴィスをテーマにした映画を作るならこの辺りに意識的でないとおかしいだろう。

・ビジュアル系メイクをしていても、一部から「ホモ」と悪口聞こえるけど、それほど拒否感もない。両親も公認。

・エルヴィスは黒人音楽を簒奪してない。一緒に生まれ育った音楽。エルヴィスは簒奪していないが、白人がやったらウケるけど黒人がやってもそれほどはヒットしないとBBキングは分かっている。

・腰振りダンスが咎められたのはエロくて女性に悪影響を与えるからではなく、人種融合を進めるから。

・エルヴィスは敬虔なクリスチャン。そして南部黒人教会寄り。

・ルーツである黒人音楽、教会音楽の中にあの腰振りがある。

・人種融合に反対する政治家にとって、分離政策を進めるためにエルヴィスの人気はまずい。

・エルヴィスはリトル・リチャードをパクったという風説があるけど、リチャードが世に出たのはエルヴィスの後だよ、という匂わせ(※これは鑑賞後1か月ほどして、映画とは関係ない情報を読んでいて偶然リトル・リチャードとチャック・ベリーを勘違いしていたことに気付いちゃった)。

 

映画のメッセージ、その2:真実のエルヴィスと大佐の関係はどんなだったか。

・映画の粗筋を純粋に見た通りに書くと、メンフィスを発端に南部で大ヒット→NYのテレビに出て大失敗→地元に帰ってコンサートで大騒動→軍隊に入って冷却→除隊してショボい映画に主演→落ちぶれてハリウッドでセーター会社のスポンサーでクリスマス番組→大復活してベガスへ→でもベガスで幽閉。この映画を見ただけだとエルヴィスが20世紀の米国を象徴する大スターだと分からない。もちろん米国人は大スターだと知っているから、映画でわざわざ大スターである描写は要らないのかもしれないが、やっぱり何か違和感がある。普通の映画ならもっと大スターに成りあがっていく描写があってもいいと思うんだけどね。

・じゃあ映画は何を描いているのかといえば、エルヴィスと大佐の関係。最初の山場は南部のコンサートで大佐に逆らってやらかした結果、軍隊に入ることになり、その結果母親を失うところ、最後の山場はマネージャーをクビにしようとしたら逆にベガス公演に取り込まれたところ。

・私の推測だと、大佐はオランダから大戦後のどさくさに紛れて米国に密入国したみたいだが、オランダでナチに協力した裏切り者だったのかな。パスポート持ってなくて米国外に出られないからといって、エルヴィスの海外公演を邪魔しなくてもいいやん、と思ってしまうが。

・エルヴィス自身もエルヴィスの親族も散財したのは多分確かだろう。

・大佐もエルヴィスに愛情を注ぎつつ良かれと思ってキャリアを潰していく毒親みたいになっていたのか、冷静な判断力を持つギャンブル狂としてはなからただの金づるとして見ていたのか。ここのモヤモヤを複雑なまま描いた演出。

・最初に書いた3つの水準でいくと、⑵では大佐はもっと悪人として確定的に記述されているのかなと思った。始めからエルヴィスで搾取する気満々の死の商人ですよと。定説⑵ではなく監督による新説⑶なのかな?っていうのが、2022年にエルヴィスの映画を作る意義かな。

 

その他

トム・ハンクスは面長族で、オランダ系ぽい。

・そもそも私は白人音楽(カントリー)と黒人音楽(R&B)のリズムの違いが分からない。大学に入って最初に自腹で買ったアルバムが『リズム、カントリー&ブルース』だし。融合してても何の違和感も抱かない人間。

・マネージャーとの契約がよく分からない。大佐は興行のマネージメント、70年代に手を組んだ若造は音楽プロデューサーみたいな分担だったのだろうか。

・エンドロールで流れてたエルヴィスの曲のヒップホップカバーみたいなやつ、かっこよかった。サントラ欲しくなる。しかし実は黒人音楽をエルヴィスがカバーしたやつを21世紀のブラックミュージシャンが更にカバーし直した可能性もある。私には知識がない。

・私、ロス五輪(1984年)以前、衛星放送とか普及して興行が巨万の富を生み出す前のスポーツとか芸能とかの興行物語が好きなんよね。ジョージ・クルーニーレネー・ゼルウィガー(だっけ?)が出ていた大戦前のアメフトの映画とか。レコードが1枚いくらでそこから歌唱印税がいくらでとか正確な事は知らないけど、南部の一地域でレコードがバカ売れしたからといって演者にそこまでお金が入ってくるもんなの?みたいな疑問はある。

 

さあ、私は何を見逃し、何を読み取れなかったのでしょう?

 観た当日に初稿を書いたまま行き詰ってずっと放置して年を越してしまったが、まあ生煮えのままアップしよう。やっと情報封鎖を解禁して、映画エルヴィス関係のネット記事を読もう。ネットで全文読めるらしい片岡義男『エルヴィスから始まった』も読もう。

 

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