パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

見られなかったプラハダービー(2006年)

20年程前に読んだ『ファンロード』の田中芳樹特集で、恐らく田中芳樹の小説に出てくる表現だったのだろうこんな一節が書いてあった。「1回目は何の意味はない。2回目は偶然だ。だが3回目となると…」正確ではないが、確かこんな感じ。何となく印象に残った。
初めてプラハに行ったのは1994年夏。何の意味もない。ベルリンからザグレブまで憧れの旧東欧をグダグダ回る一環。当時の東欧史研究といえば南塚氏とか羽場氏とかハンガリー近現代史が専門の人達が中心にいたので、その手の本を読んでいた自分も自然とハンガリー推しになっていた。その後、マサリク関係の本が多く出版されたり、EURO96があったりで、チェコ贔屓に転向していった。
2回目は2000年春。ただの偶然だ。最初に就職した会社を辞め、とりあえず旅行をしようと。ついでにこの時はチェコ語の会話帳を持って少し頑張ってみようと試みた。頑張れたらチェコに関係ある仕事でも探せるように努力してみようかと。そんなこんなで食事をマクドで済ませるのではなく、少し面倒くさい事にチャレンジしてみよう。結果からいうと、自分は「好きな事でも頑張れない」とよく分かった。まあ、その後10数年生きてみて痛感しているのは、好きじゃない事でも頑張れないと働いて生きていくのは大変だという事で、どうせ大変なら好きな事を頑張れば良かったという気もするが、若い頃には気付かないのだから仕方ない。この時はスパルタと代表で初期ロシツキーを見たのも良い思い出だが、それ以上にヴィクトリア・ジシュコフに惹かれた(http://d.hatena.ne.jp/palop/20000422#p1)。たった一度訪れてサポというのはおこがましいので、まあジシュコフが持つ雰囲気のファンになった。写真はヴィクトリア・ジシュコフの公式からぱくってきた。マジ地域密着。

ジシュコフ・スタジアムは2002年か2003年に改修されて綺麗になった。2000年から2006年の間にジシュコフはUEFA杯に進出したり、スタジアム改修したり、何かやらかして勝ち点剥奪されたり、とうとう2部に落ちたり波乱万丈であった。
3回目は2006年秋。これはもう明確に6年に1度の定点観測を意識していた。2002年の時点で「いつ辞めようか」と考えていた会社を辞めるきっかけとなった。行く目的は定点観測、ただそれだけ。あとはジシュコフの再訪。プラハの観光地はだいたい観たし、のんびり街をウロウロするだけ。1回目は『地球の歩き方』を頼りにユースホステルを探した。2回目はPCを買う直前で、実家のPCからユースホステルのリストをプリントアウトして持って行った。3回目にして遂にホテルをネット予約した。デジカメも持った。まだ携帯電話は持ってなかったか。帰りに便がプラハ〜アムス間で霧の為飛ばず、大幅に遅れて乗り継ぎ失敗だったのだが、一緒に乗っていた日本人数人がアムスに着いて関空便に乗り損ねたと判った瞬間から一斉にケータイを取り出し、日本のどこかに連絡していたのには驚いた。例によってレトナでスパルタ戦を前座に観た翌11月12日、何故か相変わらず午前10時頃にキックオフされるジシュコフホーム戦、ホテルもジシュコフ地区にとり、朝食を済ませて意気揚々とスタジアムまでの一本道を歩く。15分くらいで到着。ぼろいチケット売り場はまだ開いていない。30分程経ってまだ開かない。アウェイのボヘミアンズサポータはもう入場を開始している。ホーム側も予想外にうじゃうじゃと人が増えている。Q.ジシュコフのくせに何でこんなに客が入るんだ? A.ダービーマッチだからさ。というわけで、完全に読み誤った。チケット売り場はまだ開かないのではなく、ずっと開かない。前日までにソールドアウトだ。ガーン。さて、どうしようかとスタジアム周辺をウロウロ歩きながら、騎馬警官を見ているうちに気付いた。ダフ屋がいる。2人組。1人はレイ・ウィンストンみたく眼光鋭い小太り。賢さと腕っぷしを兼ね備えている感じ。もう1人は全身NIKEのジャージ(多分スパルタ・プラハ仕様)を着ている190センチくらいの大男。強そう。レイの方が手に数10枚のチケットを持って人混み・人波の中に立っている。近寄ってくる人間に売ってやったり、売ってやらなかったりしている。値段で交渉しているようでもあり、人を見ているようでもある。迷った。もちろん中に入って観たい。迷いの1つは単純にちょっと怖い。人混みの外側を警官隊が数多く取り巻いてて、ダフ屋はこそこそ人目につかないように取引しているが、いやあこの状態なら知ってて黙認でしょ、にも見える。ジシュコフ在住60年みたいな老夫婦が簡単に買っている一方、中国人少年みたいな奴には「てめえには売らない。あっち行け」みたいな事もしてた。迷いの2つ目は日本人が金に糸目を付けずにダフ屋から吹っ掛けられた値段で買った為にその場の相場を崩したら悪いなあみたいなのがある。ワールドシリーズのキャンセル待ち行列に並んだ時、本気で観たそうなメッツファンが入手出来ずに落胆する様子を見て、少し心が痛んだ。ダフ屋が出るって事は珍しく満席。それは地元民が特に大切にしているダービー。ならその人達に楽しんでもらいたい。と思ったのも真実。で、結局全てのダフ屋チケットが売り切れるまで眺めて、その場を離れた。ホテルのテレビで夕方のニュースを見ると、この2部リーグのプラハダービーが取り上げられていた。選手生活の晩年をボヘミアンズで過ごしたユーロ戦士カレル・ラダが緑のカンガルーとトラム(市電)に乗り込むシーンとか流れてて、ああお祭りだったのだなあと改めて思った。悔しかったので、翌日ボヘミアンズのスタジアムを遠巻きに観に行った。余談だが、ジシュコフからボヘミアンズまではトラムを1回乗り継がないと行けないはず。直通路線無いはず。あのテレビのシーンはやらせだったのか。もっと余談だけど、この頃チェコサッカーにはすっかり疎くなって、ボヘミアンズ・プラハプラハと1905に分裂したのを知らなかった。だから、対戦したボヘミアンズと自分が観に行ったボヘミアンズのスタジアムは別だったかも、と不安になったが、帰国後に調べるとどうやらどちらもボヘミアンズ1905を指していたようで安心した。
2006年に帰国した後、定点観測を継続するための目標を緩く考えた。6年後は職場を辞めないで有給を使って旅行出来るまともな会社に就職していよう。休みを自分で裁量出来る自営業もあるけど、まあ現実的には難しい。12年後は両親でも妻子もいいから家族と来よう。そんで日本の旅行会社を通して勧められたちゃんとしたホテルに泊まってみよう。今までスルーしていたプラハ城やら博物館の有料エリアにも入り、ちゃんと見よう。18年後は自腹で旅行に来るんじゃなく、旅費を払うどころか誰かからギャラを貰って只でプラハを訪れよう。そんな感じ。
とりあえず6年目の目標は達成できそう。有給を組み込んだシフト表を本社にFAXしたら、総務課長から俺の上司に宛てて電話がかかってきて「何でそんな有給を認めるのですか!」と説教を始めるくらいにはブラック企業だが、何とかなった。