パロップのブログ

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サカヲタのプラハ旅行記:プラハ到着まで

一応、EURO2012チェコ代表応援連動企画。旅行の日程は以下の通り。

4/26(木):ヴィシェフラット&キュビズム美術館、チェコフィル@ルドルフィヌム
4/27(金):ターボル遠征、スパルタ・プラハ対シグマ・オロモウツ
4/28(土):スパルタ・プラハB対ボヘミアンズ・プラハ
4/29(日):デュクラ・プラハ対ムラダー・ボレスラフ
4/30(月):郵趣屋さん

サッカーに関係あるところから書き始め、気が向いたら他の事も書く予定。今回はゼロ回という事で4月25日夜のプラハ到着まで。
当初の予定では、10:30福岡発〜11:55ソウル着、13:05ソウル発〜16:55プラハ着を狙っていたのだが、午前の福岡〜ソウル便は人気があるらしく、職場のシフトが固まったのを確認してから検索したら既に満席だったため、夜勤明けの当日21:00福岡発〜22:25ソウル着の仁川空港泊まりになってしまったが、結果として良かった。朝出発だと旅行の準備だなんだかんだとネットやりつつダラダラ過ごしてしまうのが目に見えているが、ソウル泊があったお陰で、23時〜朝6時まで空港の仮眠所でゆっくり睡眠がとれ、それから昼の出発まで待合室でプラハモードに切り替えられた。
田中充子著『プラハを歩く』(岩波新書)も家にいる時は遅々として読み進まなかったが、何もない所にいると驚くほど集中出来て頭に入ってきた(というかあまり興味のない中世の話を飛ばして、先に近代建築部分を読めば良かったと判明)。田中氏の西洋建築全般に対する博識にもかかわらず、何故かチェコ建築を偏愛している感じが楽しい。
続けて、これまた世俗にまみれていた時は進まなかった森下嘉之氏の2論文、「戦間期プラハにおける住宅政策」『社会経済史学』74-1号と「1920年チェコスロヴァキア首都整備事業に関する一考察」『東欧史研究』31号もワクワクして読める。19世紀後半の経済発展からプラハの人口が爆発していく感じ、ジシュコフとかスミーホフとか馴染みの地名が大プラハに飲み込まれて広がっていく感じ、頭の中にイメージが広がって、よしっ、完全にプラハモード。
ソウル発の飛行機の中では映画『マーガレット・サッチャー』が見たかったけど英語版と韓国語版しかなかったので諦め、後藤正治『ベラ・チャスラフスカ』を3分の2ほど読んだ。「豊かな社会への階段を駆け上がる裏側で、日本社会が失っていった美風をふと思うのである」みたいな団塊おやじ臭が鼻につくところもあるけど、チェコに関する知らない事実を知れる事には素直に感謝しよう。誰しも青春の思い出は神聖化するものだし。それから、ビロード革命とかチャウシェスクとか一般読者に説明しないと先に進めないけどスペースは取られたくない基本事項を簡潔に説明するのは抜群に上手い。流石ベテラン。
おー、プラハ空港がでかくなっている気がする。第2ターミナルなんてあったっけ。まあ、気のせいかも。えー、いつも空港で買ってたメトロ/トラム/バス共通の15日通し券も7日通し券も無くなっている。最高72時間通し券しかない。しかも24時間通し券×3と比較してそんなに安くない。これがEU化なのか…というのは冗談だが、何か6年前と比べて物価が高くなっている感じはする。宿の場所は事前にグーグルマップの航空写真で大体の見当はついているすごい時代になったものだが、実際に辿り着いてみないと分からないこともある。最寄りの地下鉄駅からトラムの停留所1駅で宿の目の前に到着だった。安宿のくせに市街地までめちゃ便利じゃん。やった。チェックインの手続きを済ませた後、大はしゃぎでトラムに乗って夜のバーツラフ広場に行ってみて、何もせずに帰ってきた。宿のお隣さんの雑貨屋、22時まで開いてるじゃん、やった。
余談だが、後日トラムで隣り合わせたおっさんがいじっているスマホを覗いたら、いま乗っているトラムの位置を知らせてくれるアプリがあるらしく、路線に沿って位置を示す●がポヨンポヨン点滅してた。それを確認しておっさんが颯爽と下車していった。21世紀の科学力、恐るべし!

プラハを歩く (岩波新書)

プラハを歩く (岩波新書)

ベラ・チャスラフスカ 最も美しく (文春文庫)

ベラ・チャスラフスカ 最も美しく (文春文庫)