パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

在宅ヲタがみうなの思い出を振り返る

Wikiだったり余所様のサイトだったり狼の過去ログだったりを参考にしつつ、しまい込んでいたDVD-RAMも久しぶりに見返してみたりもした。とりあえず、土日のハロコンで『みうなノート』の感想が出回ってしまうと予断が入るので、昨日今日と古い資料等も見返しながら泥縄式にまとめた。
2001年頃はビデオテープを溜め込まないと誓ってほとんど保存しなかった。2002年の始めにDVDレコーダーを買ったが、当時RAMが高かったので娘本体の歌シーンのみ保存していた。2003年頃から段々とRAMも値下がりし、ヲタの収集癖と相まってほとんど保存するようになった。見返しながら、文明の発展とみうなの成長がシンクロしている感もあった。自分はマカー故、映像に関してはネットで漁るのも難しく、もっぱら自前で調達していた。

Wikiだと「2003年5月、カントリー娘。に加入」となっているが、『SOG』だと4月。どんな風に公式で発表になったのか記憶がない。第6期オーディションの331番だと判明した経緯も記憶にない。娘。が選ばれる過程にはあまり興味がないので国民投票もスルーしていたが、当時のスレなんかを読むとかなり人気があったようだ。
2003年4月27日、ハロモニに初登場。いっこく堂の物真似を披露。この時は素直に上手いと思ったが、その後、実は普段からあまり口を動かさずに話すことが判明した。フレッツなんたらの映像も見たことがないので、みうなが話す姿をちゃんと見るようになったのはガッタス関係でインタビューを受けるようになってからだと思う。
2003夏のハロコンでファンの前に登場。キャラ不明のなか、ひな壇でずっと振り真似をしていたから、きっとハロヲタに違いないと噂になる。しかし、その後の歩みをみると、ハロヲタだったというよりは先輩のやっていることを真似して覚えようという意欲の表れだったとみるべきか。「可愛い女の子とのスキンシップ好き」というキャラも三好ちゃんに奪われたようだし。確か後藤さんの振り真似をしていたという話だったと記憶しており、8月17日にBS2で放送されたハロコンの映像を見直すが、ごっちんが歌っている時のひな壇は閑散としている。ごっちんからカン紺籐の出番まで近いし、自分の勘違いらしい。それ以外だと塩空水ユニットにみうなは参加していないし、ずっとひな壇にいてもおかしくないのだが見つからない。それから『ハニパイ』の映像を見て気付いたが、みうなはマイクを地面と水平にするいわゆる「つんく持ち」をしていない。他の番組での映像を見ると、そもそもグリップの握り方がおかしいので、意識して手首を立ててないと自然に地面と垂直になってしまうようだ。これは教育不足なのか、教えられていたのにコツを覚えられなかったのか。
2003年7月19日と26日、ヤンタンに初登場。さんま氏に説教されて泣かされた記憶があるのだが、書き起こしサイトを読むとそうでもなかったようだ。「とにかく喋ってアピールしなきゃ!」という前のめりな姿勢が空回りしていた印象だった。こういう大御所ラジオは藤本さんみたいな大人の空気を察する人か、愛ちゃんみたいな自己評価の基準が自分の中にある人が向いていると思う。他人の基準が正しいのか判断出来ず、自分の中に判断基準もないところへ、頭から突っ込んで大怪我したような。その後、出演することがなかったのもそれなりの理由があるのかと思っていた。この頃から雑音混じる中を聞くのが面倒になってヤンタンから離れていたが、2006年12月16日に出た時は、ルイス・ガルシアの話題でさんま氏と2人で盛り上がったらしい。素晴らしい和解で有終の美を飾ったのならば、いずれごにょごにょして聞くとしよう。
2003年7月24日、『浮気なハニーパイ』でデビュー。これは初出のハロモニで紺野さんのタイミングずれたパカパカがヲタ界隈を席巻したので、みうなの記憶はない。うたばんとMステとFUNに出演。ViewsicでPVも捕獲。スポーティなカン紺籐のイメージがよく出ているPVで良かった。
2003年7月24日、カン紺藤が『浮気なハニーパイ』でうたばんに初登場。全く記憶に残ってないので録画を再確認。「夏休みうたばん子供クイズ」だったが、里田藤本ラインしか会話がないようで、雰囲気もよそよそしい。そんな中、みうなはイントロクイズで「なんでだろう」を当ててた。
2003年7月29日、よみうりランドでCD発売イベント。初の握手会でグロッキーになったという話を読んだ。当時話題になったというよりは、実際に握手会へ参加してその様子を目撃した人間も多そうだし、その後みうなの話題になる度に蒸し返されて定着したというべきか。RAMにイベントの模様を流す『めざまし』が残っていた。この頃はまだハロプロの扱いが良かった。
2003年8月1日、Mステに登場。全く記憶に残ってないので録画を再確認。トークの時にマイクを両手で持っているのが変。みうなは「静岡です」しか言ってない。紺野さんがカントリ娘。への派遣を聞いたのは誕生日(5月7日)だと証言。5〜6月、モー娘カン娘は吉澤里田アヤカが仲良くなったというミュージカルに参加で、7月はシャッフルユニットだから、みうなは4月に加入した後、誰と組むか、どんな風に活動するかも分からず、仲間と意思の疎通を図る暇もなく、1人でレッスンしていたのか。
2003年9月9日、フットサル宣言。宣言したオリメンで今も残っているのはカントリーの3人と柴ちゃんだけなのだから古参も古参。『SOG』の中でも話しているが、芸能人としての経験値がなく、自分の中に仕事へのスタンスが決まっていない内からフットサルに巻き込まれたのは良かったのか悪かったのか難しいところ。人間としての成長を促してくれたかもしれないが、始めた当初は混乱の方が大きかったことも容易に想像出来る。
2003年11月12日、『先輩』が発売。うたばん、FUN、ポップジャム、AX01、歌の大辞テン(コメントのみ)に出演。個人的には、スポフェスハロコンで着ていたグレーと黒の衣装より、一連のテレビ出演での赤白の衣装が好きだ。Viewsicで捕獲したPVは傑作と云われた。曲もぶつ切りパート割の理想型だったし、まだみうなには惹かれてなかったけど、2枚のシングルでこの5人組がすごく好きになっていたのは確か。敢えていえば、里田の顔色が悪くみえて残念だけど、写真集の撮影でどこか南国にでも行っていたのだろうか。
2003年11月22日、スポフェスに参加。12月29日にCSフジ721で見た。フットサルのスタートであったが、そちらはあまり印象になく、むしろハードルで転け、跳び箱では顔面から落ちたのが話題に。当時これでキャラが立ったかといえば、むしろ運が悪い子という印象。改めて録画を見直したら、みうなを見始めた頃「若い頃の貴花田に似ているなあ」と思ったことを思い出した。
2003年11月27日、『先輩』でうたばん2回目の登場。全く記憶に残ってないので録画を再確認。内容は「アニマル鑑定団」だった。みうなは一言も喋らなかった。うたばん直前で活躍したという話もあったが、地方では放送されず。
2004年1月のハロコンでは『先輩』を披露。3月13日放送(首都圏とは異なる)のハロモニライブスペシャルを録画で再確認すると紺野さんがいない。インフルエンザの時だ。すっかり忘れていた。
2004年1月末、『ハロプロ大百科』発売。久しぶりに引っ張り出して読む。印象に残っている箇所は、

(無人島に持っていくとしたらなにを運ぶ?)紙とペン。「何でも帳」を作ります
(今一番ほしいものは?)最近自分が“のろま”なのに気付いたんです。だから速さがほしいかな(笑)
(ストレス発散方法)手紙を書く。音楽を聴きながら詞を書く。でも基本的にはストレスはたまりません

辺り。1年弱仕事をして、自分の中でアピールしたい部分と、同年代のプロ達と行動することで新たに気付いた自分の弱い部分とがせめぎ合って悩んでいる真っ最中だろうか。父親に相談して「日記を付けなさい」などとアドバイスを受けた頃だろうか。
2004年2月、松浦亜弥のミュージカル『リアルオーディション』に出演。これもCSフジ721で見たが、みうなの記憶はあまりない。里田が大活躍していた記憶がある。RAMにはミニライブの部分だけ残っていた。エンディングの「なんたらビッグスター」という曲に出てきたけど、みうなの歌は調子外れな気がする。これに限らず、『卒業』の「めい〜わくなこ〜とね」とか正直あまり歌は上手くなかった。ベストアルバムで新曲を録るときのエピソードとして「実はスタジオで録音した経験がほとんどない」と告白していたらしいが、歌の方面であまり経験が積めなかったのは気の毒。
2004年2月25日、カン娘による「制服」が収録されている『FS5』発売。中古屋で買ったのは最近だけど、紺籐を含まない3人の歌はこれとラストソングだけのはず。3人の声が楽しめる。
2004年4月10日、NNH-BS2の元気ダッシュに初登場。以後、5月8日、6月12日、7月10日、8月14日、10月9日、12月11日(椅子取りゲームは面白かった)、2005年1月15日、2月12日の最終回まで、RAMに残っている回は全部見返した。いらないところを削除しながら編集しているときは「どうせ二度とみないし、全部消してやろうか」と思ったりもしたが、改めて見ることが出来て良かった。全員登場のオープニング&エンディングで、みうなだけ飛び抜けてノリノリだったことを思い出した。2003年春から使っている2ちゃん専用ブラウザの過去ログをみたら、2004年6月からみうな関係のスレが保存されている。おそらく自分も元気ダッシュ辺りから注目し始めたのではないかと思われる。ただ紺籐が出演しないのでカン紺籐の曲を披露出来ないというハンデがもったいなかった。
2004年5月29日のポップジャムで、安倍さんのバックダンサーにカツラを被ったカン娘+アヤカを発見。すっかり忘れていた。ついでにピリリまでの熊井ちゃんも発見。
2004年8月4日、『シャイニング』が発売。うたばんとAX01しか残っていないが、この頃はもうテレビと縁が切れつつあったかも。PVもViewsic改めM-ONで捕獲。徐々にハロプロ関係のPVがフルで流れなくなり、この辺りで解約したはず。藤本1トップ化が著しいなどと云われた曲だけど、この5人が醸し出す雰囲気は健在だと思う。みうなのルックスが自分のストライクゾーンなのは認めつつも、まずカン紺籐を好きになったのだと、見返して改めて思った。
2004年8月12日、『シャイニング』でうたばんに3回目の登場。記憶に残っていないので見返す。「もう一息芸人」だった。キングコング劇団ひとりカンニングとなかなかの顔触れ。
2004年12月1日、ハロプロオールスターズの『AFO』発売。11月25日放送のうたばんではカントリー娘。全員が欠席。
2005年3月22日、TBSラジオB-JUNK』内で、「カントリー娘みうなのルンルンコミュニケーション」を企画してもらうが、親番組終了につき、初回が最終回。この度改めて聴いたが、リスナーの悩みに答えるという形式だったので、あまり魅力全開というわけではなかった。続けば段々と良さが発揮出来たかもしれないのに残念。
2005年5月23日、フットサル「739カップ」で有名になったPK挙手。あの頃はまだCSでの放送が1カ月遅れだったから、サルスレの実況に張りついていたのを思い出す。おそらく一番順風が吹いていた頃。ユニットとしてステップアップを目指すなら、この時だったかもしれない。
2005年6月26日、番組内コーナー「熱血カントリー学園」でみうなの声を聞くことが出来た『ブレキス』終了。「面白いらしい」と評判が立っていた末期から聞き出したら、いきなり終わった。順風も終わった。
2005年6月、ガッタスで合宿。みうな加入以来、カントリー娘は娘コンに帯同しており、カン紺籐もやっていた。それが2005年春コンで終わり、秋からは娘コンは単独、カントリーはそれまで以上にまっつーやらビユーデンやらのサポートとして活動するようになる。おそらく5人の距離が最高に縮まった季節にカン紺籐としての活動がなかったのはすごく残念。
2005年11月、『SOG』発売。自分が印象に残っている箇所は、

ガッタスで取材を受けた時、みんなは「フットサル楽しいです」って答えてて、私も一緒に合わせて「楽しい」って言ってたんですけど、心のなかでは「フットサルのどこが楽しいの?」って思ってた(笑)。今だから言えるけど。〔P.65〕

辺り。確かに「今だから言える」ことというのはあるだろうが、応援している側からいえば、紙媒体に掲載された発言を「あれは嘘」と言われると厳しいものがある。こんなことを気にするのは自分くらいかもしれないが、事務所が不思議ちゃん的な発言ではなく、こっちの部分を危険視していた可能性も充分あると思う。
2006年、スフィアリーグガッタスの方向性として少し空気が澱んでいる感じがあった時、自分はみうなガッタスのキャプテンをさせたら面白そうだと思っていた。芸能人としての格とか抜きにして、端から見てフットサルに一番はまっている人間に責任ある役職を与えたらどうなるか。大変なプレッシャーに潰されるかもしれないけど、すごい化学反応が生まれるかも。去年のフットサルは博打を打ってでもそんな救世主伝説を求めたい雰囲気だった、在宅なのに。
2006年末、ゲキサカ内「みうなノート」が最終回。印象に残っている箇所は、

みうな的分析によると、感覚人間はとても頭が良いため、例えばフットサルの練習をしていても、人の話を聞いていても頭の中でポイントを押さえることが出来るのです。芸能界のお仕事をしていると「感覚」は必要不可欠なところがあるので、私は何をやってもサラッと出来ない自分に嫌気が差していたこともあったんです。

辺り。たとえば去年の『Mフェア』できくちPがブログに「本番前にその場で振り付けを指示して覚えてもらった」みたいなことを書いていたが、覚えるコツ(みうな風にいえば「感覚」)が押さえられないと自分で認めている以上、結構しんどい場面もあったのだろうと思う。今日指示があって明日本番という仕事ならば、家に帰って他人の3倍反復という方法もとれるだろうけど、やはり芸能人だとその手法が使えないことだってあるだろうし。

そんなこんなで、ヲタ界隈の一部では「逸材」とか「事務所は無能」という声もあったみうなだけど、4年間近く試行錯誤した中で彼女が自分で出した結論だろう。寂しいけど仕方がない。アマゾンで買うのは既定路線だった『みうなノート』とともに、遅ればせながら『革命チックKISS』のためにDVD『プッチベスト7』を注文した。来週の水曜日辺りにはそれで締めくくりとする予定。