パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

2018/10/4プラハ~ヤブロネツ・ナド・ニソウ

※時刻はレシートで確認できたもの、~頃は体感記憶

 

7:30 ホテル発

どうやら宿直さんはいないので仕方なく黙って出発したら、入り口のドアの表側に「管理人8時出勤」と書いてあった。昨晩は廊下が暗くて気付かなかった。22時~8時は泊まる人だけなのね。受付のお姉さんが合鍵を回収した謎が解けた。あの時「8時頃に出ます」と言えばよかったのか。

 

宿の近くにある公園に立ってた像。いま検索するとFrantišek Ladislav Rieger(1818~1903)という偉い政治家だった。

f:id:palop:20181130231912j:plain


通り道にあるプレートはとりあえず撮影するマンだけど、いま検索したらハイドリヒ暗殺に関わった人達のようだ。

f:id:palop:20181130231954j:plain

 

宿近くの橋の上からプラハ本駅を望んだ。

f:id:palop:20181130232031j:plain

 

8:09 本駅の売店でパンと牛乳 86CZK

駅前のベンチで食べる。列車に乗る前に食べて体調を整える。

f:id:palop:20181130232156j:plain

 

プラハの駅ピアノだ!」と思ったが、日本のテレビでやっているのはマサリク駅だ。ここは本駅。

f:id:palop:20181130232229j:plain

 

9:25 プラハ

12:56 ヤブロネツ着

列車に乗っていたら、車掌さんが1テーブルに冊子を1冊ずつ配ってた。どうやら鉄道労組が外国人移民や労働者について描いているようだったが、割とどのページも結構どぎついタッチだった。30数ページだったか。

f:id:palop:20181130232315j:plain

 

タンバルドという駅で乗り換え。もう1回乗り換えたかも。プラハからヤブロネツまで列車に行くにはリベレツを通るルートと通らないルートがあるらしくわかりづらい上に、切符を見てもどこで乗り換えるのか理解できないし、終点で乗り換えなのか途中下車しないといけないのかもわかってなかった。ひやひや。

f:id:palop:20181130232402j:plain

 

駅からホテルのある中心部へ歩いて向かう。北部の街だから当然アイスホッケーのクラブもある。おそらくサッカーよりこっちの方が人気だろう。

f:id:palop:20181130232536j:plain

 

歩いて教会のそばにホテルを発見するがスルーして、昼食のためモールに向かう。

 

アルベルト(スーパーマーケット)でビールおにぎりハム飲み物を買う 111.60CZK

 

ホテルの隣りには、Scheybalových houseがあるが、何かはわからない。

f:id:palop:20181130232637j:plain

 

14:00 ホテルメルクールにチェックイン 813CZK

クレカを読み取ってくれなくて、現金で払う。これから大丈夫だろうか。ブッキングドットコムに書いてあるチェックイン時刻ピッタリにチェックイン。午前中移動して、昼食とって、早々にチェックインして、荷物を置いて街ぶらぶらが理想的なパターン。今後もそのリズムを刻みたいと思わせてくれた場所だったはず。

 

ホテルで昼食をとって仮眠する。日本食は恋しくなくて毎日パンでOKマンだが、ネタで買ってみたおにぎりはパッサパサで美味しくなかった。明朝には経つので夕方まで観光しようかと思ったが、早くも疲労というか、毎度時差のある国に行った時は2日目辺りで昼から16時間寝て、時差を解消するのが常なんだけど、今回はそもそも日程に無理があるのではないか。

f:id:palop:20181130232816j:plain

 

19:45 ホテル発

20:00 スタジアム着

21:00~23:00 ヤブロネツ×ディナモ・キエフ

※サッカー観戦は章を別個に立てる予定

 

23:30頃 ホテルに戻る。

2018/10/3福岡~ヘルシンキ~プラハ

※時刻はレシートで確認できたもの、~頃は体感記憶

 

7:00頃 起床

7:30頃 自宅発

私は乗り物に酔いやすいので、酔わないためのマイルールがいろいろある。乗る2時間前に起きるというのもその一つで、今回は5時半起きの7時半出発を予定していた。しかし、久しぶりの長期旅行にビビッて全然寝られなくて、半起半寝の状態で5時半の目覚ましを迎えて「このままでは寝不足で酔ってしまう」と目覚ましを止めてもさらにウトウトしていると7時になっていた。バタバタと出発したが、なんとか体調不良は回避できた。数日前に博多駅から空港の国際線ターミナルまで直行バスが出ているのに気付き、利用した。

 

8:15頃 福岡空港国際線到着

前日のうちに自宅PCからネットチェックインを済ましていたので、なんとなくスマホの画面バーコードで飛行機乗れるよね?と勘違いして、空港の手荷物検査に並んでいたのだけど、皆が皆航空券を手に持っていたのでおかしいと気付き、チェックインカウンターで紙のチケットを発行してもらった。30分ほどロス。

 

10:00 福岡発

14:25 ヘルシンキ

飛行機のなかではとにかく寝るのが仕事というのがこれまでの方針だったが、流石に昼間→昼間なので眠れなくて、映画を2本も見てしまった。1本目は、せっかくのフィンエアーなので普段は見られないフィン映画をみようとフィン語音声/英語字幕があるやつを選んだのに、見終わってから検索したら日本で公開されててショック。4月の涙』というタイトル。WW1直後から内戦があったらしく、フィンランドの独立を守る白い側がボリシェヴィキと結んで社会主義的なフィンランドを作ろうと頑張った赤い人達を捕まえて性暴力して殺す映画だったはず。2本目は『ラブ、サイモン』。21世紀らしい政治的正しさにあふれたティーンズムービーだった。

f:id:palop:20181130220635j:plain

 

手荷物検査を終えて、ニュートラルゾーンぽい所でダラダラとネットする。USBジャックがたくさんあって、さすが最先端と感心する。ネットで「ヘルシンキ空港の乗り継ぎを1時間で済ませられるか?」みたいなページを見ながら「楽勝じゃん」と思って読んでいると、どうやら手荷物検査の後で入国審査があると気付いて慌てる。入国審査では「どこに行くんだ、いつ帰るんだ」みたいな事を問われているらしく、最終的には帰りの航空券を見せて納得してもらった。プリントアウトしておいて良かった。「どうせプラハで入国審査するのになんでこんなに厳しいの?」と意味がわからなかったが、その後プラハが完全スルーで納得した。シェンゲン域内と域外で厳しいのね。域内間と域外間の路線でゾーンが二手に分かれているのね。

 

「北欧の風に乗ってやってきたアイドルのMVを北欧で見る」というネタをヘルシンキ空港でやろうと思ったが、ヘルシンキ空港の待合場所は意外と人が多く、プラハ行きの待合場所には日本人もそこそこいたので、勇気がなくて思い切って実行できなかった。 

f:id:palop:20181130220439j:plain

 

ATMでチェココルナ4000CZKを引き出す。だいたい1CZK=5円換算。プラハ行きの待合室のすぐそばのATMは、引き出せる通貨がユーロEURとCZKとあって、気が利いていた。40000日本円、300EURを現金で持っていったが、クレカで何とかなるのならありがたい。高額紙幣500CZK×8枚で、あまり気が利いてなかった。

 

17:35 ヘルシンキ

18:45 プラハ

実際は2時間10分飛んでるけど、時差の都合で1時間戻る。CAさんがドリンクサービスを配っている際、なぜか自分にだけバゲットが付いてきて驚いたが、よく考えたら航空券を予約する時に一緒に注文したのだった。すっかり忘れていた。「お前にヘルシンキ空港でEURを使って買い物する勇気などあるはずない」と俺の事を事前に見抜いていた俺、さすが。

 

ヘルシンキからプラハまでどんなルートを通るのかよく分ってなかったので、空から見える下界が海なのか陸なのかもよく分っていなかった。帰国してから調べてみると、海の上を結構飛んでいたようだが、ポーランドの陸地かもしれない。

f:id:palop:20181130220820j:plain

19:04 空港で乗り物1日券を買う 110CZK

 

路線バスと地下鉄を乗り継いでプラハ本駅へ。本駅をウロウロしてみる。

 

20:16 駅で明日のプラハ発ヤブロネツ行きのチケットを買う 212CZK

 

炭酸ジュースを買う 31CZK

 

なんとなく移動してバーツラフ広場着。

 

プラハに来たらとりあえずバーツラフ広場へ」というお上りさん気分だったわけでもなく、宿が国立博物館の裏手だったから、宿へ行く前に立ち寄ってみた。しかしグーグルマップ上だと「すぐ裏じゃん」と思っても、やはり実際に歩くとそこそこ10分くらいの距離はあった。

f:id:palop:20181130220933j:plain

 

21時頃 ホステルナスメタンスにチェックイン

グーグルマップを頼りにホステルがあるはずの建物まで来たが、入り口に何の看板を出ていなくて、外は真っ暗で、建物を2周しても埒が明かないので、それらしきドアの前に来て、目を凝らしながらそれらしき名前のブザーを押すと、何者か訊かれたが「泊まる」とかなんとかフニャフニャ答えたらドアが開いた。欧州式の中の様子が見えないドアが嫌い。普段も博物館がこのドアだったら容赦なく回避。

 

ホステルの受付は特にそれ用の部屋があるわけでもなく、ドミトリー利用者のたまり場のソファーに腰かけて、中南米系のお姉さんから説明を聞く。合鍵のデポジットが8.28EURだから今すぐ払ってとかいう話から、「明日は何時に出発?」「7時か7時半の予定」「あら、困ったわね…これからどっか出掛ける?」「いや、もう寝るだけ」「じゃあ、合鍵無くていいわね」ってことで、デポジット代は関係なくなった。ブッキングドットコムに書いてあったこの宿の「チェックインが22時まで、チェックアウトが8時から」の理由は翌朝知る事になる。

旅行日誌2018/10/3~10/26

旅行本編の話を書く前に…

 

旅行のコンセプト

・特に理由はないけど6年に1度はプラハに行くというマイルーチンがあり、正直面倒でも今年は行かなくてはいけない。

・カール・ラデックがマイブームで、彼の生誕地リヴィウに行ってみたくなった。

EUEU外の国境を陸路で越えてみたい。具体的にはウクライナのウジュホロド~スロバキアのコシツェ間をバスで越えたい。

・福岡から欧州までの航空便は乗り換えなしにしたい。結果、フィンエアーしかない。ヘルシンキ発福岡の今シーズン最終便が10月25日なので、その日がリミット。

・だいたい上記4つの条件をうんうん唸って組み合わせる。

・最初はワルシャワからウクライナへ南下する案もあった。行きは福岡~ヘルシンキワルシャワ、陸路でプラハまで行き、帰りはプラハヘルシンキ~福岡とか出来ないものかと探ったが、往路復路を変えると運賃が高くなるのであきらめた。

フィンエアーの予約カレンダーを眺めながら安い日程を探す(とはいっても金をケチるつもりはそんなになかったが)。正直出発はもう少し早くても良かった。暖かい方が好きだし。けれども8月末までは福岡県私立学校教員適性検査の勉強をしようと思ってて(結局ほとんどしなかったが)、そのあとリヴィウに関する本をまとめ読みするのに1ヵ月は欲しいという事でこんな日程に。

・飛行機の都合を無視すれば、独立100周年の10月28日にプラハに居てみたい気持ちがあったが、言葉も分からないのに式典とか眺めてもカップルだらけの花火大会に独りで来たおっさんみたいになりそうだし、大して楽しめないのにホテル代ばっかり高くても嫌だし、という事で却下される。

・日本にいる現在でもサッカー観戦熱は低調なのに、どうして欧州に行ってサッカーを観る予定を立ててしまうかといえば「欧州でサッカー観てきたぞ」という承認欲求以外の何物でもないけど、最初のうちはポーランド×ポルトガルポーランド×イタリアを観るためにカトヴィツェを行程に加える勢いだったけど、「お前はポーランド南部もポーランドサッカーも興味ないじゃん」という心の声が聞こえてきて思いとどまった。旅行日程を最優先、その中で行けそうならサッカーも観に行くというスタンスをなんとか維持した。

・そうは言っても、10月13日はトルナバで行われるスロバキア×チェコ戦は割と初期段階で行程に組み込まれていたが。



ホテル

1泊2泊して移動をくり返す旅は1994年以来。あの時は列車で駅に着いては、駅の観光案内所でプリバートツィマーを紹介してもらってた。今回は全てブッキングドットコムに頼り切った。ハプニングに弱くて臨機応変に対応できない己を知っているので、出発前に最後の4日間を除いて宿泊先を組んじゃった。そこまで準備しても結局出るハプニングに追われてちょうどいいくらいの人間力なのは否めない。

 

リュック

出発する1週間前くらいまでヨドバシの旅行グッズコーナーに行ってはバックパックを買おうか迷って結局買わなかった。キャリーバッグはなんか良いとこの子みたいで最初から選択肢になかった。2000年、2006年、2012年のプラハ、2015年のホーチミンは1都市滞在型だったので、割と知り合いへの土産を買った。最終日にホテルから空港へ行く距離だけ重い荷物を担ぐのもありっちゃありだけど、移動移動移動なら無理はしたくない。リュックに7回分の下着セットを詰めたらスペースの約半分は埋まり、電化製品を足せば8割方埋まった。読めもしない外国語の本を買ったりしないと固く決意する。

f:id:palop:20181130005101j:plain

 

上着

到着して2日目、上着の袖に穴が空いているのに気付いた。4月と10月しか着るタイミングがないのでなんやかんや25年ほど着ている薄手の上着。思い出した。4月に穴が空いたから秋までに新しいのを買おう。買ったら古い方を捨てよう。そう思っているうちに忘れていた。旅行に出るまで押し入れにしまっていたから忘れていた。旅行の最後、ワルシャワの3日間は本当に寒くて、どうせ日本に帰ったらこの上着は捨てるし、ここで新しくて厚い上着を買ってみようかとも思ったが、ここで捨てていくのはやはり忍びないし、荷物をこれ以上増やしたくないしで、結局凍えていた。

f:id:palop:20181130005156j:plain

 

靴と中敷き

出発前にブログに書いたように、専門のスポーツシューズ店に行き、サイズの合ったウォーキングシューズと足型に合わせた中敷きを買った。歩き方も矯正されて腰痛も良くなるかと思ったが、今のところ良くなってない。歩き易かったかといえば疲れにくかったかといえば微妙。というか、履く時にちゃんと靴紐をほどいてファスナー下げてちゃんとしないと逆効果だったらしく、旅半ばには右足の小指に内出血が発生していた。帰国後1ヵ月ほど経っても消えない。その後は細心の注意を払って踵から爪先まで突っ込むようになったので痛みはなくなった。

f:id:palop:20181130092149j:plain:w10

 

爪切り

手指に出来るささくれがすごく苦手で、下手に逆の手で千切ろうとすると広がって悪化して血がにじんだりするのも苦手で、長期旅行時は必ず爪切りを持っていく。旅行1週間目くらいではささくれが結構ひどくて、やはり菓子パンばかり食っているから栄養バランスが悪いのかと思っていた。当然同じ食生活を続けるのだから旅の終わりまでその状態だろうと考えていたら、2週間目のウクライナ辺りから何故か指先がつるっつるになった。脱皮したのかよ、みたいな。理由は不明。マジで脱皮して皮膚が再生されただけだったのかもしれない。

 

電気シェーバー

1週間くらいの旅行だとひげをそらないで過ごして帰る頃には結構な無精ひげで帰国時の税関で荷物を全部開けられたりしていたのだけれど、今回は文明の利器を持ち込み、常時さわやかな感じで過ごしたので、もしかするとホテルのレセプションでも好意的に扱われたかもしれない。謎の東洋人扱いではなく。とはいえ、チェコの男はみんながみんな9割方ひげを伸ばしてたね。あれはなんなんだろう。ポーランドウクライナと比べても明らかに多かったので、文化的な風習か。まあ無精ひげではなく、手入れされたこだわりのひげのようではあったが。小綺麗という概念のない国、チェコ

 

中華タブレット

当初の予定ではスマホだけで充分だと考えていたが、出発直前に9000円のタブレットを買って持っていく事にした。これが結果的に大当たりだった。検索結果をスクリーンショットして見せるだけでチケット買ったりがサクサク進む。地図を見るのにもやはりスマホは小さいね。実際に活躍したのは5~6回だったかもしれないが、要所要所でMVP級の活躍だった。それ以外ではホテルに着いてから寝るまでユーチューブでハロプロのラジオを聴くくらいしか使われなかったのは私が無能が故。タブレットでのグーグルマップのストリートビューの見方が最後まで分からなかったのは痛かった。それをマスターしていればもっと良かった。

 

インスタグラム

せっかく移動の旅をするし、リアルワールドの知り合いにリアルタイムで場所を知らせたいと思ってインスタグラムを始めた。しかしインスタグラムのURLをどうやって広めるべきか良案が浮かばず、シェアの選択にラインないのかよ!とか愚痴りつつメールに貼ってみたりフェイスブックでシェアしてみたり悪戦苦闘しているなかで、コシツェ辺りで位置情報をタグに付けると地元のインスタグラマーが検索してきていいねを押してくれる事が判明、使い方がわかってきた! と同時にラインのタイムラインに投稿出来る事に気付き、リアル知り合いに状況を伝えられるようになった。これでインスタは用済みになったんだけど、まあローカルな反応が面白かったので、旅の最後までは続けた。なおインスタグラム、フェイスブック、ラインにはリアルに充実しているイメージ画像を投稿して、ツイッターには真実の呪詛を吐いていた。