パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

アトレティコ・マドリード、1997年3月

〈お断り:このエントリーは、元々2013年12月頃に書こうとしていた『サンフ、ACLターンオーバー』というエントリーに付属して書こうと思っていたものだが、例によって例のごとく筆が進まず、そしてアトレティコについて書くなら今のタイミングしかないだろうってことで、先にこっちを仕上げてみた。〉
★★★
昔から今に至るまで緩やかに継続して応援しているクラブといえば、まずsince 1994なサンフレッチェ、それから故郷のファジアーノとベル、現住所のアビスパアンクラス、一度しか訪れていないけどいつも心に留めているヴィクトリア・ジシュコフ等々挙げられるが、そういう枠とは別に単年シーズン・単独大会で最も熱狂したチームというのもある。1994年のルーマニアとか2004年のチェコとかヤングリーズとか。その中でも最も熱狂したチームにリーガを制した1995〜96シーズンのアトレティコ・マドリードがある。どのくらい熱狂したかを説明するために、2000年にインターネットを始めた同時に始めた日記サイトの以下の文章を再掲しよう。

アトレチコ・マドリー(1995-96シーズン)
記録を調べると95-96シーズンに優勝したアトレチコの総得点はバルサに次いで2位、失点はリーガ最小、ということはすごくバランスの取れたチーム構成だった風に思われるかもしれないが、それは明らかに当てはまらない。ディフェンスラインの無謀さは広く知られる処だったし、攻撃陣のオプションの無さもかなりのもの。チーム得点王のペネフは31点でトップのピッツィに遠く及ばない16点で7位だし。
キーパーのモリーナは意味も無く飛び出してくる。イギータカンポスのようなイロモノではなく、キーパー=スイーパーの概念を確立したといえなくもない。2部落ちとユーロ2000での屈辱を味わった後、ラコルニャへ移籍。センターバックは右がサンティで左がソロサバル、サンティは当時アトランタ五輪代表にも選ばれ、その後すぐにクレメンテ代表へ呼ばれるなど若手生え抜き躍進アトレチコの象徴だったため、2部落ちの今でもクラブに残って頑張っている。ソロサバルはチーム絶好調時からアンティッチと対立し、翌シーズンにはベンチから外された後、ベティスへ放出。右サイドにはロペス、代表にも選ばれていたのに後半からヘリにポジション奪われ、すぐに消息不明、ヘリは左サイドもやっていたが、2部落ちでアラベスへ。左サイドは下手だけど信頼篤いキャプテンのトニ、右が攻撃的な分ほとんど上がらない。ヘリが左サイドへ来てからはスタメン落ち、でもキャプテン、クラブが2部に落ちても、ヒル会長の逮捕に抗議する声明を読み上げる時もキャプテン。中盤の底には、よりディフェンシブな壊し屋ヴィスカイーノとよりオフェンシブな壊し屋「ダーティー」シメオネ、時代が時代なら今のマケレレエルゲラくらい「効いていますねえ」を連発してもらえるタイプ。攻撃的なパンティッチはコーナーキックフリーキック以外は何の役にも立たないし、守備もしない、でも一発のパスさえ決まれば全て帳消し、という点で同郷のマスロバルを彷佛とさせた。カミネロはワールドカップ94後のドイツやチェコのサッカー雑誌にスペインを代表する選手として載る程の天才、私もこの時期あわててボリビア戦やイタリア戦を見直した。やる気がない時が多いのも特徴。ターゲットにペネフ。キコは背が高いけど、実は足元の上手い2列目アシスト王だったりした。控えにはあと中盤にアトランタ五輪代表のロベルトがいたくらいか。
このメンバーで優勝し、翌96-97シーズンは右サイドにヘリよりもアギレラ(ヘリは左へ)、シメオネに代えてベイブル、ペネフに代えてエスナイデル、とマイナーチェンジ、のはずだが、ベイブルは移籍当初レギュラーという感じではなかったし、ソロサバルの代わりも思い出せない。にもかかわらずペネフよりもエスナイデルの方が記憶に残っている。記憶の混乱は仕方ない。資料に拠ると、96-97シーズンはシメオネはまだいて、ヴィスカイーノの代わりにベイブル、やる気ゼロのカミネロの代わりにアギレラを中盤で使うなど。ソロサバルもまだレギュラーで、翌97-98シーズンにはセンターバックにアンドレイ/プロダンで、ビエリ/ホセ・マリ/ジュニーニョなどが加入するが、それはまた別の話。
97年3月、悲劇は訪れる。リーガで3位以内、国王杯で準決勝、チャンピオンズカップでベスト8と全てに可能性を残したアトレチコは薄い薄い選手層にもかかわらず、その全てを獲得するべく、週2試合ペースをベストメンバーで挑む。その結果は、チャンピオンズカップの準々決勝アヤックス戦のセカンドレグ、エスナイデルがPKを決めればほぼ勝利という中で外し、延長でポルトガルの若手ダニに決勝ゴールを決められてまさかの敗戦、当時チャンピオンズカップESPNで放送しており、人に頼んでこの映像を見、ショックで立ち直れなかった。その後の国王杯ではバルサに5対4くらいの滅茶な試合で大逆転を食らい、敗退。強行日程の中、リーガの方も大事な試合を落として結局全てパー。アトレチコ崩壊のきっかけはここにある。レギュラー以外のメンバーが落ちる中、ターンオーバー制も存在しない、まさに「ウルトライレブン」で3冠を狙うバカがいた牧歌的な時代を忘れてはならない。

改めて読むと、事実誤認もあるだろう。さて、あれから約20年、回想してからでも約15年が経過し、実際どのくらい過密日程だったのか、どのくらい固定メンバーだったのか、どのくらいターンオーバーしたのか、調べてみようかと思った。あの頃よりネットの情報も充実し、便利になった。調べに使ったのは(http://www.worldfootball.net/teams/atletico-madrid/1997/3/)と(http://en.wikipedia.org/wiki/1996%E2%80%9397_Copa_del_Rey)。サイトの情報が正しいかは分からないけど、まあアバウトなスペイン人もサッカーに関しては真剣だろう。以下、GK/DF/MF/FWの表記は元ネタサイトにはない。私が記憶を基に便宜上付けた。

2/22、26節、対エルクルス(A)2-0win
GKモリナ、DFトニ(73分アギレラ)、ソロサバル、プロダン、ヘリ、MFベイブル、シメオネ、カミネロ、パンティッチ(82分ビアジーニ)、FWキコ、エスナイデル(82分パウノビッチ)

…連戦のスタート。この勝利で4位に浮上、首位まで勝ち点10差。日程の3分の2を消化した頃だし、まだまだ3冠のチャンスあり。

2/26、コパ、対バルサ(H)2-2
GKモリナ、DFアギレラ、プロダン、サンティ、トニ、MFベイブル(90分ロベルト)、シメオネ、パンティッチ、カミネロ、FWキコ、エスナイデル(63分ビアジーニ)

…まあまあベストメンバー継続。ホームで勝ちたかった処だが、まあ御の字の結果か。

3/1、27節、対セビージャ(H)3-2win
GKモリナ、DFヘリ(61分サンティ)、パブロ・アルファロ、プロダン、ロペス、MFビスカイーノ、シメオネ(66分ロベルト)、カミネロ、パウノビッチ、FWビアジーニ(58分フアン・カルロス)、キコ

…これは明確にターンオーバー。重要なバルサアヤックスの間だから当然。これで勝ちは大きい。しかしアルファロとカルロスは全く当時の記憶にないな。ネットによると、アルファロがDF、カルロスがFW。

3/4、QF、対アヤックス(A)1-1
GKモリナ、DFトニ、ソロサバル、サンティ、ヘリ(87分ビスカイーノ)、MFベイブル、シメオネ、パンティッチ(75分パウノビッチ)、カミネロ、アギレラ、FWエスナイデル

…これも割と順調。思惑通り。アギレラをMF起用、カミネロをFW起用だったのかな。アウェイのアヤックスだから相手に合わせたフォメにしたのかもしれん。なおプロダンは1997年1月に前年のCLグループリーグで対戦したステアウア・ブカレストから引き抜いたのでアトレティコのCLでは出られない国内戦専用。

3/9、28節、対ベティス(A)2-3lost
GKモリナ、DFトニ、サンティ、プロダン、ヘリ、MFビスカイーノ(58分ロペス)、シメオネ(56分パウノビッチ)、ロベルト、カミネロ(56分ビアジーニ)、FWフアン・カルロス、エスナイデル

…ベイブルとキコを休ませ、シメオネとカミネロを途中で代え、出来ればアウェイで引き分けたかった。

3/12、コパ、対バルサ(A)4-5lost
GKモリナ、DFロペス、サンティ、プロダン、トニ(55分ソロサバル)、MFアギレラ(69分ビスカイーノ)、ベイブル、パンティッチ、パウノビッチ(75分ロベルト)、カミネロ、FWキコ

…まずは1つ敗退。ちなみにこのシーズンのバルサとは、リーグ戦でもアウェイ3-3、ホーム2-5と、完全にバカ試合製造カードになっている。

3/15、29節、対バレンシア(H)1-4lost
GKモリナ、DFヘリ、ソロサバル、トニ、ロペス、MFベイブル、ロベルト(45分アギレラ)、パンティッチ(63分フアン・カルロス)、ビアジーニ(45分カミネロ)、パウノビッチ、FWキコ

…ホームだから勝ちたい、バルサ戦とアヤックス戦の間だから休ませたい、バレンシアだから手強い、の板挟みで一番悩んだ形跡がある。でも後半からアギレラとカミネロ投入って事はやはり勝ちたかったのだろう。割り切って休ませれば、アヤックス戦のコンディションも違っただろうに。多分トニをCBで起用。

3/18、QF、対アヤックス(H)2-3lost
GKモリナ、DFヘリ、ソロサバル、サンティ、アギレラ、MFベイブル、シメオネ(115分ロペス)、パンティッチ、カミネロ、FWキコ、エスナイデル(89分ビアジーニ)

…天王山。2つ目の撤退。俺の知っているベストメンバーで玉砕。この印象がずっと残っているのは確か。

3/23、30節、対バジェカノ(A)2-1win
GKモリナ、DFトニ(30分ソロサバル)、サンティ、プロダン、ヘリ(66分パウノビッチ)、MFベイブル(70分ビアジーニ)、シメオネ、パンティッチ、カミネロ、FWフアン・カルロス、キコ

…日常に戻って、アウェイで勝利。立派。っていうか、週半ばに120分戦っておいてほとんど同じメンバーっておかしいだろ。
★★★
こうして改めて確認すると、意外とターンオーバーしていた。GKはモリナ固定、両SBはトニ/ヘリ/ロペス/アギレラでローテ。CBはサンティ/プロダンがレギュラー、控えにソロサバル。後ろMFはベイブルとシメオネ、控えにビスカイーノ。前のMFにカミネロとパンティッチ、控えの汎用MFにロベルト。FWはキコとエスナイデル、控えのFWと前MF兼用にパウノビッチとビアジーニ。控えFWにフアン・カルロス。1試合のみのパブロ・アルファロを入れて計20名。SBはまあまあ豊富。ビスカイーノとロベルトは計算が立つ。パウノビッチとビアジーニは汎用性が高くて重宝したけど、レギュラーよりは格落ち。後は正直数合わせ。ターンオーバーはしているけど、層が厚いとは言えない。こんな感じかな。
★★★
薄い選手層で玉砕…何故こんな思い込みが発生したのかといえば、当時は全試合の放送を見られたわけでもなく、全試合のメンバーを確認出来たわけでもないから。ついでなので、当時の日記を引っ張り出してみた。日記には基本的に見たテレビのタイトルと観に行った映画のタイトルしか書いていなかった。

3/12、19:00〜、素晴らしかった、バルサ×アトレチコ3-3

…これは1996/11/9に行われた12節アウェイの試合。NHK-BS1が96〜97シーズンの放映権をこの時期にようやく手に入れたからなのか、1997年1月から怒涛の放送を始めた記憶がある。4か月前の試合を放送するのだから、牧歌的な時代。

3/19、アトレチコ×エスパニョール、ベイブル良い

…これは1996/11/16に行われた13節ホームの試合。実はあの頃チェコ代表もアトレティコもベイブルも好きだけど、アトレティコのベイブルには良い印象がなかった、というか前年度のチームが、そしてビスカイーノが好きだったからベイブルの加入には複雑だったが、このゲームに関しては素直に褒めている。当時の俺の心境や如何に。

3/20、アトレチコ×アヤックスにもえる

多分3/4に行われたCL1stのビデオを入手して浮かれている。あの頃のCLはスカイTVだかパーフェクトTVだかディレクTVだかで放送してて、それが全部映るケーブルテレビに加入しているオサレなマンションに住む社会人の先輩にビデオテープへの録画をお願いしていた。

3/21、ショック、アトレチコ×アヤックス2-3、75minエスナイデルPK外す、でも同点になってもアウェイゴールで…

多分試合はまだ見られてないはず。記憶にないが文字情報か何か。まだネット環境はなかったし、大学の図書館でジャパンタイムスのスポーツ欄だけ見て粗筋を確認したのかもしれない。

3/24、22:00〜アトレチコ×アヤックス、伝説の120分

CL2ndのビデオを入手。余談だが、私の1997年3月といえば大学卒業が決まって就職が決まっていない時期。まああの頃はその後に困難な人生を送るロスジェネになるとは思いもしないで呑気していたし、のんびりサッカー見て楽しんでいたはず。
★★★
最後に選手たちのその後をみておくと…パンティッチ(1966生)ビスカイーノ(1966生)カミネロ(1967生)が最後の輝きだったのはまあ仕方ない。ソロサバル(1969生)ロペス(1969生)アギレラ(1969生)ヘリ(1969生)モリナ(1970生)のバルセロナ五輪世代は代表で主力になる程にはならなかった。プロダン(1972生)ベイブル(1972生)キコ(1972生)エスナイデル(1973生)サンティ(1974生)も華々しかったデビュー時に比して実績を残したとはいえない。ロベルト(1973生)ビアジーニ(1977生)パウノビッチ(1977生)は若き可能性のまま終わっちゃった感。アトレティコWikipediaを読むと「ヒルは潤沢な資金アトレティコに投下し強化を推進」とか「ヒル会長の行った大型補強の成果」(ちなみに1998シーズン後に残っているのは20名中7人、2000年シーズンの降格後にはモリナ、ロペス、ベイブルが去り、サンティ、トニ、アギレラ、キコのバンディエラ系4人しか残っていないので、元々傭兵感漂う選手構成だったのは否めない)と書いてあるので、当時それなりに評価の高い選手たちだったはずなのに、移籍先で活躍した話もあまりなかった。結局、濃密すぎるシーズンを過ごして、みんな真っ白に燃え尽きちゃったんだろう…1人を除いて。1970年4月28日生まれのあの男を除いて。アトレティコを去った後もインテルラツィオのようなビッグクラブでプレー水準を維持し、2度のワールドカップにも出場したあの男を除いて…
というわけで、この思い出話が2014年のリベンジマッチ・復讐譚に繋がるのである。

シメオネ超効果 リーダーの言葉で今あるチームは強くなる

シメオネ超効果 リーダーの言葉で今あるチームは強くなる

ハロプロ楽曲大賞2013

2013年は曲単体で印象に残っているのはそんなにない。といっても悪い意味ではない。ハロステが毎週あり、2ちゃん狼のまとめサイト複数あって隆盛し、たぶん2007年のハロコンとベリコン以来久しぶりにBS-TBSがコンサート(野音)を放送してくれ、ハロプロってジャンルトータルで在宅フリーライダー糞野郎でも楽しめる時代が来てくれて嬉しいなあといったところ。出てくるものにストレスもあまり感じないし。人気ないものをガンガンテレビに出して人気あるように見せる手法という意味での電通はもちろんそんなに好きではないけれど、せっかくのコンテンツを台無しにする見せ方しかできないニューミュージック事務所にソフィストケイトした見せ方を指導してくれる宣伝のプロとしての電通さんには大いに感謝し、これからもよろしくお願いしたい。それから冬の時代にも関心を保ってまとめサイトを継続してくれたウィッチハンティングなんちゃらさんは事務所から表彰の一つもあってよかろうもんと思う。
曲単体で印象に残っていない理由のもう一つは、集計外の『初めてを経験中』が曲もMVもダンスショットver.も最高すぎて、ちょっと他が霞んでしまったというのもある。私が好きなガールポップというのはトマパイさんとか花澤香菜さんとかああいう「完成度たけー」って感じじゃなく、『初めてを〜』とか『夏ダカラ』とかそういう感じなんだなあと、意識的に自覚できるようになってきた、やっと。
配点は『ヤッタルチャン』が2.5点、『チョコレート魂』が1.5点、ほかは2点。
曲名/歌手 :ヤッタルチャン / スマイレージ
選考理由 :最近のハロプロにないEEJUMP魂を感じる。ユウキの脱力ラップが中西さんで、ソニンのミュージカル風が田村さんで。田村さんの上手さは松浦・愛理系じゃなくソニン系の資質だと思う。上原の件も、単にスター選手と繋がったというよりは、上原自身がフォローした頃はセットアッパーの一人だったのにやがて抑えのエースになり、チームもワールドシリーズで優勝するという過程の面白さがあってよかった。
曲名/歌手 :私の心 / スマイレージ
選考理由 :ハロヲタDJさんのユーストでやってた隠れた名曲特集みたいなので発見したという思い入れ補正も込めて。2ndダブルユーのなかにこんな感じの曲があったなあと思うのだが、CDが押入れの段ボールに入ったままなので確認出来ない体たらく。
曲名/歌手 :愛の軍団 / モーニング娘。
選考理由 :ぶっちゃけ最近の声加工路線はそんなに好きじゃなくて(サンフ的にいうとミシャの遅攻サッカーはそんなに好きじゃないけどクラブとしては応援しているから、みたいな)、でも個々の声がよく分かるカップリングまではチェックしてないヌルさで…そんなこんなで評価基準としては歌詞が結構好きかな、後は個々の声もまあまあ分かるかな。
曲名/歌手 :天まで登れ! / ハロプロ研修生 feat. Juice=Juice
選考理由 :BS-TBS野音で見た聴いた。同番組で『彼女になりたい』を聴いて、歌詞の頭のおかしさに衝撃を受けたけど、よく考えたらスマイレージのコンサートでちゃんさんと誰かさんのバージョンを聴いている事を思い出した。あの時は歌詞にそんな狂気を感じなかったので、何事も雰囲気だな。そんなこんなで研修生周りで一曲いれた。
曲名/歌手 :チョコレート魂 / 吉川友
選考理由 :特にこの曲が、というわけでもないけど、きっかの歌声は好きだし、いつまでも歌い続けて欲しいので。きっかの声は辻ちゃん系とでもいおうか、レーザービーム系というか、強肩をイメージする。娘。おとめ組の曲調とか似合いそうな気もする。
2013年がっかり賞としては、ダイヤレディーを挙げたい。もちろん曲が悪いわけでもなく、歌い手が悪いわけでもなく、でも「これじゃない」感がある。「じゃあお前正解はなんだよ」と問われれば答えに窮するわけで、正解が出た時に初めて「ああ、これが正解だったんだ」と分かるタイプのデュオなんだろう。やってみて初めて分かる事もたくさんあるのだから、この2人でいろんなタイプのハロプロ曲をカバーしたらいいのにな。この組み合わせ自体には絶対需要があるだろうから。
推しは今年もりほりほ。マイナー好きだった昔よりも王道好きになった自覚はある。

『「AV女優」の社会学』

「子供の頃からAV女優さんのブログを読むことが大好きで、一日中ブログを読んでいる事もあります。かなりマニアックなブログが好きで、特に好きなブログは羽月希さんと稲見亜矢さんです」と書いても、元ネタの矢口を知らないとパロディだと判らないだろう。それはともかく、昨今流行りのアイドル論にはセクシーアイドル(AV女優)論がないじゃないかと思っていたので、何かの参考になるかと思って読んでみた。ほら、ゼロ年代の半ばからAV業界が盛んにやっている、ブログを書いて「私の作品を見て」ではなく「私を好きになって」アピールをする囲い込み方法とか、ラムタラとかアリババのような販売店で握手会サイン会トークイベントやってDVDを複数枚買ってもらう商法とか、今の「会いにいける」アイドル商法のハシリみたいな事やってたじゃん。そこ抜きにアイドル論とかありえん(怒)みたいな。以下、とっ散らかって書いていく。

第2章で「性の商品化」をめぐる言説史はまとめてあるけど、それとは別にこれこれの会話分析の手法を使ったとか言語と意識をめぐるこういう社会学の理論を援用したとか、そういう読んでて面白くない社会学的な権威づけ・箔づけの章があっても良かったかなあと思った。「小説のようにスルスル読めた」という感想を見たけど、実際この体裁だとルポやジャーナリズムより分析のレイヤーが一個上だぞって感じではなかった。

読んでいる人は2013年の今を切り取ったジャーナリズムに近い印象を受けると思うが、著者の参与観察は2004年頃までで、上がっていた参考文献のほとんどは90年代に出版されたもの。例外は『新編 日本のフェミニズムセクシュアリティ』(岩波書店、2009年)なんだけど、未読だがこれも90年代の議論総まとめみたいなものなのではないかと推測される。その辺り2013年出版とのタイムラグは気にしないでよいのだろうか。著者は街の「気分」を反映させたかったみたいな事を何度か書いてて、それはよく分かるけれど、この本に書かれているのはゼロ年代前半の気分で、ゼロ年代後半はまた違うのではないかとか。まあ文中にも2006年頃から業界の動向も変化してきているみたいな事は書かれていたので自覚はされているのだろうし、業界の動向と今回分析対象とした女優さん個人の語り口とはそれ程関連がない、語り口は10年来変わっていないという判断なのかもしれない。

ただ読んでて感じたのは、著者は「性の商品化」問題を中心に取り上げているけど、個人的には今時の労働問題というか、やりがい搾取問題との関連に興味がいってしまう。阿部真大『搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た!』(2006年)同『働きすぎる若者たち―「自分探し」の果てに』(2007年)辺りと接続させた方が面白い話なのかなあと思ったりした。昨今の「アルバイトも経営者の視点を持て」(まあ女優さんは実際に事業主だけど)とかそれこそやりがい搾取される意識の高い若者に近いものを感じたので、「性の商品化」問題より労働問題かなと。

話の進め方、解き明かし方は、第五章の「単体AV女優から企画AV女優へ」が一番面白い。続く第六章、第七章でのまとめもわかる。だけど、

問題を複雑化するのは、繰り返すように、意志と動機をしっかりと持つことはAV女優に必ず求められるようになる姿勢である(つまり、AV女優になる、という業務の中にそれらの獲得が既に組み込まれている)と同時に、彼女たち自身が好んで獲得していくものであるということだ。
pp.261-262

というのは、トートロジーではないかもしれないが、ちょっともやっとする。つまり、多くの女優さんは基本的に長く仕事を続けたいと思っているけど、実際には段々と仕事が減っていつの間にか消えていく。キカタンになって2年も続いている人はそれ自体が勝ち組でエリートである。勝ち残っていくには当然、事務所や現場に好かれないといけない。そのためには、時間を守って礼儀がしっかりしてて、飲み込みが早くて勘が良くて、体調を管理できないといけない。その努力は当然「意志と動機をしっかりと持つ」人でないと続けられない。長く続けているうちに彼女たちが好んで「意志と動機」を獲得したのではなく、誰もが長く続けたいなかで「意志と動機」を持つものだけが生き残った。原因と結果が逆。これは私の「性の商品化」(性的身体の商品化)問題への意識が低いからだろう。労働問題(身体の商品化の問題)と区別がつかない私の問題。「性の商品化」労働の大変さが理解できず、「基本的に長く仕事を続けたいと思っている」はずという私の認識の誤り。昨今のフェミニズム方面からのミスキャンパスバッシングとかAKBバッシングへの違和感があるのも、私の意識の低さの問題。余談だが、AKBと労働といえば、NPO法人POSSEの坂倉昇平氏ブラック企業問題と絡めて時折ツイッターで呟いてて、何か書きたそうなので是非読んでみたい。アイドルと自由意志、ブラック企業と自由意志は色々と隣接した話だし、本書とも隣接した話。

あと、饒舌すぎる語りの方向から感想をいえば、これAV業界のみの傾向なのか、学校でも会社(採用面接)でもキャラを立てなきゃいけない、滑らない話のひとつも出来ないといけない、そういう芸人化する日本社会全体の傾向ではないのか、みたいな疑問がある。本当に社会が芸人化しているのか、それこそフィールドワークもしていないのにいい加減な事を言うなと怒られて終わりかもしれないが、逆にAV業界も現代社会と地続きである事の証明だよ、対岸の火事じゃないよの証明かも。

「性的身体の商品化」と「身体の商品化」の区別がつかない私は(まだ2年半だけど)介護業界で働いていて、

しかし、内臓に支障をきたすまで身体を酷使して働く者は、社会に無数に存在する。それは投資銀行家やSE、介護士など、激務がクローズ・アップされている者だけ挙げてもきりがないほどだ。
p.271

という文章はやはり気になる。キャリアパスがなくて何年働いても給与が上がらないと、他人からも問われるし、自問自答もする。「何でそんな仕事をしているの?」と。だから働き始めた時の動機は「何となく」「金になるから」「他に仕事がなかったから」だったのに、働き続ける動機を後からこしらえて内面化する気分はよく分かるし、実際にそういう人は多い。そして、新人にはない技術を持っている事への誇りとかやたら資格講習に走るタイプの人がいるのもとても似ている。だからというか、女優さんが「意志と動機」を語る方面へ走るのをそれほど特別な世界の話には感じない。

多少脱線するけど、介護業界に来る人も割とAV業界に似ていて、2つのタイプが結構いる。(1)社会人的無能…挨拶できない、電話の受け答えできない、時間を守れないetc、(2)一般企業から表向きは別の理由で巧妙に忌避される人…シングルマザー、メンタル系疾患etc。私はまあ(1)寄りのハイブリッド。最近、政府が「介護業界で長く働けるようにキャリアパスを!」とか言って、士業の資格試験を難しくしたりしようとしているけど、要らんお世話というか逆効果というか。利用者に提供する介護のレベルを上げるために高度な技術職にしたら(というのは方便で、実際今の政策には「高い給与が欲しかったら、高い技術持てよ」という本末転倒感がある)、社会人的無能の駆け込み寺にならないじゃないか! 働き続ける動機を後からこしらえて内面化した意識の高い人たちがますます社会人的無能スタッフにいらだって、職場がギスギスするじゃないか(半分冗談半分本気)。恐らくAV業界も似たようなもので、希望者が多い→レベルが上がる→意識が高くないとやっていけない→脱落者続出→それでも金稼がないといけない→もっと危険度が高い風俗などへ流入、という悪循環が生まれているのではないかと推測する。毎日決まった時間に起きられない社会的ダメ人間から職場を奪ってはダメだ。もちろん風俗業や介護業が社会の脱落者の駆け込み寺になっている事自体を批判されると、正論過ぎて返す言葉もないが。開沼博氏が風俗業はグレーなセーフティーネットになっている的な発言をして、フェミニズム界隈から「それはセーフティーネットじゃねえだろ(怒)」というツッコミを受けていたが、「性的身体の商品化」&「身体の商品化」問題を解決するには、とりあえずベーシックインカムを導入してみるしかないだろう。「最低限の生活は保障するから、ヴィトンのバッグが欲しかったら風俗で働いて」「週5日労働は無理だけど、労働して生きているプライドを持ちたかったら、週1でもいいから特養で働いて」として、今の現場から労働者がどれくらい消えるか残るか。日本国籍を持っていない日本在住者にしわ寄せが行って、労働問題に民族問題がセットとなって激化したりして。

さらに本書の主旨からは外れつつ、アイドル論&ドキュメンタリー論書きとしては、ここからが本筋かもしれない。私は冒頭で触れたとおり、女優さんのブログを読むのが好きだ。あるいは2009年頃をピークに好きだった。5年近く前に書いた文章がある。「プロレス・ハロプロ・ブログ」(http://d.hatena.ne.jp/palop/20080729)、内容はハロプロ関係を仄めかしているけど、たぶん当時読んでいた女優さんのブログに触発されたんだと記憶する。2008年7月のAKBといえば、レコード会社との契約を切られ、10月に『大声ダイヤモンド』を発売して上昇気流に乗る前。これを書いたときは、まさか「私の芸を見て」ではなく「私を好きになって」とファンに会って握手するアイドルが当たるとは夢にも思っていなかった。

ブログを更新し、サイン会で私服を披露するのは、あくまでAV女優としての彼女たちであり、本名を名乗る彼女たちではない。VTRの撮影をあくまでコンテンツ制作と考える彼女たちがVTR撮影中おこなっているのは、「演技をしていない」演出である。と、なるとそこで表出しているのは、あくまで「AV女優としての」という留保のついた「素顔」であり、「演技をしていない」演技である。彼女たちのファン・サービスは、「素顔」や「演技をしていない姿」というVTRの中の顔でない、また新しい顔を作り出すことにあるようだ。
pp.238-239

2004年までの参与観察の結果だから、私の読んだブログ群とは時代背景が違うかもしれない。あるいは「ブログなんて女優・事務所・メーカーが共犯になって作ったキャラが書いたことにしている販促ツールでしょ」という冷めた見解なのかもしれない。とはいえ、留保のついた素顔、演技をしていない演技、というのはちょっと冷めすぎなのではないか。散々、自由意志であるか、そうでないかについて「そんなん外部の人間が見て簡単に切り分けられるわけないやん」と書いてきた人とは思えない断定口調ではないか。まあ正直言ってブログ信者のキモヲタとしては、感情的にカチンときた箇所だべ。ドキュメンタリーのカメラが回っている時、人はどこまで自然に振る舞う事ができ、どこまで演技するのか、という問いに答えるのだって簡単ではないのが、ドキュメンタリー業界の常識。素って何? 演技って何? 女優○○のパブリックイメージにふさわしいファッションできめて自宅を一歩出たら演技? マネジャーとラーメン食っている時は素? そばにDVDショップの店員がいたら? ファンの前だと? というインナーサークルとお客の線引きがアイドルとAV女優だとちょっと違うなあ、という話もあるけど、それはまた別の話。

今だと女優さんのツイッターに一般人が「お前は幸せになれない」とか書いて、それに女優さんが反論して話題に、とか結構あるけど、個人的には興味を惹かれない。以前は、ブログに事務所やマネジャーへの不満をぶちまけた女優さんが、翌日にエントリーを削除して以後は何事もなく…なんて“事件”があって、そういうのは好きだった。共犯関係にあるべき側が分裂して、お客さんの方に「私の心の内を聞いて欲しい」って言うのは、何か面白いやん。販促ツールという建前が揺らぐっていうのか。事務所に内緒でとんだ女優さんが最後にブログへ「今までありがとう」メッセージを残し、ファンもコメント欄にお礼を残して、いい話だなあと思ったら、翌日丸ごと削除され、事務所の「ファンの皆様、○○は引退しておりません」とか取り繕った書き込み(メーカーとの契約が残っていたんだろうなあ)が載るんだけど、結局その後新作は1本も出ないとか面白いやん。「あたし引退する事になりました。この芸名の人はこの世界に存在しなくなりますが、どうか忘れないでください」っていうエントリーに何十もコメントがつくのを見て、もう一回だけ現れて全コメントにレスするとか泣けるやん。削除も含めて炎上商法やんとか、冷めた見方はいくらでも出来るけど、「演出があるのは分かっているけど、敢えて全て真実だと丸飲みしてやるぜ!」なブログ信者としては、虚実ないまぜのなか、虚の人が実の詰まった振る舞いをしてしまうその行為自体が興味深いというか好きだ。もちろん例外的な事象だろうけど。まとめると、社会学事象の類型化・典型化・平均化が得意で、ドキュメンタリーは人間的な例外を切り取るもの、といえるだろうか。そして私は例外が好き。

5年前の文章でも触れているが、20世紀の終わりにマスメディアと折り合いの悪かった中田英寿宇多田ヒカルが自身のサイトで発信を始め、マスメディアの嘘に対して本人が反論出来る時代になり、やがてインターネット上では「ソースは?」が合言葉になった。1次ソースを示す事は重要だが、その中で本人発信が最重要ソースというランク付けが生まれたように思う。マスメディアが複数ソースに当たり、利害関係を推測して出した仮説・結論を当事者が否定すると、ネットで「本人が否定してるじゃないか」「捏造すんな、マスゴミが」と叩く風潮が生まれたように思う。

AV女優ブログ好き業界(そんなのあるのか)では割と知られた話だが、簡単にいえばライター中村淳彦にインタビューされた女優泉まりんが中村をディスった話がある。詳しくは、峰なゆか「はだかのりれきしょ【泉まりん】(http://www.mens-now.jp/column/pref/u/2010-11-18/a/%E5%B3%B0%E3%81%AA%E3%82%86%E3%81%8B)を読んでほしいが、峰の文章がすごくいい。泉まりんの発言を(恐らくは)自分の考えに寄せて曲解したりつまんだりすることなく、でも「本人が言うんだから、その通りなんでしょ」の当事者中心主義でも済まさないで彼女の人生の背景が何となく透けるような地の文がいい。もちろん中村とのエピソードも、家族の話も全部作り話かもしれない。もちろん更に峰が面白おかしく盛っている可能性だってある。販促サイトなんだから読んでもらわないと、だろうし。だけど、このインタビューには、社会学的な手法を使ってなくても、彼女が饒舌な理由も、彼女の気分も、時代の気分も、そして恐らく街の気分もちゃんと映っているのではないかと思うわけで。要するに何が言いたいかといえば、本書の著者に罪はないけど、本書を読んですぐ「これまでの商業的なルポにも教条的な学者の議論にもなかった画期的論!」みたいに言っちゃう奴は、自分がこの分野に詳しくないだけのくせに反省しろ! みたいな感じ。

最後に、冒頭に挙げた2人の女優さんブログ、羽月さんは現役でブログも書いている…けど、最近は読んでない。デビュー当時はキカタン女優として失礼ながらパッとしなくて「臨時収入になれば」「ちょっとエッチな事に興味があって」という本書でいう典型的な動機無き入り方をした“普通の女の子”が本業の職場の愚痴とかダラダラと書いていた。それから人気が出てきて撮影の仕事が沢山入り出すと、それこそコンビニで買ったアイスの写メとか今日の私服の写メとか“普通の女の子パート2”のブログにスムーズに移行していった。まさに本書でいうAV女優であり続ける「意志と動機」を獲得した人のブログになった。基本的に文才があって頭の切れる女優さんのブログが好きだけど、この移行のクレバーさにも唸ったし、「意志と動機」を獲得した女優さんにはあまり興味を持てないので読まなくなった。

稲見さんは、恐らくもう引退していて、ブログも削除されている。恐らく学生さんだったのか、羽月さんと同じように「臨時収入になれば」「ちょっとエッチな事に興味があって」業界に入ってきた感じだったが、可愛くて、演技の勘も良くて、文才もあって、当然人気もあったし、本気を出せば「上を目指せる」才能があったと思うけど、最後まで本気を出さなかった印象がある。「一般受けする方法? 仕事がもらえるキャラ作り? そんなの分かっているけど、やらないよー」みたいな。赤の他人が「AV女優として才能があったのにもったいないなあ」というのも何か変な話だけど。本書に沿っていえば、何となく業界に入ったまま、お金にも困ってないし、承認欲求も強くなかったので、「意志と動機」を獲得できなかった(しなかった)のだろうなあと。

典型と例外の話になっただろうか? まあ、個人的な思い出話が書けたから良しとしよう。


おまけ:「潜在写真の撮影」(p.30)という誤植、いいよね。私もこうなる。業界用語の短縮系って、辞書登録してないと出てこないんだよ。「せんでん」と打って「伝」消して、「ざいりょう」と打って「料」消して。と思ったら、p.110には普通に「宣材写真」とあるじゃん。原稿入力に使ったPCが2台ある!?