パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

全てのNHKドキュメンタリーは台本至上主義なのか?

何か撮りたい題材があったら、テレビ・ディレクターはまず、その世界について入念にリサーチして、企画書を書かなくてはならないのが普通だ。(中略)そして、構成表と呼ばれる台本にショットのリストや予想されるインタビューの内容(!)、ナレーション、「落とし所」と呼ばれる最後のオチまで細かく書き込んでいく。(中略)まあ、1本につき数百万円から数千万円の予算が動くわけだから、社会の仕組みとしては当たり前といえば当たり前かもしれない。(中略)だから、以前、台本を書くことに難色を示した僕を「お前は設計図無しに家を建てるつもりか!?」と叱責したプロデューサーの気持ちも、分からなくもない。しかし問題は、ドキュメンタリーは家ではない、ということである。設計図を念入りに書けば書くほど、それが作家の思考や行動を攪乱し、あるいは縛りつけ、作品を台無しにしてしまいかねない。それがドキュメンタリーの宿命なのである。
――想田和弘『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社、2011)pp.65-66

「1997年から2005年頃まで、ニューヨークを拠点にNHKなどのドキュメンタリー番組を量産するテレビ・ディレクターだった」(同書より)想田は、TVドキュメンタリーにありがちな台本至上主義を以上のように批判している。想田に限らず、森達也などもNHKドキュメンタリーの台本至上主義、その融通の利かなさを度々批判している。実際にそういう側面はあるのだろうなあと思う。

7月13日に放送予定だった『ドキュメンタリーWAVE』のタイトルと内容は以下の通り(公式サイトより)。

「揺れるタックスヘイブンの島〜キプロス危機とロシア人〜」
今年5月、EUによる金融支援が決まった地中海の小国キプロス。今、人口の1割を占めるロシア人たちの間に、不満や怒りが渦巻いている。EUは、キプロスに対する100億ユーロ(約1兆3000億円)の財政支援と引き換えに、前例のない条件をつきつけた。10万ユーロを超す銀行預金に多額の課税を決めたのだ。狙いは、巨額の“ロシアマネー”。租税回避地として知られるキプロスには、低い法人税率などを背景に、海外から多額の資金が集まり、その半分近くをロシアマネーが占める。事実上、ロシアの資金に課税し、救済に充てようとしていることに、ロシア側は猛反発している。支援策が明らかになって以降、ロンドンなどへの移住を考えるロシア人が急増、ユーロ離脱論も語られ始めている。番組では、キプロスで富を築いたロシア人や預金封鎖に揺れるロシア人社会を取材、キプロス危機の行方を見つめる。

しかし直前になって放送予定から消え(中止とも延期ともアナウンスは無し)、8月24日の放送予定で現れたタイトルと内容が次の通り(公式サイトより)。

「‘ロシアマネー’が襲った島 〜キプロス危機の真実〜」
今年、地中海の小国キプロス金融危機が世界を揺るがした。EUは1兆3000億円の支援と引き換えに、前代未聞の預金への課税を決定。キプロス第二の銀行は封鎖、国民は今、高い失業率に苦しむ。危機の背景にあるのがロシアマネーの存在だ。タックスヘイブンで知られた島に巨額のロシアの資金が流入、銀行の資産はGDPの7倍にも膨れ上がった。銀行は、集めた金でギリシャ国債を大量に購入、マネーゲームに走った。しかしユーロ危機で国債が暴落、多額の損失を出したのだ。キプロスでは銀行経営陣の責任を追及する調査が始まった。番組ではバブルのつけに苦しむ人々を取材、キプロス危機の真相を描く。

推測に過ぎないが、まあ同一の企画だろうと思われる。それにしても急激な方向転換ではないか。ロシア側から描くつもりがキプロス側に変わっている。NHKでこんな企画変更が許されるのはかなり例外なのではないか。これは余程実績を残しているプロデューサー&ディレクターの手によるものなのではないか。という感じで明日の放送を楽しみにしている。新しい方のサブタイトルがいいよね。「取材しているうちに通説とは違う“真実”を見つけたぞお!」という心の叫びが聞こえてくるようだ。いや、逆にロシア人社会への取材が全然進まなかったが故の苦肉の策という可能性もある。大穴として番組内容がプーチンを激怒させそうな感じになったから、NHK内のロシアンスクールが圧力をかけたとかも陰謀論としては楽しい。
もちろん放送も楽しみにしてはいるけど、正直取材の舞台裏の方が気になる。だからいつも書いている事に戻るけど、テレビ局はドキュメンタリーを放送した後、プロデューサー&ディレクターによるティーチインをやろうよ。視聴者からの質問に答える場を作ろうよ。
もう少し話を飛躍させると、数年前に流行った事業仕分けみたいなことをNHKドキュメンタリーのプロデューサー&ディレクターに対して受信料を収めている人間が出来たら面白いかもしれない。現行法制度では、NHKの予算・決算は国民の代表たる国会議員が監査・承認しているという形になっているのだろうが、もっとざっくばらんに実際に予算を使った人と視聴者代表が向かい合って、提出された全ての領収書を前に、「えー、ロンドン取材を敢行されたということで、ロンドン5日間の滞在費と東京・ロンドン間の航空チケット代を請求されていますが、番組を見ると内容には全く反映されていないようです。これは本当に必要な取材だったのでしょうか。事前に電話などである程度の当たりはつくものではないですか?」みたいに細かい事をチクチク突くの、楽しそうではないか。

RKB『シャッター 報道カメラマン 空白の10年』

http://rkb.jp/shutter/
ツイッターで適当に感想を呟こうかと思ったが、長文になったのでこちらで。「あの人は今」的な好奇心を満たす情報番組としてなら充分面白かったが、ディレクターが何かメッセージを伝えたくて作った作品として見るならば、かなり残念な出来だった。貴重な社会派のドキュメンタリーだからといって甘やかすのはよくないので、ちゃんと文章にして批判しよう。本当はもう一回見直して正確に書くべきなんだろうけど、そこまでしたくなる内容でもなかったのが正直なところ。
番組を見ていての印象は、新聞社に所属していたカメラマンに対して使うのは却って失礼かもしれないが、五味さんはノンポリだなあ、カメラ大好きな小僧がそのまま大きくなった純粋な人なんだろうなあ、新聞社に入社して配られた倫理規定とかあまり興味なくて読んで無さそうだなあ、と。この印象が間違っているとすれば、五味さんには申し訳ないが、ディレクターの伝える力量の無さという事で許して頂きたい。私の読みとる力が無いという言い訳は逃げの手なので使いません。
“見た瞬間に感じ、そして考える”(by五味)そして撮る。五味さんはそうやって写真を撮ってきた。恐らく文字媒体の記者は“見た瞬間に感じ、そして考えて…書く”だろう。考えてから書くまでに時間があるから、少し客観的になって他人に伝える方法を考える。策を練る。五味さんは考えた事を言語化するのが得意じゃなかったからカメラマンという仕事を選んだのだろう。だから、そこでちゃんと言葉にして伝える訓練をしていないのを責める事は出来ないけれど、事件後10年経ってもそれではいつまでたっても世間から「あんた、それでちゃんと考えたつもりなの?」との誹りは免れまい。まあ、だから周囲の応援団が「この人、すごい写真撮れるんですよ」と宣伝して回らなきゃいけない状況なんだろうが、事件から復帰するにあたって「この人の場合、言葉よりも写真の方が雄弁なんですよ」では済まされまい。
五味さんの写真が素晴らしい事、他人の懐に飛び込んで、信頼され、相手の顔を正面から見据えてシャッターを切れる才能。それは素晴らしい才能。普通はその無邪気さは大手マスメディアに入社して、報道倫理の規定とかガイドラインを読まされて頭に叩き込まれる内に臆病になって消えてしまうはずのもんだろう。だけど、ホスピス行って取材対象者と父子関係みたいになれる無邪気さこそが彼の才能だったんだよ。そして、無理矢理関連づけるとすれば、その無邪気さが爆弾の欠片を持ちこんで人を殺したんだよ。もちろん本当は全然関連なんて無いけど、もし反省とか贖罪とかをした事にして復帰するとすれば、とっかかりはそこにしか無いはずなんだよ。だけど、番組を見る限り、五味さんはエジプトでも相変わらず純粋な瞳で子供や老人の懐に飛び込んで優しい写真を撮ってるじゃないか。彼の撮った写真の発する魅力は全然変化してないじゃないか。この人、仮に事件を反省したとしても「釣鐘みたいな形をした爆発物は危ないから二度と近づかないようにしよう」みたいな個別具体的な方向でしか反省しかしてなくて、報道倫理を遵守しようとかカメラを向ける事の加害性を意識しようとか、そっち方面での反省は全然ないんじゃないの。また、個別具体的には違うけど似たような失敗をやっちゃうんじゃないの?
正直、反省です、贖罪です、って言っても、本人には反省も贖罪もしようがないと思うんだ。過失はあっても悪意はないんだから。「人を死なせて済まない」とは思えても、だからどうしたら贖罪になるかなんて分からない。カメラマンに復帰する事が良いかどうかも分からない。だって、過失とは何の関係もないんだもん。せめて五味さんが、「このクラスター爆弾の殻を持って、日本で反戦の論陣を張るぞ」くらいの政治意識を持ち合わせた人だったら、クラスター爆弾劣化ウラン弾に対する憤りを持った人だったら、逆にそれが反省のとっかかりになったのに、番組を見る限り恐らくそういう意識もない人だった。意識があれば、報道と政治活動の区別をつけるべきだったとか、二度と自分の私情を仕事に持ち込まないぞとか、そういう方向性の反省が見出されただろうけど、そんなのないもの。純粋なカメラ小僧が起こした偶発的な事故だもの。
途中で大谷さんが出てきて、最近の大手メディア不信やメディアのフィルターについてあーだこーだ言わせたりしてたけど、何かピントがずれているよね。ジャーナリズムっていっても、同じ取材する行為でも、シャッターを切る、取材して記事に書く、動画用カメラを向ける、それぞれの行為は微妙に違うと素人ながらに思う。記者って文字にする過程で溜めが出来るというか自分の色を意識して薄める事が出来る。TVの仕事はそもそもマスのマスに向けているから分かり易く薄くなる(する)。静止画ってのは、撮った人間の意識・視線がモロに出る。だからこそ新聞社の写真部の人達は悩むところがあるだろうし、五味さんは無邪気さ故にそこを突破して、個性的な素晴らしい写真が撮れたのかもしれない。…くらいの事は元新聞記者で現TV屋のディレクターなら考えて欲しいし、ディレクター自身と報道カメラマンだった五味さんとでは意識がどれくらい違うかとか追求してもらいたかった。なのに、「人間だから主観があって当然。伝えたい事の強弱があって当然。動画を垂れ流しにするというのは我々の仕事の放棄である、(私たちがしなければならない事は?)何を伝えるかですby大谷」とかピントずれ過ぎて訳分からない。IWJとかネットのダダ漏れ動画サイトを非難したってしょうがないじゃん。意味分からん。五味さんは偏った見方の写真を掲載して干されたの?違うでしょ。何の関連も無いじゃん。五味さんが素晴らしい写真家である事と、五味さんの持ち込んだ爆弾が爆発した事と、これまで選良のつもりでフィルター機能を果たしてきたマスメディアへの大衆の不信は、それぞれ何の関係もないんだよ。

日本では3・11後、マスメディアへの批判が強まっている。番組では、「人に伝える」とはどういうことなのか、さらに「報道とは何のためにあるのか」を、ジャーナリストの大谷昭宏津田大介とともに解いていく。
(番組公式サイトより)

正直このとってつけた感は無いよね。五味さんは人一人殺した後、「人に伝えるとはどういうことなのか」をどう考えたのか、どう考えが変わったのかを伝えて欲しかったよね。ディレクターの「五味くんは写真上手いよ」しか伝わってこなかったよね。五味さんが「報道とは何のためにあるのか」をどう考えるようになったのか教えて欲しかったよね。ディレクターの「五味くんは報道にとって役に立つ仕事が出来る人だから、いい加減復帰させてあげようよ」というメッセージしか受け取れなかったよね。少し酷い言い方をすると、五味さんを出汁にディレクターが報道とは何かを考えているよね。えー!?視聴者が知りたいのは、五味さんが報道とは何かをどう考えているかなんじゃないの?
まあ、何度も書いているように、写真を撮って報道するという行為と、空港で爆弾爆発して人を殺したという事故には、何の関連もないから、反省も贖罪もしようがなくて、敢えてするとしたら、上に書いたようなこじつけしかないんだけど、そもそも五味さんの10年の日々を淡々と描いて「こんなに腕の良いカメラマンを干したままにしとくのはもったいないよ」的な番組を作っておけばよいものを、「人に伝える」とか「報道とは」みたいなテーマと結びつける荒行を始めたのはディレクターの側だから、そこは遠慮せずに批判しておきたかった。
☆☆☆
番組のメッセージそのものではないが、構成上の不満もいくつか。
岡崎さんが5月1日に五味さんに寄り添うためだけにアフリカへ行くとか、五味さんの人間物語にもメディアのフィルター話にも何の関係もないエピソードじゃん。そんなん社内報にでも書いとけ。
毎日新聞福岡での同僚として横目で仕事ぶりを見ていたホスピス取材時代(〜1999年頃)、毎日新聞東京とキー局(TBS)の資料映像を利用した湾岸取材時代(2001〜2003年頃)、RKB記者としての独自取材(2008年〜)とおおざっぱに3区分出来ると思うが、それがごちゃまぜに説明なく続けて出て来るから「いま画面の外から話を振っているのは誰なんだよ!」的な気持ち悪さがあった。この番組の一人称はディレクターなのか誰なのか分かんねえよ。

『キャパの十字架』をめぐるあれこれ

1.基本情報
文藝春秋2013年新年特別号に沢木耕太郎『キャパの十字架』掲載(2012年12月10日発売)
 http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/509
横浜美術館ロバート・キャパゲルダ・タロー 二人の写真家」展(2013年1月26日〜3月24日、後援:NHK横浜放送局)
 http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/
・GTV『NHKスペシャル』「沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚〜"戦場"写真 最大の謎に挑む〜」(2013年2月3日放送)
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0203/index.html
沢木耕太郎『キャパの十字架』単行本(2013年2月16日発売)
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163760704
・ETV『日曜美術館』「ふたりのキャパ」(2013年3月3日放送)
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2013/0303/
NHK-BS1沢木耕太郎 思索紀行 キャパへの道」(2013年3月25日放送)

2.国分拓
このブログの読者なら御承知のように『Nスペ』「運命の一枚」及びBS1「思索紀行」のディレクター国分拓は、中立と客観を旨とするNHKには珍しく主観丸出しのドキュメンタリーを制作する変人ディレクターである(http://d.hatena.ne.jp/palop/20120411参照)。
その国分氏がキャパ生誕100年に合わせて発売される沢木の著書、或いはNHKが後援する美術展とタイアップしたかのようなドキュメンタリーを制作するなんて、どういう風の吹き回しなのか。それが上に記した基本情報を眺めた時の率直な疑問である。
と同時に思ったのは、国分のあの作風なら若い時分より熱烈な沢木信者である可能性は低くない。尊敬する沢木と仕事が出来るなら、喜んでタイアップ番組でも何でも作ろうじゃないか。そんな推測をしながらネットを検索していると、どうやら国分と沢木はずっと以前より一緒に仕事をしていた事が判明した。

3. 『イルカと墜落』

イルカと墜落 (文春文庫)

イルカと墜落 (文春文庫)

『イルカと墜落』は2003年6月22日に放送された『NHKスペシャル』「隔絶された人々 イゾラド」のロケ模様を沢木が書いたもの。詳しくいうと、沢木とNHK取材班がブラジルでセスナ機の不時着事故に遭遇した出来事を描いたもの。取材自体は2001〜2002年にかけて断続的に3回行われた。ディレクター国分拓、カメラマン菅井禎亮、プロデューサー伊藤純というお馴染みのセットがこの頃から形成されている。

私は、NHKの若いディレクターと大会期間中のフランスを2カ月近くまわることになった。日本の代表チームの試合を中心に見て、大会終了後に一本のテレビ・ドキュメンタリーを作るためだった。
(中略)
私たちが日本の代表選手への取材を開始し、さらに第二戦の相手チームだったクロアチアの選手と監督に会うため、いざヨーロッパに出発するという直前になって、急に番組が中止になった。理由は定かではなかったが、NHKの上層部の判断だということだった。
pp.9-11

どうやら国分は、若い時から上層部と揉める体質だったようだ。

ワールドカップ以後の二年間、コクブン氏は外国の放送局と共同で環境問題の大きな番組の制作に関わっていたが、その取材のためにブラジルへ行った折りにぶつかったテーマのようだった。
p.16

以下の引用は文庫版の解説―「沢木さんとアマゾンを旅して」―書いているのはほかならぬ国分。

あの沢木耕太郎とアマゾンの奥地を旅する。願ってもない最高の展開に僕はとても興奮していた。沢木さんより二十歳ほど年下の僕は、沢木さんの一人称で書かれる、いわゆる「私」ノンフィクションに参った世代だ。カシアス内藤輪島功一趙治勲瀬古利彦……。取材対象に密着し、膨大な対話と観察から生まれた数々の傑作を貪るように読んできた。
p.234

やはりNHKでプロの制作者になる以前より沢木の信奉者ではあったようだ。

僕たちは、沢木さんを通じてイゾラドを見つめるという表現方法を放棄した。僕たちは僕たちで勝手に撮影し、沢木さんはいたい場所にいてもらい、見たいものを見てもらうというやり方になった。
p.238

大よそのTV番組は映像を補完するようにナレーションが流れる。しかし、私たちの番組は映像と文章が緊張関係を持ったまま進んでいく。互いを思いやっているようで、それぞれが自己主張をしている。たぶん、僕たちが勝手にロケし、現場にいた沢木さんが後で好きに原稿を書く、というスタイルのせいだと思う。
p.245

この映像と文章がそれぞれ自己主張するスタイルは今回のキャパでも用いられているように感じた。
余談だが、NHK依頼の取材中に飛行機が墜落して九死に一生を得ました、なんて出来事があったのだから、NHKは永遠に沢木には頭が上がらないだろうとも思った。

4.沢木耕太郎
今回の件まで沢木の著書は読んだ事がなかった。恐らく『Number』(文藝春秋社)のアトランタ五輪総集編に掲載された「廃墟の光」だけだと思う。
著書ではないが、沢木が構成・監修と銘打った2002年サッカーワールドカップのTVドキュメンタリーを2本見ている(http://d.hatena.ne.jp/palop/20021228#p1参照)。大会前は割とバランスのとれた見方をしていたのに、大会後には沢木のブレーンとして取材に同行したらしい金子達仁馳星周(当時の『Number』サッカー班の論調を決めていた人物)の見方に引き摺られたのか、あからさまにトルシエ批判、ヒディンク絶賛のスタンスになっていてがっかりした。今から冷静に振り返ればトルシエの振る舞いへの嫌悪や、ヒディンクの采配の見事さは否定できないところだし、日本特有の“応援ジャーナリズム”とは一味違うところを見せたかったスタンスも理解出来る。と同時に「ニュージャーナリズム」(「私」ノンフィクション)とやらは最初の情報源によってかなり方向性が左右される危ういものだなあという印象も強く残る。

5.『キャパの十字架』

キャパの十字架

キャパの十字架

文藝春秋』版と単行本の両方にざっと目を通したが、ほとんど違いはなかったと思う。全10章から成り、最初の9章はひたすら写真「崩れ落ちる兵士」の謎を解く旅に割かれ、最終第10章「キャパへの道」のみゲルダを失ったと同時に有名な写真家となってしまった以降のキャパの人生を記述している。
朝日新聞に掲載された後藤正治の書評(http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031700003.html)にある通り、《本書の主題は最終章「キャパへの道」》にある。そのために沢木は9章を費やして「どこで撮ったのか(やらせなのか)」「誰が撮ったのか(盗作なのか)」の2点を明らかにしている。なんだけど、読んでの率直の感想は、沢木の頭にはノルマンディーでのキャパの行動に対する推論―《虚名に追いつき「負債」を埋めなければならない》(前述後藤)―が先にあって、そのためにも撮ったのはゲルダでなければならない、という思考跡が見える。沢木の中で結論は先に決まっていて、その補強材料を一生懸命探しているように読める。読めば「〜と思われる」「〜に違いない」というニュージャーナリズムらしいキャパの内面を推測した記述も多数あり、そのスタイルの危うさも改めて感じた。もちろん沢木と一緒に妄想と推測の旅をする事こそが読者にとっての魅力であるだろうが。
NHKのドキュメンタリーディレクター山登義明がブログで指摘している事は大いに肯ける。

なぜこの作品が実戦でないということ、自分が撮ったのではないということをキャパは語らなかったのかという点を、このドキュメントはゲルダの突然の戦死に理由があるとしている。文学的にそれはおおいにありうるとは思うが、その根拠がきわめて状況証拠でしかない。物証がない。
http://mizumakura.exblog.jp/19225694/


6. BS1沢木耕太郎 思索紀行 キャパへの道」
2013/3/25初回放送、50分、文:沢木耕太郎、撮影:菅井禎亮、ディレクター:国分拓、制作統括:伊藤純、制作・著作:NHK

最も偉大な戦場カメラマンとして、今なお伝説的な存在であり続けているロバート・キャパ。生誕100年の記念の年に、「キャパ」はいかにして「キャパ」となったのか。ブダペスト、パリ、アンダルシア、ライプチヒ…、作家・沢木耕太郎が、その縁の地を訪ね、思索を重ねていく。
(公式サイトより)

『Nスペ』が『十字架』で展開された謎解きをなぞりつつ、映像メディアらしいCGによる再現に徹していたのに対し、「思索紀行」はより独自色が強い。いつもの国分スタイル。
視聴時は、エンドクレジットに〈文・沢木耕太郎〉とあり、ナレーションが沢木の一人称「私」だったので、てっきり『十字架』内の文章を沢木が朗読し、国分が同行した映像を重ねているのかと思った。しかし『十字架』には沢木が写真の謎を解くためにスペイン・フランス・米国を取材に訪れた話は出てくるが、「縁の地」ブダペストライプツィヒを訪れた話はない。『十字架』には、

…実際、私もそのオマハ海岸に行って周辺を歩いたことがあるが〜
文藝春秋』p.506

という記述がある。謎解き旅行とは別に思索旅行があったことが窺える。番組のナレーションは『十字架』とは別に、沢木の思索旅行に同行した国分が、その琴線に触れたエピソードを改めて沢木に執筆・朗読してもらったのかもしれない。
そもそも、『十字架』の最終第10章「キャパへの道」では、ゲルダの死後〜ノルマンディーを経てインドシナにおけるキャパの死までを扱っているが、キャパが1945年4月にゲルダの故郷であり戦火のライプツィヒを訪れ、それをもって戦争取材の最後としたエピソードがない。はっきりいえば、沢木はキャパが負債を払って本物のキャパになった地をノルマンディーとしているが、国分はライプツィヒとしているくらいの差がある。そして国分の方が沢木以上にロマンティスト。沢木以上にニュージャーナリスト。余談だが『十字架』には『Nスペ』に出てきたパリ解放時の坊主女性のエピソードもない。

7.結論めいたもの
『十字架』によると、沢木は1980年代にキャパの著書を翻訳して以来、「崩れ落ちる兵士」の謎を気にかけていたが、取材する余裕はなかった。2009年7月18日付のAEP通信が報道した写真に関する新事実を知り、取材を具体化しようと決意する。そして2010年夏から2012年6月初めまで取材を重ねている。
最初に受けた《2013年はキャパ生誕100年だ→NHK後援で美術展やろう→『Nスペ』や『日曜美術館』のような看板番組で宣伝しまくろう&文春と組んで沢木に書いてもらおう》みたいなゲスな印象とは異なり、《2010年の沢木、念願のスペイン取材を敢行→2012年頃の国分、沢木の取材情報をキャッチ→国分「その謎解きNHKの企画にしませんか」&「謎解きとは別にキャパの足跡を一緒に旅行しませんか」的オファー→NHK「折角だから番組に合わせて写真展を開こう」&「自社番組で紹介しよう」》という感じではなかったかと推測する。

8.蛇足
先に引用した山登ブログの別の日、3月16日に以下のような記述がある。

友人が話題のノンフィクションに苦言を呈していた。さきごろ発表されたキャパのテレビドキュメンタリーと単行本となった文章の関係をそこはかとなく批判していた。あの作品たちはたしかにサワキ自身が大きく関わっていることは事実だろうが、果たしてかれ一人の業績だろうかという疑念だ。文章のほうは完読していないから正確なことは分からないが、あのドキュメントのなかで撮影者の特定する方法などは明らかにテレビ関係者の発想があったと思われるが、これらの果実をすべてサワキの独り占めとなると、?と思わざるをえない。(後略)
http://mizumakura.exblog.jp/19676027/

正面切った批判というよりは、いささか煮え切らない当てこすりのような文章だ。文中の「友人」とは恐らく山登と同じく元NHKのドキュメンタリーディレクター永田浩三で、この数日前に更に厳しい表現(“沢木某”とか)で『十字架』に対する当てこすりの文章をブログに書いていた。というか私は永田のエントリーを先に読んだ。永田は昨年12月の時点では『文藝春秋』版を絶賛していた(http://nagata-kozo.com/?p=10207)し、2月の『Nスペ』後も沢木の調査を評価していた(http://nagata-kozo.com/?p=10550)ので、批判を読んだ時はその態度の豹変ぶりに驚いたが、いつの間にか永田は当該エントリーを削除してしまった。ウェブ魚拓を取っておくべきだったが後の祭り。
とはいえ、知り合いのOB連中に愚痴るくらいNHK内部で沢木に対する不満がくすぶっていた事が想像できる。確かに『Nスペ』のCG表現は素人にも分かり易くて良かったが、『十字架』を読むと、スペイン南部の現地に取材し、原寸に近い写真が掲載された当時の雑誌を求めてパリの図書館やニューヨークの古本屋を訪ね歩き、ライカとローライフレックスの違いを知り合いの写真家・井津建郎や田中長徳に尋ねたりしたのは沢木で、NHKの力を借りなくてもアナログな手法でちまちまと縦横の寸法を計って謎を解き明かした気もする。でもなあ、これまでの経緯からすると、ディレクター国分が沢木の著書を「手柄を一人占めした」と批判するとは思えない。結局、誰が謎を解くのに貢献したかという話ではなく、もっと泥臭い人間関係のもつれが根底にあるのではないかと想像するが、みんな実名を上げずに当てこすり合って真相は闇の中。