パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

WOWOWテニスアンバサダーにモニカ・セレス

2008年からWOWOWテニス中継の看板娘としてセレスが起用されている。その流れで放送中、セレスが選ぶ全豪オープン思い出の試合が2つ紹介された。1つ目は93年の決勝グラフ戦、2つ目は96年の準決勝ルビン戦。ここでは自分が前者を見逃しているという話を書きたい。以前にも書いたような気はするが、誰も読んでいないだろうからよしとしたい。

92年の全仏決勝はセレスがグラフを確かファイナル10-8という熱戦の末に破った。あまりにフランスの観衆がグラフ贔屓なので、見ている最中に自分がグラフヲタからセレスヲタに乗り換えた記念すべき試合。全英の決勝ではバッシングを受け続けたせいなのか、セレスは唸り声を封印して試合に臨み、元気なくグラフに敗れた。全米はグラフが準決勝でアランチャに負け、セレスが優勝した。翌93年の全豪決勝セレス対グラフは接戦の末にセレスが勝った。グラフのコーチであるハインツ・ギュンタードはこの試合直後、グラフに向かって「現時点での総合力ではセレスの方がちょっぴり上だ。練習してその差を埋めていこう」と言ったとか。残念なことに、自分はこの試合を見ていない。それまで地上波ではTBS系が全豪の放送をしていたが、この年から独占放映権をWOWOWが獲得したらしく、もしかするとキー局では放送されたのかもしれないが、少なくとも自分の住む田舎都市では放送されなかった。ちなみに翌94年からは再び地上波でもTBS系で放送されるようになったので、まさにこの93年はエアポケットだった。当時グラフを悩ませていた父親の脱税報道なんかも収まりつつあったし、「今回は見られなかったけど、これから何度となく二人による名勝負がくり返されるだろうから、それを楽しませてもらおう」なんて自分を慰めていたが、4月の事件によって名勝負を見る機会は二度と訪れなかった。
実際にはセレスが復帰した95年の全米決勝でグラフと対戦しているし、他の大会でも何度か対決している。だが、それは全盛期だった事件当時からお互いに2つ歳をとり、フィジカル的にも万全とは言えなかったし、何より「ライバル選手のファンが好きな選手を再び世界1位に返り咲かせるために、テニスコートの上で万人の目の前で選手を刺す」という現実の前では、「名勝負」「ライバル対決」などの言葉も空しく響く。すごくポジティブな意味を込めて「たかがスポーツ」と言うことがあるけれど(「テニスなんてただのゲームじゃないか。人生のほんの一部だ。愛、結婚、家族、友達、重要なのはそっちだよ」とはモニカの父カーロイの言葉)、93年4月30日、女子テニス界は「たかがスポーツ」であることを止めた。自分はヒンギス以降の女子テニスも好きだし、楽しませても貰ったが、少なくとも自分の中で女子テニスは以前と同じものではなくなった。
恥ずかしながら、当時、自分は事件の重大さに全く気付かなかったし、95年の復帰戦、そして全米決勝もお祭り気分で楽しんで見ていた。自分が事件の重みを感じ始めたのは、本国では96年に出版されたセレスの手記を読んでから。「背中の怪我が直ったからツアーに復帰した」と思っていたのに、実際は怪我が直った後も精神面で立ち直れていなかったという話が書かれている。今でこそPTSDといえば陳腐なレッテル扱いされることさえある病だが、テニスの話題になると事件がフラッシュバックして涙が止まらない、怖くて人と会えない、悪夢を見る、過食症など、まさにPTSDといわれる精神的なショックが何年も続いていたことを本を読んで初めて知った。おそらく他のテニス選手も自分と同様に「背中の怪我が直ったらそのうち勝手に復帰するでしょ」くらいに思っていたのだろうが、もし手記を読む限り、ナブラチロワがセレスを誘わなかったら、恐らく復帰しないままだったのではないかとも推測出来る。
余談だが、沢松氏がセレスの試合を解説する度に「以前のセレスは刺々しくてロッカールームでも独りだったけど、復帰後は他の選手にもフレンドリーで良い人間になった」みたいなことを言うのにはイライラさせられた。「良い人間になって帰ってきたんだから結果オーライじゃん」という無神経な言い種に聞こえた。「沢松さん、他人から『あなたが4大大会にベスト8に入ったのは95年の全豪ただ1回きりですが、あれはやはり実家が阪神大震災に遭ったという火事場のバカ力のお陰ですか』と言われたら、どんな気持ちがしますか」と言ってやりたくなった。その点で「戦争から学んだことがあるとは言わない。口にすれば戦争を肯定することになる」というオシム氏の発言を聞いたときは、流石と唸らされた。

まだバブルの香りがしていた92年頃、『VIEWS』『BART』『マルコポーロ』など“30歳前後の出来るビジネスマン”を対象にしていたらしい広告で溢れた国際政治情報誌モドキが創刊され、高校生だった自分は学校帰りに本屋でそれらを立ち読みしていた。その中でセレスをバッシングした記事を読んだ記憶が残っている。当時、クロアチアと組んでバルカンの権益を確保せんとするドイツは、政府とマスメディアがグルになってセルビアに関係するものは何でも叩くセルビアバッシングを展開していた。先に上げた雑誌の多くは「ビルト誌と提携」「シュテルン誌と特約」みたいなのをウリにしていた。そこから想像されるのは、これらの雑誌に掲載されたセレスバッシング記事はドイツ誌をそのまま翻訳したものではなかろうかと。だが証拠もないのに他人の悪口を書くのは趣味じゃないので、90年代は地元の図書館で雑誌のバンクナンバー(ユーゴ内戦が始まった91年6月からセレスが刺された93年4月までで当たりを付けた。彼らは刺された人間を叩くほどのポリシーは持ち合わせていないだろうから)を探ったりもしたが見当たらず、諦めていた。最近になって図書館で大宅文庫の全索引を発見し、人名検索するとあっさりその記事らしきものが見つかった。そして今週始めに同文庫へ行って記事を複写してきた。
「RACIAL WAR in BALKAN〜戦乱の旧ユーゴから悲痛な叫び「セレシュよおばあちゃんを助けて」」(『VIEWS』92年9年9日号)は、記事の大部分がボイボディナで暮らすセレスの祖母の「私が戦争による生活苦で苦しんでいるのに、あの子はアメリカで楽しんでいる」という嘆き節。これは当時の記憶と合っている。日本人ライターがボイボディナまで取材に行くことはないだろうから、やはりドイツ誌の翻訳だと思われる。地元のテニス協会関係者が「子供の頃に面倒見てやったのに、あの恩知らずが」という記事もあったと記憶していたのだが、これにはない。記憶が別の記事とごっちゃになっているのかもしれない。ボイボディナに住む婆さんの記事なのに、誌面にはボスニア民兵や難民、路上の遺体の写真がちりばめられているのも、ひどい印象操作だと思う。で、この記事には執筆者の署名も、翻訳記事の元ネタクレジットもない。一応は雑誌の始めから最後まで目を通したが、編集後記もなければ、スタッフクレジットもない。講談社の『VIEWS』は、中傷を投げっぱなしにしておくジャーナリスティックな扱いをする価値もない雑誌だった。
たとえば記事中の表現だと、

試合がないときのセレシュは、高級ブティックで、けたたましく騒ぎながら、あれやこれや高価な買い物をすることで有名だ。おかげで、ついたあだ名が「マテリアル・ガール」。マドンナのヒット曲のように、金とモノでしか満足しないということだ。

これがセレスの手記だと以下のように。

わたしは浪費家ではない。もともとお金のなかった人間が大金を手にすると、倹約家か浪費家か、ふたつのうちのどちらかになるというのはよく言われることだ。わたしは前者で、決して後者ではないけれども、昔からファッションにはとても興味があった。

こう書いた後に、全仏で優勝した自分へのご褒美にパリのシャネルでスーツを1着買うためにどれだけ悩んだかのエピソードが綴られている。ついでに、最初の記事と一緒にコピーしてきた『VIEWS』91年11月27日号に掲載されていた吉松忠弘氏(吉松氏は現在も活躍するまともなテニスジャーナリスト)によるインタビューでは、

「いったい私がいくら稼いでいるのか全然知らないの。気にもしていないわ。お金のためにテニスをしてるわけじゃないんだし。両親は自分のお金だから好きなように使えっていうけど、その必要もない。だって、洋服とかイヤリングくらいだもの。私の欲しいものなんて」

とコメントしている。真実はいずこ。まあ、試合後のインタビューではいつも優等生発言しかしなかったし、手記の中では良い子ちゃん過ぎる。そもそも正々堂々と大金を稼いでいるのに、それに無頓着だとアピールするのは、かえって印象悪く受け取られかねないナイーブさが危うい。10代の無邪気な発言がいちいち中傷記事へと変換されるのではあれば、発言がマネジメント会社からのプレスリリースだけになるのも仕方ないと、ナカータを経た今なら日本人にも理解出来る。
セレスのプライベートに関しては、大本営発表と中傷記事とを足して割れば、だいたい正解なのかもしれないが、ポイントはそこではない。大切なのは、ユーゴ内戦で生活に困っている人々の問題を真正面から取り上げる記事を書く代わりに、異国での生活に耐えながら自らの努力で成功した叩き易い10代の女の子をスケープゴートにするような記事を書くタブロイド紙には、何度でも永遠に「ノー」と言わなければならないということだ。中傷記事は他人の心も荒ませる。セレスの背中を刺した男は、ドイツの雑誌に溢れるセレスへの中傷記事を読んで、犯罪に対する心理的ハードルを下げたー「刺されて当然の女だ」ー可能性はないのか。「ない」と言い切れるドイツのタブロイド記者はいないだろう。

要するにこのエントリーで言いたいのは、WOWOWはセレスをテニスアンバサダーに据えたのだったら93年全豪の女子決勝を再放送しなさい、ということに尽きる。

モニカ・セレシュ 「私は負けない」

モニカ・セレシュ 「私は負けない」

この本にはナブラチロワやアーサー・アッシュのようなマイノリティとして生きるが故に他人の痛みが分かる素晴らしき人々が登場する。