パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

サバティカルの進捗状況・3か月後

前回までのあらすじ

http://palop13a.hatenablog.com/entry/2018/07/01/235606

 

サバティカルに入って3か月になるが、まあびっくりするほど何も進捗してないね。人間、怠けるのに際限はないね。

 

何かに夢中になったら翌日のことを心配して途中で切り上げるようなことがないように、夜更かしするためにサバティカルへ入ったはずなのに、8月末までのところ1時に寝て8時に起きるペースをリズム良く守っている自分に唖然とするよね。夢中になることがなかった!

 

8月、実家に帰省した。実家が7〜8年前からパソコンで無線LAN使っているのは知っていた。ふと思いついて自分のスマホに繋がるか試してみたら、ちゃんとワイファイに繋がった。そこで父親のスマホも借りてセッティングして「今後、家の中で使うときはデータ使用料を気にしなくていいよキリッ」と上から目線で言い放ったが、実は自分の家の中は全然ワイファイ化されていない。というか、ワイファイ化するのにはWiMAXとかなんとかに入らないといけないと思ってた。まさかフレッツ光ルーターを付けるだけでなるとは…というわけで、アマゾンでルーターを買って付けてみたが、上手くワイファイ化するどころか失敗した上に有線に戻してもIPv4とやらに接続できなくなった。どうしたものか。

 

仕方ないからパソコンを街のパソコン屋さんに持ち込むと「パソコンが原因ではありませんね」と言われ、NTTに電話すると「お前契約してないじゃん。プロバイダーに言ってくれ」と言われ、プロバイダーに電話すると「パソコンが原因のようですね」と言われ、八方塞がり。

 

ダメ元でONUの電源を2日ほど抜き、再挑戦の際はパソコンより先にスマホの設定からやってみるとルーターの初期化を何度も要求された末に繋がって一安心。それからパソコンを開くと何にも設定しないで普通に繋がるんでやんの。まあ良い誤算だから何の文句もない。ありがたや。

 

いまTV番組を録画するのに使っているDVD&ハードディスクレコーダーの録りっ放しだったものをひたすら見てスペースを空け、2002年に買って2009年頃にはDVDトレーが壊れた古いDVD&ハードディスクレコーダーのハードディスク部分にあったサンフレッチェ広島2008年シーズンの試合録画をいま使っている方に直繋ぎして吸い出した。これで古い方1台は処分できる。新しい方も残り全部DVDに移したら処分できる。そしたらワイファイ通じてネット番組が見られる新しいテレビを買おう。

 

上記事態の間、潔く新しいパソコンでも買おうかと家電量販店を回っていた時、テレビも見たが、店頭にダゾーンに繋がるとかユーチューブが見られるとか分かりやすく書いてあって勉強になった。そしておおよその見当もつけた。旅行に行く前の9月に買うか、行った後の11月に買うか。キーワード入れたら勝手に番組を録画してくれるとかあるなら、行く前が良いな。

 

旅行用にタブレット端末いるのかな。しかしスマホでブッキングドットコムとか使いこなせたら、旅行先に持っていく必要もなさそうだな。と悩み中。おそらくライフスタイル的には、でっかいテレビと今のパソコンと今のスマホでちょうどいいくらいなんだけど、そもそも軽やかに引っ越せるようサバティカル中に物を減らそうとか言って仕事を辞めてるのに、でかいテレビとか馬鹿じゃないの? という気もしている。

 

なんやかんや妥協しているうちに、19型テレビと14インチのパソコン、10インチのタブレット、7インチのスマホを4台並べて、ダゾーンでクルクルしながらJリーグを4試合同時に見るとか間抜けなことになりそうな気配はある。

 

タブレット端末で論文とか読んで電子のマーカーとか引いたりするつもりだったんだから、タブレット端末買おうよ、という心の声ももちろんある。けっきょくどう暮らしたいかに話は収斂する。

 

スマホを新しくしたのを機に、以前のスマホでは上手いこと機能しなかったスリープサイクルというアプリを満を持して入れて自分の睡眠の深さを計ってみたが、想像以上に眠りが浅かった。どうしたものかと考えたが、ペラッペラのせんべい敷布団2枚の間に冬用掛布団数枚を挟むというクリエイティビティを発揮したら、なんとなく低反発マットレスになったような気がする。気がするだけ。そして眠りは深くなっているような気がする。気がするだけ。というか、冬になったら上に掛けるものがない。どうしよう。アマゾンを見てたらリビングマットレスというものを見つけた。なるほど、ベッドがなくてもこういうのを利用すればいいのね。賢くなった。

 

CDのリッピングは不可逆なmp3ではなく可逆圧縮なaif方式で10分の1くらい進めていたら、おれマック使わないしウィンドウズで使いまわすならaifではなくてWAVEの方が良かったのではないかと気づき、心がちょっと折れたので当分の間は放置することにした。紙媒体のスキャンを優先。

 

久しぶりにCDコンポでCD聴いてみようかと引っ張り出したら、片方のスピーカーからしか音が出ないので寿命かと思ったが、緩んだネジを締めなおしたら普通に両方から音が聴こえるようになった。冤罪だった、コンポさんごめんなさい。

 

ついでに空いたCD-RやCD-RWも何枚か発見されたが、正直もう使い道はないだろう。オリジナル選曲のオムニバスCDでも作ってみようかとも思ったが、時間の無駄という心の声が。

 

ウォーキングシューズの中敷きをオーダーメイドで買った。2010年の無職期に緊縮マインドになってはいかんと敢えて通販でちょっと高そうなウォーキングシューズをえいやと買ってみたら、意外とモノが良くてサイズも合ってて、気に入って8年くらい毎日履いたら底が抜けてきて、また通販で買おうかと思ったら取り扱いがなくなってて、もうすぐ旅行に出てたくさん歩くことになるだろうし、それならいっそとちゃんとしたスポーツシューズ屋さんで足のサイズも測ってもらって中敷きも作ってもらった。年をとると土踏まずが平坦になってきて、体を支える姿勢が悪くなり、他の部位にも故障が発生しやすくなるよ、と靴博士に説明を受けた。長時間シャンシャン歩ける上に腰痛も悪化しなくなればよいのだが。

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実家から持ち出して数十年ほど連れまわして、特にお尻を載せる布部分が薄汚れてもう何年も現役でなくなっていた(おそらくは学習机とセットだったと思われる)椅子を(粗大ごみだと高いから)燃えるゴミとして処分するためベランダでバラバラにしたのだが、のこぎりで切った断面がまだまだ瑞々しくて、子供の頃からモノを大切に扱わないことには定評のあった私でもちょっと申し訳ない気持ちになった。昔の人は修理に出して布の部分だけ張り替えて使ったのだろう。そしてニトリは栄え、大塚家具は滅ぶ。

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旅行は10月3日から26日まで行くことにした。出発まで旅行関係の読みたいものを読まなければならないので、片づけは11月に再開するまで保留。旅行準備の話は9月末までに1回書くつもり。

『チャヴ 弱者を敵視する社会』

本書はブレイディみかこ先生が反緊縮の文脈で紹介したので、日本では間違った受容のされ方をしているような感触がある。しかしブレイディ先生が猛プッシュしなければ、おそらく日本語に翻訳されることもなかっただろうから痛し痒しなところではある。

※自分が読み終わった後、ネットで様々な感想を探したが、そのなかでは白波瀬達也先生の感想が我が意を得たりだった。さすが社会学者(読んだのはTumblrの短文だけだが、地方紙に載った書評も読みたい)。

要するにイギリス版ラストベルトの話。著者の主張その1は「そのむかし、階級は上下ではなく、単に区別だった。ところがサッチャーとブレアが『労働者階級は恥ずべきものであり、みんな中産階級を目指すべきだ』と喧伝した結果、労働者階級は本当に恥ずべきものとみなされるようになり、チャヴとの蔑称をいただくようになった」という現状把握で、主張その2は「ブレア率いるニューレーバーによって労働者階級の信頼を失った労働党を再生させるにはどうすべきか。こうすべきである」という未来への処方箋である。

昨今のチャヴ・ヘイトの雰囲気のなかで、新聞社にいる階級闘争の闘士たちは、ついに堂々と、破廉恥なほど大っぴらに、労働者階級の悪口を言えるようになったのだ。あいつらは愚かで怠惰、人種差別主義者で性的にだらしなく、不潔で、服の趣味が悪く、要するに、イギリスの労働者階級から価値のあるものは何も出てこない、と。p.149 

要するに、これらは有害な政策の詰め合わせなのだ。安定した仕事のない人が多数出て、快適に暮らせない低賃金で働き、貧困率は西欧諸国でも突出して高くなり、何百万人もの人が手頃な住宅に住めなくなる。イギリスでも最貧の労働者階級コミュニティでは、こうした危機が身近に感じられるようになった。そこに、みじめさと欲求不満と絶望が加われば、ほかの社会問題が起きたとしてもなんの不思議もない。p.261 

このあたりが、主張その1の現状把握。

国家レベルでは、ふたりとも政治家をまったく信用していないが、地元の労働党議員たちへの信頼は篤い。一方、BNPの印象は、まったくの不適格だった。「彼らは何もしないの。話をしようとしても、ぜんぜんつかまらない。あれでよく労働党は何もしないなんて言えるわね……労働党なら連絡がとれるし、話も聞いてくれて、問題を解決してくれる。でもBNPはだめ!」p.291 

BNP(英国国民党)はセレブ化した労働党に失望した労働者階級を取り込み始めた極右。結局、ポピュリズムに対抗するには地道な御用聞きしかないんだよという話。

人々が(ときには1年以内に)転職することが増えたいま、進歩的な運動は、コミュニティにも基盤を確保しなければならない。それはまさにBNPが、屈折した方法ではあるが実行してきたことだ。すなわち、みずからコミュニティ政治に身を投じるのだ。反社会的行為に取り組むための地元の慈善バザーから、ごみ拾いや、手頃な住宅を増やす活動に至るまで、BNPはさまざまなレベルで成功を収め、存在感を定着させようと努力している。p.320 

前述の引用箇所とは矛盾しているようにも思えるが、まあそれはそれ。ちなみにこの本が出た後、BNPはUKIPにとって代わられたみたい。

20世紀の変わり目のころ、労働組合の使命は、比較的恵まれた熟練労働者層から手を広げ、多くは未加入の非熟練労働者を組合員にすることだった。これを「新労働組合主義」という。労働組合運動に未来があるとすれば、とくに新しいサービス業の労働者階級の組織化に注力する、この新労働組合主義が必要だ。p.328 

製造業従事者が減り、労働組合加入者も減り、代わって組織化されていないサービス業従事者を取り込もうというまっとうな指摘。

われわれは、社会のあり方について、明確なビジョンを持たなければならない。キャメロン政権時代の大半において、左派の立場は「反緊縮財政」、要するに防御的な姿勢だった。しかし、世の多くの人は、「緊縮財政」と言われてもよくわからない。再生可能エネルギー開発とハイテク産業育成、安定した熟練職の創出、公的投資銀行による経済調整、経済の民主化、公平な税制、労働組合による昇給と生産性向上の実現―こうした一貫性のある産業戦略になんとしても取り組んで、多くの国民に、わかりやすいことばで説明する必要がある。 

原著の初版は2011年、再版が2012年、これは2016年に出た再再版の付け足し。この時点で著者は政策として反緊縮を掲げても庶民には伝わらないことを理解している。さすが日本の反緊縮派の数年先を行っている。というか『チャヴ』を読んでいるはずなのに、ほんと反緊縮ばっか言っている人、誰? ほんとに!

ストックポートで育った。p.181

母はサルフォード大学の講師で、父はシェフィールド議会の経済再生担当の職員だった。p.221 

著者は1984年生まれの中産階級育ち。初等教育段階では貧しい労働者階級とも机を並べ、親も良心的な人達。正直いえば、若い著者が炭鉱労働者を中心にしたコミュニティに幻想を抱き過ぎで、そのコミュニティを破壊したサッチャリズムを憎悪し過ぎという印象は拭えない。国内の製造業を壊滅させたお陰で職場と紐づけされていたコミュニティも壊滅したけれど、製造業が海外に移転するのを防げたかといえば誰が首相でもなかなか時代の流れには逆らえなかったのではないか。仕事も職場もなくなったけれど、地域助け合いコミュニティは維持するのが政治の仕事だと言われれば、その通りだけど。私のサッチャリズムの理解がおかしいのかもしれない。製造業の海外移転が先にあるのではなく、サッチャーの「中間団体なんてない。国家と個人があるだけ」という思想が先にあって、炭鉱閉鎖なんかはその結果に過ぎないと。うん、よく分からん。

著者の説明を読んでいると、炭鉱・港湾労働者やフォード工場労働者のような正規雇用労働者がバリバリ稼いで、職場と住居が近接してて、労働外でもみんな助け合ってて、という職場を中心にしたコミュニティって、意外と20世紀日本の会社主義と似ている感じはある。

そして当然ジェンダーの視点がないと言われそう。著者は文中で「アイデンティティ政治が必要ないとは言ってない」「80年代の父権強そうなコミュニティをそのまま復活させるとは言ってない」と再三予防線を張ってはいるけど、まあ攻撃を防ぐために言ってみただけ感は拭えない。

ただ著者は「チャヴ」と世間に叩かれる例として10代で妊娠して公共住宅に住んでいるシングルマザーをけっこう挙げるんよね。これが「私は大黒柱的男性の心配だけでなく21世紀の女性のあり方にも目を配っていますよ」アピールなのか、英国では全身ナイキ男よりも10代シングルマザーの方が世間の攻撃がひどいのか、その辺のお国柄はよく分からない。

 

以下、中ネタ

 

「映画、テレビ、本、そしてネットで描かれる「労働者」たち」p.137~は面白い。特にリアリティ番組に出た労働者階級女性の話が悲しい。リベラルな人が悪態をつくときは相手の能力を攻撃するんだけど(話し方を学べ、補習教育を受けろ)、労働者階級が悪態をつく場合は見た目や人種を攻撃してしまうんよね。サカヲタ的には森脇vsレオ・シルバ事件を思い出す。言ってることはバカなだけで差別のつもりはないはずだけど…というやつ。

ただ、

有名シェフのジェイミー・オリヴァーは、イギリスの学校給食のメニューに健康的な食べ物を出す改善活動で称賛されたが、下流階級の人々がものを食べるときのうるさい音に悪印象を抱いたらしい。チャンネル4の彼のテレビ番組のなかで、家族そろって食事をとらない親たちを指して、「われわれが『白人のクズ』と呼ぶようになった人たち」と言った。そのくせ彼のシリーズ番組『ジェイミー・オリヴァーの給食革命!』は、貧しい公営住宅に住み、乏しいお金をやりくりして子供たちに食事を出そうと奮闘する母親に焦点を当てている。pp.142-143 

うーん、このパートに関しては、正直いちゃもんにみえる。「そのくせ~」以降の行動の方が大事だし、汚い食べ方に嫌悪感を持つくらい許してやれよ。というか、著者の資質的には政治家やジャーナリスト、メディア関係者が放送や新聞で言ったことを字面通り受け取って正面から批判することは得意だが、番組内容や表現の仕方を批判する際はメディア論や表彰文化論のプロではないはずなので、けっこう手つきが怪しくて注意が必要。

もちろん独創的で才気にあふれているけど、批判者からつっこまれないよう論理的に隙の無い守りに入った文章を書くつもりはサラサラないぜ!という風に捉えても可。

 

以下、小ネタ。

 

読む前は噂に聞く「チャヴ」の紹介だというので、読後は目撃ドキュンや2ちゃんやヘキサゴンやマイルドヤンキーの話をしてやるぜと意気込んでいたのだが、読んでみるとそういう話ではなかったのでそういう話ができなくてちょっとがっかりしたのは内緒。

 

些細なことでも罰則を適用でき、個人の行動をさまざまな手段で制限するこの法律は、外出を禁じたり、罵詈雑言をやめさせたりすることも可能だ。p.120 

反社会的行為禁止命令(ASBO)は、日本の反ヘイトスピーチ規制法に似ている。立法当初の目的から外れて、警察権力の使いやすいように使われるこの感じ。

 

大手雇用主の代表組織〈英国産業連盟(CBI)〉は(ビジネスの形―来る10年)という文書で、労働市場の崩壊はビジネス新時代の触媒だと主張し、労働力のさらなる「柔軟性」を要求した。p.190 

経団連かよ。どこの国も考えることは似ている。ゼロ時間契約こわすぎ。

 

「高学歴なのに比較的レベルも収入も低い仕事につく人の数は、増えるばかりかもしれない」と社会学者ジョン・ゴールドソープは語る。ある保守党のベテラン議員は彼に、「就職できない知識人層が過激な行動を起こす」のが心配だと話したらしい。p.222 

ほんと日本と同じ。

 

ブリアーズに、移民は意図的な「賃金政策」だったのかと訊いてみた。「いいえ、意図的な社会政策の道具ではなかったと思います。それはちがう。その種の効果はいくらかあったでしょうが、政府の人間が部屋に集まって、『はっは、移民を何百万人も受け入れて、労働者階級の貧乏人を苦しめてやれ!』と言うわけがない。労働党政府は、そんなことはしないと思う」p.298 

悪気はなかったけど、結果的にそうなってしまったという話。しかし『はっは、移民を何百万人も受け入れて、労働者階級の貧乏人を苦しめてやれ!』、麻生先生なら部屋に集まって悪気なく本当に言いそう。

 

ジョナサン・ローズは、大部の著作(イギリス労働者階級の知的生活)のなかで、オンライン学究サイト〈MLA国際文献目録〉を1991年から2000年まで検索した結果を発表した。それによると「女性」が13820件、「ジェンダー」が4539件、「人種」が1862件、「ポストコロニアル」が710件、「労働者階級」はたったの136件だった。p.316 

左派が階級政治からアイデンティティ政治へ路線を転換した結果、貧乏白人が見捨てられて「迫害されている白人」というアイデンティティを自称するようになる。それをきいた女性や民族マイノリティや性的マイノリティが「お前のはアイデンティティじゃない」と叩く。これまた世界中どこでも同じ。

 

たびたび出てくる「政治歴史家」p.199という訳が何を意味しているのかよく分からん。政治史を研究する歴史家? 政治に首をつっこみたがる歴史家?

 

まだ良心を失っていない労働党左派の例としてクレア・ショートがよく出てくる。仲が良いのか。2011年の初版時に生きていたらロビン・クックも出てきそうと思ったが、思想的に近いけど人間的に気が合わないとか、逆に保守党議員だけど話が合うとか、政治家とジャーナリストにはそういう関係があるかもしれない。

 

大衆のあいだで真相が議論されるようになったのは、1996年にジミー・マクガバンの脚本で受賞したドキュメンタリードラマなどが世に出てからだった。p.89 

ヒルズボロの悲劇pp.87-89の話。私がヒルズボロの悲劇を知ったのもジミー・マクガバン脚本の『心理探偵フィッツ』「孤独な男」(本国放送1994年)だったわけだが、あの時点では「サッカー場で暴れた労働者階級のバーカ」という世評を覆す告発的なドラマだったのか。知らなかったし、当然気づかなかった。こういう自分が社会的動物になる前の出来事だと、通説を覆す衝撃の真相を普通に通説と受け取っちゃうことあるよね。

 

こんなもんか。ほんと面白いから、ロスジェネ安楽椅子リベラルの人はみんな読もう。 

チャヴ 弱者を敵視する社会

チャヴ 弱者を敵視する社会

 

モーニング娘'18 ライブビューイング

モーニング娘。誕生20周年記念コンサートツアー2018春~We are MORNING MUSUME。~ファイナル 尾形春水卒業スペシャ

2018年6月20日、博多Tジョイ

自分の感想ツイートをまとめた風。実際にはツイートしてないけど。

森戸ちぃちゃんは声が通らんね。

ナマタのダンスとかなとものダンスが似ていることに気づいた。真面目にやっているのだけれど、ダンスじゃなくて振付になってしまう感じ。

野中チェルのメイクは、日本のアイドルに求められる“カワイイ”じゃなくて、米国の自立した20歳前後の女性に相応という感じ。日本の田舎娘は〈モサい→オシャレの努力→大人社会に適応〉という過程をたどるのだと思われるが、米国の田舎娘は〈モサい→いきなり大人のオシャレ〉という過程をたどるのだろうか。意思も野望もある21世紀の自立した女性がキャリアを築く過程としてのモーニング娘。とはどのような形をとるのか、興味は尽きない。

是非は別にして、21世紀のアイドルとは人間力勝負で、アイドルにはエモさと物語が必須。だけどモーニング娘。というかハロプロはすっかりパフォーマンス集団になってエモさも物語も足りない。そのなかで、尾形はーちんは久しぶりに成長物語が似合う素人だった。だけど本人は努力している姿を見せたがらなかったし、エモいことを恥ずかしがって拒否しちゃう人だった。うーん、もったいないけど仕方ない。メンバーからの送る言葉を聞いても、人間としてはすごく良い人なんだけど、一緒に興行の舞台に立つパフォーマンス集団の同僚としては物足りなかったという感じがひしひしと伝わってきた。よっすぃー以来、まとめる立場になってこそその優しさが活きるメンバーだと、その日が来るのを楽しみにしていたので、ほんとさびしい。

ここまで小ネタ。

大昔、テニス雑誌で読んだ話。1980年ウィンブルドン決勝の印象があまりにも強いためマッケンローのライバルはボルグだと一般に思われているが、世代的にもプレースタイル的にもマッケンローの真の好敵手はレンドルである、と。

この故事に倣うと、石田あゆみんのライバルは鞘師りほりほじゃなくて佐藤まーちゃんなんよね。正反対の2人。りほりほはボルグのポジション。

私の素人目でいうと、パッと舞台を見て一番ダンスで目をひくのはあゆみんなんよ。あゆみんのファンでも何でもないけど、動きは本当に目をひく。20周年記念メドレー時の衣装は体のラインが分かりやすくて、あゆみんの体型はダンスのインストラクターかよっていう感じだった。ストイックに暮らしているんだろうな。メンバーの中にライバルはいない、たかがモーニング娘。メンバーの中で一番になるのが目標ではないとすれば、その先に何を見据えているのかな。もしかするとりほりほの亡霊と対話しつつ競っているのかもしれない。

それでもって、テレビに出てくるモーニング娘。のファンだという芸能人の皆さんが口を揃えて言うのが「公演ではいつも佐藤まーちゃんを見ている」ばかりなわけじゃん。で、当のまーちゃんは「モーニング娘。のなかでは横山が一番芸能人ぽい。一番売れそう」なわけじゃん。さてどうしたもんかね。

モーニング娘。とは何を魅せる興行なのかとか、あゆみんがモーニング娘。を卒業した後はどうなりたいのかとか、そういう話にも繋がっていくことだろうから、本人のブログやらラジオでの発言やら全然チェックしていない私が言及できることでもないけど、加入して以降舞台裏では自分に迷惑ばっかかけてきた発達障害気味の同期が、舞台の上では人の心をつかむ天才で、しかもそのやり方は決められたことをきっちり仕上げてくるスタイルじゃないっていう事実に、真面目な人ほど足もとを崩される感覚に陥りそうだが、あゆみんはあのモンスターとどう対峙しているんだろうね。

このLVを見た感想はここまでで、その後飯窪さんが卒業を発表して、いよいよ10期はあゆみんとまーちゃんがどっちかを見送る立場になるのか。どっちが先がいいかな。どっちが送る立場の方が盛り上がるかな。まーちゃんの卒業者に向けたコメントはいつも本質的で面白さは鉄板だけど、個人的にはあゆみんの「いままでため込んでいたけれど、いま言わなければならないことはいま言わなければならない」感じもけっこう好き。傍観者的には、見送るあゆみんが巣立っていくまーちゃんに「最後だから言わせてもらうけど…」の方が面白いか。