パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『BS特集』「民主主義」1〜3

最初の3本はとりえず見た。まずまず面白かったので、残り7本も恐らく見ると思うが、先の事は分からないので、見た分だけ感想を書いておく。今後も書くかどうかは気分次第。
NHK側の制作統括は、小谷亮太/堀江さゆみ。小谷氏はNHKドキュメンタリー関係でお馴染み。堀江氏は初見だったので検索したら、「元アナウンサー。道重さゆみさんのお父さんがファンで娘に名前を付けた」情報ばかり。後は東大卒で、元々アナウンサーよりもディレクター志望だったとか。Sayumi Horieで検索したら、Sayumi Horie-Torimotoが沢山ヒットするので、同じNHKのディレクター鳥本秀昭氏と結婚したのだろうと推測される。

『「闇」へ』
下手に知識があると、イラク原理主義者の結び付きなんて嘘、アフガン戦争とイラク戦争は何の関係もないと思ってしまいがちだが、米国の内政からみれば、アフガン戦争はイラク戦争の予行演習というか、手法の実験場だったのかという気がした。
以前見た9.11ドラマでも、米国のFBIだか誰かが容疑者に「ここで自白しないとエジプト警察に引き渡すぞ」「ひえー、それだけは御勘弁を」というやり取りを見た記憶がある。エジプト警察が原理主義者達に対してひどい拷問をするというのは公然の秘密というか「まあそうだろうなあ」で、米国が拷問をすると「民主主義の輸出とか言ってるくせにけしからん」とやるのは、ある意味エジプトを下に見ている気もする。
中学生の頃、図書室にあったサダト回想録を話の背景も知らずに読んだが、その時にサダトを暗殺した団体の説明がどうにも要領を得なかった。過激派だとかイスラエルとの和平に反対する人だとかいわれても、何で同じイスラム教徒の政府を攻撃したり、政府も彼らを弾圧したりで、訳が分からなかった。今にして思えば80年代の初めからイスラム原理主義者はいたということか。

『先住民たちの革命』
個人のドキュメンタリー作家風情が一番偉い人(モラレス大統領)に何ケ月も密着するのは不可能だろうから、一般民衆の生活に密着することで全体をあぶり出す手法は理解出来るのだが、ミクロ視点過ぎて、作品の主役である失業女性団体が、それこそ連帯や総評のような全国を網羅した強力な集票団体/圧力団体なのか、それとも最低限の生活保障を助けるこじんまりとしたNPO団体なのか分かりづらい。また、大統領が彼女達に会わないのは本当に忙しいからか、成果が上がっていないことをごちゃごちゃ言われるのが鬱陶しいからなのか分からない。マクロ視点、たとえば一日だけでもモラレス大統領の朝から晩までスケジュールを追って、主人公の団体が大統領にとっては如何にワンオブゼムなのかを映像で示してくれると、もう少しすっきりしたと思う。
NHK公式サイトの「南米初の先住民大統領誕生(ボリビア)に密着、欧米流に異論を唱え、理想を掲げ登場した政治家のぶつかる壁を描く。自暴自棄へ向かうのか? 新たなエリートが誕生するのか?「旧支配層」に成り代るだけなのか? 何より南米の貧困に変化は起きるのか?」という予告通り、ボリビアでの『麦の穂をゆらす風』『マイケル・コリンズ』現象を追ったもの。ただ、監督の眼差しが「どうせ革命の進め方をめぐって仲間割れするくせに」という懐疑的なものではなく、「スタート時に困難はつきものだ。必ずインカ革命は成功する!」という温かさに溢れている。
エリツィンが議会ビルにミサイルをぶちこんでも、西側メディアは「ルツコイやハズブラートフがごろつき」という設定を変えようとしなかったし、フジモリが非常なんちゃらを導入したときも(西欧メディアの反応は知らないが)少なくとも日本のメディアは「南米の議会はどこも腐敗した支配層の議員が牛耳って改革を阻んでいる」という「議会が抵抗勢力」設定を長いこと貫いていた記憶がある。この作品をみると、ボリビアアパルトヘイト廃止後の南アフリカ共和国をモデルに考えるのも頷けるが、仮にジンバブエ化(白人が持てるだけの財産を持ってスペインに引き上げることはあるだろうか)すると西側メディアに叩かれる可能性もあるし、「南米初の先住民大統領誕生」というヒーロー設定を変えない可能性もある。分からない。そもそもムガベだって西側メディアが作った悪人かもしれない。それこそ親戚がボリビアで暮らしているとか、ボリビア人に知り合いがいるというレベルで身近でないと、報道だけで何かを判断するのは難しい。

『風刺画事件を追って』
表現の自由をテーマにしたこのドキュメンタリーの最後に“NHKはこの「事件」で傷ついた多くの人々への配慮から一部映像を加工しました”というテロップが出て、正直目がテンになった。その時点で表現の自由の大切さを説くデンマーク人監督の意思を踏みにじっていると解釈されても仕方ない。遺体にモザイクをかけたのかと確認するために、もう一回見たがイランイラク戦争で木っ端微塵になったという息子の写真にもモザイクはなかったし、あるとすれば在ベイルートのデンマーク大使館放火事件での遺体が顔まで映るかという瞬間にシーンが切り替わったので、あそこを数秒カットした可能性はある。
見る前に期待されたのは、監督がキリスト教圏に住む西洋人の立場からイスラム教徒が暴動を起こした理由を理解しようとことだったと思うのだが、実際にはあくまで一人のジャーナリストが理解出来ない事件に対して事件の背景を取材することで事件を理解したいというジャーナリスト魂を描いたもので、監督自身が取材者として画面に映りこんでくるタイプの作品。異文化を理解しようとするよりも事件の真相にしか興味が無いようで少し物足りないが、その反面テヘランで開かれたホロコースト風刺画コンテストを軽いノリで取り上げていたのは、団体や価値観を背負ってない個人ジャーナリストらしさが良い方向に出ていた。