パロップのブログ

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BS1『BSドキュメンタリー』〈証言でつづる現代史〉「封印された映画〜1974年 インドネシア反日暴動の裏で」

2007/4/21初回放送、50分、資料提供:藤野知明 他、撮影:辻智彦、ディレクター:松本武顕、制作統括:佐橘晴男/東野真、制作協力:日本電波ニュース社、共同制作:NHKエデュケーショナル、制作・著作:NHK
2003年頃からドキュメンタリー番組のエンドクレジットを記し始めた本ダイアリーで確認できる松本ディレクターが制作した番組は以下の通り。

多くの人が忘れた振りをしようとしている冷戦期の日本(及び米国)と東南アジアとの関係について、21世紀の今だからこそ突き詰めたいという意思。僅かな人が見るだけの映画祭等に出品して自己満足するのではなく、あくまでテレビ媒体にこだわる姿勢。こうしてネットに記録することでもっと知られるとよいのだが、悲しいことにグーグルやヤフーで「松本武顕」を検索しても、このダイアリーは引っ掛からない。
率直に言って物足りない内容だったが、上記のごとく取材姿勢には共感しているので、批判的な記述にはいつもより慎重に、手間暇をかけた。録画した番組をメモしながら視聴1回目、気になった単語をネットで検索した後、確認の視聴2回目。

番組の大半は「極秘」扱いだった在イ大使館から外務省への報告書に沿って進むのだが、ナレーションによると「5月中旬から1カ月近く」、画面に映った報告書の日付だと5月14日〜6月19日。このうち5月14日の報告書には、日本商社とのインドネシア側窓口になっていたスジョノ・フマルダニ(大統領特別補佐官/陸軍将軍)の言葉として「日本の申し入れにより一応上映を差し止めたが、既に情報省の検閲を通っていたので、12日に非公開観覧して上映禁止を決定した」とある(ということは、日本大使館はそれよりも前からスジョノに働きかけをしていたということになるが、番組ではそれ以前の活動には触れていない)。5月29日に日本大使館員が情報省試写室で映画を見たのは、このまま無理矢理に上映禁止を続けると面倒なことになるから、問題箇所をカットして差し止めを解除してもらうつもりだったのだろうが、切る所がないくらい全編アウトだったため、6月に大使とスジョノが直接会談して正式に上映禁止&買い取り代金支払い、というのが大まかな流れ。
NHK公式サイトの予告では、

1974年1月、田中首相東南アジア5か国歴訪は、激しい反日暴動に見舞われた。とりわけ、インドネシアでは、死者11人を出す大暴動となり、田中首相は会見場からヘリで脱出する事態となった。戦後最大の反日暴動とされる「マラリ事件」である。その引き金となったのは、半年前に起きていた「反日映画没収事件」だった。日本統治下のインドネシアの苦難を描いた映画「ROHMUSHA(ロームシャ)」が、封切り後3日で上映中止となり、フィルムは政府当局に没収された。「日本政府の不当な圧力で映画が拉致された」と新聞、雑誌が疑惑を書き立て、反日感情は一気に燃え上がった。事件は人々の記憶に今も深く刻まれているが、その真相は長く闇の中だった。事件から33年が経った去年、日本側がスハルト政権に対して上映中止を求める工作を行っていたことを示す文書の存在が明らかになった。この文書により、秘密工作の資金は現地の商社が共同で捻出していたことも明らかとなった。田中首相東南アジア歴訪の背後で何が起きていたのか。スクープ資料と証言で事件の真相を描き出す。(※全角英数字は半角に直した)

と書いているのに、番組内では、

(買い取り代の)4500万ルピアは、どのようにして調達されたのか。真相は今も明らかになっていません。/こうして映画『ROHMUSHA』はインドネシア国内で一度も上映されることなく封印されることになりました。現在に至るまでフィルムの行方は分かっていません。

というナレーション。映画は公開されたのか否か、賠償金を払ったのか否か、フィルムは没収されたのか否か、について予告と違う内容となっていた。取材開始前にリサーチした推論と調査して判明した事実が違った部分もあるのだろうし、当事者から裏付けを取れなかった灰色の部分は名誉毀損等のリスクを考えてぼやかしたのだろう。当時の住友商事ジャカルタ事務所長の「インドネシア政府高官に呼び出された事実も買い取り代金を払った事実もありません」という証言など、明らかに嘘臭くてもそれ以上は追求できないだろうし。まあ「スクープ資料と証言で事件の真相を描き出す」といっても、そもそも5月14日以前に大使館内部でどのような議論がされてスジョノに働きかけることにしたのかを示さないと、真相究明ものという観点からみると弱い。
だが自分の番組に対する不満は上記の部分ではない。1974年に起きた反日暴動の理由というのは、基本的には日本企業の度を越した経済進出、或いは進出に伴って現地に在住した日本人商社マンの、運転手付自動車の助手席で足をフロントのボードに乗っける/ゴルフ場で大声を出す/ホテルで大統領のごとく振舞う等の「ビヘイビアの問題」(石田実・在ジャカルタ二等書記官)が根底にあったように推測される。
番組でインタビューを受けていた当時の学生運動家レミー・レイメナ、ハリマン・シレガル、ジュディルヘリー・ユスタムのうち、「スハルトインドネシアを日本に売り渡そうとしていたのは明らか」と発言していたハリマン・シレガルは、検索すると有名な活動家らしく、別の取材で次のような発言をしている。

医師のハリマン・シレガルさん(55)は当時の学生運動指導者で、事件でデモを指揮して逮捕され、国家転覆罪で禁固6年の判決を受けた(3年間服役)。シレガルさんは「デモは指揮したが、暴動には関与していない。私たちは、外国の投資企業と現地提携先の在イ華僑だけがもうけ、地場の中小企業が衰退して庶民がますます貧しくなる状況に不満で、スハルト体制を批判したに過ぎない。反日暴動に発展したのは、運動が国軍内部の権力抗争に利用されたからだ」と話す。
http://www.rikuryo.or.jp/worldeye/indonesia/episode08.html

このように体制批判が体制と結びついていた日本への批判に転化した部分も大きい。『ROHMUSHA』の上映差し止めは引き金の一つではあるが、本筋ではない。そもそも田中首相訪イが74年1月、上映差し止めは73年5〜6月で、半年以上もタイムラグがある。放送前の仮タイトルは「東南アジア 反日暴動の裏で〜1974年 田中首相歴訪の秘密工作」である。制作者の当初の問題意識は「なぜ田中首相は訪イ時に反日暴動を起こされたのか?」にあったのだろうが、その問題を探る上で『ROHMUSHA』差し止め疑惑を中心に据えたことは正しかったのか。本来は70年代の東南アジアにおける日本人のビヘイビアや日本企業の進出によって地場産業が衰退したことが問題だったはずが、興味深いけれども傍流のエピソードを中心にもってきたことで「問題の本質を解決しようとせず、懇意の政府高官を通じて映画の上映を差し止めるという小手先の対応しかしなかった日本外務省」を批判する内容へとずれてしまったのではないか。それが自分が不満に思った点である。
制作者が番組を通して言いたかったことは、番組終わり近くで流れた反スハルト派の著名な弁護士アドナン・ブユン・ナスチオン氏の、

これは日本の外交政策の失敗の一例です。日本はインドネシア人の気持ちを正しく理解していませんでした。『ROHMUSHA』の場合は過剰に反応してしまい、逆に暴動の時は甘く見過ぎていました。我々インドネシア国民は、日本との有効(友好?)な関係を築く上ではオープンな気持ちを持っています。戦争の被害については、日本は既に賠償金を払っていました。それで片は付いていたのです。ロウムシャや従軍慰安婦の問題なども解決出来るはずです。ただ、日本はきちんと歴史に向き合って欲しいと思います。日本とインドネシアの良い関係を維持するために。私達は歴史に対して正直にならないといけません。何故なら私達はお互いを必要としているのですから。

という言葉が完璧に代弁していると思う。制作者の問題意識(日本はインドネシア人の気持ちを正しく理解し、きちんと歴史に向き合うべき)と実際の番組内容(反日暴動は外交政策の失敗の一例)とのズレを見事にブリッジしており、あまりにも的確に代弁し過ぎているので「本当はナスチオン氏の発言と日本語字幕は違うのでは」と疑ってしまうくらいだ。
もちろん、ここまで書いたことは自分の主観に過ぎない。1974年生まれの自分は「若い奴は戦争中の歴史を知らない」と批判される世代だが、歴史の継承については70年代の空白にも大きな責任があると考えている。世代のサイクルを30年と考えるのが是かどうか分からないが、「70年代に40年代をどう語ったか」「00年代に70年代をどう語ったか」という前提なしに「00年代に40年代をどう語るべきか」という問いは有り得ないのではないか。自分が小学生の頃は共産党辺りが「日本人はエコノミックアニマルと呼ばれてアジア中で軽蔑されている」みたいな話をしていたが、最近の共産党は「日本人はよく働いて経済発展を遂げたのでアジア中で尊敬されていたのに、小泉安倍の海外派兵でこれまでの実績が台無しだ」みたいなことを言っている。それぞれに真実は含まれているだろうし、比較や程度の問題かもしれないが、「日本人は70年代に東南アジアに何をしていたか」を当事者が語る絶対量が少ないのではなかろうか。本番組で福田ドクトリンを始めて知った自分の勉強不足も恥ずかしい限りだが、とにかく本番組に対してもっと大きな問題意識と内容を期待していたので、「官僚の失策/狭量」という矮小化された話になったことが残念だった。

資料提供にクレジットのある藤野氏は『インドネシアで探しもの』という『ROHMUSHA』のフィルムを求めてインドネシアへ行ったドキュメンタリーを制作しているらしい(http://www.eiga.ac.jp/colum/colum_fuji.html)。これが本番組の元ネタと推測される。
検索すると、外務省の「極秘」取り扱い文書は、開示請求してもOKが出るかは外務省の判断のようだ。一定の年月を経過すると半強制的に開示されるものと思っていたが、何とも前時代的な話。今回の文書も、番組制作者が周辺取材から報告書の存在を確信した上で開示請求、外務省も「まあ30年も前の話だし、公開しても構わないだろう」という判断の元に、といったところだろうか。
スジョノが華僑系企業と親しかったことで、日本企業の投資が華僑に流れ、非華僑系インドネシア人系資本の繊維産業が壊滅的打撃を受け、非華僑系インドネシア人の怒りを買ったという。自分は「マスコミを牛耳る華僑が反日で、非華僑系インドネシア人はそうでもない」という俗流歴史観を信じていたので、騙されないように勉強しなくてはならない。
「スジョノはスハルトの分身でした」と証言したユスフ・ワナンディ氏(当時のスジョノ秘書)は、検索すると東南アジアの地域研究において著名な専門家だった。名前だけだと非華僑系インドネシア人だと思うがWikiを読むと実は華僑(華人名もある)。そうと分かって2回目を見ると、確かに中華な顔をしている。だから何だというわけではないが。
「買い取り代金を払った事実はない」と答えていた秋山富一氏(当時の住友商事ジャカルタ事務所長)だが、検索すると秋山氏は住友商事の社長/会長/相談役まで務めたお偉いさんではないか。若き日の活動を「もう時効だろうね」と語れる下っ端ではないのだから、そりゃあ秘密を墓まで持っていくだろう。
ワナンディ氏にしても秋山氏にしても、発言をそのままには受け取れない難しい立場を背負っている人物ならば、当時の肩書と現在の肩書を示してくれないと困る。
当時の学生運動家が「日本人にはビジネス上のモラルがない。賄賂を送る。米国人はそれほどひどくなかった」と言っていたが、日本人商社マンの立場からすれば「現地の商慣習を受け入れたに過ぎない。政府高官が賄賂を要求するのだから、払って何が悪い」といったところだろう。小泉首相の頃に中国で起きた反日デモへの対応として、日本の経済界は「中国と仲直りしろ」の大合唱だったが、あれは日本の商社が現地の政府高官に賄賂を渡して便宜を計ってもらう以外の取引方法をやったことがないから、政府同士が喧嘩するとあれだけ狼狽するのかなあと思ったりした。
今回ネットで福田ドクトリンの概要を読んだ。言ってしまえば防共協定なわけで、スハルトやマルコスのような反共開発独裁国の指導者は喜んだだろうけど、当事国の庶民が歓迎したとは思えない。日本商社と独裁国の賄賂高官が結び付いたことに反発した庶民による反日暴動の教訓として福田ドクトリンを上げるのはおかしいと思うのだが、当時の実感は違ったのだろうか。70年代不可解なり。