パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『世界潮流2002』「第7回・激動のロシア」

第1夜(10/7放送分、企画:秦正純、構成:酒井裕、制作統括:林新/三雲節)。つい最近放送した資料映像満載の『ドキュメントロシア』と被っている内容だが、初見の映像もいくつかあった。「第1部:エリツィンの功罪」では、93年争乱における鎮圧側初の死亡者(というかその死体)映像、エリツィンとヤンダルビエフ(懐かしい!)が口の利き方で喧嘩腰になる場面は初。ステパーシン曰く「私はプーチンへつなぐ3カ月の当て馬だった」という話も知らなかった。エリツィン回顧録からの引用「プーチンの意外性を活かす」話も初耳で面白かった。エリツィンは政策的には全くの無能だったけど、政治的な勘というのは本当に凄かった。権力欲の強い彼だったが、恐らくは最初からただ偉くなりたいだけだったわけでもなかろうて、90年頃は「誰よりも上手くロシアを操縦出来るんだ」と思っていただろうけど、最後には自分の無能さを自覚していたのだろうと思う。何時「オレって無能」と実感したのだろう。すごく虚しい瞬間。「第2部:プーチンの闘い」では、エリツィンプーチン/ベレゾフスキ人形が出てくる風刺劇が初見、ペテルブルグ副市長時代に汚職容疑をかけられていた話も知らなかった。シャトハン監督によるプーチン記録映画といい、プーチンがペテルブルクからモスクワへ仕事場を移す際のニュース(ドキュメンタリー)映像といい、注目に値する人物だったことは確かだろう。第1部のレーベジ或いは第2部のソプチャク(サプチャク)のように現時点で死んでいる者(明らかに2002年収録でないもの)の映像については、事件(1993年頃)当時の肩書きをテロップするよりも、【○○年収録】と出して欲しい。「第3部:米ロの攻防」が、第2夜の核兵器話につながる本題、第1・2部はただの流れというか前振りだったようで、ここでは新しい取材の映像あり。亡くなった秦正純は、これ絡みの取材をしていたと思われ。確か以前に放送された番組では、9・11テロを中心に据えた米ロ関係を描く路線だったが、今回はABM制限条約交渉を中心に据え、その交渉のターニング・ポイントとして9・11テロ後の中央アジア諸国が扱われている。ソチでの政策合宿とかアーミテージ訪ロ話は聞いた覚えがなかった。ドイツ語で演説するプーチン映像も初見で、興味深かった。よく聞くと、テロリストに対する断固たる発言については、プーチンブッシュジュニアも同じなのに、プーチンは「クレバーなリーダー」、ブッシュジュニアは「狂信的なボケ」に見えるのは、単に顔の引き締まり具合の差か。間抜け面をしているからといって間抜けかどうかは分からない。政治能力を顔で測らない事、これ重要。…番組サイトをよく読むと「ロシアはどのようにして核超大国と決別するにいたったのか。モスクワ条約後の世界の核秩序はどう変わるのか」が描きたい主題だったらしい。とてもそうとは思えなかった。
第2夜:ベールを脱いだロシアの核〜米ロ核秩序のゆくえ」(11/8放送分、構成:阿部浩治/板野哲也、制作統括:佐橘晴男)。第2夜は前回からの流れを受けて「ロシアの戦略核ミサイル基地の現状をとらえたスクープ映像をもとに、プーチン大統領の政策転換の背景と世界の核秩序のゆくえを検証する」(NHKサイトより)で、番組内でも「スクープ映像」などと煽ったりもするのだが、完全に軍ヲタ向けとしか思えなかった。興味なし。一応スタジオ出演者は、江畑謙介 氏(軍事評論家)/月出皎司氏 (ロシア研究・新潟県立女子短期大学教授)/藤原帰一氏 (国際政治・東京大学教授)に、司会:山内聡彦氏 (NHK国際部記者・前モスクワ支局長)のはず。どうでもいい。