パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『NHKスペシャル』「激動・地中海世界」

この4回シリーズが失敗だったことをはっきりと4回目が象徴している。まとめるのがだるいので、今日まで放っといてきたが、仕方ないので、適当な履歴だけを添えている。再放送の時の参考になれば幸いだ。
以下、NHKのホームページより転載

「はじめに」:20世紀の総決算ともいうべき冷戦終結から10年が経つ。しかし、世界は混迷期を抜け出せないばかりか、新たな紛争の火種を抱えて危機的な状況にある。/失地回復を目指す民族主義、排他的な宗教回帰は、一見して冷戦終結の副産物であるかにみえる。しかし、その根底にはもっと長く深い歴史の断層が横たわっている。古来、紛争は「宗教」、「民族」、「国家」の三要素が複雑に絡みあって起こってきた。それがもっとも顕著に見られるのは地中海世界と呼ばれる歴史の大舞台である。地中海を囲む一帯は、西方教会ローマ・カトリック)、東方教会ギリシャ正教など)、イスラムなどが布教にしのぎを削った場所であり、数多くの王朝が覇権を競った世界である。地中海世界は、アジア・ヨーロッパ・アフリカに囲まれ、インド洋と大西洋を結ぶ、4000年にわたるいわば歴史興亡の「実験場」であり、今もその位置は変わっていない。現に2000年紀を迎えても、ソ連邦崩壊の後遺症は重く、ヨーロッパ統合と対照的に周辺地域では民族・国民国家の離合集散が活発化している。この地域は、21世紀に向かって世界が「対立」から「和解」へのプロセスをたどれるかを占ううえで重要な鍵を握っている。シリーズは、地中海を取り巻く4つの地域を、国境にこだわることなく面としてとらえ、現在の最前線をルポルタージュするとともに、その根深い歴史的背景を明らかにする。

「第3回〜エーゲ海の攻防」
2001/2/3放送、取材:二村伸/齋藤あかね、コーディネーター:仁田原康子/吉岡君子/セラップ・ジャン/ペリクレウス祝子、撮影:南幸男/本田茂/北西英二、構成:御牧賢秀、プロデューサー:田口和博、制作統括:橋本裕次/桜井均/草川康之
以下、NHKのホームページより転載

東地中海の交通・戦略の要路キプロスは、今も南北に分断されている。南をギリシャが、北をトルコが支援し鋭く対峙している。この対立の根は深い。ビザンチン帝国の末えいを自負するギリシャと、オスマン帝国の後えいである西アジアのトルコのいずれ譲らぬナショナリズムの衝突の象徴がキプロス紛争なのである。この地域の複雑さはEU加盟をめぐる各地域の思惑によって倍化されている。ギリシャはすでにEUに加盟、南キプロスも加盟が約束されている。しかし、トルコは未だキプロス問題などを理由にEUに加盟ができない。そのトルコは、他方で東方への国境を開き、中央アジア外交を展開している。/タックス・ヘイブンでロシア・マネーが大量に流入し活況を呈する南キプロスに、旧ソビエトの言葉をあやつるギリシャ人の出稼ぎ者集団がいる。ビザンチン帝国時代にトルコ黒海沿岸に入植していたギリシャ系ポントスの末えいである。彼らはギリシャ・トルコ戦争(1922)をきっかけに離散し、旧ソ連邦に逃げたためスターリンの民族政策でカザフスタンにまで移住させられた人々である。彼らの数奇な運命をたどると、現在の国境線をめぐる攻防の根が浮き彫りになってくる。

ストーリー:ギリシア対トルコの前説/ヒオス島(ギリシア領)で1822年にオスマンに対するギリシア人の反乱、25000人殺害される→キプロス島の話/20万のトルコ系と65万のギリシア系、1996/8にギリシア系の集会が暴動となる→ギリシア側の事情/五輪用の化粧直しに忙しいアテネ、ギリシアの国家予算の30%がEUからの援助、パスポートから宗教の欄(正教徒の証を残すため)を無くすのは民族差別をしていないことをEUに証明するため→国連調停(トルコ系代表ラウフ・デンクタシュとギリシア系大統領クレリデス)→トルコ側の事情/1960年キプロス独立、マカリオス大司教イスラム教徒の権利制限、1974年トルコが軍事介入(ギリシアへの併合に反対)、2000/7にトルコ系北キプロス銀行破綻(EUによる経済封鎖のため)、トルコ本土の原理主義勢力と結びつく→南キプロスの現状/オフショア取引と4.25%の安い法人税でロシア人の黒いお金を洗浄、EU加盟のためには怪しい商売を止めるべし→トラブゾンにいる35万人のポントス人→グルジア(スメラ修道院)→テッサロニキへマリアのイコンを訪ねるポントス人のウラジミルさん→イスタンブルを中心にしたトラック物流をユーラシア全域で(アイハン・カラハン貿易会社社長)→トラブゾンにロシアン・バザール→トルコのユーラシア戦略、外務大臣ジェムガトリ曰く「テーマは物流と宗教的取り込み」
流れを追うと分かるように意味不明。
………
「第4回〜砂塵の中のアルジェリア
2001/2/4放送、取材:山本賢蔵、コーディネーター:ザミア・シャラ/マリック・アイド・アウティア/サイド・バグダウィ/平田伊都子/船戸睦美、通訳:加国哲二、撮影:澤中淳、構成:太田宏一、制作統括:桜井均/草川康之
以下、NHKのホームページより転載

アルジェリアは、1990年代以降、政府系FLN(民族解放機構)とFIS(イスラム救国戦線)とのあいだで血で血を洗う内戦を続けてきた。アルジェリア内戦は、一党独裁による急激な近代化、経済政策の失敗、イスラム勢力の勃興などの要素が複雑に絡み合った悲劇である。アルジェ周辺の'死の三角地帯'では15万人から20万人が犠牲になった。2000年6月、アルジェリア大統領ブーテフリカは、アルジェリア内戦後初めてフランスを訪問し、国内の安定をアピールし外国からの投資を歓迎する演説を行った。アルジェリアは国内和解法を採択し、内戦に終止符を打とうとしている。/かつてユダヤ人、ベルベル人、アラブ人が共存していたアルジェリアはなぜ殺りくの嵐に見舞われたのだろうか。フランスの植民地支配の責任を問う声も多い。/アルジェリアの南に、25年間西サハラ難民が住んでいる。国連が認めた独立のための住民投票はモロッコが築いた砂の壁と地雷原のため阻まれている。ここにも植民地支配の後遺症がある。/平和への一歩を踏み出そうと苦悩するアルジェリア西サハラをルポする。

ストーリー:2000/6/14アルジェリア大統領ブーテフリカのフランス訪問→フランス空挺部隊の残虐行為、「イメージなき内戦」と呼ばれるアルジェリア独立戦争イスラム救国戦線(FIS)の前史、1980年代に行き詰まり石油下落、1988/10アルジェ暴動、1991選挙FISの勝利は破棄、国営工場を爆破して失業者をFISに取り込む作戦→アルジェリア第3の都市コンスタンチン(ベルベル人が築きアラブ人やユダヤ人が共存した街)、エミル・アブデルカデル・モスク→2000/10にフランスで『ベンタルハで誰が殺したのか』が出版される、90年代の虐殺の真犯人を推理する書→スペイン領西サハラの話、1975年にモロッコ侵入、最後の植民地戦争の象徴
フランスの植民地政策が後遺症となっているアルジェリア内戦の悲劇と更にアルジェリアが絡む西サハラの悲劇(でも最後の8分しかない)を何とか関連づけようと悪戦苦闘している。