パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

八木栞バースデーイベント2023

八木栞バースデーイベント2023

2023/9/19、タワーホール船堀

20231009加筆しました)

 

 2020年7月に、アップフロントさんにお布施を払わないとなあと思ってファンクラブに加入して以来、ファンクラブイベントに参加したのは同年11月に大阪であったふなっきのフェアウェルイベントと今年1月に大阪であった樹々ちゃんのフェアウェルイベントの2つかな。どっちもラストコンサートに行かないから最後に生で顔を見ておこうという内容度外視で行ったからいいけど、まあそんなに面白いわけではなかった。バーイベの配信は森戸の最後、去年の八木辺りを買った記憶。これもまあそんなに面白くはなかった。なので、バーイベのために東京まで出掛けるという発想はなかった。そんな私が9月希望休をつぎこんで、行くつば公開収録も諦めて、19日20日に八木バーイベに出掛けたかといえば、八木ブログに「行ったよ」と書いて忠誠心を示すためと、事務所に動員力があることを示すため。まさに示威行動。個人的には歌が聴きたいのだけれど、本人は「ダンス頑張ってます」「タップダンス習い始めました」と意気込んでいるし、4曲くらい歌って踊るのかなあと期待せずにいたら、「14曲歌うよ」宣言で戸惑う。60分で14曲か、ワンハーフでもけっこうギリギリよなあ、トーク無しで歌うのかなあ、などと想像する。

(追記1:ファンクラブイベントで1コ忘れてた。2021年12月に宮本佳林バーイベに行ってた。)

 スクリーンに映されたバースデーメッセージを見るために本人が後ろを向いた時に足をまじまじと見たけど、シュテフィ・グラフ以来のカモシカのような足だった。存在がアスリート寄りよね。

 1部は実質公開リハよね。ヲタがセトリを把握して2部で練度を上げるためも含めて。今回は大きい会場で全当だったからいいけど、人気メンバーだと1部当選2部落選をよく見るし、それだとちょっとかわいそうなシステム。1部と2部の間に1部の録画を見て、音の反響とか確認して「ここは声をもっと張ってもいけるな」とか調整してたんじゃないかなあと想像した。余談だが、1部と2部の間にご飯食べたのか気になっている。クーラクーの時はどうだっけ。八木ちゃん、公演前のルーティンがあって、4時間前くらいからケータリングの前で2時間くらい食べ続けて、2時間前になったら止めて、みたいな感じ。来月からつばきとしては初めての2部公演だったか、ルーティン変わるかな。

 1部でイントロを聴きながらSunset summer feverだけ分からなかったくらいだから(ちょっと嘘。マーメイドもイントロだけだと分からなかった)、続・花鳥風月(2021年9~12月)のチーム風に興味がないことがまるわかり。八木ちゃんのことを何にも分かってなかった。ごめんなさい。なんで続・花鳥風月の記憶がないのか自分のグーグルカレンダーを見直したら、9月は宮本佳林大阪愛知に希望休を使い、10月はつばき武道館に希望休を使い、11月はチーム月香川に希望休を使ったみたい。かっさーの卒コンもJuice横アリもLVに行ったか行かなかったか。チーム鳥は武道館の前日に福岡公演か。変な日程だったのう。あの頃新人は大変じゃった。

追記2:セトリのリアルタイム脳内感想は「特にこだわりのない有名曲が並んでいるなあ」→「しおちゃん的には「特に私のファンじゃない人でもハロプロが好きなら楽しめる内容にしよう」みたいな感じかなあ」→「まあ、しおちゃんにハロプロ隠れ名曲とか出されてもそれはそれで嘘くさいし」こんな感じ。チーム風とか夢にも思わなかった。)

 良くも悪くもハロプロは年間スケジュールが決まってて、ルーティンでこなすことができるので八木ちゃんには向いている。1年目はやる事なす事全部初めてで大変だったろうけど、2年目は先を読んで計画を立てられる(パンデミック下からパンデミック明けでいろいろ変わったけどね)。ルーティンを「わたしがかんがえたさいこうの〇〇」でちょこちょこ改善するのが好きな種族。

 「ダンスって自分の歌割りじゃなくてもアピールする方法」という発想が面白い。80点を90点に上げるのは大変だけど、30点を60点にするのは簡単というあれでもある。これが2年目の自主的な課題だったのかな、という感じ。3年目のシーズンは長所を伸ばす時。80点を90点95点に。

 体力があるとか喉が強いとか、アイドルでは比較優位になるけど。学生時代から専科で鍛えてきた人なら当然の水準なんだろう。でもグループアイドルとしては出来ない方に揃えるのが一般的だから、ストロングポイントの発揮しどころがなくなる。みたいなのは難しいね。ダンスメンが得意のダンスを披露できなくてストレス、みたいなのもよくみる。

 ずっと言っているけど、裏声の美しさに比べて地声の物足りなさというのはある。テニスで喩えると、訓練で身に付けたバックハンドの堅実さと比較すると、素質が物を言うフォアハンドはちょっと弱いな、という感じ。宮本さんや金澤さんのようなコントロールされた歌声が好きな私の好みの問題なのかなあ。禁断少女やムーンライトナイト、サンセットサマーの一番高いところは本当に見事だったけど、そのくらいできることはつばき曲で分かっていたことだから驚きはない。

追記3:ちなみに好きな声質は昔も今もおみずさん。『愛は今』の「駆け引きとか自信がない証だよー♪」の歌ウマに歌い上げないで常温平熱がずーっと伸びる感じがすごく好き。)

 想像以上にハロプロアイドルに寄せてきたけど、ボーカリストとしての評価は保留。3年目に期待。っていうのがバースデイイベントの感想まとめになるだろうか。「腰掛でアイドルをやっているわけではありません!」っていうのをステージで証明しにかかるスピリットというかアティチュードが最高なのは言うまでもないが。

 

 以下余談。

 アドレナリン・ダメの無限ヤギシオリ!がグルーヴを生んだ件、なんだかんだ八木ヲタじゃなくてもつばきヲタが客の多数を占めてたからの産物ではないか。メンバー名のリレー箇所を全部ヤギシオリ!に置き換えるんだという面白さを1部で理解しないと2部でああはならない。安美ちゃんの無限あんみぃがスキちゃんではそうはいかない。

追記4:アドダメは完全に私の勘違い。1部がマサユメで2部がアドダメだった。みんなぶっつけ本番であのコールはほんとすごい。偉い。とはいえ、個人的には歌い手の声にコールを被せるのはあまり好きではありません。好きな人の歌声を聴きたいよー。餅つきでいったら杵で手をぶっ叩いている感じがするよー。)

 このところ八木ちゃんから成長曲線に関する焦燥感を受けて、近いうちに卒業するんじゃないか、2023年の八木栞は2015年の田村芽実に匹敵する伝説になるのではないかと書こうと思ったけど、まあぶっちゃけ2015年の田村芽実のことよく知らないし(印象としては2+4だった6スマから9人アンジュルムのパフォーマンスの中心になった)、と控えたんだけど、やっぱ書いとけばよかった。自己顕示欲に忠実であるべきだった。来年もバーイベあるといいけどね。3年目は得意な事を伸ばすという公約を実現してみせてほしいね。

 来年プラネタリウムでライブをするとしたら、逆に30分×4回回しで購入は1人1枚までみたいな制限が必要かもしれない。今回大人にいろんなわがままを言って、結果として2部はほぼ満席になって実績出して賭けに勝ったので、来年はもっと発言権を得られるだろう。山木さんが卒業前最後のバーイベを19:15-20:45の1回公演でやった。たしか14曲をほぼフルコーラス。「1部2部制でやってもほぼ同じヲタが来るんだし、同じものを見ることになるんだし、それなら90分やった方が満足度高いでしょ」ということだろうけど、事務所からしたら単純に収入半減だし、「最後のバーイベなので無理をお願いします」と説得したんだろうと想像される。大人と話が出来て、大人に要望を出して、大人を動かせるのは、それだけで大きな才能だから。それでいえば、子供っぽい情熱と大人っぽい論理性とが同居しているのが八木ちゃん最大の魅力であるともいえる。

 ハロプロ楽曲大賞2022の推しメン部門に入れた時に書いた「あの頑固で空気読めない感じは年頃の女子社会だと致命的にも思えるけれども、つばきの先輩も同僚も優しくて偉い」という印象は変わらなくて、特にインターナショナル幼稚園でモンテッソーリ教育を受けた真琳ちゃんには親友にはなれなくても最大の理解者としていつまででも助けになってあげてくださいとお願いしたい。そういえば昨日、半分寝ながら突然思いついたんだけど、やぎまりんのETって由来を聞いたことないんだけど、真琳ちゃんの「(うわっ、八木ちゃんwww、こいつ、宇宙人じゃね!?ww)」という加入初期の衝撃的出来事の重なりがきっかけだったりして。

 「お母さんの手紙」を書いたお母さんは面白い人ね。1歳で保育園、小学校で学童保育に通っていた(浮かレディオ2023/07/08)というし、たぶん共働きなんよね。中学生からハロメンやっている家庭は専業主婦が多そうだけど、八木家は好きな習い事はさせるけど基本的には自分でいってらっしゃいという感じだったのかな。なんとなく学校の先生なのかなという憶測。

 覚えてないことはないよね。TEPPENの後のほのぴのブログ(https://ameblo.jp/beyooooonds/entry-12816109962.html)がなかなか重かったけど、本当に才能があって努力してプロを目指していた人の行き詰まりみたいなのは、凡人には測りしれんよね。安直に「すごいよ。才能あるよ。大丈夫だよ」みたいな声はかけられんし。

 八木ちゃんの契約書に「不倫の歌は歌いません」みたいな付帯条件が付いていたらちょっと面白い。もしくはRECで「主人公の気持ちが全然分かりません!」って言ったら歌割がなくなったとか。

 

 以下、本人ブログより

セットリストは

SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜

Oh my wish!

七転び八起き

 

MC

 

マナーモード

Fiesta Fiesta

 

Sunset summer fever

禁断少女

Keep on 上昇志向

 

マサユメ/アドレナリン・ダメ

泳げないmermaid 

赤いイヤホン

Moonlight night 〜月夜の晩だよ〜

 

夢さえ描けない夜空には

 

明晩、ギャラクシー劇場で

 

曲と曲の間の1行空きもたぶん重要だからそのままに。

『日本一長く服役した男』

 番組は見てないけど、ネットで話題になっていたので読んでみた。面白かったので、感想を。NHK地方局で日々のニュース作っている記者と特集作っているディレクターの違いからいろいろ教えてくれて、NHKドキュメンタリーウォッチャーなら読んで楽しめること間違いなし。ETVのドキュメンタリー番組ではなるべく排除すべきとされている記者の主観を盛り込んだいわゆるニュージャーナリズムというやつです。

 読んだ私自身いろいろな立場を持っているので、それぞれの立場から読んだ感想を書いてみよう。

 

(1)TVドキュメンタリーウォッチャーとして

 杉本による終章が読みどころ。ドキュメンタリー批評のネタがいっぱい詰まってた。

 論点その1。Aさんと社長の言い合いのシーン。こういう調べ物ドキュメンタリーでは出てこない場面こそが見どころよね。

「取材班も何が起きているのか言語化できなかったが、なぜか引き込まれる映像であるのは間違いなかった。」p.287

 論点その2。ラストの社長インタビュー、前段と後段のどちらを使うか問題。スタッフ間で議論したあと、社長と長く近くで過ごした木村の意見を尊重したのが面白かった。もし本当に言いたいことがあるとしたら、前段の理詰めの回答より沈黙の後の躊躇いながらの後段の方だろうというのは納得いく。

森戸カメラマンの言葉「いいか、説明してもらうだけがインタじゃない。インタには情報を撮るものと、感情を撮るものがあるんだ」p.292

 私がドキュメンタリー批評でずっと書いてきたことと繋がってて嬉しかった。情報なら文字媒体の方が強いんだから、映像メディアは感情を撮らなきゃ意味がない。

 本書は木村と杉本が章を交互に書いていて、どっちが書き手かは意識しないで読めるように書いてあるんだけど、実は1章ずつ飛ばして同じ筆者の章だけ続けて読んだら全然読後感が違ったりして。そんな面倒な再読はしないけど。早大政治学研究科修士(政治哲学)の杉本は、自称「よく言えば“理念重視・理論派”、悪く言えば“頭でっかち”」(p.52)なだけあって、考えていることが面白い。「“顔”かあ。レヴィナスかなあ、哲学・倫理学者はレヴィナス好きよなあ」と思って読んだら、ちゃんと巻末の参考文献にレヴィナスあった。さすが政治哲学修士

 

(2)認知症高齢者GHで働く介護労働者として

「Aの日常生活の支援を最優先で考える職員の視点と、Aの人生そのものに迫りたい私たち取材班の視点は大きく違う。だから、その印象や抱える課題も異なっているのも当然だが、私たちは職員と比べて、もどかしさを感じてしまっていた」p.71

 六車由美の介護民俗学に憧れてこの仕事をやっている面もある身としてはなかなか刺さった。私も本人からいろんな話を聞いて人生そのものに迫りたい気持ちはあるんだけど、波風立てずその日一日終わってくれたらありがたいなあマインドにすっかりなってしまっている身には刺さった。

 毎日だいたい聞いた事がある同じ話を入居者から聞いているんだけど、ふとしたきっかけで記憶の扉が開いて饒舌に新しい話をし始めた時のワクワク感とか、100回聞いた同じ話に変化球の相槌を打っても向こうは興味を失って手ごたえない返事しか返ってこない時のガッカリ感とかを想起させる。A氏は統合失調症の疑いありだが認知症ではない感じで、問い方次第でもっと饒舌になる機会はあったんじゃないかと思うけど、まあ言うは易し。

 

(3)RJに興味を持つ自称アスペとして

 巻末の参考映画をみたら坂上香『プリズンサークル』があって、文中には出てこないけどそりゃそうかと。個人的には反省は内面にしかないものだろうと思うけど、社会の要請に従って反省を見える化するのが必須なら社会のコードを知らないといけないんだけど、アスペにはなかなか厳しい。

 あるベテランデスク「罪の意識と罰、っていうのは、最終的には個々人の心の問題に集約されてしまうので、果てがないし、他者が想像しても詮ないというか」(p.294)とはよく言ったものだが、他人の心を詮索するのがドキュメンタリーの持ち味でもあるから難しい。

 

(4)余談

 加害者の生育環境を敢えて記述したらネットで叩かれる時代だから大変よね。最近の犯罪ノンフィクションを読むと、加害者側が書き割りみたいな薄っぺらい敵役でビックリしてしまう。

 「被害者家族の悲しみ」っていう表現はたぶん沢山出てくるんだけど、家族の怒り・憤りって表現はほとんど出てこないんじゃないか。河合教授への取材では「「悲嘆」「憤怒」「虚脱」といった異なる感情を行き来し」(p.212)とちゃんと書いているのに、地の文になると悲しみしか出てこない。著者はたぶん分かってて書いてて、ちょっとずるい。「加害者の処遇がどうなろうと家族の悲しみは癒えません」と書くとなんだかそれっぽいけど「家族の憤りは収まりません」だと家族側に主体性が出てくるというか憤りという感情には積極的に応答すべきではという気にさせられるから敢えて避けたのでは、と思ってしまう。

 2020年9月って、パンデミック真っ最中だった気がするけど、お葬式に人をいっぱい集めてよかったんだっけ?とふと思ったけど、ちょうど最初のピークが終わってやや自由になってたんだっけ?記憶はすぐに曖昧になるのう。コロナ陽性の遺体だけ扱いが違って、普通のお葬式は普通にできたんだっけ?マジ忘れた。

 貴史さん(仮名)、60代だと思うけど、病気とはいえ老人ホームの入居は早い気がした。

 およそ20年前に裁判所で裁判記録(not判決文)を閲覧したことがあるけど、その時は一切のコピーやメモが禁止で、読むだけだった記憶。

サカヲタ・ショルティ

 サー・ゲオルグショルティは、1912年にブダペストユダヤ系家庭にシュルテン・ジェルジュとして生まれ、1997年に休暇中のフランスで亡くなった20世紀を代表する指揮者である。

 死の直前まで書かれた『ショルティ自伝』(草思社、1998年)にはサッカーに夢中になった幼少時のエピソードが載っている。

 小学校時代でいちばん楽しい思い出は、サッカーと結びついている。クラスメートはたいていが貧しい家の子で、私は自分のサッカーボールを持てただけ、みんなよりましだった。ずいぶんよく練習したものだ。私は足が早く、走るのは得意だった。いまでも試合は好きだーーただし見物するだけになってしまったが。 p.20 

 1961年にコヴェントガーデン王立歌劇場の音楽監督に就任、70年代には英国籍を取得したショルティは、晩年の多くの時間を英国にある自宅で過ごしていた。そんな時代の一コマ。

 七十五年前、ブタペストの小学生だった私は、ルーマニア人、チェコ人、ユーゴスラヴィア人はハンガリー人の敵であり、信用してはならないと教え込まれた。それがいかに深く精神をむしばむものか、私は最近になって思い知らされた。ハンガリーの選抜チーム対イングランドニューキャッスル・ユナイテッドのサッカー試合を、テレビで見ていたときのことだ。

 ハンガリーのチームには、移住してハンガリー国籍を取得したルーマニアチェコ、ロシアの選手も混じっていた。ルーマニア人選手のひとりが粗野で攻撃的で、チームの足を引っ張っていた。私は 思わず「まったく、ルーマニア人ってのは最低だな!」と口走った。そのときふと、幼いとき教師から教わったとおりに反応している自分に気づいた。ファシズム民族主義軍国主義を憎んでいるはずなのに、サッカー試合を眺めているあいだに、愚かな昔の偏見が甦っていたのだ。 pp.19-20 

 むむ、ショルティおじいちゃん、現代欧州サッカーの仕組みを理解してないんだね。今はもうナショナルチームとクラブチームは対戦しないんだよ。

 そう思った私は真相を調べる事にした。おじいちゃんがテレビで見たのは恐らくUEFAチャンピオンズリーグUEFAカップもしくはカップウィナーズカップだろう。あの当時、ハンガリーから欧州カップ戦に参加するクラブはビデオトンかフェレンツバロシュだろう。試しに”Ferencváros Newcastle”で検索を掛けてみよう。…ビンゴ! 1発目であっさり正解にたどり着いてしまった。検索マニアとしては逆に詰まらん。

 

1996年のUEFAカップ2回戦。

1stレグ:https://www.uefa.com/uefaeuropaleague/match/53298--ferencvaros-vs-newcastle/


www.youtube.com

2ndレグ:https://www.uefa.com/uefaeuropaleague/match/53299--newcastle-vs-ferencvaros/


www.youtube.com

 ユーチューブには何でもある。ミリュウタか、いたなあ。確かに見た目がスキンヘッドで粗野な感じ。当時はなんとなくハンガリー領内のルーマニア系住民だと思っていた記憶(というかよく考えたらトランシルバニアに住むハンガリー系のルーマニア国籍はありそうだが、逆はあまりなさそうで何を勘違いしたのか自分)だが、英語版ウィキペディアを読むと、元々ルーマニア生まれで、2000年にハンガリー国籍を取って代表入り。しかしリアルタイムですごい見た記憶がある選手なんだけど、経歴を眺めてもどこで見たのか覚えてない。コットブス時代だろうか。WOWOWブンデスの試合をやってた頃。ハンガリー代表の試合はほとんど見た記憶がない。リーガエスパニョーラで見たような気がするのは偽記憶。

en.wikipedia.org

 メンバー表をみると、Ihor Nichenko、Serhiy Kuznetsovはロシアかウクライナだろうけど、チェコ人が分からない。相手方のスルニチェクとごっちゃになったのだろうか。

 

 1912年にブダペストで生まれたサッカー少年、38年にナチスを避けてハンガリーからスイスに避難(ほぼ亡命)し、戦後の46年にはミュンヘン音楽監督の仕事を得て、52年にはフランクフルトで指揮を執る。53年には西ドイツの市民権も取得した。そんなサー・ゲオルグなら、54年にスイスで開かれたワールドカップサッカー決勝、ハンガリー対西ドイツ戦についてさぞかし思い入れたっぷりに語っているに違いない。そう期待したのだが、自伝では一行も触れていなかった。まあ働き盛りの40代にやっと手に入れた音楽の仕事、本業が猛烈に忙しくてサッカーどころではなかったのが本当だろう。仕方ない。

 最後に20世紀のコスモポリタンらしい本人の言葉で締めくくろう。欧州統合が理想的な夢だった世代。

 私はひとりのユダヤ人としてハプスブルクオーストリアハンガリー帝国のもとで育ち、初期のハンガリー共産主義政権、ファシズム第二次世界大戦下のヨーロッパ分割、戦後のドイツを支配した占領国の軍事政権、そして西欧とアメリカの民主主義体制を体験し、あらゆる国籍、人種、信条をもつ仲間たちと仕事をしてきた。そして人種にたいする迫害や偏見こそ、人類の進歩を妨げる悪しき力だと確信した。前へと進むためには、世界のあらゆる国民が、言論の自由や権利の平等など民主主義の原則を遵守しながら、たがいに尊重しあい共存していくほかに方法はない。民族固有の独自性は失われないほうがいいとは思うが、私自身はヨーロッパ人としての自覚が強い。ヨーロッパはたしかに統合されるべきなのだ。あらゆる時代を通して不必要に人間の命を奪ってきた過去の偏見や、宗教や国境をめぐる争いを、一切拭い去るために。 pp.292-293