パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

つばきファクトリーライブツアー2019春・爛漫、福岡夜公演

2019/5/12、ドラムロゴス、17:00〜

つばき福岡夜公演の感想を書こう。例によって、ツイッターに連投しようと思ったらアホみたいに長くなったので、はじめからブログにしよう。140字に合わせて文章を練ったのもアホらし。

いま検索したら、新木場の2周年ライブから基本セトリは変わってないのね。DVDにもなっているし、ネタバレOKで書こう。ひなフェスの映像で「衣装、初めて見た、可愛いなあ」→「へー、新木場ライブの使いまわしなんだ」→「ヤター、リアルで見られて嬉しい」な地方民。

去年のハロプロ楽曲大賞で推しメンに投票して、1月に東京まで似顔絵書いてもらいに行ったところで、マイおみずブームは少し去っていたのだけれど(今冬はやなふな祭りだったし)、久しぶりに見るとやっぱり可愛かった。おみずはもともとジュンジュンまのちゃん系のビジュアルど真ん中だけど、今や道重ちゃゆの全盛期に勝るとも劣らない可愛さだった。

2019/5/14追記:私はアイドルをネタ消費してきた人間だけど、おみずはビジュアルも歌もダンスも好みど真ん中なのに中身には全然興味が持てないというこれまでにない稀有なアイドルなので、どう距離をとったものか戸惑っている。逆にもりとちはあれだけ歌って踊って可愛いのに、私にとってはそこにいるだけで自然と周りに人が集まる相関図消費の女王。

1曲目の『うるわしのカメリア』で浅倉ききちゃんのパートを秋山まおぴんが代わりに歌っているみたいで「おみずには分配されないのかなあ」と思いながらおみずを見ていたら、『春恋歌』辺りで一向にソロパートがやって来ない事に気づいたというか、そもそもマイクをハロプロ持ち(平行にして口に近づける)せず、マイクを立てて口から離してることに気づく。夜公演の入場待ちの間、暇つぶしに「つばき+福岡」でTL検索した結果、昼公演でおみずとまおぴんの声が不調だったのを知っていたので「あー、夜公演は歌わないのね」と私は理解した。おそらく2人ユニゾンパートは相方に任せて、本人のソロパートは誰かが代わりに歌うのだろうと。

最初のMCで山岸りこりこリーダーが「本日、小野はダンスのみの参加とさせていただきます」とか言うのかと思いきや、何の説明も無く流れていった。ここがまあ不慣れというか、その後の演者と客との齟齬に繋がった面はあるだろう。公演前におみずのソロパート分担は打ち合わせしてたの?してなくてその場のアドリブなの?と。

その後、少人数ユニットの『雪のプラネタリム』と『私のすごい方法』では、おみずがっつり歌ったので、逆にそっちにびっくりした。この2曲にこの日の全てを注力するつもりだったのね。

『表面張力』のおみずパート「グラつくと♪」が無音で過ぎた時、りこりこが斜め後ろ左隣りのおみずの方をハッと振り返ったのを見たけど、それが「あれっ?おみず歌わないの?」なのか「ごめん、カバーするの忘れてた!」なのかよく分からなかった。

アンコール1曲目明けのMC、横1列に並んでいる時には既におみずが半べそかいてて、その時点で「あー、これは話し始めたら余計に気持ちが高ぶって泣くやつだ」と想像がついたけれど、いざ挨拶のためお立ち台に上がると(おそらくお客さんに泣き顔を見せたくないという本人なりのポリシーが発動して)体ごと180度後ろを向き、お客さんにお尻を見せながら涙声でMCし、しばらく間を取って涙が止まった確信が持てたところで前を向いて全力の笑顔!という面白い感じになってしまった。面白いけどね。

いつも本人は狙ってあざといわけじゃないだろうけど、まあこれは女子に嫌われる女子だなと。そして豆腐メンタル女子大好きおじさんを捕まえられているかといえば今のところそういう感じでもないよね。既におっさんはこんこんの正統後継者島倉りか様に流れてる!

きしもんとりこりこが涙してたのは、もろもろカバーし切れなかったことへの悔しさかな。きしもんは素直に「おみずのパート、遠慮せずがっつり歌っていけば良かった」というパフォーマンス方向での後悔だろうし、りこりこは「私がもっとしっかりと舵を取っていれば…」っていうリーダーシップ面の後悔かな。

以上、泣いた話はこんなもんか。

ベリキューの意思を継ぐ者とか言っといてハロプロ全体の遺産を使いまくりじゃん。ズルいぞ。『乙パス』も『私のすごい方法』も好きな曲ばっかりで何の不満もないけど。むしろ私はベリキューに詳しくないし。キューの『超WONDERFUL!』は知ってたけど、ベリの『世界で一番大切な人』は分からなかった。セトリは回替わりが3曲あるみたいだけど、全て今回聴いたいわゆるパターンBの方が好きな曲ばかりでラッキー。しかし乙パス、あんなに何度と見たはずなのに元のパート割りなんて全然覚えてないもんだね。立ち位置も全然覚えていないもんだね。誰が誰の後継担当なのかさっぱり分からなかった。まっつーの1stアルバムは傑作だからツアー毎に1曲ずつ、5年で全曲やってもいいくらい。

シングル曲だと『純情cm』『二度シャワー』『就活』がセトリにないのかな。おー『低温火傷』もなかったか。持ち歌はまだまだ少ないのに春も秋もツアーしてるからワンパターンにならないようにしないといけないし、カバー曲で意思を継ぐのもいいけれど、去年の春も『JustTry』はセトリになかったし、1回も聴いたことがないぞー、こらー。「お前が行かなかった昨秋のツアーでやっとるわ!」と言われれば返す言葉もない。

りこりこがバキバキに踊れるところが少しだけ垣間見えるのは『気高く咲き誇れ!』と『ハナモヨウ』くらいか。そう考えると私が全く興味を持たなかった6人時代はもう少しダンスボーカルユニット感あったのね。9人になってガチ恋路線へ舵を切ったわけだが。ああでも『independent girl』の時の弾けっぷりは鈴木愛理チルドレンの片鱗が見られた。ききちゃんお休みでリーダーサブリーダーの2人曲になったのもあったのか、遠慮ない感じ。歌って踊って煽ってかっこかわいい感じが本人の理想形なのだろうと少し想像できた。

9人時代にビジュアルを初めて見て個人的には「新沼きそちゃんだけはないなあ」と思ったわけだけど、改めて実物を見るとファムファタル感ある。キンブレ振ってる根強いヲタがいるのも分かる。6人時代の曲をやるとパートがいっぱいあって推されていたのも分かる。雌伏の時を経てまたちょっと〈事務所の推され、本人のやるき、ファンの声援〉のアイドル必須トライアングルがいい感じになっている気はする。ちょっと俯瞰している感じがいいよね。いつの日かハロプロリーダーになってそうだけど、99年組まーどぅー世代は佐藤、川村、広瀬、新沼、加賀、森戸、岸本と、タイプの違うリーダーシップを持つ人材が豊富で面白そう。今年度でみんな20歳か。早いのー。

小野田さおりんはメンタルもフィジカルも強いねー。しかし去年の春と比べて握力の方は印象に残らなかった。ガツガツするの少し控えてる?私がガツガツするの控えられただけ?

アップフロント関西のIDぶら下げた女性がいた。東京から付き添っているマネージャーが当然いるとして、応援かな。

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TVドキュメンタリー・ウォッチング終了のお知らせ

そもそもお前の言う「TVドキュメンタリー・ウォッチング」ってなんだという話だけど、要するに2012年頃からNHKで放送していた『ETVスペシャル』『地方発ドキュメンタリー』『NEXT』『BS1スペシャル』『明日へ』辺りのドキュメンタリーをほぼ全て録画してスタッフクレジットをメモする作業をしていましたが、それを年度末の2019年3月31日で止めますという話。

ゼロ年代の間は「インターネットは徹頭徹尾何の得にもならない好きな事をやるところだから、絶対に義務感から毎週チェックしたりはしないぞ。興味のあるテーマのドキュメンタリーしか見ないし語らないぞ」と心に誓っていたわけだが、2011年2月にゼロ年代のドキュメンタリーについてまとめた記事を書いた後、そこでいくつかの提案をしたこともあって多少なりとも義務感もわき、網羅性にチャレンジしてみることにした。

これまでメモったまま放置してきたのは反省している。リアルタイムでちゃんと表に出していけば誰かの参照元になれたかもしれないのに、サボってしまった。「誰も話題にしてないけど、このディレクターのこの作品、すごく良いよ」みたいな話をちゃんとリアルタイムでやるべきだったのだろう。まあ自分のパソコンの中で眠らせておいても仕方ないので、今更だけど順次ネットに上げていきたい。これは本当に申し訳なかった。

そんでまあ「何で止めるの?」ということをつらつらと書いてみよう。

前述したように、2011年2月にゼロ年代のまとめとしてこんな記事を書いた。

http://palop13a.hatenablog.com/entry/20110213/p1

上の記事で望みとして上げたこと。放送前にスタッフクレジットをウェブに上げて、視聴するか判断する材料を出してくれよ。放送後は視聴者とティーチインとかやってくれよ。ついでに番組制作で使用した参考文献なんかもクレジットするかウェブに載せてくれよ。その辺り。そんなに大した要求をしたつもりはなかったんだけどね。

まあ、全然実現しなかったね。業界内では放送前にメーリングリストみたいなものが出回っている風なツイートは見かけたりしたけど、一般向けに情報が出ている感じもなかったよね。それで「ドキュメンタリーは見てもらえない!」とかよく言えたもんよね。

そういえば以前にも書いたかもしれないが、ツイッターでTVドキュメンタリーの感想を書いたら「いいね」がつくので、つけた人の本拠地を見に行ったらどうやらそのドキュメンタリーの制作者なんよね、匿名だけど。それで放送前には相互フォローしている友人なんかには「今度放送する番組見てね」とかツイートしているんだけど、でも匿名だからいろいろぼやかして書いてて、宣伝にはなってない、みたいな。ネットに面倒ごとに巻き込まれたくない気持ちは分かるけど、でもまあ何かモヤモヤするよね。一般人に自分の番組を見て欲しいの、欲しくないの、どっちなの。

NHKディレクターは視聴者と研究者のハブになれ」みたいなことも書いたけど、逆に研究者やジャーナリストに「アイデアや取材協力者を盗むな」と告発された山口放送「奥底の悲しみ」「記憶の澱」や『ETV特集』「告発〜満州開拓村の女たち」が高い評価を受けて賞とか獲っちゃう業界だもんね。ドキュメンタリー業界は先行研究への敬意とか全然払う気もないんだなと痛感しちゃった。個人的には、文字表現と映像表現は全然違うから、文字の後追いで取材して映像に残すことも立派な創作だと思っているし、告発者の方々とは立場を同じにはしてないんだけど、それにしても番組の最後に参考文献1行上げるだけでも全然違うと思うんだけど、しないよね、やらないよね、できないよね。俺は歴史に関しては素人な映像作家の歴史観なんか知りたくないんだよ。「この歴史観歴史学会で主流の学説です。○○史の第一人者である××先生もこう書いてます」と残しておくことは、ディレクターの身を守ることにもなるんだよ、みたいなことも書いてきたけど、まあ何の意味もなかったね。やっぱ映像ディレクター志望者って、ハブじゃなくてクリエイターになりたい人達の集まりなんだろうね。当たり前か。

ゼロ年代から「ドキュメンタリーの内容ではなくスタイルを論じたい」という目標は掲げていたんだけれど、2011年以降は政治の季節過ぎてなんかやりづらいよね。ネット上での敵味方思考が強過ぎるというか。「一生懸命取材して頑張っているのは分かるけど、ドキュメンタリーとしての出来はあまり良くないよね」みたいなことを言うと、すぐシニシズム野郎ニヒリズム野郎とか自称中立という非難がきそうな雰囲気の昨今よね。内容についても白黒言わないと許してもらえない感じ。

震災関連のドキュメンタリーについて触れておこう。ゼロ年代のマイルールとして、基本的にはドキュメンタリーは録画保存しないぞという方針の人間だが、震災関連については2011年5月頃に「エンドクレジットがあるNHKドキュメンタリーはとりあえず軒並み録画して保存する」という例外規定を作った。ちゃんと全部見て、各地方局単位、個人ディレクター単位で素晴らしい仕事を評価したいと思ったので。要するに3年4年をまたいで「あの番組とこの番組、スゴイ出来が良いと思ったら同じディレクターじゃん」みたいなことがしたかった。けど、全然取り組めてない。これは本当に申し訳ない。NHKでは震災ドキュメンタリーを『明日へ』枠でずっと放送していたけど、熊本地震の発生辺りから東北地方にこだわらず且つ当時の証言集めにこだわらずといった感じになり、2018年は内容を見た上で保存もしなくなった。年度末でメモ終了する理由の一部には、もう震災関連の好TVドキュメンタリーは生まれないだろうという見切りもある(民放で毎年定点観測ドキュメンタリーを頑張って制作しているのは知っていますが、見ていません。ごめんなさい)。

NHK地方局制作のドキュメンタリーについて触れておこう。『地方発ドキュメンタリー』『目撃!にっぽん』辺りを毎週チェックしていると、番組を作っている地方局が偏っていることに気づいた。そしてその地方局にはかつて中央でディレクターとして活躍した人が管理職(制作統括)として赴任していることにも気づいた。たとえば、大阪の三村忠史/佐藤網人とか名古屋の板垣淑子とか福島の宮本康宏とか沖縄の松木秀文とか札幌の玉村徹とか広島の高倉基也とか。夕方のローカルニュース用に5〜6分のミニリポートを制作する若手を見て「おい、もう少し追加取材したら30分くらいのドキュメンタリーになるテーマじゃないか。東京に企画書出してみろ」とかつてのスタープレーヤーが声を掛ける文化がある地方局とそうでない地方局とでは若手の経験値格差がものすごいことになるのではないか。

全然内容に興味が持てなくて、ぼーっとながら見しながら最後にエンドクレジットだけメモした番組がなかったとは言わない。でも全然内容に興味が持てそうもないタイトルだなと思いつつ見始めたら「うわー、作品としてめっちゃ出来が良いやん。面白いやん」みたいな番組に出会えると、全録してて良かったな、ウォッチングも悪くないな、という気持ちになれた。でももうそれもおしまい。8年ほど頑張った。人生は有限。

余談だが、こういうエンドロールを作っている奴は、内容がどんなに良くてもマイナス3000点したくなるよね。まあ今どきの平たいデジタルテレビだと鮮明に表示されているのかもしれないけど、まだブラウン管で見ている貧乏人もいるんですよ。ちゃんとしてください。

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ああ、昔は良かった。

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マーク・リラ「ネオコンは終わったか」

ネオコンのワシントン進出を可能にしたのは、アメリカ政府の特異な構造によるところが大きい。 主要政党と高い専門性を誇る官僚によって支配される傾向が強い議院内閣制と比較すると、アメリカの制度は穴だらけで、大きな文化潮流の影響を受けやすい。アメリカの政党は比較的弱く、官僚制度は二流で、連邦制度の意思決定は極度に分権的である。戦後、 アメリカの中央政府が拡大し責任が重くなるにつれ、議院内閣制度では通常官僚たちが行う知的労働のほとんどが、ブルッキングス研究所やランド・コーポレーションなどに「外注」されるようになった。アメリカの基本政策研究のほとんどが、これらの機関の「政策知識人」と呼ばれる人たちによって行われる。彼らはある分野、もしくは複数の分野の研究をし、議会の委員会で証言し、官僚に短期間任命されて専門分野の仕事を引き受ける。

マーク・リラ「ネオコンは終わったか」『アステイオン』Vol.68(2008)  

なるほど、そういう見方があるのか。米国の官僚と民間とシンクタンク回転ドアは素晴らしいとか、米国の三権分立は素晴らしいとか、そういう話ばかり聞かされてきたので、こういう視点の提示はありがたい。ほんとかどうかはわからんけどね。そういう話ばかり聞いてきたのはお前の勉強不足だと言われればごもっとも。

アステイオン創刊30周年ベスト論文選 1986-2016 冷戦後の世界と平成

アステイオン創刊30周年ベスト論文選 1986-2016 冷戦後の世界と平成