パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

研修生・さゆチル・Juice=Juice

ここ最近はつばきファクトリーに夢中である。どのように夢中であるかを書くのはまた別の機会に譲るとして、とにかく夢中なのでメンバーのブログを読んだり、まとめサイトの過去ログを読んだりするわけだが、そうするとハロプロ研修生の知識が足りないので分からないことが出てくる。私の研修生の知識は、金子りっちゃんがリーダー格だった辺りで止まっているから。同期とか上下関係とかがわからないまま読んでいると、出てくる登場人物が多いのでこんがらがってくる。というわけで私は自称歴史家なので、ここはひとつ年表を作ってみた。

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作ってみてわかったことを書いてみよう。

最初の世代は、ハロプロエッグの大粛清を生き残った世代。ベリキューや全盛期のモーニング娘に憧れた人たち。ちゃんさんとか。こうして年表にまとめると田辺さんの記入する箇所がないのか。2014年11月まで活動していたということは9期10期11期12期12期スマ2期J=Jスマ3期カントリー結成まで落選している可能性が。11月4日に研修活動終了の、同月5日がカントリー結成のプレスリリース。山木さんがカントリー顔合わせで集められた時「てっきり研修生の子たちかと…」言うてたなかには「田辺さんいるかも」という感じもありそうか。

次に入ってきたのが 2010年の9期オーディションおよび2011年の10期オーディション落選者たち。恐らく月島きらりしゅごキャラや プラチナ鬼を見て憧れた人たち。研修生11期のはまちゃん辺りから少し毛色が変わる。

その次の世代が2012年の11期オーディション落選者たち。加賀一岡辺り。研修生は研修生オーディションを受けるルートもあるらしいけれど、実際にはモー娘オーディションに落ちた人達の受け皿よね。そんななか、りこりこはバックダンサーになるためにモー娘オーディション関係なく研修生オーディションを受けたらしい変な人。2015年1月に先輩風を吹かすはまちゃんズがこぶしファクトリーに選ばれた後で、研修生のリーダー格になった人達。

その次が2013年の12期「未来少女」オーディション(合格者無し)や2014年に再募集された「黄金」オーディション受けた人たち。2013年落選組が研修生20期で2014年落選組が22期と24期。この辺りがいわゆるさゆチルドレン(さゆチル)か。さゆがリーダーになったモー娘に憧れた人、『One・Two・Three』新規。

おのみずと前ここ、それまでは研修生オーディションを受けたとしか聞いてなかったけど、この年表を作っているときに「黄金」オーディション落選組とブログで読み、さらにハロショのイベントではカントリー娘オーディションを受けたという話も聞いた。この辺りはモーニング娘に落ちて、その中からカントリーガールズを受けさせてみてまた落ち、落ちた人を研修生オーディションに誘うみたいな流れなのかなと推測するが、正直よくわからんね。まあ実質さゆチル。年表を気づいたが、小野瑞小野田秋山辺りは研修生として「新世紀」オーディションを受けて落選からのつばきファクトリー追加だったりするのかな。素人時に1回受けて研修生になってもう1回受けて落ちたら「あんた、モー娘ってキャラじゃないんだよね」という宣告ありか。

よこやんは年齢的には12期オーディションを受けられたのだけれども勇気がなかったらしく16年の「新世紀」オーディションまで遅れてしまったけれど、これもまあ実質さゆチルと考えて いいだろう。

道重人気で集めたオーディションには落選者でも良い人材が取れたので、研修生としてキープした人数も多いしデビュー率が高いのも道理である。

カントリー娘新メンバーオーディションは 該当者なしの結果で、その後で12期オーディションの落選組から人材をかき集めてカントリーガールズになった。普通に考えて、同時期に募集したらカントリー娘の方に人が集まるわけないよね。10期オーディションとスマイレージ 2期オーディションが重なっているのも似たような感じ。変な募集の仕方をするよね、アップフロント

以上は、知っている人は最初から知っていることを遅れてきた人が改めて確認してみましたという話。年表を作ってみてふと気がついた個人的にすごい発見は、Juice=Juiceのこと。タイミング的に12期オーディションに参加させたくなかったんだなと。性格に癖があってモーニング娘に加入することは絶対にないんだけど、実力に疑いはなくて最終合宿に参加されてオーディションをかき回されると困る人たち5人(宮本高木大塚植村金澤)を同じ箱の中にまとめて放り込んで 常識人の宮崎さんをリーダーにしてくっつければなんとかなるだろう、みたいな。

このようにリアルタイムではわからなかったことを史料を見直して改めて発見すること、あるいは歴史を解釈し直すことがある、というのが歴史家の醍醐味である。

佐々木実『市場と権力―「改革」に憑かれた経済学者の肖像』

 

市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像

市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像

 

佐々木実『市場と権力―「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社、2013年)は、今や日本のパブリックエネミー第1位といってもよい竹中平蔵の人物評伝である。

著者略歴をみると、佐々木は91年に大阪大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社し95年に退社してフリーランス。取材のイロハだけ学んで辞めたのか。竹中が1987年から大阪大学経済学部助教授という事は講義をとっていたかもしれない。在学中から竹中の事を「まともな論文も書かない胡散臭い奴だな」くらいに思っていたら、あれよあれよと出世して日本全体に影響を及ぼす胡散臭さを発揮し始めたから、初期に関わったケジメとして取材を始めたとかかなあ。

なので、基本的に竹中はすごく批判的に書かれている。竹中は、70年代終わりから80年代初めに米国で流行ったサプライサイドの経済学に影響を受け、設備投資の研究が専門とのこと。竹中のやってきたことは89年の日米構造協議から90年代の年次改革要望書に至るまで米国の要求と重なるのだけど、最後まで読んで、竹中は米国の要求を丸飲みしてグローバリゼーションに対応した日本を作ることが世のため人のためだと心から信じているのか、あるいは米国に弱みでも握られているのかと思うほど脅されてエージェントをやっているのか、それとも実は政治経済には興味がなくて自分の個人資産を増やすためにあれこれ利用しているだけの小物なのか、本書を読んでも正直よくわからない。

批判的に書かれているけど、挿入されるエピソードを読むと、竹中はチャーミングである。

 

香西泰エコノミスト

「研究者としての才能にもう一つ付け加わるのが、『仕掛け人』『オルガナイザー』『エディター』としての腕前ではないだろうか。人のよい私など、氏の巧みな誘いに乗せられて、感心しているあいだに仕事は氏の方でさっさと処理していてくれたという経験が、何度かある。この才能は、あるいは大蔵省で長富現日銀政策委員などの薫陶をえて、さらに磨きがかかったものかもしれない。これは学者、研究者、評論家には希少資源であり、しかも経済分析が現実との接触を保ちつづけていく上で、貴重な資源である」p.91 

 

越田文治(仮名・藤田商店社員)

「ほんとうにそつがない。口がうまくて、どんな会議の席でも、誰が聞いても納得するように話ができましたね。藤田田さんも竹中さんを信頼していたと思います。小泉政権ができて竹中さんが大臣になったとき、藤田さんは大いに喜んでいましたよ」pp.110-111

 

鈴木崇弘(東京財団

「国際的なコミュニティでは、頭がいいだけでなくて、見せ方、スピーチとか表情、チャーミングであるかどうか、そういうことが大事。安全保障政策にしろ経済政策にしろ、国際的コミュニティといってもインナーサークルなんです。インナーサークルに入れるかどうかは、国際会議でおもしろいことをいって目をかけられるとかそういうことが重要になる。肩書とかじゃなくて、おもしろい話ができれば気に入られる。竹中さんは気に入られていたと思います」p.126 

 

相沢英之自民党税制調査会長)

「なかなか世渡りが一流だな。打たれ強いというのかあれだけ叩かれても、内心はどうか知らんが、竹中はシャーシャーとしていたな。あれはうまいから、『そうです、先生のおっしゃるとおりです』とかいう。そのときだけはね」p.167 

 

大塚耕平民主党議員)

「問責決議案が否決されていなかったら、竹中さんは高木長官を辞めさせていたかもしれない。しかし、竹中さんは問責決議案否決の政治的意味も考え、『高木には責任はなかった』という方向に舵を切った。竹中さんの賢いところだけど、逆転の発想で、これで高木長官に貸しがつくれたと考えたんでしょう。それからですよ、髙木が竹中の手下になるのは」p.220

 

南部靖之パソナ創業者)

「竹中さんとの出逢いは、ずいぶん前のことになりますが、飛行機の席で隣り合わせになったのがきっかけです。話が弾んで、それからずっと長くお付き合いをさせていただいております。ボストンのハーバード大学で教えてらしたときは、私もアメリカにいましたのでアメリカでもおめにかかることがありました」p.326 

人たらしよね。この初対面の人を魅了する感じ、(善悪の価値を問わない本来的な意味での)サイコパス的な人なのかもしれない。

佐々木は「おかしいのに、なぜか問題なしになった」「~なのに、なぜか不問に付された」みたいな書き方をいくつかしているんだけど、竹中のやっている事はだいたいが「法律的には限りなく黒に近いグレー、かつ慣習的にはアウト」パターンだから、捕まらないのは分かるっちゃ分かる。紳士協定は平気で破る、「やあやあ我こそは…」の時代に銃乱射する、そういうタイプ。むしろ竹中から見たら因習を足蹴にするからこそ改革派なわけで。まあ、やっぱりサイコパス

佐々木は、竹中は東大コンプレックス、博士号コンプレックスみたいに卑小な人物像を描こうとするんだけれど、竹中的には「あると便利だから、グレーな手段を使って取得するよ」くらいの軽いノリだと思う。「あいつには負けなくない」とか「今に見ておれ」みたいな事にはあまり関心がないように見えるのだが。まあ、やっぱりサイコパス

佐々木は竹中の人間性の低さ、使う手口の悪辣さを描き出そうとするのだけれど、読み手としては米国流グローバリゼーションを日本に導入したその政策的是非を知りたいという気持ちもある。切り分けると竹中という人が伝わりにくいのも確かだが、どうも矛先の向ける方向に迷いがあるようなないような。違うか。佐々木は、政界に影響を与え金融業界と癒着していてついにはリーマンショックを引き起こした米国の経済学者に憤りを感じているのが主で、少なくとも一流の論文を書いている米国の経済学者と比べてまともな学術論文も書かない二流研究者ですらないくせに政界に影響を与えたがるところだけは米国を真似る竹中はさらに軽蔑している事は従、という感じか。「なんでこんなショボい奴の評伝を書いているんだろう、オレ」感はある。

本書のハイライトは、金融担当大臣就任から「竹中プラン」策定、自殺者まで出したスケープゴートとしてのりそな銀行破綻を書いた第5章と第6章だろう。私が編集者だったら、ここを第1章に持ってきて、竹中はクズ野郎という印象を読者にしっかり植え付けた上で「このショボいクズ野郎が形成されたのは…ポワワァ」と幼年時代の回想へと繋げるだろう。

1993年に小泉純一郎郵政民営化を言い出したのに合わせるかのように米国も郵政民営化を要求し始めた時、狙いは簡保郵貯だったのだろうけど、その時にインターネットがこれだけ発達して郵便事業がこれほど落ち込むとは予想していただろうか、みたいな事は考える。2006~2007年頃に「そろそろ団塊ジュニアを救わないと、流石に人口動態的にもヤバいんじゃね?」みたいな空気が流れ始めた矢先にリーマンショックがやってきたのといい、頭で考えた社会計画と予想も出来なかった社会変化のめぐりあわせの悪さってあるよね。

私は1974年生まれで、90年代初め、学生の頃は財政再建規制緩和既得権益打破、談合を無くせ、無駄な公共工事反対、そういう朝日新聞的リベラル(not左翼)に囲まれて育った実感がある。それが21世紀になる頃には構造改革となり、その後は大阪維新的なしばき上げ上等な所まで行きつくわけだけど、それらがどこから始まったのか知りたい気持ちはある。いま自分を含めた低所得者層が痛めつけられているのも小泉・竹中のせいにするのは簡単だけど、「無駄を無くせー」と調子に乗ってた過去の自分に復讐されているのではないかという事実から目をそらすわけにはいかないという思いもある。

財政投融資って、自分が学生の頃にはよく聞いたけど最近聞かないなと思ったら、この本を読むと橋本行革を経て2001年には一応片付いた話だったのね。2001年4月に行われた自民党総裁選、みんな橋本龍太郎が勝つと思ってたわけじゃん。なんだかんだ最大派閥の橋本派(旧経世会)だし。そしたら、小泉フィーバーが起きて、地方県連の票が小泉に行って、地滑り的大勝利になったわけじゃん。あの時の「橋龍的な自民党にはもううんざりだ」という空気があった事はごまかしてはいけないだろうよ。あの頃の空気を覚えていれば、橋龍が勝った世界線を想像するというのは意味のない事だけれど、新自由主義ぽくない2019年の日本というのはあり得ただろうか。

『NHKスペシャル』「“冒険の共有”栗城史多の見果てぬ夢」

NHKスペシャル』「“冒険の共有”栗城史多の見果てぬ夢」

2019/1/14初回放送、50分、取材協力:ジェイ・キャスト、資料提供:栗城事務所/CRAZY/アフロ/ゲッティ、撮影:藤田大樹、ディレクター:滝川一雅、制作統括:大鐘良一/中村直文、制作・著作:NHK

… 

20年近くネットでTVドキュメンタリーウォッチングを書き、同時に20年近くネットの某匿名掲示板にどっぷり浸かってきた者として、この番組の感想を少し書いてみようと思う。栗城氏に関しては、亡くなった報道のときに初めて知り、それからネットでいろいろ検索しただけなので、生前の生中継なんかは見たことがない。もちろん登山についても素人なので登山がうんぬんかんぬんの話はなるべくしない。あくまでTVドキュメンタリーの話をしたい。栗城氏に批判的なブログ記事はだいたい読んだし、栗城氏に肯定的な映画監督・藤岡利充氏のヤフー記事も読んだ。2008~2009年頃に栗城氏と関わったHBC北海道放送制作「マグロになりたい登山家~単独無酸素エベレストを目指す!~」(2009年5月20日放送)の制作者ブログもとても参考になった。あくまでTVドキュメンタリーの話をするだけで故人を誹謗中傷するつもりはないけれど、まずい表現があればぜひご指摘いただきたい。

今のところ、番組を見た匿名掲示板住民(いわゆるアンチ)の感想としては「ネットのアンチが殺したみたいに言うな」「むしろ氏を持ち上げてきた(NHKを含めた)メディアやスポンサーが殺したのだろうが」「SNSに責任転嫁するな」みたいな声が多く聞こえる。録画しないでリアルタイムで見ると、全体の流れよりも一言二言のナレーションだけが頭に残り、それが番組全体の印象になりがちだけど(まあ実際にツイッターで生前の栗城氏を知らない人が見た番組の感想には「アンチはひどい」とか結構あるので、アンチの憤りはもっともなのだけども)、改めて録画を見直してみればNHKは割とフェアに作っているよ、というのがまず1点。次にNHKは真摯に作っているけども栗城氏の人物像に関しては的を外しているのではないか、というのが2点目。これを順番に説明してみようと思う。

まず1点目。

ナレーションで「ユーチューバーの先駆け」と言ってしまう辺り「この人は本格的な登山家ではなかったんですよ」という事実は示していたと思う。マナスルの頂上まで行ってないとか、単独・無酸素も演出上のキャッチフレーズだ(小林マネージャーの「“単独無酸素”はあくまで本人の中でのこだわりなんです」をちゃんと使って偉い)、みたいな話もちゃんと紹介している。もちろん「亡くなってからネタ晴らしするのはいかがなものか、NHKこそ冒険詐欺に加担してたじゃないか」という批判は当然あるわけだけど、栗城氏にアンチが生まれるにはそれ相応の理由があったことを示しているので、ドキュメンタリーとしては誠意を見せていると思う。

特にアンチの不興を買ったシーンは、栗城氏が亡くなった直後のアンチ掲示板から「叩けない淋しさを知った。」という書き込みを敢えて拾った事だろう。わざわざあれを選ぶのは悪意あるよね。しかし、拾ったのは込山翔氏(ネットニュース配信会社)なんよね。ずるい。あれだとNHKは「私が見つけたんじゃありません。ネットの専門家に尋ねたら例示されただけです」と言い訳できるし、これはまあ報道としてあまり責任あるやり口ではない。余談だが、ネット中毒者としては「叩けない淋しさを知った」のニュアンスというか諧謔も分かるんよね。「お前が生きてるから、こっちも安心して叩けるんであって、死んでるんじゃないぜ、バカ!」という愛情込めた感じ。まあお行儀がよくないのは事実。とここまで書いた後で匿名掲示板のアンチスレをみると、ネットニュース配信会社ってJ-CASTニュースでお馴染みの株式会社ジェイ・キャストだったのね。エンドクレジットでは名前が出てた。検索したら元ネタのウェブ記事もあった。

https://www.j-cast.com/2018/05/22329315.html?p=all

「叩けない淋しさを知った」も記事で既出だった。というか、J-CASTニュースを読んでNHKが取材に行ったという前後関係。

それから栗城氏が「否定という壁」というスローガンを言い出したのはネットにアンチが増え出してからだ、というナレーションがあった。この言葉はネットのアンチへの応答というかアンチを見返すニュアンスが強そうなので、栗城氏の行動がアンチを見返すためにエスカレートしていった傍証にはなるかなと思うが、本当に最近なのか確証がないので、ちょっと評価を保留。検索すると確かに2016年頃からみたいね。これは後述する。

関連して、最後の登山であえて南西壁から登ったのは、別にアンチへの当てつけやフォロワーの関心をひくために行動がエスカレートしていったわけではなく、ノーマルルートでは登山者で渋滞していて映像映えしないからではないか、という説もちゃんと紹介していた。

個人的な番組への期待としては、メディアによる報道がスポンサーからの信頼とSNSフォロワーを生み、SNSフォロワー数がスポンサーを生み、スポンサーがつくことで登山ができ、登山することで報道とSNSフォロワーを生み…というネット時代らしいスパイラルを、番組の中でちゃんと分析してほしかった。

SNSが~、メディアが~、スポンサーが~、と印象論で責任を押し付け合っても仕方ないし、それならたとえばスポンサーのところに行って「契約にあたってはNHKの番組を見て信用しましたか? あるいはインスタグラムのフォロワー数などを参考にしましたか?」みたいな取材をしてほしかった、などを思いながら、ネットを検索していたらアンチが作ったウィキを発見したので読んだ。

栗城史多まとめ @ ウィキ」で検索!

うーん、これは厳しい。かなりのグレーゾーン。これを読んでると読んでないとでは栗城氏に対する印象が全然変わってくるね。①正直いえば、これを読むまで登山スタイルについて専門家から批判されているといういわば業界内の狭い話がネットで炎上して持続して叩かれるのがそもそも不思議だった(業界内で不興を買うのはもちろん分かる)。②登山の実績に関する大口や誇張は登山エンターテインメントらしい演出(面白くない地味な事実を話すくらいなら面白く盛れ!というのは、よしもと的というか明石家さんまイズムよね)や本人のキャラで済ませてあげたいとも思っていた。③しかしマルチや健康食品がスポンサーについたりしているのは、ネット住民に一番嫌われるパターン。ネット住民、スピリチュアルとか水素水とか特に嫌いよね(個人的にはJリーグサポなので、金策に走って怪しげな企業から資金提供を受けるのをあまり責められない)。言い方が難しいけど、まず③で嫌われて、嫌われた理由を補強するために①②が持ち出されるネットの典型な感じ。しかしこれではNHKもスポンサー面についてつっこんだ取材ができていない事を批判されても仕方ない。ということで、2点目に書こうと思っていたことを変更しよう。

栗城氏はどんな人だったのか?という話をするのは難しい。

番組開始5分のナレーション「なぜ彼を止められなかったのか?」…おそらくこれが番組のテーマ・コンセプト・問い。別の表現で「死に至った理由」とも言っている。

そして最後のナレーション「私たちは自分自身を見失うことなく、これからの時代を生きていくことができるのだろうか?」…おそらくこれが問いに対する回答。という事は要するに「なぜ彼は死んだのかといえば、彼が自分自身を見失ったからです」と言っている。NHK、アンチよりむしろなかなか辛辣。

番組では、自分自身を見失った理由を描く。その過程で、主にSNSのせい、承認欲求のせいと暗に示していく。

このNHKの辛辣な分析は当たっているのか。栗城氏はSNSで承認欲求をこじらせた人なのか。私の感触だとどうもそんな感じはしない。むしろ、チーム栗城というベンチャービジネスの責任を背負った起業家という感じ。「プロ下山家」と揶揄されていたようだが、裏を返せば生きて帰ることを最優先に考える判断力があったという事だろう。マナスル山頂のVTRシーンでも「とても危険なので行かないほうがいいということです」と話してて、とても冷静だった。アンチも「登る振りして金を稼いでいるんじゃねえよ」と批判していたわけで、だからこそ死亡が伝えられたときにアンチもびっくりしたわけで。

ただ、ベースキャンプでうまく回らないCDを聴くためにCDプレーヤーと2時間格闘していたとか、亡くなってすぐにトゥゲッターでまとめられた大学時代の先生が書いたエピソードとかを読むと、没頭して周囲が見えなくなる発達障害気味な行動(なんにでも発達障害のレッテルを貼るなという批判は甘んじて受けます)は元来あったのだろうけど。まとめウィキをみると、下山のためにシェルパやヘリコプターの世話になったりしているので、本当に無茶をする人だったのかもしれないけど。本当に猪突猛進タイプだったのかビジネス「プロ下山家」だったのかは正直わからない。

「冒険の共有」というのはビジネスのキャッチフレーズよね。初期の初期、登山の自撮りに沢山の「いいね」がついた時に気づいた事は、自分の行動が共感を呼ぶというよりは自分の行動がマネタイズできるということだろう。共感を呼ばなくなった後期に思いついた新しいキャッチフレーズが「否定という壁」だろう。コピーライターの才能は間違いなくあるが、これも本人が考えたかどうか分からない。

事故の真相というにはただの下衆の勘繰りになって申し訳ないが、ここまで書いたら下衆な事を書かないわけにもいかないだろう。

人気が落ちて段々と資金繰りも厳しくなってきた→「最後のエベレスト」にしてこれからは講演会事業で食っていこう→久しぶりにネットTVの生中継(大口のスポンサー)というチャンスをゲットできた→にもかかわらず自分は体調不良で高熱→なんとか生中継当日までは登っている姿を撮り、終わったらすぐに下山するつもりだ→だったのに、体調が予想以上に悪化して下山中に滑落。こういうのは起業家のプレッシャーではあっても、「いいね」の圧力ではないだろう。生きて帰るつもりだった人に対していくつかの要因が重なって起きた不幸な事故。

そもそもSNSの圧力で追いつめられて登山計画が段々とエスカレートしていった人ではなく、最初からいつか事故る無茶をした人という感じではある。正しいルート、正しい装備、正しい準備をした正しい登山に加えて21世紀らしいプラスアルファとして自撮り要素を加えていたら、たとえ登山が半人前でもこんな叩かれなかっただろう。登っている山の映像はすごい綺麗だもん。普通に登山中継をすれば必ず需要はあった。

まあその辺りも含め、スポンサー契約とインスタグラムのフォロワー数に相関あったのかとかビジネス方面でつっこんだ取材をしてほしかったのだが、NHKには無理っぽい。そこを追及できない限りは、本人が生前にアンチの事をどう思っていたかSNSをどう思っていたか等を語ってないので憶測でしか語れない。というか、そういう内面を語らせるのこそがメディアの仕事なのに、生前はうわべのPR番組しか作れなかったよね。残念。

これで、栗城氏はただ登山の感動を共有したいだけの無邪気な純粋まっすぐ馬鹿ナイスガイで、敏腕取り巻きが金づるにしていたのだったら本当にごめんなさい。

この番組のディレクターは滝川一雅という人なんだけど、栗城氏のウィキペディアに載っている他のNHK番組もおそらく滝川ディレクターだろう。

GTV「サミット 極限への挑戦」(2010年1月4日)←最初のエベレスト挑戦

GTV「No Limit 終わらない挑戦」(2012年12月23日)←4度目、凍傷した回

(余談だが、上の2回はどちらもNHKスペシャルじゃなかったのね。やはり局内でも報道/ドキュメンタリーではなく『プロフェッショナル』みたいなバラエティ/エンターテインメント扱いだったのだろうかと想像する。)

ネットを検索すると、他にも

ETV『一期一会 キミにききたい!』「厳しさと向きあう話@北海道・登山家の現場」(2007年04月28日)も滝川ディレクターが制作していたようだ。すごいよね、10年以上の長い付き合い。

これに加えて、最初に「亡くなったという報道まで栗城氏の事は知らなかった」と書いたが、マイPC内を検索すると、以下の番組クレジットが引っ掛かった。

GTV「5度目のエベレストへ 栗城史多 どん底からの挑戦」

2016/3/7再放送、43分、撮影:田嶋文雄、取材:河合美和、ディレクター:滝川一雅、制作統括:浦林竜太/北川朗、制作・著作:NHK・名古屋

おお、実は栗城氏を見た事があった。番組名でネット検索して内容要旨も読んでみると、かすかに見た記憶があった。栗城氏の名前は全然記憶に残ってなかったけど、「技術・体力的には充分頂上まで登れたのに、天候に阻まれて断念せざるを得なかったあああ、残念!」みたいな番組内容だった記憶がある。「制作がNHK名古屋になっているのに取材対象は名古屋関係ねえじゃん」と思った記憶もある。もしかすると、講演が愛知であったか何か関連があったかもしれないが、そこは本当に覚えてない。いま想像すると、たぶん滝川ディレクターが名古屋に異動になったにもかかわらず栗城氏の件だけは無理して追いかけたのかなと。ディレクターさん、栗城氏を素材として食い物にしていたというよりは、本気で栗城氏に心酔していたのかもしれない。あるいは2010年に番組を制作してから彼を取り巻く環境が激変した事に責任を感じていたのかもしれない。それから「同時期に見たNHK札幌制作の雪山滑降番組はカメラマンの数がけっこう多かったのに、これは雪山登山取材にしてはカメラマンの数が少ないな」と思った記憶もある。これは登山映像が栗城事務所からの素材提供で、日本国内での取材のみNHK名古屋が行ったからだろう。余談だが、NHKが自分で撮った素材と、栗城事務所から提供された素材は区別できるようにテロップ出して欲しいよね。というか、今後TVドキュメンタリーはそういうところ、どんどん指摘されるようになると思う。というか、厳格になれ。

滝川ディレクターは栗城氏の事、マッキンリー登頂に成功して、やんちゃだけど憎めない人間的魅力で札幌の政財界に可愛がられた初期(2004~2007頃)、怪しい水屋さんなんかにも資金を頼りながらインターネット中継と登山を組み合わせた新事業を立ち上げ、マスメディアにも出始めた中期(2007~2010頃)、NHKでの番組放送のおかげで立派な大手企業のスポンサーも入り、東京に拠点を移してブイブイいわしてた最盛期(2011~2012頃)、話題性も資金繰りも厳しくなってインスタグラムやクラウドファンディングのような新しい手法に活路を見出そうとした終盤(2013~2018頃)、全部見てきたのではないのかな。

NHKにはマルチの片棒を担いだ責任をとれとか言うつもりはない。NHKの看板番組である『NHKスペシャル』ではやはり客観性を装ったスタイルを崩せないのは仕方ない。作家性の強い作品は作れないのもわかる。だけど、10年以上も付き合いがあってカメラの前にいない時の栗城氏の姿も知っているのなら、いつか文章媒体でもいいから「私と栗城さんとの付き合いは10年以上になる。彼と出会ったのは…」というモノローグで始まる主観的に見た人間・栗城史多を描いてほしい。滝川ディレクターにはそうお願いしたい。