2019/1/14初回放送、50分、取材協力:ジェイ・キャスト、資料提供:栗城事務所/CRAZY/アフロ/ゲッティ、撮影:藤田大樹、ディレクター:滝川一雅、制作統括:大鐘良一/中村直文、制作・著作:NHK
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20年近くネットでTVドキュメンタリーウォッチングを書き、同時に20年近くネットの某匿名掲示板にどっぷり浸かってきた者として、この番組の感想を少し書いてみようと思う。栗城氏に関しては、亡くなった報道のときに初めて知り、それからネットでいろいろ検索しただけなので、生前の生中継なんかは見たことがない。もちろん登山についても素人なので登山がうんぬんかんぬんの話はなるべくしない。あくまでTVドキュメンタリーの話をしたい。栗城氏に批判的なブログ記事はだいたい読んだし、栗城氏に肯定的な映画監督・藤岡利充氏のヤフー記事も読んだ。2008~2009年頃に栗城氏と関わったHBC北海道放送制作「マグロになりたい登山家~単独無酸素エベレストを目指す!~」(2009年5月20日放送)の制作者ブログもとても参考になった。あくまでTVドキュメンタリーの話をするだけで故人を誹謗中傷するつもりはないけれど、まずい表現があればぜひご指摘いただきたい。
今のところ、番組を見た匿名掲示板住民(いわゆるアンチ)の感想としては「ネットのアンチが殺したみたいに言うな」「むしろ氏を持ち上げてきた(NHKを含めた)メディアやスポンサーが殺したのだろうが」「SNSに責任転嫁するな」みたいな声が多く聞こえる。録画しないでリアルタイムで見ると、全体の流れよりも一言二言のナレーションだけが頭に残り、それが番組全体の印象になりがちだけど(まあ実際にツイッターで生前の栗城氏を知らない人が見た番組の感想には「アンチはひどい」とか結構あるので、アンチの憤りはもっともなのだけども)、改めて録画を見直してみればNHKは割とフェアに作っているよ、というのがまず1点。次にNHKは真摯に作っているけども栗城氏の人物像に関しては的を外しているのではないか、というのが2点目。これを順番に説明してみようと思う。
まず1点目。
ナレーションで「ユーチューバーの先駆け」と言ってしまう辺り「この人は本格的な登山家ではなかったんですよ」という事実は示していたと思う。マナスルの頂上まで行ってないとか、単独・無酸素も演出上のキャッチフレーズだ(小林マネージャーの「“単独無酸素”はあくまで本人の中でのこだわりなんです」をちゃんと使って偉い)、みたいな話もちゃんと紹介している。もちろん「亡くなってからネタ晴らしするのはいかがなものか、NHKこそ冒険詐欺に加担してたじゃないか」という批判は当然あるわけだけど、栗城氏にアンチが生まれるにはそれ相応の理由があったことを示しているので、ドキュメンタリーとしては誠意を見せていると思う。
特にアンチの不興を買ったシーンは、栗城氏が亡くなった直後のアンチ掲示板から「叩けない淋しさを知った。」という書き込みを敢えて拾った事だろう。わざわざあれを選ぶのは悪意あるよね。しかし、拾ったのは込山翔氏(ネットニュース配信会社)なんよね。ずるい。あれだとNHKは「私が見つけたんじゃありません。ネットの専門家に尋ねたら例示されただけです」と言い訳できるし、これはまあ報道としてあまり責任あるやり口ではない。余談だが、ネット中毒者としては「叩けない淋しさを知った」のニュアンスというか諧謔も分かるんよね。「お前が生きてるから、こっちも安心して叩けるんであって、死んでるんじゃないぜ、バカ!」という愛情込めた感じ。まあお行儀がよくないのは事実。とここまで書いた後で匿名掲示板のアンチスレをみると、ネットニュース配信会社ってJ-CASTニュースでお馴染みの株式会社ジェイ・キャストだったのね。エンドクレジットでは名前が出てた。検索したら元ネタのウェブ記事もあった。
https://www.j-cast.com/2018/05/22329315.html?p=all
「叩けない淋しさを知った」も記事で既出だった。というか、J-CASTニュースを読んでNHKが取材に行ったという前後関係。
それから栗城氏が「否定という壁」というスローガンを言い出したのはネットにアンチが増え出してからだ、というナレーションがあった。この言葉はネットのアンチへの応答というかアンチを見返すニュアンスが強そうなので、栗城氏の行動がアンチを見返すためにエスカレートしていった傍証にはなるかなと思うが、本当に最近なのか確証がないので、ちょっと評価を保留。検索すると確かに2016年頃からみたいね。これは後述する。
関連して、最後の登山であえて南西壁から登ったのは、別にアンチへの当てつけやフォロワーの関心をひくために行動がエスカレートしていったわけではなく、ノーマルルートでは登山者で渋滞していて映像映えしないからではないか、という説もちゃんと紹介していた。
個人的な番組への期待としては、メディアによる報道がスポンサーからの信頼とSNSフォロワーを生み、SNSフォロワー数がスポンサーを生み、スポンサーがつくことで登山ができ、登山することで報道とSNSフォロワーを生み…というネット時代らしいスパイラルを、番組の中でちゃんと分析してほしかった。
SNSが~、メディアが~、スポンサーが~、と印象論で責任を押し付け合っても仕方ないし、それならたとえばスポンサーのところに行って「契約にあたってはNHKの番組を見て信用しましたか? あるいはインスタグラムのフォロワー数などを参考にしましたか?」みたいな取材をしてほしかった、などを思いながら、ネットを検索していたらアンチが作ったウィキを発見したので読んだ。
「栗城史多まとめ @ ウィキ」で検索!
うーん、これは厳しい。かなりのグレーゾーン。これを読んでると読んでないとでは栗城氏に対する印象が全然変わってくるね。①正直いえば、これを読むまで登山スタイルについて専門家から批判されているといういわば業界内の狭い話がネットで炎上して持続して叩かれるのがそもそも不思議だった(業界内で不興を買うのはもちろん分かる)。②登山の実績に関する大口や誇張は登山エンターテインメントらしい演出(面白くない地味な事実を話すくらいなら面白く盛れ!というのは、よしもと的というか明石家さんまイズムよね)や本人のキャラで済ませてあげたいとも思っていた。③しかしマルチや健康食品がスポンサーについたりしているのは、ネット住民に一番嫌われるパターン。ネット住民、スピリチュアルとか水素水とか特に嫌いよね(個人的にはJリーグサポなので、金策に走って怪しげな企業から資金提供を受けるのをあまり責められない)。言い方が難しいけど、まず③で嫌われて、嫌われた理由を補強するために①②が持ち出されるネットの典型な感じ。しかしこれではNHKもスポンサー面についてつっこんだ取材ができていない事を批判されても仕方ない。ということで、2点目に書こうと思っていたことを変更しよう。
栗城氏はどんな人だったのか?という話をするのは難しい。
番組開始5分のナレーション「なぜ彼を止められなかったのか?」…おそらくこれが番組のテーマ・コンセプト・問い。別の表現で「死に至った理由」とも言っている。
そして最後のナレーション「私たちは自分自身を見失うことなく、これからの時代を生きていくことができるのだろうか?」…おそらくこれが問いに対する回答。という事は要するに「なぜ彼は死んだのかといえば、彼が自分自身を見失ったからです」と言っている。NHK、アンチよりむしろなかなか辛辣。
番組では、自分自身を見失った理由を描く。その過程で、主にSNSのせい、承認欲求のせいと暗に示していく。
このNHKの辛辣な分析は当たっているのか。栗城氏はSNSで承認欲求をこじらせた人なのか。私の感触だとどうもそんな感じはしない。むしろ、チーム栗城というベンチャービジネスの責任を背負った起業家という感じ。「プロ下山家」と揶揄されていたようだが、裏を返せば生きて帰ることを最優先に考える判断力があったという事だろう。マナスル山頂のVTRシーンでも「とても危険なので行かないほうがいいということです」と話してて、とても冷静だった。アンチも「登る振りして金を稼いでいるんじゃねえよ」と批判していたわけで、だからこそ死亡が伝えられたときにアンチもびっくりしたわけで。
ただ、ベースキャンプでうまく回らないCDを聴くためにCDプレーヤーと2時間格闘していたとか、亡くなってすぐにトゥゲッターでまとめられた大学時代の先生が書いたエピソードとかを読むと、没頭して周囲が見えなくなる発達障害気味な行動(なんにでも発達障害のレッテルを貼るなという批判は甘んじて受けます)は元来あったのだろうけど。まとめウィキをみると、下山のためにシェルパやヘリコプターの世話になったりしているので、本当に無茶をする人だったのかもしれないけど。本当に猪突猛進タイプだったのかビジネス「プロ下山家」だったのかは正直わからない。
「冒険の共有」というのはビジネスのキャッチフレーズよね。初期の初期、登山の自撮りに沢山の「いいね」がついた時に気づいた事は、自分の行動が共感を呼ぶというよりは自分の行動がマネタイズできるということだろう。共感を呼ばなくなった後期に思いついた新しいキャッチフレーズが「否定という壁」だろう。コピーライターの才能は間違いなくあるが、これも本人が考えたかどうか分からない。
事故の真相というにはただの下衆の勘繰りになって申し訳ないが、ここまで書いたら下衆な事を書かないわけにもいかないだろう。
人気が落ちて段々と資金繰りも厳しくなってきた→「最後のエベレスト」にしてこれからは講演会事業で食っていこう→久しぶりにネットTVの生中継(大口のスポンサー)というチャンスをゲットできた→にもかかわらず自分は体調不良で高熱→なんとか生中継当日までは登っている姿を撮り、終わったらすぐに下山するつもりだ→だったのに、体調が予想以上に悪化して下山中に滑落。こういうのは起業家のプレッシャーではあっても、「いいね」の圧力ではないだろう。生きて帰るつもりだった人に対していくつかの要因が重なって起きた不幸な事故。
そもそもSNSの圧力で追いつめられて登山計画が段々とエスカレートしていった人ではなく、最初からいつか事故る無茶をした人という感じではある。正しいルート、正しい装備、正しい準備をした正しい登山に加えて21世紀らしいプラスアルファとして自撮り要素を加えていたら、たとえ登山が半人前でもこんな叩かれなかっただろう。登っている山の映像はすごい綺麗だもん。普通に登山中継をすれば必ず需要はあった。
まあその辺りも含め、スポンサー契約とインスタグラムのフォロワー数に相関あったのかとかビジネス方面でつっこんだ取材をしてほしかったのだが、NHKには無理っぽい。そこを追及できない限りは、本人が生前にアンチの事をどう思っていたかSNSをどう思っていたか等を語ってないので憶測でしか語れない。というか、そういう内面を語らせるのこそがメディアの仕事なのに、生前はうわべのPR番組しか作れなかったよね。残念。
これで、栗城氏はただ登山の感動を共有したいだけの無邪気な純粋まっすぐ馬鹿ナイスガイで、敏腕取り巻きが金づるにしていたのだったら本当にごめんなさい。
この番組のディレクターは滝川一雅という人なんだけど、栗城氏のウィキペディアに載っている他のNHK番組もおそらく滝川ディレクターだろう。
GTV「サミット 極限への挑戦」(2010年1月4日)←最初のエベレスト挑戦
GTV「No Limit 終わらない挑戦」(2012年12月23日)←4度目、凍傷した回
(余談だが、上の2回はどちらもNHKスペシャルじゃなかったのね。やはり局内でも報道/ドキュメンタリーではなく『プロフェッショナル』みたいなバラエティ/エンターテインメント扱いだったのだろうかと想像する。)
ネットを検索すると、他にも
ETV『一期一会 キミにききたい!』「厳しさと向きあう話@北海道・登山家の現場」(2007年04月28日)も滝川ディレクターが制作していたようだ。すごいよね、10年以上の長い付き合い。
これに加えて、最初に「亡くなったという報道まで栗城氏の事は知らなかった」と書いたが、マイPC内を検索すると、以下の番組クレジットが引っ掛かった。
2016/3/7再放送、43分、撮影:田嶋文雄、取材:河合美和、ディレクター:滝川一雅、制作統括:浦林竜太/北川朗、制作・著作:NHK・名古屋
おお、実は栗城氏を見た事があった。番組名でネット検索して内容要旨も読んでみると、かすかに見た記憶があった。栗城氏の名前は全然記憶に残ってなかったけど、「技術・体力的には充分頂上まで登れたのに、天候に阻まれて断念せざるを得なかったあああ、残念!」みたいな番組内容だった記憶がある。「制作がNHK名古屋になっているのに取材対象は名古屋関係ねえじゃん」と思った記憶もある。もしかすると、講演が愛知であったか何か関連があったかもしれないが、そこは本当に覚えてない。いま想像すると、たぶん滝川ディレクターが名古屋に異動になったにもかかわらず栗城氏の件だけは無理して追いかけたのかなと。ディレクターさん、栗城氏を素材として食い物にしていたというよりは、本気で栗城氏に心酔していたのかもしれない。あるいは2010年に番組を制作してから彼を取り巻く環境が激変した事に責任を感じていたのかもしれない。それから「同時期に見たNHK札幌制作の雪山滑降番組はカメラマンの数がけっこう多かったのに、これは雪山登山取材にしてはカメラマンの数が少ないな」と思った記憶もある。これは登山映像が栗城事務所からの素材提供で、日本国内での取材のみNHK名古屋が行ったからだろう。余談だが、NHKが自分で撮った素材と、栗城事務所から提供された素材は区別できるようにテロップ出して欲しいよね。というか、今後TVドキュメンタリーはそういうところ、どんどん指摘されるようになると思う。というか、厳格になれ。
滝川ディレクターは栗城氏の事、マッキンリー登頂に成功して、やんちゃだけど憎めない人間的魅力で札幌の政財界に可愛がられた初期(2004~2007頃)、怪しい水屋さんなんかにも資金を頼りながらインターネット中継と登山を組み合わせた新事業を立ち上げ、マスメディアにも出始めた中期(2007~2010頃)、NHKでの番組放送のおかげで立派な大手企業のスポンサーも入り、東京に拠点を移してブイブイいわしてた最盛期(2011~2012頃)、話題性も資金繰りも厳しくなってインスタグラムやクラウドファンディングのような新しい手法に活路を見出そうとした終盤(2013~2018頃)、全部見てきたのではないのかな。
NHKにはマルチの片棒を担いだ責任をとれとか言うつもりはない。NHKの看板番組である『NHKスペシャル』ではやはり客観性を装ったスタイルを崩せないのは仕方ない。作家性の強い作品は作れないのもわかる。だけど、10年以上も付き合いがあってカメラの前にいない時の栗城氏の姿も知っているのなら、いつか文章媒体でもいいから「私と栗城さんとの付き合いは10年以上になる。彼と出会ったのは…」というモノローグで始まる主観的に見た人間・栗城史多を描いてほしい。滝川ディレクターにはそうお願いしたい。