パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

BS-hi『証言記録 兵士たちの戦争』

7回シリーズ、各45分枠(実質43分)

12日「西部ニューギニア 見捨てられた戦場〜千葉県・佐倉歩兵第221連隊」
撮影:今井輝、ディレクター:有代真澄、制作統括:山本展也、制作・著作:NHK
放送前の仮タイトルは「西部ニューギニア 死の転進〜千葉県・佐倉歩兵221連隊」。無能司令部によってソロンとマノクワリの間を往復させられた時よりも、戦略的に意味がなくなって自軍と米軍双方から放置されてからが更に地獄だったことからタイトル変更か。印象的なコピーは「マノクワリは天然の捕虜収容所」。恐らく「誰がうまいこと言えと…」と当時も思ったから、60年経っても覚えているのだろう。

13日「北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊〜福岡県・陸軍第十八師団」
撮影:國清大介、ディレクター:錦織直人、制作統括:嶺野晴彦、制作・著作:NHK福岡
放送前の仮タイトルは「北部ビルマ 最強部隊を苦しめた密林戦〜福岡県・久留米第18師団」。“苦しめた”より“倒れた”の方が真実に近いからタイトル変更か。印象的なコピーは、米軍の空中補給をかっぱらった食料を「チャーチル給与」と呼ぶ。ある証言者曰く「九州の軍隊はね、ある程度のことはやりますよ」。日本全国横並びの印象が強い現代人としては、「どこそこの部隊は根性がない」とかそういう県民性を下地にした優越感とか劣等感みたいなものはうまく想像出来ない。

14日「マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法〜三重県鈴鹿海軍航空隊」
撮影:一之瀬正史/野一色信正、ディレクター:鈴木昭典、制作統括:山下信久/杉山尚、共同制作:NHKきんきメディアプラン、制作協力:ドキュメンタリー工房、制作・著作:NHK大阪
放送前の仮タイトルは「マリアナ沖 失敗した新戦法〜三重県鈴鹿海軍航空隊」。制作者は“失敗”ではなく“破綻”、“新戦法”ではなく“必勝戦法”とみたか。印象的なコピーは、米兵曰く「マリアナ七面鳥撃ち」。視聴しながら、言葉の選び方などが雑な印象を受ける。地のナレーションは控えめにし、証言者の肉声で多くを語るようにして欲しいところを、劇画チックな言葉遣いに感じられる。偏見かもしれないが、外部の制作会社のノリがNHK的ではなかったのかも。というか、NHKあげてのプロジェクトなんだから自力で制作しろよと言いたい。ちなみに放送予定とは2回目と3回目が入れ替わった。3回目にまわったNHK大阪は締め切りも破った上に、この出来なのか。

20日「ビルマ 退却戦の悲闘〜福井県敦賀歩兵第119連隊」
撮影:図書博文、ディレクター:山登宏史、制作統括:濃明修、制作・著作:NHK福井
放送前の仮タイトルは「退却支援 崩壊したビルマ戦線〜福井県敦賀歩兵119連隊」。“悲闘”はちょっと感傷的に過ぎるかも。先の放送で、福岡の連中は余所を馬鹿にしていたが、その福岡師団の退却を支援した部隊もあるということ。

21日「中国大陸打通 苦しみの行軍1500キロ〜静岡県・歩兵第34連隊」
撮影:石間邦弘、ディレクター:宮脇壮行、制作統括:沖田喜之、制作・著作:NHK静岡
放送前の仮タイトルは「大陸打通作戦 苦しみの行軍2000キロ〜静岡県・歩兵34連隊」。見出しには地名が必要、そして距離が500キロ減った。きりの良い数字と正確な数字のどちらにしようか迷ったのか。無茶な行軍を強いられているのに、戦闘そのものでは結構勝利を収めていることに驚く。

22日「フィリピン最後の攻防 極限の持久戦〜岡山県・歩兵第10連隊」
撮影:伊藤武史、コーディネーター:倉津幸代、ディレクター:白数直美、制作統括:中原常雄、制作・著作:NHK岡山
放送前の仮タイトルは「陸の特攻 フィリピン最後の攻防〜岡山県・歩兵10連隊」。斬り込み戦法は“特攻”というより“持久戦”ということだろうか。印象的なコピーは、食べて痺れる山芋が「電気芋」。兵士が死んだ仲間の遺体を食べるところを見たという証言あり。ディレクターが「他局に負けない貴重な証言を!」と意気込んで話を引き出したら、意外と他局が自重気味で浮いてしまった感もあるけど、他人の心に踏み込んで加害者になることを恐れない人じゃないと、良いドキュメンタリーは作れないのかもしれない。

23日「満蒙国境 知らされなかった終戦〜青森県・陸軍第107師団」
撮影:村井陽亮、ディレクター:高橋司、制作統括:原靖和、制作・著作:NHK青森
放送前の仮タイトルは「ソ満国境 知らされなかった終戦〜青森県・野砲兵107連隊」。アルシャンは満州ソ連の国境ではなくモンゴルと接している地点。小さな連隊だけでは証言者が集まらなかったのか、広げて師団の話に変更。

ドイツのテレビ局が制作した傑作ドキュメンタリー『スターリングラード』は、戦況の編年的説明→当時の史料映像→その現場にいた当事者のインタビュー映像、のコンビネーションが見事だったが、その形式を参考にしたのかと思うような巧みな構成になっていたと思う。今回の場合、相手方や現地住民の証言がない作りなのは意図的なものだし。
仮タイトルを付けた時は、取材を始める前に戦史などを読み、頭の中で組み立てた構成があり、実際に生き残った証言者の話を聞き、強調したいポイントが変化して付いたのが実際のタイトル。そんな想像をして両方を併記してみた。
番組中に登場した証言者の氏名は一応メモしたが、一般人の氏名をネット世界で永久に晒す必要もないだろうから省略。とはいえ、氏名で検索すると、自費出版された回想録や新聞記事がヒットするので公的な存在になっているといえる人もいる。制作者もそういうところから証言者を探し、番組を構成していったのだろう。
証言中の「びっこ」や「支那軍」は字幕テロップでは「足を引き摺り」「中国軍」と改変されて表示。昔の人が当時のままに喋っているのだから、わざわざ政治的に正しくしなくても。
学生時代、地理の時間には山脈や峠の名称を覚えたものだが、こうして地勢を想像しながら戦争を振り返ると、地理学や博物学は植民地支配の賜物なんだと改めて実感する。
軍事知識に疎い現代人だが、小隊(10〜20人)〜中隊(小隊×4〜5)〜大隊(中隊×4〜5)〜連隊(大隊×3=数千人規模)〜師団(連隊×3〜4=1〜2万人)と、こんな解釈で良いだろうか。中隊長が連隊長に声をかけてもらっただとか、歩兵が中隊長の顔を知っていただとか、現代の会社組織として喩えると、どのくらいの上司と部下の距離感なのか、今一つ想像出来ないのがもどかしい。ものすごく上の方の幹部職/管理職/経営陣が無茶な命令を出しやがるけど、顔の見える直属の上司には命を預けられる感覚。

上で「印象的なコピー」をいくつか書いたけど、戦友会で会う度に話題にする共通のネタは、何度も話すうちに洗練されてきて、面白く聞けるけど、いろんな人の記憶が混ざっている可能性もある。逆に、今まで妻子にも話したことがなかったし、戦友とあっても暗黙の了解で話題にしなかったような記憶を、カメラの前で言葉に詰まりながら涙ながらに語ってもらえるだけの信頼をテレビディレクターが得られるか、というのも難しい。カメラの前で語られたことを「ほらみろ、当事者がこうおっしゃっているではないか」と奉るだけなのもいけないが、「今さら年寄りの昔話なんか聞かなくていいじゃん」というわけでもない。「オーラルヒストリー」で検索すると、最近では中学の授業で旧日本兵のお年寄りに話を聞くなんてのもあるらしいが、歴史の授業としては危ういけど、情操教育としては素晴らしいかもしれない。
とにかく我々は各ディレクターの力量を知らないわけだから、こうしてクレジットを記録していることに意味があると思いたい。