パロップのブログ

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『僕たちは希望という名の列車に乗った』の感想(ネタバレ全開)

6月1日に観た『僕たちは希望という名の列車に乗った』がすごく面白くて、純粋に青春映画としても東ドイツあるある映画としても何かをすごく書きたくなる映画なんだけど、私のツイッターTLには相互フォローしていただいている名だたるドイツ史家の方々がおられ、あまり大っぴらに思い込みで間違ったことを書くと怒られが発生しそうなので、自分のブログでこっそり感想というか疑問点みたいなものをメモ程度に書いておこう。むしろ素人が映画を観ながらどこで躓いたかを詳らかにすることで、専門家が映画謎解きムックを出す際の参考にしていただけるとありがたい。それならまずパンフレットを読め!と言われそうだが、全くもってその通りです。パンフ買ってなくてごめんなさい。

映画の最後の方までずっと、お調子者のテオがノリで黙祷を言い出して、純粋まっすぐ君のクルトがそれを真にウケちゃったと思い込んでて、だから「クルトは親友をかばって罪をかぶるのか、偉いなあ」みたいに見ていたことを告白しとく。そんな程度の人間が書いた感想文です。

映画の最後の最後、ラストシーンで気付くまで東ベルリンが舞台だと勘違いしてた。いや、スターリンシュタットのテロップが出たのはもちろん見ているんだけど、「あんなショボい列車で西ベルリンまで行けるのは市内交通程度だろ」くらいに思ってたし、テオ父の1953年暴動のエピソードから「暴動が起きたのってベルリンだけよね?」と間違った知識で勘違いしてしまった。そんな程度の人間が書い…以下略

1945年から1956年って、たった11年しか経ってないんよね。大人たちの言い分もそれぞれよく分かる。みんな機会主義者で出世主義者ではなく、それぞれの正義を説いている感じ。クルト父もモスクワから戦車に乗って来たのかもしれないけど「ナチスを倒すぞ、素晴らしい社会主義を築くぞ」という思いに嘘はなかっただろうし。西側陣営が社会主義体制を破壊しようとしているのも誇大妄想じゃないし、実際に工作しているし。

ちょっとズルしてカンニングしました。

連邦共和国や西ベルリンに逃亡していった人の数は、1953年には33万1000人以上、1954年でも18万4000人、1955年になると25万2000人に達した。多かったのは、社会主義統一党が特に接近し、利益を代表していたとされていた青年、農民そして労働者であった。

  ヘルマン・ヴェーバードイツ民主共和国史』pp.75-76

 

逃亡者の数は1959年14万3000人、1960年19万9000人だったが再び増加し、1961年には雪崩のようになり、1961年4月だけで3万人に達した。

  同 p.97

多いねー。カジュアル亡命、というかむしろただの移住と言っても過言ではない。率直に食えないという経済的な理由だったのか、希望が見えない閉塞感だったのか。1953年にスターリンが死んで、暴動が起きて、そこから1957年頃まではウルブリヒトも党内の反対派に批判されたり解任されそうになったりしてたのね。まだ路線対立や党内議論があった頃。西側の工作で政権が転覆する可能性がまだまだ信じられる頃。この辺りから強固な官僚制の建設が加速して、68年も乗り切って、ポーランドドイツ国境も画定して、75年くらいには一番強固に見えて永遠に続きそうな感覚だったのだろう。ところが後世からみたら東側の経済がダメになってヨロヨロしてきたのってまさに70年代後半から80年代前半で、リアルタイムの感覚はマジであてにならない。

息子が亡命したら市議会議長の父に迷惑がかかるとは一応言ってたけど、家族から亡命者を出したら一族郎党まで連帯責任で出世は無理、みたいな厳しさはまだ無かったのかな。たしか後年はそんな感じじゃなかったっけ?

ウィキペディアの赤色戦線戦士同盟やミールケの項目をみても、戦時中は何をやっていたのか今ひとつわからんね。

市議会議長や校長より党幹部の方が偉いのも、現代の若者には分かりにくそう。

市議会議長の息子と製鉄所作業員の息子の着ている服にさほど差を感じないのは良い国よね。1995年以前の日本を知らない若者に東ドイツの“悪さ”(もちろん括弧付き)を説明するのってけっこう難しそう。先生「国家があなたの隣人に至るまで悪いことを企んでいないか監視していたのです」学生「安心じゃん」先生「競争がなく一生懸命働いても怠けても給料は変わらないのです」学生「平等じゃん」学生「結局は経済運営に失敗して物が無くなったからでしょ」先生「そうともいえるけど、それ以外にも世の中には自由や民主主義といった大切な価値もあるんだけど…うーん伝わらない」みたいな。

プスカシュ死亡!の誤報が世界を駆け巡っていたのは知らなかった。たしかあの時はホンヴェド単独チームで海外遠征中だったはず。まあ西側のニュース映画、ラジオ放送も大概なプロパガンダよね。冷戦期のウィーンはスパイがウヨウヨしていましたとか、西も東も等しく工作してましたとか、金大中とか赤い大公とか主権国家から人が誘拐されるのってマジでヤバいのよとか、そういう感覚も現代の若者に説明するのは難しそう。「自由と民主主義」の庇護者とそれを奪う独裁政権といった単純な構図じゃない。

私が曲がりなりにもアンテナを張って勉強してた1993〜95年頃って、ちょうど資本主義の暴風が吹き荒れてて「自由になったというけれど、生活は苦しいし、社会主義にも良いところはあったね」という回顧の真っただ中だった記憶だけど、それからNATOに加盟してEUに加盟して、ポーランドでもハンガリーでも歴史認識としては「あれはボリシェビキとその手下による権力の簒奪。正統性も何もありません」てな感じで定着しつつあるようにみえるけど、あってるかな? きっとポーランドハンガリーにも網谷先生や中田先生のような政治学者が存在して「1945~48年には様々な可能性が開かれていました。あらかじめ共産党独裁への道が敷かれていたと考えてはいけません」とか学術的に述べても、市井の人々には届きそうもない感じ? 専門家の最新の研究成果と一般人の素朴な認識とでズレが出ると、なかなか修正が難しそうね。

まだまだ戦争の名残りがそこらにありつつも、世の中が固まりそうな時期。日本共産党が武力闘争路線を捨てたのが1955年で、「もはや戦後ではない」の経済白書が1956年。六〇年安保まではまだあと少し。この辺りの時代を『三丁目の夕日』的にではなく、2019年の地平から批評的に日本を描いた映画を作るとしたら、どんな感じになるだろうか。今の日本だとそういう映画は作られそうもないけれども。

良くも悪くも男女隔てなく職業労働させられた東ドイツから西側へ亡命した女の子は、男子より優秀な成績を収めてもろくな仕事がない西側にがっかりしなかったのかな? その辺り、男子と女子とでは亡命体験の回想やライフコースが全然違ってそう。

テオとクルトの関係はBL腐女子ホイホイ案件だと思ったけど、同じ物語内でゲイが迫害される話が出てくるとBL妄想にためらいが生まれるのかどうか。妄想と現実のコンフリクトに気が引けたりはしないのか。実際の腐女子はどんな感じなんだろう。パウルのおじさんが本当にゲイだったのかよく分からなかった。政治的に迫害されて街の外れに住んでいるのを子供たちが理由もわからずに誹謗中傷としてゲイ呼ばわりしているのかと思って最初は見ていたが、エリックの義父が同性愛者だと言ってたから本当だったのか? 同性愛者だから保守的な街全体から迫害されて街の外れに住んでいたのか? 党としては「同性愛者単体なら村八分で許してやるけど、西側放送の違法傍受が重なると捨て置けない」という感じか。ニュアンスが分からなくて難しい。それはともかくキリストの使者が「同性愛者は刑務所でひどい扱いを受けるぞ!」って言うの、ブラックジョークぽいと思ったり。同性愛者を迫害しているお前らが言うな。カトリックプロテスタントか一目見て分からない自分の教養の無さにがっかりしたが、このブラックジョークならどっちでも通用するはず。

映画監督に憧れる芸術家肌のパウルユダヤ系な見た目だったけど、彼らもモスクワ帰りの一族かな。専門家なら、おじさん家の家具や食器からピンとくる人もいるのだろうけど。パウルを演じる俳優さんIsaiah Michalskiさんのウィキペディアをみると「バイリンガル」って書いているけど、英語とドイツ語だった。

真面目な映画評で「テオもクルトもレナのおっぱいに引っ掛かっただけじゃん」みたいな思春期あるあるを指摘するのはまずい感じがある。「レナの内面的な魅力をちゃんと描いているじゃないか!監督は3人をそんな薄っぺらいステレオタイプなキャラにしていない!」と怒られそう。じゃあ、西ベルリンで映画を観て戻ってきた2人にパウルが「おっぱい見た、おっぱいおっぱい」と尋ねるというそれこそステレオタイプな表現には、おバカ思春期男子の微笑ましいエピソードみたいに流されるのにちょっとイラっとして、嫌みを言ってみました。

「この映画に出てくる子供たちは自分で考えて自分で決断して立派だ」と言いたい人もいるだろうだろうし、そこは否定しないけど、やっぱり子供はバカだし、バカなことをするわけで、バカなことをした責任を子供にとらせたり、子供に決断させる社会は、子供の意見を抑圧する社会と同じくらいまずいんじゃないの?みたいなことは思う。バカなことをする自由というか、急いで責任ある大人にしない自由というか、そもそも子供に信念を問わない社会が良い社会じゃないのか。脱原発にしろ温暖化反対にしろ、子供の意見はその程度のものとして聞き流す。その代わり、何年も経ってから「あの時、お前はこう言ったじゃないか」と当時の言論の責任を追及もしない。うーん、18歳くらいの人間をどう扱うのか、ドイツと日本では全然感覚が違うのかもしれないが。

実際、現代ドイツっ子がこの映画を見たら、どんな感じなんかな。ドイツは15歳くらいでシビアに人生コースが選別されるという話だが、学問進学コースじゃなくて手に専門職労働者コースに振り分けられた子がこれを見ても、鼻白んだりしないのかな? 俺らだって自分で選択したように見せかけて、能力主義という現代の新しい思想によって強制的に人生を選ばされているぜ!

最後まで「私も」で立ち上がらなかった最前列の女の子、一緒に退学になっちゃって、その後はどうしたのかねえ。

エリックは可哀そうだったね。まあそもそもエリックが沈黙の理由をチクらないで2分間を乗り切れば、後からは何とでも言い訳できて、なんか変な悪ふざけをした子供たちで終わってたはずだが。もっと率先して大人のイヌになればいいのにと思わなくもなかったけど変に義理堅くて、あの辺りの感覚はちょっとわからなかった。

 

ドイツ民主共和国史―「社会主義」ドイツの興亡

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