パロップのブログ

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『世紀転換期のプラハ』に関するメモ

世紀転換期のプラハ―モダン都市の空間と文学的表象

世紀転換期のプラハ―モダン都市の空間と文学的表象

モダニズムを担った知識人の多くはブルジョワ家庭に生まれ、ブルジョワの階層文化のただなかで育ったにもかかわらず、あるいはむしろそれゆえに、その世界観や価値観にたいしラディカルな批判を突きつける思考を養った。彼らはまた、ブルジョワの主導で達成された科学技術優位の産業社会に否定的でありながら、最新のテクノロジーに熱狂し、それを利用した映像や音響のあらたな表現の実験に邁進した。
P.44

青年たちの眼に映ったプラハ・ドイツ社会は、多民族都市の現実から孤立し閉塞に陥っているにもかかわらず、それを認めることを頑なに拒んでいる、時代遅れの父親的権力の世界にほかならなかった。とはいえ当の息子たち自身には、父親の強大な経済力の恩恵にあずかったすえ、公務員や銀行員などの地位を得て、なんとか文学活動を続けるという二重生活者が多い。
P.121

100年ずらして1940年代生まれの団塊と1970年代生まれの団塊ジュニアの関係に似ているのかなあなんて。当時は一握りだったろうブルジョワ並みの豊かさを自分達が手にしている気もするし。俺が1870年代生まれの彼らに共感を持つ理由というか、両大戦間期チェコスロバキアを勝手に理想化して偏愛している理由とかが、この辺にあるのではないかというヒントをもらった。
全くの余談だが、リベレツ(ライヒェンベルク)、プルゼニュ(ピルゼン)、ヘブ(エガー)、テプリツェ(テプリッツ)などチェコサッカーでお馴染みの地は、全部ズデーテン地方にあったことを知る。安楽椅子海外サカヲタだと歴史には興味を持っても地理には疎くなりがち。