パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

自分の事

ここ数年は、紅白を見て天皇杯の決勝を見てから実家に帰っていたが、昨年末は大晦日に帰省した。一般人と紅白を見てもなかなか気分的に盛り上がらないわけで、ネットで「袴姿のサトタワロス」「あやみきktkr」「みうにゃああああ」などと実況しながら見たかった。それにしても、モー娘の演目にハロプロ仲間のカン娘が混ざるのは理解出来る。香西かおりの後ろに正式出演者のモー娘がゲスト参加しているのも理解出来る。しかし「香西かおりの後ろで踊るカン娘」というのは、どう屁理屈をつけても無理がある。三段論法にも程がある。
実家に帰ったら、景品に釣られて新年より長年購読していた読売から朝日に変えるとかで、12月31日付の両紙があったので暇つぶしに読み比べたりしてみた。コメントを寄せているアラブ研究者の見解はおおよそ「死刑執行は政治宣伝だろ」「でも今さらフセインがどうなろうが影響ねえよ」「まあ出口戦略がうまく行くかはこれから次第じぇねえの」なんだけど、これがメディアの手に掛かると「政治目的で執行した(ことでますます)内戦が悪化する懸念がある」みたく本来は関連のない前半部と後半部がミックスされてなんだかなと思った。ある面ではアラブ的価値観から断じ、またある面ではEU的人権思想から断じるのもなんだかなと思った。
両親の友人に個人経営の仕立屋を開いているおっさんがいたのだが、久しぶりに消息を尋ねると、ショッピングモールの中に入って仕立て直し屋をしているということだった。『Nスペ』のワーキングプア特集第1弾に登場した仕立屋じいさんの窮状に違和感があったのは、サハラ砂漠の真ん中で砂を売るビジネスが成り立たないからといって政治に問題があるとはいえないのではないかと思ったからで、衰退する地方都市の寂れた商店街で新しいスーツを買う人間がいないのならば、郊外に出来たモールに入れば馴染みの客だって足を運び易いだろうし、中国製スーツを売る格安量販店だって地域住民から信頼されている腕利き職人が近くで直し屋をすれば、いわゆるシナジー効果だって生まれるんじゃないのだろうか。放送当時は、そんな机上の空論を書いて苦況に陥っている人を突き放すような物言いをするのも何だかなと思ったので書かなかったけど、具体例を聞いたので今さらながら書き残しておく。かつてビールを配達してくれていた酒屋もスーパーの一角に引っ越したし、灯油を配達してくれていた電器屋もどっかの系列店へと名前を変えたし、地方都市はどこもそんなものではないだろうか。
著者の前2作は素晴らしく、この文庫も古本屋で安く入手し、と急いで読むための好条件が揃っているのもかかわらず、ネット依存症で読書自体がたるいのと、先に映画の方を見てしまったのとで放り投げていたニック・ホーンビィの『アバウト・ア・ボーイ』を実家で読了。もっと早く読んでおけば良かったと思うくらいに面白かった。自分も空虚な人生を送り、そして空虚な人生を楽しんでいるつもりだが、やはり35歳を過ぎた辺りから「このままで良いのだろうか」なんて不安を感じ始めるのだろうか。今のところは自分の中で、1コマ目が「さあて、空っぽの人生を送るとするか」、4コマ目は死ぬ間際に「何て空っぽの人生を送ってしまったんだ〜」という吉田戦車的な理想を描いているが、現実はもっと厳しいだろうか。今際の際に後悔したら、魂をこの世に残せそうな感じもするがどうだろう。余談だが、シングル・マザーを狙う連続「いいヤツ」魔とは『ザ・エージェント』のジェリーそのものではないか。