2006/3/25初回放送、90分、撮影:角文夫/福居正治、取材:高尾潤/岩本善政、ディレクター:馬場朝子、制作統括:塩田純
昨年11月にNHK-BS1で放送された「日本 ロシア 領土交渉の道」(ttp://d.hatena.ne.jp/palop/20051125)と内容が被っているのかと思ってチェックしてみたが、当時の資料映像に見覚えがあった以外は全くの別物だった。似たような内容のドキュメンタリーを別ユニットで併行して2本制作できるNHKは流石に金持ち。
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番組中で単独インタビュー映像が流れたのは、ざっと田中孝彦(一橋大学大学院教授)、下斗米伸夫(法政大学教授)、若宮繁子(小太郎の妻)&若宮啓文(小太郎の次男)、酒井新二(共同通信社記者)、石橋義夫(鳩山首相秘書)、石川達男(河野一郎秘書)、故新関欽哉(外務省参事官)、故下田武三(外務省条約局長)、故アディルハーエフ(ソ連側通訳)、クナッゼ(外務次官)、チフビンスキー(ソ連外務省参事官)、野村一成(駐ロ日本大使)、アレクサンドル・ロシュコフ(駐日ロシア大使)。
番組の監修的立場を担ったと思われる両教授と、締めのメッセージを寄せた現役の両大使、そして若宮小太郎氏の家族以外は、交渉当時の肩書。故人がいることからも分かるように、今回新たに取材した以外の映像もある。恐らくNHKが過去に製作したドキュメンタリーからの再利用だと思われるが、映像に重ねて「19××年に収録」「『NHKスペシャル』〈番組タイトル〉より」などのテロップを入れてくれると、TVドキュメンタリーの史料的価値と地位も上がるというものではなかろうか。過去に行った発言を後で否定する事だってあり得るわけだし、「いつ」言ったかも重要だろう。
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恐らく、新関『日ソ交渉の舞台裏―ある外交官の記録』(NHKブックス、1989年)、田中『日ソ国交回復の史的研究』(有斐閣、1993年)、下斗米『アジア冷戦史』(中央公論新社、2004年)辺りがネタ本で、これに昨年3月に公表された野口芳雄(河野農相通訳)による交渉の発言メモを足した内容。メモの要旨は検索すれば去年の報道が沢山出てくる。中日新聞の過去ログによると「交渉の概要は関係者の証言などで既に判明しているが、やりとりの一言一句を記録した公文書は日ロ両政府とも公開していない」とのことなので、このメモを元に構成した再現VTRが番組のキモだろう。
で、NHKサイトによれば、
戦後日本の大きな転換点となった1956年の日ソ共同宣言から50年を迎える。(中略)50年を機に、日露両国で日ソ交渉に関する新たな資料の存在が明らかになった。初公開される当時の鳩山一郎首相秘書官、若宮小太郎の日記。鳩山首相が日本を出発する10月7日から帰国の11月1日までの交渉団の詳細な行動が記録されている。
と「NHK独占の手柄」的扱いされている新資料だけど、これは物見遊山で随行した記者出身の秘書が漏れ聞こえる交渉の経過に一喜一憂している見聞録以上の内容ではないと思った。もちろん、交渉団の空気なんかはよく伝わってくるので確かに面白いのだけど、番組タイトルにあるような「50年目の真実!」というほどの史料ではない。今回の番組でいえば酒井氏のような感じで、当時随行した存命の人間に記憶を辿ってもらえば、似たような見聞録が出来るだろう。
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NHKサイトには、
鳩山首相は「日本の自主独立の確立は為政者としての崇高な義務、私が交渉の最適任者」と病をおして命がけの交渉に挑んだ。(中略)番組では、初公開の資料から、日ソ交渉、緊迫の7日間を克明に再現。関係者の証言と研究者による分析を織り交ぜながら、鳩山の独立国家としてどの国とも対等な関係を築きたいという、戦後日本の最初の自立外交の真相を描く。
と、現在の対米重視外交への当て付けのように鳩山ヨイショ視点で交渉が描かれているのだが、田中教授(←これは記憶違いかも)が番組中で分析した通り、鳩山の自主独立外交は彼の中にある大日本帝国的プライドの延長線上のものだろうに、番組ディレクターが望んでいるらしい現代の独自外交路線と同一視し、称賛して良いのだろうか。対ソ領土交渉をうまくやって返す刀で米国から沖縄・小笠原諸島等返還を引き出そうとする鳩山手法は、個人的にはすごく危なっかしく思えるのだが、当時の空気を知らない自分には分からない何かがあったのだろうと思うしかない。自分の勉強不足か。
それから若宮日記からの引用で「外務省は諦めムードだったのを、鳩山&河野の官邸サイドが頑張って交渉を実らせた」みたいなエピソードが何度か出てくるのだけど、これは日中国交回復が行き詰まった時、角栄が太平なんかに「だから君たち大卒はダメなんだ」と言ったエピソードに似ている。「小役人どもと違って、政治家たるもの、鳩山先生のように大きなビジョンを持つべきだ」的なメッセージを感じて興ざめする。
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最後はネット右翼的陰謀論で締めるのも一興。
番組中では、「若宮小太郎の次男」というテロップしか出なかった若宮啓文氏だが、実は朝日新聞の論説主幹である。更にいえば、現朝日新聞社社長の秋山耿太郎氏のライバルであり、次期社長の噂もある人物である。もっといえば、最近秋山氏の息子が大麻所持の現行犯で逮捕された事件は、新聞社内部の対立する陣営のリークによって表沙汰になったといわれている。
一方の『ETV特集』といえば心あるNHK左派の拠点として知られ、良質な社会派ドキュメンタリーを送り出している部門。前会長が失脚し、より左派色が強くなったといわれるNHKだが、そういえば4月から始まるNHKの看板ニュース番組『ニュースウォッチ9』のメインキャスターは、反米解説でお馴染みの柳沢秀夫解説委員である。
先に書いた通り、今回の番組でクローズアップされた若宮小太郎日記は、これまでの通説を覆すような史料ではない。しかも、文書館の奥底で眠っていたものを研究者が発掘したわけでもなく、若宮家のポケットに入っていたのを「いつ出すべきか」タイミングを見計らっていたに過ぎないのも明らかである。
これらの事実が何を意味するのか。つまり「この番組は、NHKと朝日新聞社が小泉打倒に向け、既に和解しているという暗号だったんだっ!」「なんだってぇ〜!!」なのか。
念のために書き添えておくと、自分は社会の矛盾を鋭くえぐる硬派なドキュメンタリーが大好きなので、NHKの現路線は大歓迎である。柳沢委員も国際部記者上がりらしい、視野の広いコメントを出す。
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余談だが、新聞社サイトの記事は一定期間経つと結構消えるので、自分のところにメモ要旨をズラズラ転載しようかとも思ったが、著作権の絡みで留まった。だが、元はといえば、メモを保管していた石川達男氏が「外交機密にかかわるが、このまま埋もれさせてしまうのは惜しい」と思い、メディアを通じて公開に踏み切ったわけで、メディアがメモを入手できたのも各自努力したわけでもなく、特権階級に属していたから勝手に降ってきただけなのを考えると、著作権は主張できないはず。「手書きのメモを判読して、愚民どもにも理解できるよう要約・記事化する技術は訓練された記者しか持っていない!」と編集権を主張されるかもしれないが、それならこちらも「編集せずに全文をネットに上げろ、この自称公共の利益に奉仕する団体ども!」と言い返したいところだ。