パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

カール・ラデックと私

リヴィウへの旅行の準備をしていると、準備そのものが楽しくなってきて、そもそもなぜリヴィウへ行こうと思ったのか忘れてしまうのだが、そもそもはカール・ラデックの生まれ故郷を見てみようかと思ったのだった。

カール・ラデックと私の出会いは高校生の頃に購入した平井吉夫編『スターリン・ジョーク』(河出書房新社、1990年)だった。同書は共産圏のアネクドートを集めたもの。たぶん自分の小遣いで買った初めての新刊本だったはず。学校からの帰宅途中に本屋に寄っては少しずつ立ち読みしてたけど、結局買った。 

スターリン・ジョーク (河出文庫)

スターリン・ジョーク (河出文庫)

 

 ラデックに関するアネクドートはだいたいこんな感じ。

反対派に属していたカール・ラデックは、ある日の中央委員会総会でも、しつこく批判の的になった。ラデックはぬけぬけと最前列に坐り、皮肉っぽく笑っている。

中央委員の一人がこう言った。

「同志諸君、ラデックの態度は言語道断であります。私がラデックのように攻撃されたとしたら、とっくに髪をかきむしっていることでしょう」

ラデックが答える。

「私がどうすればよいのか、教えて下さったのはありがたいのだが、あいにく、いま、両手をズボンのポケットにつっこんでいるものだから……」

反対派を片づけると、スターリンは協力者たちを召集して宣言した。

「同志諸君、いまや反対派は駆逐された。私は党の唯一の指導者である。諸君は私を書記長に選んだ以上、私の命令に従わなければならぬ。私が『水にとびこめ』と言えば、諸君はそうするのだ」

すると、ラデックが立ち上がり、ドアに向かって歩いていった。

「どこへ行くんだ、ラデック」とスターリンが詰問する。

「泳ぎを習いに」

コミンテルン大会。エスキモー代表が演説した。語学の天才ラデックが演壇に上って流れるようにロシア語で通訳する。

次はマレイ代表が演説。ラデックがよどみなく通訳。

ブラジル代表が語る。ラデックが通訳。

日本人がしゃべる。ラデックが通訳。

さらにアラビア人とハンガリー人とアイルランド人が話す。ラデックがいずれも流暢に通訳する。

とうとう一人の大会参加者かラデックのところへ行って質問した。

「同志ラデック、あなたが語学の天才であることは知っています。しかし、こんな変てこりんな言葉を、あなたがこれほど完全にマスターしているなんて、実際ありうることでしょうか」

「そんなことが、できるもんか」

「じゃあ、どうして通訳できるんですか?」

「じゃあ、連中はなにを言えるんだ?」

それまで共産主義者という人達は基本的に生真面目で、真面目過ぎるあまりに意見が対立する人をたくさん殺す人達というイメージだったので、ラデックのこのふざけた感じは衝撃だった。

アネクドートというのは基本的にロシア帝国の頃から語り継がれており、かつてニコライが入っていたところにスターリンやらブレジネフやらの名前が置き換わっただけ、みたいなのも多いのだが、ラデックのだけ無駄にオリジナリティあるよね。政治ジョークなんだから、基本的には作り話のはずなんだけど、ラデックのは「ラデックなら言いそうだよねー」と思わせる何かがあるよね。

ちなみに一番好きなのは以下のやつ。

一九二八年、レオン・トロツキーはモスクワから辺境のアルマ・アタに追放された。ある日、トロツキースターリンに、次のような電報を打った。

「同志スターリン。きみが正しい。ぼくが誤っていた。きみが国際労働運動の指導者だ。ぼくはそうじゃない。わるかったね。トロツキー

スターリンは協力者たちを召集して、この電報を読み上げた。みんな熱狂して立ち上がり、大歓声をあげたが、ラデックだけは坐ったまま、皮肉っぽく笑っている。スターリンが不機嫌に詰問する。

「ラデック、きみは反対派が降伏したことか嬉しくないのか」

「もちろん、嬉しいとも。でもねえ、スターリン、きみはユダヤ式電報の読み方を知らないようだ。まあ、電文を見せたまえ。正しい読み方を教えてあげる。『同志スターリン。君が正しい? ぼくが誤っていた? 君が国際労働運動の指導者だ? ぼくはそうじゃない? わるかったね! トロツキー』……」

そもそもアネクドートは口承なので、同じ文面なんだけど読み上げ方で違いを出すってのは本来の目的に適ってる感じがあるよね。完成度が高い。

みんなスターリン様にお追従を述べるなか、颯爽と小バカにする古参ボリシェヴィキ感いいよね。

これは全く作り話なんだろうか。似たような元ネタ事実があったりするのだろうか。国際共産主義を唱えたユダヤ系の2人が「ユダヤ式電報の読み方」というやや自嘲も入った冗談を本当に言ってたら、それはそれでちょっと切ない。

ホント好き。しかしこう長々と書いてはみたが、専門家から「お前は文脈が全く読めてない!解釈がおかしい!この素人が!」と怒られが発生しそうなのがアネクドートの奥深いところ。

それにしても90年代前半、年取ってロスジェネ底辺労働者になる前の、輝かしい未来が待っているはずの団塊ジュニアだった頃から私は冷笑主義者だったのか。

そうはいってもラデックの話題など自分から積極的に追わないとそうそう入ってこない時代だったので、その名を半分忘れかけていた20世紀から、時は流れて21世紀。ゼロ年代の初期にパソコンを買って日本語版ウィキペディアを検索していた時に見た「カール・ラデック」の項目は相当しょぼかった記憶だが、10年も経てばけっこう充実してきた。

・監視をくぐり抜けて目的地にたどり着けたのはラデックだけだった

・ためらうローザ・ルクセンブルクを論破

トロツキーがブリュムキンにラデック宛の小包を託したという状況証拠から、ラデックが密告したものと思われる

・粛清裁判での判決が比較的軽かったことから見て、彼が他人(ブハーリンなど)を売った可能性が高い

相変わらずキャラが立っている上に才能の無駄遣い感とクズ度が増している。この虚無感、まさにロスジェネ冷笑主義世代のヒーローになれる器。

しかし革命時代に表舞台でもこれだけ活躍しているのに、大した評伝がないのは何故か。何かの本で読んだ記憶では、革命の理論面や思想的発展に貢献してないということだったが。頭が切れてその場その場で口が立つから論破できるけど、それだけ。ほんと最低だな。

いやいや、そんな事はないでしょ、という事でアマゾンで探したラデックの評伝を1冊(英語版)購入した。そしてこれを翻訳するのを生涯の目標とした。もちろんこのサバティカル期間中にではない。 

Karl Radek: The Last Internationalist

Karl Radek: The Last Internationalist

 

もう今さら英語を勉強する気はサラサラない。単語と文法はグーグル様に任せる。私より学習能力があるのは間違いない。私が60歳になる頃にはもっと精度も上がっているだろう。私は時代背景に精通する事で文脈と固有名詞や略号を間違えない担当。

日本語でも『革命の肖像画―カール・ラデック評論集一九一八~一九三四』(三一書房、1982年)というのが出ていて、数年前に手に取ったこともあるのだけれど、面白くないというかわかりづらかった記憶しかない。むかし山形浩生先生がトロツキーロシア革命史』を「同時代の人にだけ向けて書かれたアジ」と評していたが、要するにリアルタイムに明確な論敵がいて、それに反論する形で書かれた文章って文脈を知らないと読めない。逆にいえば「おう、この文章は誰々のあれに反論するために書かれたやつか」と見抜けるようになったら伝記研究もバッチリという気はする。そこが目標。 

革命の肖像画―カール・ラデック評論集一九一八~一九三四 (1982年)

革命の肖像画―カール・ラデック評論集一九一八~一九三四 (1982年)

 

ラーナーの本が出たのが1970年だから、その後ソ連東ドイツの公文書が公開されて新しい研究も出ているのかもしれないが、ロシア語やドイツ語で論文を書かれてもフォローし切れない。まあフォロー出来たとしても、きっと「公開された新史料からラデックがクズであった事実が明らかになりました」「うん、知ってた」みたいな。

まあ2018年のリヴィウに行ったからといってラデックの足跡なんて残ってないし、全然意味なんてないんだけど、私の気分が上がるじゃん。いや、下調べをしているとますますリヴィウという街の歴史に魅了され、ラデックのことなんてどうでもよくなってくるが、乗りかかった船なのでとりあえず旅に出るまではラデック好きのつもりでいよう。