パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

『僕たちは希望という名の列車に乗った』の感想(ネタバレ全開)

6月1日に観た『僕たちは希望という名の列車に乗った』がすごく面白くて、純粋に青春映画としても東ドイツあるある映画としても何かをすごく書きたくなる映画なんだけど、私のツイッターTLには相互フォローしていただいている名だたるドイツ史家の方々がおられ、あまり大っぴらに思い込みで間違ったことを書くと怒られが発生しそうなので、自分のブログでこっそり感想というか疑問点みたいなものをメモ程度に書いておこう。むしろ素人が映画を観ながらどこで躓いたかを詳らかにすることで、専門家が映画謎解きムックを出す際の参考にしていただけるとありがたい。それならまずパンフレットを読め!と言われそうだが、全くもってその通りです。パンフ買ってなくてごめんなさい。

映画の最後の方までずっと、お調子者のテオがノリで黙祷を言い出して、純粋まっすぐ君のクルトがそれを真にウケちゃったと思い込んでて、だから「クルトは親友をかばって罪をかぶるのか、偉いなあ」みたいに見ていたことを告白しとく。そんな程度の人間が書いた感想文です。

映画の最後の最後、ラストシーンで気付くまで東ベルリンが舞台だと勘違いしてた。いや、スターリンシュタットのテロップが出たのはもちろん見ているんだけど、「あんなショボい列車で西ベルリンまで行けるのは市内交通程度だろ」くらいに思ってたし、テオ父の1953年暴動のエピソードから「暴動が起きたのってベルリンだけよね?」と間違った知識で勘違いしてしまった。そんな程度の人間が書い…以下略

1945年から1956年って、たった11年しか経ってないんよね。大人たちの言い分もそれぞれよく分かる。みんな機会主義者で出世主義者ではなく、それぞれの正義を説いている感じ。クルト父もモスクワから戦車に乗って来たのかもしれないけど「ナチスを倒すぞ、素晴らしい社会主義を築くぞ」という思いに嘘はなかっただろうし。西側陣営が社会主義体制を破壊しようとしているのも誇大妄想じゃないし、実際に工作しているし。

ちょっとズルしてカンニングしました。

連邦共和国や西ベルリンに逃亡していった人の数は、1953年には33万1000人以上、1954年でも18万4000人、1955年になると25万2000人に達した。多かったのは、社会主義統一党が特に接近し、利益を代表していたとされていた青年、農民そして労働者であった。

  ヘルマン・ヴェーバードイツ民主共和国史』pp.75-76

 

逃亡者の数は1959年14万3000人、1960年19万9000人だったが再び増加し、1961年には雪崩のようになり、1961年4月だけで3万人に達した。

  同 p.97

多いねー。カジュアル亡命、というかむしろただの移住と言っても過言ではない。率直に食えないという経済的な理由だったのか、希望が見えない閉塞感だったのか。1953年にスターリンが死んで、暴動が起きて、そこから1957年頃まではウルブリヒトも党内の反対派に批判されたり解任されそうになったりしてたのね。まだ路線対立や党内議論があった頃。西側の工作で政権が転覆する可能性がまだまだ信じられる頃。この辺りから強固な官僚制の建設が加速して、68年も乗り切って、ポーランドドイツ国境も画定して、75年くらいには一番強固に見えて永遠に続きそうな感覚だったのだろう。ところが後世からみたら東側の経済がダメになってヨロヨロしてきたのってまさに70年代後半から80年代前半で、リアルタイムの感覚はマジであてにならない。

息子が亡命したら市議会議長の父に迷惑がかかるとは一応言ってたけど、家族から亡命者を出したら一族郎党まで連帯責任で出世は無理、みたいな厳しさはまだ無かったのかな。たしか後年はそんな感じじゃなかったっけ?

ウィキペディアの赤色戦線戦士同盟やミールケの項目をみても、戦時中は何をやっていたのか今ひとつわからんね。

市議会議長や校長より党幹部の方が偉いのも、現代の若者には分かりにくそう。

市議会議長の息子と製鉄所作業員の息子の着ている服にさほど差を感じないのは良い国よね。1995年以前の日本を知らない若者に東ドイツの“悪さ”(もちろん括弧付き)を説明するのってけっこう難しそう。先生「国家があなたの隣人に至るまで悪いことを企んでいないか監視していたのです」学生「安心じゃん」先生「競争がなく一生懸命働いても怠けても給料は変わらないのです」学生「平等じゃん」学生「結局は経済運営に失敗して物が無くなったからでしょ」先生「そうともいえるけど、それ以外にも世の中には自由や民主主義といった大切な価値もあるんだけど…うーん伝わらない」みたいな。

プスカシュ死亡!の誤報が世界を駆け巡っていたのは知らなかった。たしかあの時はホンヴェド単独チームで海外遠征中だったはず。まあ西側のニュース映画、ラジオ放送も大概なプロパガンダよね。冷戦期のウィーンはスパイがウヨウヨしていましたとか、西も東も等しく工作してましたとか、金大中とか赤い大公とか主権国家から人が誘拐されるのってマジでヤバいのよとか、そういう感覚も現代の若者に説明するのは難しそう。「自由と民主主義」の庇護者とそれを奪う独裁政権といった単純な構図じゃない。

私が曲がりなりにもアンテナを張って勉強してた1993〜95年頃って、ちょうど資本主義の暴風が吹き荒れてて「自由になったというけれど、生活は苦しいし、社会主義にも良いところはあったね」という回顧の真っただ中だった記憶だけど、それからNATOに加盟してEUに加盟して、ポーランドでもハンガリーでも歴史認識としては「あれはボリシェビキとその手下による権力の簒奪。正統性も何もありません」てな感じで定着しつつあるようにみえるけど、あってるかな? きっとポーランドハンガリーにも網谷先生や中田先生のような政治学者が存在して「1945~48年には様々な可能性が開かれていました。あらかじめ共産党独裁への道が敷かれていたと考えてはいけません」とか学術的に述べても、市井の人々には届きそうもない感じ? 専門家の最新の研究成果と一般人の素朴な認識とでズレが出ると、なかなか修正が難しそうね。

まだまだ戦争の名残りがそこらにありつつも、世の中が固まりそうな時期。日本共産党が武力闘争路線を捨てたのが1955年で、「もはや戦後ではない」の経済白書が1956年。六〇年安保まではまだあと少し。この辺りの時代を『三丁目の夕日』的にではなく、2019年の地平から批評的に日本を描いた映画を作るとしたら、どんな感じになるだろうか。今の日本だとそういう映画は作られそうもないけれども。

良くも悪くも男女隔てなく職業労働させられた東ドイツから西側へ亡命した女の子は、男子より優秀な成績を収めてもろくな仕事がない西側にがっかりしなかったのかな? その辺り、男子と女子とでは亡命体験の回想やライフコースが全然違ってそう。

テオとクルトの関係はBL腐女子ホイホイ案件だと思ったけど、同じ物語内でゲイが迫害される話が出てくるとBL妄想にためらいが生まれるのかどうか。妄想と現実のコンフリクトに気が引けたりはしないのか。実際の腐女子はどんな感じなんだろう。パウルのおじさんが本当にゲイだったのかよく分からなかった。政治的に迫害されて街の外れに住んでいるのを子供たちが理由もわからずに誹謗中傷としてゲイ呼ばわりしているのかと思って最初は見ていたが、エリックの義父が同性愛者だと言ってたから本当だったのか? 同性愛者だから保守的な街全体から迫害されて街の外れに住んでいたのか? 党としては「同性愛者単体なら村八分で許してやるけど、西側放送の違法傍受が重なると捨て置けない」という感じか。ニュアンスが分からなくて難しい。それはともかくキリストの使者が「同性愛者は刑務所でひどい扱いを受けるぞ!」って言うの、ブラックジョークぽいと思ったり。同性愛者を迫害しているお前らが言うな。カトリックプロテスタントか一目見て分からない自分の教養の無さにがっかりしたが、このブラックジョークならどっちでも通用するはず。

映画監督に憧れる芸術家肌のパウルユダヤ系な見た目だったけど、彼らもモスクワ帰りの一族かな。専門家なら、おじさん家の家具や食器からピンとくる人もいるのだろうけど。パウルを演じる俳優さんIsaiah Michalskiさんのウィキペディアをみると「バイリンガル」って書いているけど、英語とドイツ語だった。

真面目な映画評で「テオもクルトもレナのおっぱいに引っ掛かっただけじゃん」みたいな思春期あるあるを指摘するのはまずい感じがある。「レナの内面的な魅力をちゃんと描いているじゃないか!監督は3人をそんな薄っぺらいステレオタイプなキャラにしていない!」と怒られそう。じゃあ、西ベルリンで映画を観て戻ってきた2人にパウルが「おっぱい見た、おっぱいおっぱい」と尋ねるというそれこそステレオタイプな表現には、おバカ思春期男子の微笑ましいエピソードみたいに流されるのにちょっとイラっとして、嫌みを言ってみました。

「この映画に出てくる子供たちは自分で考えて自分で決断して立派だ」と言いたい人もいるだろうだろうし、そこは否定しないけど、やっぱり子供はバカだし、バカなことをするわけで、バカなことをした責任を子供にとらせたり、子供に決断させる社会は、子供の意見を抑圧する社会と同じくらいまずいんじゃないの?みたいなことは思う。バカなことをする自由というか、急いで責任ある大人にしない自由というか、そもそも子供に信念を問わない社会が良い社会じゃないのか。脱原発にしろ温暖化反対にしろ、子供の意見はその程度のものとして聞き流す。その代わり、何年も経ってから「あの時、お前はこう言ったじゃないか」と当時の言論の責任を追及もしない。うーん、18歳くらいの人間をどう扱いのか、ドイツと日本では全然感覚が違うのかもしれないが。

実際、現代ドイツっ子がこの映画を見たら、どんな感じなんかな。ドイツは15歳くらいでシビアに人生コースが選別されるという話だが、学問進学コースじゃなくて手に専門職労働者コースに振り分けられた子がこれを見ても、鼻白んだりしないのかな? 俺らだって自分で選択したように見せかけて、能力主義という現代の新しい思想によって強制的に人生を選ばされているぜ!

最後まで「私も」で立ち上がらなかった最前列の女の子、一緒に退学になっちゃって、その後はどうしたのかねえ。

エリックは可哀そうだったね。まあそもそもエリックが沈黙の理由をチクらないで2分間を乗り切れば、後からは何とでも言い訳できて、なんか変な悪ふざけをした子供たちで終わってたはずだが。もっと率先して大人のイヌになればいいのにと思わなくもなかったけど変に義理堅くて、あの辺りの感覚はちょっとわからなかった。

 

ドイツ民主共和国史―「社会主義」ドイツの興亡

ドイツ民主共和国史―「社会主義」ドイツの興亡

 

 

つばきファクトリーライブツアー2019春・爛漫、福岡夜公演

2019/5/12、ドラムロゴス、17:00〜

つばき福岡夜公演の感想を書こう。例によって、ツイッターに連投しようと思ったらアホみたいに長くなったので、はじめからブログにしよう。140字に合わせて文章を練ったのもアホらし。

いま検索したら、新木場の2周年ライブから基本セトリは変わってないのね。DVDにもなっているし、ネタバレOKで書こう。ひなフェスの映像で「衣装、初めて見た、可愛いなあ」→「へー、新木場ライブの使いまわしなんだ」→「ヤター、リアルで見られて嬉しい」な地方民。

去年のハロプロ楽曲大賞で推しメンに投票して、1月に東京まで似顔絵書いてもらいに行ったところで、マイおみずブームは少し去っていたのだけれど(今冬はやなふな祭りだったし)、久しぶりに見るとやっぱり可愛かった。おみずはもともとジュンジュンまのちゃん系のビジュアルど真ん中だけど、今や道重ちゃゆの全盛期に勝るとも劣らない可愛さだった。

2019/5/14追記:私はアイドルをネタ消費してきた人間だけど、おみずはビジュアルも歌もダンスも好みど真ん中なのに中身には全然興味が持てないというこれまでにない稀有なアイドルなので、どう距離をとったものか戸惑っている。逆にもりとちはあれだけ歌って踊って可愛いのに、私にとってはそこにいるだけで自然と周りに人が集まる相関図消費の女王。

1曲目の『うるわしのカメリア』で浅倉ききちゃんのパートを秋山まおぴんが代わりに歌っているみたいで「おみずには分配されないのかなあ」と思いながらおみずを見ていたら、『春恋歌』辺りで一向にソロパートがやって来ない事に気づいたというか、そもそもマイクをハロプロ持ち(平行にして口に近づける)せず、マイクを立てて口から離してることに気づく。夜公演の入場待ちの間、暇つぶしに「つばき+福岡」でTL検索した結果、昼公演でおみずとまおぴんの声が不調だったのを知っていたので「あー、夜公演は歌わないのね」と私は理解した。おそらく2人ユニゾンパートは相方に任せて、本人のソロパートは誰かが代わりに歌うのだろうと。

最初のMCで山岸りこりこリーダーが「本日、小野はダンスのみの参加とさせていただきます」とか言うのかと思いきや、何の説明も無く流れていった。ここがまあ不慣れというか、その後の演者と客との齟齬に繋がった面はあるだろう。公演前におみずのソロパート分担は打ち合わせしてたの?してなくてその場のアドリブなの?と。

その後、少人数ユニットの『雪のプラネタリム』と『私のすごい方法』では、おみずがっつり歌ったので、逆にそっちにびっくりした。この2曲にこの日の全てを注力するつもりだったのね。

『表面張力』のおみずパート「グラつくと♪」が無音で過ぎた時、りこりこが斜め後ろ左隣りのおみずの方をハッと振り返ったのを見たけど、それが「あれっ?おみず歌わないの?」なのか「ごめん、カバーするの忘れてた!」なのかよく分からなかった。

アンコール1曲目明けのMC、横1列に並んでいる時には既におみずが半べそかいてて、その時点で「あー、これは話し始めたら余計に気持ちが高ぶって泣くやつだ」と想像がついたけれど、いざ挨拶のためお立ち台に上がると(おそらくお客さんに泣き顔を見せたくないという本人なりのポリシーが発動して)体ごと180度後ろを向き、お客さんにお尻を見せながら涙声でMCし、しばらく間を取って涙が止まった確信が持てたところで前を向いて全力の笑顔!という面白い感じになってしまった。面白いけどね。

いつも本人は狙ってあざといわけじゃないだろうけど、まあこれは女子に嫌われる女子だなと。そして豆腐メンタル女子大好きおじさんを捕まえられているかといえば今のところそういう感じでもないよね。既におっさんはこんこんの正統後継者島倉りか様に流れてる!

きしもんとりこりこが涙してたのは、もろもろカバーし切れなかったことへの悔しさかな。きしもんは素直に「おみずのパート、遠慮せずがっつり歌っていけば良かった」というパフォーマンス方向での後悔だろうし、りこりこは「私がもっとしっかりと舵を取っていれば…」っていうリーダーシップ面の後悔かな。

以上、泣いた話はこんなもんか。

ベリキューの意思を継ぐ者とか言っといてハロプロ全体の遺産を使いまくりじゃん。ズルいぞ。『乙パス』も『私のすごい方法』も好きな曲ばっかりで何の不満もないけど。むしろ私はベリキューに詳しくないし。キューの『超WONDERFUL!』は知ってたけど、ベリの『世界で一番大切な人』は分からなかった。セトリは回替わりが3曲あるみたいだけど、全て今回聴いたいわゆるパターンBの方が好きな曲ばかりでラッキー。しかし乙パス、あんなに何度と見たはずなのに元のパート割りなんて全然覚えてないもんだね。立ち位置も全然覚えていないもんだね。誰が誰の後継担当なのかさっぱり分からなかった。まっつーの1stアルバムは傑作だからツアー毎に1曲ずつ、5年で全曲やってもいいくらい。

シングル曲だと『純情cm』『二度シャワー』『就活』がセトリにないのかな。おー『低温火傷』もなかったか。持ち歌はまだまだ少ないのに春も秋もツアーしてるからワンパターンにならないようにしないといけないし、カバー曲で意思を継ぐのもいいけれど、去年の春も『JustTry』はセトリになかったし、1回も聴いたことがないぞー、こらー。「お前が行かなかった昨秋のツアーでやっとるわ!」と言われれば返す言葉もない。

りこりこがバキバキに踊れるところが少しだけ垣間見えるのは『気高く咲き誇れ!』と『ハナモヨウ』くらいか。そう考えると私が全く興味を持たなかった6人時代はもう少しダンスボーカルユニット感あったのね。9人になってガチ恋路線へ舵を切ったわけだが。ああでも『independent girl』の時の弾けっぷりは鈴木愛理チルドレンの片鱗が見られた。ききちゃんお休みでリーダーサブリーダーの2人曲になったのもあったのか、遠慮ない感じ。歌って踊って煽ってかっこかわいい感じが本人の理想形なのだろうと少し想像できた。

9人時代にビジュアルを初めて見て個人的には「新沼きそちゃんだけはないなあ」と思ったわけだけど、改めて実物を見るとファムファタル感ある。キンブレ振ってる根強いヲタがいるのも分かる。6人時代の曲をやるとパートがいっぱいあって推されていたのも分かる。雌伏の時を経てまたちょっと〈事務所の推され、本人のやるき、ファンの声援〉のアイドル必須トライアングルがいい感じになっている気はする。ちょっと俯瞰している感じがいいよね。いつの日かハロプロリーダーになってそうだけど、99年組まーどぅー世代は佐藤、川村、広瀬、新沼、加賀、森戸、岸本と、タイプの違うリーダーシップを持つ人材が豊富で面白そう。今年度でみんな20歳か。早いのー。

小野田さおりんはメンタルもフィジカルも強いねー。しかし去年の春と比べて握力の方は印象に残らなかった。ガツガツするの少し控えてる?私がガツガツするの控えられただけ?

アップフロント関西のIDぶら下げた女性がいた。東京から付き添っているマネージャーが当然いるとして、応援かな。

f:id:palop:20190514001816j:plain

 

 

TVドキュメンタリー・ウォッチング終了のお知らせ

そもそもお前の言う「TVドキュメンタリー・ウォッチング」ってなんだという話だけど、要するに2012年頃からNHKで放送していた『ETVスペシャル』『地方発ドキュメンタリー』『NEXT』『BS1スペシャル』『明日へ』辺りのドキュメンタリーをほぼ全て録画してスタッフクレジットをメモする作業をしていましたが、それを年度末の2019年3月31日で止めますという話。

ゼロ年代の間は「インターネットは徹頭徹尾何の得にもならない好きな事をやるところだから、絶対に義務感から毎週チェックしたりはしないぞ。興味のあるテーマのドキュメンタリーしか見ないし語らないぞ」と心に誓っていたわけだが、2011年2月にゼロ年代のドキュメンタリーについてまとめた記事を書いた後、そこでいくつかの提案をしたこともあって多少なりとも義務感もわき、網羅性にチャレンジしてみることにした。

これまでメモったまま放置してきたのは反省している。リアルタイムでちゃんと表に出していけば誰かの参照元になれたかもしれないのに、サボってしまった。「誰も話題にしてないけど、このディレクターのこの作品、すごく良いよ」みたいな話をちゃんとリアルタイムでやるべきだったのだろう。まあ自分のパソコンの中で眠らせておいても仕方ないので、今更だけど順次ネットに上げていきたい。これは本当に申し訳なかった。

そんでまあ「何で止めるの?」ということをつらつらと書いてみよう。

前述したように、2011年2月にゼロ年代のまとめとしてこんな記事を書いた。

http://palop13a.hatenablog.com/entry/20110213/p1

上の記事で望みとして上げたこと。放送前にスタッフクレジットをウェブに上げて、視聴するか判断する材料を出してくれよ。放送後は視聴者とティーチインとかやってくれよ。ついでに番組制作で使用した参考文献なんかもクレジットするかウェブに載せてくれよ。その辺り。そんなに大した要求をしたつもりはなかったんだけどね。

まあ、全然実現しなかったね。業界内では放送前にメーリングリストみたいなものが出回っている風なツイートは見かけたりしたけど、一般向けに情報が出ている感じもなかったよね。それで「ドキュメンタリーは見てもらえない!」とかよく言えたもんよね。

そういえば以前にも書いたかもしれないが、ツイッターでTVドキュメンタリーの感想を書いたら「いいね」がつくので、つけた人の本拠地を見に行ったらどうやらそのドキュメンタリーの制作者なんよね、匿名だけど。それで放送前には相互フォローしている友人なんかには「今度放送する番組見てね」とかツイートしているんだけど、でも匿名だからいろいろぼやかして書いてて、宣伝にはなってない、みたいな。ネットに面倒ごとに巻き込まれたくない気持ちは分かるけど、でもまあ何かモヤモヤするよね。一般人に自分の番組を見て欲しいの、欲しくないの、どっちなの。

NHKディレクターは視聴者と研究者のハブになれ」みたいなことも書いたけど、逆に研究者やジャーナリストに「アイデアや取材協力者を盗むな」と告発された山口放送「奥底の悲しみ」「記憶の澱」や『ETV特集』「告発〜満州開拓村の女たち」が高い評価を受けて賞とか獲っちゃう業界だもんね。ドキュメンタリー業界は先行研究への敬意とか全然払う気もないんだなと痛感しちゃった。個人的には、文字表現と映像表現は全然違うから、文字の後追いで取材して映像に残すことも立派な創作だと思っているし、告発者の方々とは立場を同じにはしてないんだけど、それにしても番組の最後に参考文献1行上げるだけでも全然違うと思うんだけど、しないよね、やらないよね、できないよね。俺は歴史に関しては素人な映像作家の歴史観なんか知りたくないんだよ。「この歴史観歴史学会で主流の学説です。○○史の第一人者である××先生もこう書いてます」と残しておくことは、ディレクターの身を守ることにもなるんだよ、みたいなことも書いてきたけど、まあ何の意味もなかったね。やっぱ映像ディレクター志望者って、ハブじゃなくてクリエイターになりたい人達の集まりなんだろうね。当たり前か。

ゼロ年代から「ドキュメンタリーの内容ではなくスタイルを論じたい」という目標は掲げていたんだけれど、2011年以降は政治の季節過ぎてなんかやりづらいよね。ネット上での敵味方思考が強過ぎるというか。「一生懸命取材して頑張っているのは分かるけど、ドキュメンタリーとしての出来はあまり良くないよね」みたいなことを言うと、すぐシニシズム野郎ニヒリズム野郎とか自称中立という非難がきそうな雰囲気の昨今よね。内容についても白黒言わないと許してもらえない感じ。

震災関連のドキュメンタリーについて触れておこう。ゼロ年代のマイルールとして、基本的にはドキュメンタリーは録画保存しないぞという方針の人間だが、震災関連については2011年5月頃に「エンドクレジットがあるNHKドキュメンタリーはとりあえず軒並み録画して保存する」という例外規定を作った。ちゃんと全部見て、各地方局単位、個人ディレクター単位で素晴らしい仕事を評価したいと思ったので。要するに3年4年をまたいで「あの番組とこの番組、スゴイ出来が良いと思ったら同じディレクターじゃん」みたいなことがしたかった。けど、全然取り組めてない。これは本当に申し訳ない。NHKでは震災ドキュメンタリーを『明日へ』枠でずっと放送していたけど、熊本地震の発生辺りから東北地方にこだわらず且つ当時の証言集めにこだわらずといった感じになり、2018年は内容を見た上で保存もしなくなった。年度末でメモ終了する理由の一部には、もう震災関連の好TVドキュメンタリーは生まれないだろうという見切りもある(民放で毎年定点観測ドキュメンタリーを頑張って制作しているのは知っていますが、見ていません。ごめんなさい)。

NHK地方局制作のドキュメンタリーについて触れておこう。『地方発ドキュメンタリー』『目撃!にっぽん』辺りを毎週チェックしていると、番組を作っている地方局が偏っていることに気づいた。そしてその地方局にはかつて中央でディレクターとして活躍した人が管理職(制作統括)として赴任していることにも気づいた。たとえば、大阪の三村忠史/佐藤網人とか名古屋の板垣淑子とか福島の宮本康宏とか沖縄の松木秀文とか札幌の玉村徹とか広島の高倉基也とか。夕方のローカルニュース用に5〜6分のミニリポートを制作する若手を見て「おい、もう少し追加取材したら30分くらいのドキュメンタリーになるテーマじゃないか。東京に企画書出してみろ」とかつてのスタープレーヤーが声を掛ける文化がある地方局とそうでない地方局とでは若手の経験値格差がものすごいことになるのではないか。

全然内容に興味が持てなくて、ぼーっとながら見しながら最後にエンドクレジットだけメモした番組がなかったとは言わない。でも全然内容に興味が持てそうもないタイトルだなと思いつつ見始めたら「うわー、作品としてめっちゃ出来が良いやん。面白いやん」みたいな番組に出会えると、全録してて良かったな、ウォッチングも悪くないな、という気持ちになれた。でももうそれもおしまい。8年ほど頑張った。人生は有限。

余談だが、こういうエンドロールを作っている奴は、内容がどんなに良くてもマイナス3000点したくなるよね。まあ今どきの平たいデジタルテレビだと鮮明に表示されているのかもしれないけど、まだブラウン管で見ている貧乏人もいるんですよ。ちゃんとしてください。

f:id:palop:20190414005203j:plain

ああ、昔は良かった。

f:id:palop:20181225184736p:plain

f:id:palop:20181225183814p:plain