パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

ゴールデン・ローズ・シナゴーグ跡(リヴィウ)

2018-10-18撮影

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ガイドブックによれば第2次世界大戦中に破壊されたシナゴーグの跡しか残っていないという話だったが、着いてみるとリヴィウに縁のあるユダヤ系偉人の言葉が刻まれた石板が並んでいたので、とりあえず文字が読めるように1枚ずつ撮影してみたものの、グーグル先生の力で世界中のインターネットをチェックしても類似の画像を見かけないので、もしかするとマナー違反/冒涜なのかもしれないが、怒られるまでネットの海に上げておこう(研究者共同体に属してなかったり現地の友人がいなかったりすると、知らずに禁忌を破ってしまいそうなのが辛いね)。基本は英語/ウクライナ語/ヘブライ語イディッシュ語かも)の3カ国語表記だが、もう1言語(イディッシュ語ラテン文字表記なのかな?)載っている板もあった。本当は英文を文字起こしまでしてみようかと思っていたが、そうすると世界中から見つけられる可能性が高まるし、何より今は画像を読みこんだだけで文字を抜けるアプリとかあるらしいので、その辺りは各自頑張ってもらおう。石板と石板の間隔が狭くて撮影は大変だった。どれを撮ったか分からなくなるし。一応網羅したつもりだが。

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ちなみに撮影している時、3歳くらいの男の子が石板に上って遊び始めて「まあ、まだ文字も読めないし、板の並びって遊具みたいだもんね」と微笑ましく見ていたら、お父さんらしき人がものすごい勢いでとんできて、ものすごい大声で叱って、ものすごい勢いで連れ去っていった。個人的には「子供には分からないんだから別にいいじゃん」と思ったけれど、ああいうのはやはり天で見ている神に悪いという感覚なのか、世間の目があるから体裁が悪いという感覚なのか、どっちなのだろうか。

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Shmuel Yosef Agnon(1888-1970):日本版ウィキペディアもあるノーベル文学賞受賞著名人。本名Shmuel Yosef Czaczkes。生まれはBuczacz、1908年にパレスチナへ移住。リヴィウとは関連なさそう。

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Leszek Allerhand(1931-2018):ポーランド語版ウィキペディアもある著名人。リヴィウのゲットーに入れられたが、両親と脱出して終戦まで隠れていた。戦後はポーランドに追放されて医者になる。

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Milo Anstadt(1920-2011):本名Samuel Marek "Milo" Anstadt。リヴィウに生まれ、10歳でオランダに移民、アムステルダムで隠れ家生活。ジャーナリストになる。

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Israel Ashendorf(1909-1956):I. L. Peretz賞に輝くイディッシュ語作家。Ізраeль Ашендорфで検索すると、ロシア語版ウィキペディアがヒットした。1946〜68年までポーランドで発行されたイディッシュ語文芸誌の編集委員をしていたらしい。戦後活躍した人についてはキリル文字が読めないときつい。

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Majer Balaban(1877-1942):英語版ウィキペディアがあるスター歴史家。Meir BalabanともMajer Samuel Bałabanとも表記。リヴィウ生まれ、リヴィウ大学を出た後は、クラクフポズナニ、ベルリン、グダンスク、ルブリンと様々な場所でユダヤ人の歴史を研究、ワルシャワゲットーで死亡。

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Martin Buber(1878-1965):日本版ウィキペディアもある言わずとしれた著名人。生まれはウィーン、リヴィウにいたのは1892〜96年のみのよう。

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Wiktor Chajes(1875-1940?):ポーランド語版ウィキペディアを持つリヴィウの名士。リヴィウ生まれ、ポーランドに同化したユダヤ人。グーグル翻訳だと市議会評議員とか副市長とか出るけど、正式な肩書は不明。ソ連のNKWDに連行されて殺されたので、厳密にいえばホロコーストの犠牲者ではない?

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Ignacy Chiger:リヴィウの下水道に隠れてホロコーストを生き延びた一家の父らしい。アニエスカ・ホランド監督『ソハの地下水道』のモデルとか。『Świat w mroku』(暗闇の世界)というポーランド語のサバイバル記を出版している。

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Marten Feller(1933-2004):Мартен Феллерで検索したら、ウクライナ語版ウィキペディアにМартен Давидович Феллерという言語学者が出てきた。Drohobych生まれ。キエフユダヤ教研究所の人らしいが、あまり有名人ではなさそう。

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Alexander Granach(1893-1945):英語版どころか日本版ウィキペディアもあるドイツの俳優。本名Jessaja Gronach。Verbivtsiという小さな町で生まれ、リヴィウに出てきて、1906年にウィーン、ベルリン、ソ連を経て、1938年に米国へ渡って死亡。

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Janina Hescheles-Altman(1931-):英語版ウィキペディアもある著名人。旧姓Hescheles。父Henryk Hescheles、叔父Marian Hemarも著名人、Stanisław Herman Lemも親戚。リヴィウ生まれ、ホロコーストサバイバー。イスラエルに渡って化学者。

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Rabbi David Kahane(1903-1998):英語版ウィキもある著名人。宗教指導者で哲学博士でホロコーストサバイバーで『Lvov Ghetto Diary』の著者。戦後はイスラエルへ。

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Inka Katz(1930-):検索してもあまり情報はないが、『ニュルンベルク合流』を読んだのでハーシュ・ラウターパクトの姪だってことは知っている。それによるとハーシュの妹ザビーナはマルセル・ゲルバードと結婚して一人娘インカを産む。生まれはリヴィウ近郊のŻółkiew。ジェノサイドの生き残り。

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Kurt Lewin(1890-1947):日本語版ウィキペディアもある著名人。Mogilno生まれ、1905年に一家でベルリンに移住、ということでリヴィウにはあまり縁がなさそう。

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Alexander Lizen(1911-2000):これまたイディッシュ語作家らしい。Alexander Lizenberg Aleksander Lizen Aleḳsander Lizenなどとも表記。ウィキペディアイディッシュ語版しかない。それによると、生まれはヴォルィーニ州で、第2次世界大戦後にリヴィウに移住してきたみたい。戦前リヴィウにいて、その後出て行った有名人が多いなか、逆は珍しい。

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Borys Orach(1921-2011):正式名Borys Hryhorovych Orach。「ユダヤ人のリヴィウを知る100」という文化保存運動をしている現役アクティビストだったみたい。ロシア語ができるならБорис Орачで検索してもっと情報があるだろうが、私の能力不足。

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Moyshe Shimel(1903-1942):ポーランド名Maurycy Szymelで検索したら、ドイツ語版とポーランド語版のウィキペディアがあった。詩人・ジャーナリスト。リヴィウ生まれ、同化ユダヤ人としてポーランド語の教育を受け、ポーランド語で詩を書く。1930年代になってイディッシュ語でも書くようになる。リヴィウ強制収容所で死亡。

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Jacob Shudrich:検索すると、Eliyahu Yones「Smoke in the Sand: The Jews of Lvov in the War Years 1939-1944」とDov Levin「The Lesser of Two Evils: Eastern European Jewry Under Soviet Rule, 1939-1941」という本の中にイディッシュ語の作家・詩人として出てくるから、そういう人なのだろう。

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Rabbi Joel Sirkes, the Bach(1561-1640):Joel Sirkesの名で英語版ウィキペディアもある著名人。ルブリンからクラクフ辺りで活躍した宗教家みたいだけど、リヴィウとの関連は定かでない。

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Lili Thau(1927-):別名Lili Chuwis Thau。著書に『Hidden』。Stanisławów(現イヴァノフランキフスク)生まれ、生後10か月でリヴィウへ。占領下のリヴィウで隠れて生き残り、戦後はイスラエルのハイファへ。

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Debora Vogel(1902-1942):英語版ウィキペディアもある著名なポーランドの哲学者・作家。Burshtynで生まれ、ウィーンに行き、第1次世界大戦後にリヴィウへ来た珍しいパターン。リヴィウのゲットーで殺される。

★★★

古きリヴィウの情報を翻訳で得るためには、平田達治、佐藤達彦、平野嘉彦からのヨーゼフ・ロートマゾッホのようなドイツ文学ルートしか思いつかなかったが、デボラ・フォーゲル、ブルーノ・シュルツスタニスワフ・レムのようなポーランド文学/イディッシュ語文学のルートがあったのかと今さら気付く。

リヴィウのエリア・スタディーズを専門にするなら、英語とドイツ語とロシア語とウクライナ語とポーランド語とイディッシュ語ヘブライ語くらいは出来ないとなかなか難しそう。グーグル翻訳様の進化に期待しよう。

天皇杯・サンフレッチェ広島×沖縄SV戦

7月3日、18時30分キックオフ、福山市竹ヶ端運動公園陸上競技

 

最近は、サッカー観に行って、写真を撮って、そのまま放置しているので、ブログに上げる練習をしてみようかと。ショボいマイカメラにこの悪天候は厳しかった。きっと世界に名だたるiPhoneとかの方が綺麗に撮れるだろう。

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前俊と一誠を目当てに、15年半ぶりに竹ヶ端運動公園へ。サンフユース×ホーリーホック戦以来。

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試合前に青山がボールを蹴っていた。良かった良かった。だがしかし、試合に出られる状態なのかは疑っていた。

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練習が終わると、高原と水本、青山と前俊がペアで話していた。

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前半の広島は3-6-1、後半から清水を左へ、東を右の前に出して4-4-2。メンバーを代えずにシステム変更とはなかなかやるな。といいつつ、大弥は割を食ったままじゃないか。沖縄SVサイドバックサイドハーフも左右逆かもわからないが、許しておくれ。

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後半始まってすぐに広島が先制してすぐに高原が負傷交代。高原は実質監督なのでピッチに寝たまま、そばに寄ってきた前俊をベンチまで伝令に遣わし、ベンチの名ばかり監督に交代して入る選手を指名。ベンチに下がった後は、足を冷やしながら監督業をしていた。

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青山が途中交代して入ると、少し離れた場所にいた一誠が近づき、プレーが切れた数秒にあいだに拳を合わせる。

やっぱり青山は判断が早いね。ボールをもらうまえに周囲を見て、受けたときには次が見えてて、の繰り返しのスムーズさが他の選手とは全然違う。運動量とか守備の強度の関係でもうスタメン起用はないのかもしれないけど、監督も選考基準が複数あって難しいだろうね。

沖縄は高原と前俊が縦関係の4-4-1-1かな。前俊には守備に戻る元気がないので、両サイドハーフが走りまくり。左右とも良い選手よね。両サイドバックも良い選手。GKに元J1選手を加えて、去年観た時よりもセンターラインに一本芯が通って良い感じ。去年はもうちょっと個の力で大味なサッカーをしていた感じ。

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高原と前俊がベンチに下がってから耐える時間が長くなり、80分過ぎにとうとう2失点目を食らい…からチームがバタバタしちゃって、そこは一誠、お前が舵を取らないと。自分の仕事だけしているのでは元J1の名が廃る。

前俊を前半からいけるところまで使うのはどうなんだろうね。クラブが上のカテゴリーに行くほど個人技で殴れる機会は減りそうだが。ダニーロおじさんとかフランサとかティーラシンとかああいう使い方の方が本人も活きそうだが。スタメンにはがむしゃらに走る若いのを使って。

皆川と岡根のエアバトルはJ1でも通用する。でもこの画像は岡根×渡。

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アディショナルタイムの4点目、パトリックのゴールは、左サイドでボールを持った渡の外側を高橋壮也が爆発フリーランニングしているのを囮に(といえば聞こえは良いが実質スルーして)パトリックにクロスを上げたらゴールが決まっちゃって、壮也が拗ねながら自陣に帰ろうとしているところを渡が捕まえて、ちゃんと何事か声を掛けてフォローしてた。偉い。壮也も頑張れ。

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井林はリーグ戦ではベンチにも入れないのに、カップ戦だとベンチどころかスタメンでキャプテンだったりして、相変わらず監督のなかでの位置づけがよくわからんよね。CBの何番手なんだよ。

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九産大国際文化学会講演会の感想

九州産業大学国際文化学会講演会2019 

「戦う姫、働く少女の生きる道 ワークフェア、愛情搾取、コミュ力をめぐって」

6月20日(木)13:00〜14:30

講演者:河野真太郎

質問者:萱沼美香(経済学部、社会保障論)

伊藤弥生(人間科学部、臨床心理)

司会:藤田尚志(国際文化学部) 

戦う姫、働く少女 (POSSE叢書 Vol.3)

戦う姫、働く少女 (POSSE叢書 Vol.3)

 

 『戦う姫、働く少女』(以下『戦う姫』)の著書がある河野真太郎先生の講演会を聞きに九産大まで行ってきた。外部に開かれた講演会といっても単位が絡む授業の一環のようで、大教室に300人くらいの学生さんがいっぱいで、まあ興味がないのに集められて眠そうだったり寝ている学生さんも多々いて、学生さんは大変よね。年をとって無職になると、興味が向くまま自分から聞きに出掛けたりするようになるものです。勉強しなかったことを後悔するものです。

よって、学生さん向けの話というか、『戦う姫』の概要説明みたいなところまでしか話がいかなくて、それなら『戦う姫』を読めば事足りる感もないではなかったので、実際に著者から直接話を聞いて面白かったことをいくつか混ぜつつ『戦う姫』の感想を書いていくことにしたい。

余談だが、九産大の女子学生さんがとてもフェミニンにファッショナブルで、まさにポストフェミニズムな格好だったのがちょっと驚き。(※これは25年前の私の同級生達がダサダサだったということを含意しないことをお断りしておく)

さらに余談だが、藤田尚志先生の科研費研究「日本・英米との比較から見たフランス現代哲学の主体・人格概念(愛・性・家族を軸に)」の一環なので、まあ少しだけ江口・鈴木論争(『恋愛制度、束縛の2500年史』)にも関係ありそうだから、私的な関心からいっても聞いて損はなかった?いや、あまり関係なかった。藤田の専門と河野の専門はあまり関連なさそうだった。

ちなみに私が見たことあるコンテンツ:『逃げ恥』『スターウォーズ4〜6』『魔女宅』『千と千尋』『ナウシカ(アニメ版)』『コンタクト』

見てないコンテンツ:『インターステラー』『おおかみこども』『スターウォーズ7~』『ハリー・ポッター』『エヴァ』『ゴーンガール』『かぐや姫の物語』『家政婦のミタ

まあ、最近のコンテンツは全然見てないよね。けれども『マッドマックス』から人工知能学会誌の表紙までネットで話題になったネタは大体把握していて知った気になっているマンです。学生の頃は『わが谷は緑なりき』を観て炭鉱労働者になりたかったマンです。

以下、いろいろ変なことを書いていますが、面白い本です。読んで損はありません!

 

★★★

本筋の感想

伊藤弥生先生の「素人質問で恐縮ですが…」をどこまで額面通りに受け取り、どこまでクリティカルな挑発と取るかは難しいけど、「正直ピンとこなくて」という感想は面白かった。私のようにPOSSE大好きサブカル批評大好きという人間だから著者がやろうとしていることがおおよそ想像できるけど、その私ですら読んでピンとこなかったのも事実。

今や世界中のちょっと小金を持った中産階級は、同じような考えをして同じようなコンテンツを楽しんで、それがまた同じような考えを再生産してるんだよ、みたいな前置きが欲しかった。ディズニー等のグローバル企業は、ハッキリとした世界戦略を持ってコンテンツを作ってるよ、脚本なんかも複数人で書いて、個人の作家性なんかより顧客満足度を追及しているよ、等々。つまり世界中の中産階級に好まれるグローバルなコンテンツを分析することはある種の世界的な一般意思を見つけ出すことなのだ。みたいな背景説明に少なくとも1節は割かないと、ポピュラーカルチャー分析というのはコンテンツをつまみ食いして自分の言いたいことを補強する知的ゲームなのねと思われても仕方ないところはある。

私がいわゆるマクロン的状況(←流行らせたいと思ってます)と呼んでいる多様なアイデンティティ賞揚と優勝劣敗経済の悪魔合体は世界中で見られます(分かる)→それをグローバル向けコンテンツを分析することで鮮やかに浮かび上がらせます(分かる)→分析は西欧のイデオロギーに精通したイギリス文化学者が行います(分かる)→分析結果を日本の労働状況にあてはめます(えー!?意味が分からないよ)…みたいなねじれを感じるんよね、読んでいて。

なので個人的には、『アナ雪』やスターウォーズのようなグローバル市場向けコンテンツ、『逃げ恥』や『家政婦のミタ』のような国内市場向けコンテンツ、宮崎×高畑のような作家性の強いコンテンツが、ポストフェミニズム新自由主義)下における女性と労働の話として並列でくくられているのがちょっとモヤモヤした。博覧強記、縦横無尽と好意的に解釈すべきなんだろうけど。この辺り、「アベが」の話と「世界が」の話が同時に区別なく出てくる辺見庸先生の不可思議さに通じるところがある。いや、問題意識は分かるんだけど、個別具体的な相違が無視され過ぎてて。

福祉国家新自由主義が世界を覆ったようにやや単純化して説明されているけど、いわゆる北欧国家群は、新自由主義経済と福祉国家のハイブリット(アンペイドワークは社会化してやるから、専業主婦なんて止めて老若男女全員社会に出て賃労働やりなさい)といわれ、しかも噂ではけっこう上手くいっているらしいけど、そういう場所ではディズニーとかスターウォーズとかどう消費されてるの?日本の労働状況と比較しないの?みたいな説明がないから、やや痒い所に届かない感がある。伊藤曰く「男も女も苦しい」現在の日本の労働環境が、世界を覆う新自由主義とどう関係があるのかないのか、今ひとつピンとこないのよね。

私はネット依存症だから、意識の高い出羽守さんが「最新のグローバル向けコンテンツと比較すると、ジブリの描く女性像なんてありえなさ過ぎてもう見てられないわー、これだから日本はー」と呟いているのばかりが目に入るけど、伊藤の周囲の女性たちのように「ジブリの描く女性像はありえないけど、それはそれとしてジブリは楽しんで見てるよー」みたいな方がリアリティがあるかな。もちろん差別と偏見にまみれた日常に生きて差別と偏見にまみれていることにすら鈍感になっている一般庶民のほっぺたを引っ叩いて目を覚まさせることこそがこういう本の意義なんだから、河野ガンバレ。

『戦う姫』だともう少し客観的分析風(善悪正誤判断しない)に書いてあるけど、講演だと「ポストフェミニズムを越える!=新自由主義を倒す!」という気概がダイレクトに伝わってきた。とはいえ、そもそも実際には今の若い人達は新自由主義のこと、そんなに嫌いじゃないよねって感じがする。物心ついた頃には小泉政権なんだから他の世界を想像できないのも仕方ないし、今の大学でこういう歴史的経緯を説明するのはどの先生も困っているだろうことは想像がつく。河野ファイト。

 

★★★

おまけ(本筋にやや関係あること)

『戦う姫』を読むと、正直カルスタのイメージがちょっと悪くなった。もちろん私はあずまん先生の文章が大好きだし、今まさに竹村和子先生が空前のマイブームだし、免疫があるけど、世間は文化研究に対して多分そんなに甘くはないだろう。萱沼美香先生(経済学部、社会保障論)との質疑応答で顕著だったけど、「仮にAだとすればBだといえる。BがいえるとなるとCなのではないか!」「あのー、仮にAだとすればということなんですが、そもそも本当にAなんでしょうか?」「ムキー、俺はBとCのスリリングな関係を夢中になって話しているのに、仮Aに文句つけるなよ!」みたいなやり取り。私はBとCのスリリングな関係についても面白く聞けるけど、仮Aに茶々を入れたくなる人の気持ちもわかる。

『戦う姫』のなかで何回か言及されるレイモンド・ウィリアムズ。講演でも触れてた。ウェールズの学者。思い入れたっぷりな様子だったからてっきりウェールズ好きにだけ分かる域内限定有名人なのかと思って検索したら、日本版ウィキペディアに項目もある世界的スターだった。無知で申し訳ない。細分化されたアカデミックな学者というよりは、(揶揄しない)本来的な意味でのカルチュラルスタディーズ(文化研究)の論客という感じか。むむ、Raymond Williams double visionで検索しても何も出てこないぞ。

マイケル・ヤングメリトクラシー能力主義)という概念を発明した時は悪い意味で使われていたのが、福祉国家新自由主義へと変わるなかでメリトクラシーも良い意味で使われるように変化したというけれど、いやいや福祉国家では何故メリトクラシーは悪い意味だったのかを説明しないと若い人にはわからんでしょ。オーウェン・ジョーンズ『チャヴ』なんかを引用したりしながら「労働者は努力して中産階級に階級上昇しようじゃなくて、労働者が労働者のまま幸せになれるのが大事じゃん、それが福祉国家の良さじゃん」という労働者階級の価値観を説明しないとわからんよね。

 

★★★

おまけのおまけ(本筋にあまり関係ないこと)

河野曰く「私にとっての名作とは『逸脱に有意義な形で失敗したもの』」…これは名言。分かる! 感動した!新しい事に挑戦した結果とっちらかって作品としては駄作扱いを受けているけど愛おしい作品ってあるよね〜。私はイギリスの頭のおかしい作家がハリウッドシステムに挑んで爆死したアントニア・バード監督の『マッド・ラブ』とダニー・ボイル監督の『普通じゃない』が大好きです。

上記の名言を受けて話をすると「ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』って、何のひねり(逸脱)もなく単線でひたすら物語が進むプロパガンダフィルムかと思わんばかりで、こんなのに反グローバリズムだからと喜んで賞を上げたり、ケン・ローチの最高傑作とか言っちゃう評論家はバカじゃないの!」と私は思っているんだけど、河野先生的にはどうなんでしょうか?…という質問を講演が小教室だったらしてみたかった。

アナと雪の女王』は見ていないのだけれど、話を聞く限りでは、アナ=モーニング娘。、エルサ=アンジュルムというアナロジーを思いついたが、伝わる人はいるだろうか。

『ムーラン』(1998年)は時代より先を行き過ぎてコケたという記憶だったんだけど、今さらウィキペディアを見たら、アジア系ヒロインに厳しい日本でだけコケて、続編の『ムーラン2』(2005年)は劇場公開無しだったのか。やっぱこの辺りから日本だけ世界リベラル市民意識から脱落していったのかな。

ワークフェア(勤労福祉)って聞いたことない言葉じゃのうと思いながら読んでいたが、講演を聞いてウェルフェアと対になる造語みたいな感じだとやっと分かった。おっと、読み返したらwelfare-to-work(p.93)に書いてあった。意味はもちろん分かってます。トニー・ブレアが「教育、教育、アンド教育」と言ってた頃からNHK-BS1BBCニュースをチェックしてますから。「ハロワで紹介された仕事を断ったら、失業給付をストップします!」がニュースになっててビックリした。日本ではとっくの昔からやっていたことなので。

斎藤環の「戦闘美少女の精神分析」と対になる形で「本書が目指したいのはいわば「戦闘美少女の社会的分析」である」(p.29)とあるのだけれど、これは「社会学的」の誤植じゃなくて「社会的」で正しいんかね。社会的分析という語はあまり聞いたことがないのだけれど、なんとなくカルスタ用語っぽい。(※余談だが、『戦う姫』では齋藤になっているけど誤植よね、本当は斎藤よね、少なくとも出版物での表記は)

男女雇用機会均等法は、成立後に具体的に運用していくなかで結果として新自由主義と同伴する羽目になったのか、それとも法案審議過程で来るべき新自由主義の時代に使えるようその機能が埋め込まれていたのか、というのは面白い問いかもしれない。もちろん私が勉強不足なだけで、その回答はすでに出されているかもしれない。

新自由主義はなんで大国に広まったの?言い換えると、どこか小国で試験的に採用してすごく上手くいったからじゃないの?最初はチリだっけ?少なくとも1978~83年頃の経済学業界の認識だと「おっ、ピノチェトは上手くやってんじゃないの」という感じだったのかな。

「それは福祉国家が社会・経済的に解決すべき問題(つまり階級と貧困の問題)を、リベラルな理想郷のビジョンで想像的に解決してしまっているとも言えるのだから」(p.63)とか「特区とは、見方を変えれば労働ダンピング前哨地帯にほかならない」(p.117)とか、POSSEぽい世界観に馴染んでいる人には理解出来るけど、一般読者には何のことやら伝わりにくそう。

「もちろんこの「素直で明るい」という、外国語への翻訳がかなり難しい概念は、「率直であること」(英語であればhonest, true to oneselfやfrank)と「従属的であること(obedient)」が魔法のように結合された日本独特のジェンダー概念」(p.102)と河野は書くのだけれど、本当にそうなのか。概念がないのではなく、その価値観を拒否しているのではないか。リア充でそういう風に生きている人がいないというか。欧米の多勢で好ましい価値観から外れた結果自国で不遇をかこっている日本アニメが好きな欧米の人(おたく=ナード)からは案外「素直で明るい、ああ分かる分かる」みたいな人もいるんじゃないかと思ったりする。

ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」という映画が我が故郷・倉敷を舞台にしたアニメ(にもかかわらず尖った内容)という知見を得たので、いつか見よう。

『メイド・イン・ダゲナム』のエピソードは掛け値なしに面白かったです。見たくなりました! 紹介していただいてありがとうございます!