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パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

『オシムの伝言』

オシムの伝言

オシムの伝言

正月に実家近くの大きな書店で見つけたので買って読んだ。あまり気は進まないけど雑感を書いておく。
細かいようだけど、読み始めのp.11で“1996年”という誤植を見つけた時「ああ、この本は読者よりもサッカー知識のない人間が校正・編集しているんだろうなあ」と思い、その後は期待しないことにした。
あとがきで著者自身が「人文社会系の内容である」と書いているように、オシムのこともサッカーの事も知らないに向けて書いているから、オシムとサッカーに関しては他で読んだような話が多い。
基本的には「千田善から見たオシム物語」ではなく「オシムとともにいた千田善物語」という印象。シャーロック・ホームズの新刊を楽しみに読み始めたら、「相変わらずホームズの才能はすごいぜ。ところで、保守党政権の公衆衛生政策って間違ってるよな」みたいなワトソンの独白が書いてあった時のがっかり感という説明で分かるだろうか。
千田氏がアジア杯初戦で通訳中に泣いたという話からNHK番組の通訳をしていた時のエピソードなんかその番組を見た俺(http://d.hatena.ne.jp/palop/20051223参照)は楽しめたけど、そもそもオシム関係ないじゃんっていう。中世ヨーロッパの戦術の話に2ページ割いていたのもあれだった。
もちろん「もっとも尊敬、評価する監督は?」という問いに対するオシムの答えとか、レアル・マドリードからオファーがあった時期(ずっと俺は弟子のミヤトビッチがディレクターをやっていた近年の事だと勘違いしていた)とかこの本で新たに知ったトリビアもあるけど、それは別に代表の通訳がこの本の中で書かないといけない話でもないだろう。
練習中はグランドの反対側まで見ているというエピソードやラミー(カードゲーム)が敵無しに強いというエピソードやウォーミングアップを見ただけで試合のスコアを当てるエピソードも具体性に欠けてて、単に「聖徳太子は10人の話を聞き分けた」みたいな偉人伝にしかなっていない。「誰々がこんなプレーをした。するとオシムはこう尋ねた」みたいな具体的な肉付けの描写をするだけで、ずいぶんと面白くなるはずなのに。まあ、アジア杯前キャンプでの三角ベースの話なんかは知らなかったし、光景が目に浮かぶような上手い書き方をしていると思う。
倒れてからリハビリ生活にかけての話は、今まで表に出ていなかったから新鮮だった。読みどころはこの辺りくらいか。
まとめると、表4にあるおそらくは編集者の推薦文「コミュニケーションの精度の高さゆえ、類書とは一線を画するものとなった」は言い過ぎ。類書と被り過ぎ。サッカーにもオシムにもほとんど興味がない人を読者対象にしているから、先行オシム本と内容が被らないようにといった配慮はほとんどされていないはず。故郷の話とか祖先がドイツ系とか読み飽きた感がありあり。正直いえば長束氏がブログで訳しているクロアチアボスニア地元紙に掲載されたオシムへのインタビューの方がよほど「オシムの伝言」だろう。
百歩譲ってこの本を出したのがしょっぱい出版社で、マーケティング的な発想から内容にオシムはほとんど出てこないけど「オシム」とタイトルを入れるならまだ分かる。けど、天下のみすず書房が便乗するネタもないこの2009年末のタイミングでオシム本を名乗って千田善物語を出す意味がマジで分からない。いろんな意味でコンセプト不足、細かい内容は決して悪くないのに、誰にも届かない内容になっている。
著者あとがきに「そのうちに機会があれば、体育会系というサッカー論に踏み込んだ「オシムのサッカー」(戦術編)、「オシムの練習法」(トレーニング編)というような本も書いてみたい」と書いている。こっちの方が面白そうなので期待したい。
あと内容に関することではないが、余談として気になったのは、ほぼ公人であるサッカー関係者が「仮にY選手としよう」「心優しいQコーチ」と匿名なのに、ほぼ私人たるJFAの裏方やオシムを世話した医師や看護師が顕名という感覚も個人的には分からない。気持ちは理解できる。通訳という職務で知り得たことを表に出して書いてしまい、代表の中に波風が立ったら申し訳ない。オシムを助けてくれた医療スタッフは誉めこそすれ悪く書いていないから不快にも思わないだろう。そんな線引きかと。しかし、後々の人間関係を考えて匿名・実名使い分けるくらいなら、この手の本は出さなければいいのに、と思う。
余談の余談。武智氏が日経で連載していた「オシム@ジャパン」、本の中で何度か引用されていた。オシムがあの連載を千田氏に翻訳してもらいながら結構気に入っていたのではないかと想像するがどうだろう。