パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

『ETV特集』「21世紀のドストエフスキー〜テロの時代を読み解く」

2007/10/14初回放送、60分、撮影:百崎満晴/エフゲーニー・コクーセフ、取材:三宅有子、ディレクター:馬場朝子、制作統括:塩田純、制作・著作:NHK
録画したまま放置していたが、1月26日の午後4時からETVで再放送があるそうなので、このタイミングで紹介しておく。

NHKが誇るロシアンデュオこと馬場/塩田両氏の仕事。『カラマーゾフ〜』の翻訳者である亀山郁夫氏が、金原ひとみ氏、加賀乙彦氏、森達也氏と対談。別パートでボリス・アクーニン氏のインタビューもあり。サブタイトルは「私の中の悪」「悪の様々な形」「テロの時代とメディア」「悪から善そして神へ」「魂の救い」の5つ。過去に製作された映画を使ってあらすじの紹介をしていたのは巧くて賢いと思った。
読者の感想が書き込まれた掲示板を撮ったテレビ画面、どこの掲示板だろうかと思って絞り込み易そうなフレーズ「芯ができる感じ」だけメモして検索したらビンゴ、個人のブログがヒットした。恐らく「カラマーゾフの兄弟」でブログ検索して片っ端から感想を読んだと思われるNHKの取材者に拍手。そのブログにはNHKさんの「引用させてください」というコメントが付いていたが、それを読むと、企画当初のタイトルは「テロルの時代」だったのが最終的に「テロの時代」へ変更になったようだ。60年代ならいざしらず、現代において“テロル”は一般に流通していないから、使用不可にした判断は恐らく正しい。
それにしても、引用するのにいちいち断りを入れるNHKは良心的。画面に映ったのはブログではなく、掲示板風にレイアウトし直したモニターだった。ドキュメンタリー作家なら全員が演出の範囲と言うだろうが、昨今の風潮だと偽装だと叩かれるかもしれない。

9.11以後、テロへの不安とか体感治安の悪化とか厳罰化の傾向とか善悪の単純化とか、ドストが流行る理由をこじつけるのは難しくないが、その手の不安は高度経済成長を味わった団塊の世代より上の話で、個人的にはそれほど『カラマーゾフ〜』に惹かれない(番組では若者にも売れているといっていたが)。この間から以前に買ったまま放置していたエルロイの『アメリカン・タブロイド』を読み始めたまま途中止めにしているが、出て来る奴がみんな悪くて、視点がパッパッと切り替わり、ラストに向かって伏線が回収されていく凄さにゾクゾクする感じが似ている。そういう読み物としてのドストなら好きだが、それ以上の深読みは好まない。
以前から書いているが、同じロシア小説でも団塊ジュニア世代の共感を得られそうなのは、ゴーゴリの小説に出てくるような生活には困っていないけど他の誰でも代替可能な仕事をやってて夢も希望もない小役人だと思う。19世紀ロシアの上流階級=日本の金持ち、下っ端役人やってる下級貴族=日本の我々、苦しい生活をしている農奴や周辺民族=1日1ドルで長時間働かされている東南アジアの子供達、と世界を当てはめた上で、「今のシステムは腐っているけど、そのシステムに乗っていることで気侭な生活が出来、その結果システムを改善しようという気概も無い自分への腹立たしさ」に共通項を感じる。ドストでいえば主人公のキモヲタが振られて呆然と立ち尽くす場面が素晴らし過ぎる『白夜』は良い。『オブローモフ』をいつか読まなければ、と思いつつ手を付けていない。

昨日書いたセレスについてもう少し。彼女を刺した犯人は釈放された。セレス本から引用すると、

“容疑者が今後なんらかの犯罪を犯す可能性はきわめて少ないと思われる”。それが、裁判官がギュンター・パルヘに判決を言い渡す際に言ったことばだった。パルヘは傷害未遂で有罪判決を受けたものの、最高五年の懲役を受けるかわりに、二年間の保護観察処分に付されたのだ。パルヘの弁護人はあらかじめ裁判所に、被告を不必要に強制施設に閉じこめることは、彼の人格を“破壊”することになると申し立てていたが、それが功を奏したのだろう。

裁判官はまた、パルヘが狂信的なグラフのファンになってしまったのは、過度に派手な報道をしたメディアにも責任があると言い添えていた。さらに、シュテフィ・グラフがラジオやテレビを通じて、パルヘの小さな世界にはいり込んできたことを指摘し、シュテフィに心酔する以前は、彼も幸せに暮らしていたとも述べていた。

かなり前に読んだ精神科医の話で、無理心中しようと子供を殺した後に死にきれなかった母親に話を聞くと「子供の将来を案じて死のうと思った。しかし子供を殺すと、ふと『何で私は死のうとしているのだろう』と思った」という。「生きる上で重荷だった子供がいなくなったら死ぬ理由が無くなった」と公に言うわけにはいかないから「死にきれなかった」と表現するしかない。これと同じで、パルヘも「グラフを再びナンバーワンにするためにセレスを刺した」わけだから、ナンバーワンに返り咲いた以上、二度と犯罪は犯さないという理屈は間違っていない。「目には目を」ではなく更正させるのが近代法治国家のあり方だから、釈放されるのも無理ないが、判決を知った当時「理性が支配する近代国家の行き着く先はこうなのか」と思った記憶がある。まともに働かず、コミュニケーション能力も皆無な自分は、宮崎某やオウム信者とも地続きだと思っているし、彼らを怪物に仕立てて安心する側ではないけれど、犯罪要因が全て社会問題に還元される理知的な社会も少し怖いと思う。
自分が愛読するスペインニュース・コム(http://www.spainnews.com/news/index.html)には、DV殺人の記事がよく出てくる。欧州は政治・行政に比べると事件・事故の報道は少ないらしいが、DVだけは不自然な程よく目にする。件数が多いから報道するのか、逆に滅多にないから報道するのかは分からないし、ニュース翻訳者の個性かもしれないし、訳の元ネタ媒体の癖かもしれない。或いは個別の事件というよりは社会のあり方に関するニュースだから大きく取り上げるのかもしれない。だが、何となくスペイン人の心に引っ掛かるニュースなのだと思う。敢えていえば、自らの内に潜むマッチョイズムが露呈することを恐れ、躍起になってDVを非難している風に見える。元々ラテン民族はマッチョ賛美な社会らしいが、今はEUに加盟して超人権先進地域の一員だぜ、土着のアナクロイズムなんて捨て去ってしまえ、という意識がある。日本やロシアには「土着の伝統バンザイ。アムネスティがなんぼのもんじゃい」という勢力が必ず一定数いるけれど、スペインの場合、理性が支配する圏の一員になっちゃったから、隠された土着のものが露呈することにびびっているのかと思う。「DVは絶対にいけません」という公的な見解と「でもまあ男と女にはいろいろあるわな」という本音のうちの本音が窒息させられた理性社会とでもいおうか。
上の文章は明らかに言葉足らずなので「お前はDVを肯定するのか」と言われそうだけど、そうじゃなくて、ドストとの絡みでいえば、クソも味噌も含めて人間を全体として見るべきなのに、今の西欧社会は理性(教育や法)によってクソを味噌に変えられると思っているんじゃないの、と言いたいつもり。

おまけで、その他の『ETV特集』メモ:
「私はやっていない〜えん罪はなぜ起きたか」2007/9/9初回放送、90分、スタジオ出演:秋山賢三(弁護士)/江川紹子(ジャーナリスト)/土本武司白鴎大学法科大学院長)/佐木隆三(作家)、VTR出演:鳥海準(弁護士)、撮影:岩永裕二、ディレクター:矢野哲治、制作統括:塩田純、制作・著作:NHK
「基地を笑え〜人気舞台でみる沖縄のホンネ」2007/9/30初回放送、60分、主人公:小波津正光、撮影:中西紀雄/砂辺光裕、ディレクター:江崎浩司、制作統括:森田智樹、制作・著作:NHK