パロップのブログ

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EU憲法がどうたらこうたら

今年5〜6月に、フランスとオランダでEUの新憲法が否決されたとき、ネットでいろいろ勉強になる文章を読んだので、紙媒体でも何か面白いものはないかと思い、EU憲法に関する3つの文章が掲載されている『世界』2005年8月号を図書館で借りたのだが、そのうち1つは修辞大好きフランス人得意の訳分からん文章で、自分のような平民には読み取れない。もう1つはこれまでの流れを概観するような文章で、突っ込みが物足りない。
もう1つは大学の先生と来日していた欧州議会議員との対談なんだけど、

EU憲法はどうしてつくられたのか、そして今後、EUはどのように変化していくのか。対日議員交流団の団長として来日した欧州議会議員に、五十嵐敬喜氏が率直な疑問をぶつける。ヤルツェンボウスキー氏がそれに応答しながら、EUの統治システムの現状を明らかにする。とりわけEU憲法国民投票をめぐって、国民投票は本当に機能しているのか、直接民主制の実現は可能なのか、両氏が議論をたたかわせる。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2005/08/153.html

とある割に、とにかく五十嵐氏がアンチ間接民主主義の住民投票大好きっ子で、ヤルツェンボウスキー氏が「一般市民というのはそれぞれの仕事で忙しく、細かい条文やら何やらまでチェックする暇はないので、それを代行するのが代議士の役割だ」と言っているのに、五十嵐氏は「独裁者が決めるよりは、みんなで間違おう」とか直接民主制万歳発言をするので、全く議論が噛みあっていなかった。
五十嵐氏は、公共事業等に関する現場叩き上げの弁護士から研究者になった人らしく、常日頃から権力の横暴には頭にきているのだろうが、対談の後書きでも、

欧州市民のアイデンティティにまで言及した条約が憲法として登場し、肯定されるにせよ否定されるにせよ、国民投票で批准が行われているという事実は、EUが積み重ねてきた50年の民主主義の成果であることは改めて肝に銘じなければならない。

と書いている。まさかドイツでは連邦議会がEU憲法を批准したことを知らないわけでもあるまいし、わざとミスリードしているとしか思えない。

10月26日に開かれた参院憲法調査会の議題は「EUにおける国民投票制度について」で、読売新聞と朝日新聞の外報担当部署のお偉いさんが参考人として呼ばれている。こういう場に呼ばれる専門家は大抵小難しい内容の話をするのだが、流石は新聞記者、自らの体験を交えつつ、素人でも分かる軽い読み物に仕上がっている。参考人の主張の是非は別にして、自分はこういうのが読みたかった。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/keika_g/163_04g.htm
参考人の意見の後の質疑で、民主党の藤末健三氏がえらく張り切って参考人に質問している。本人のブログ(http://www.fujisue.net/archives/2005/10/eu.html)を読むと、どうやらニース条約批准時にアイルランドで行われた国民投票に興味津々だったようだが、参考人の話を聞いた後でも、全く持論を変えていない。もちろん偉い先生に説明されただけでコロコロ意見を変える代議士も困りものだが、これはこれで「憲法調査会参考人を呼んだ意味ないじゃん」と文句の一つも言いたくなる。
余談だが、社民党近藤正道氏の質問が面白かった。

 圧倒的に政党のほとんどが、フランスの国民投票の例なんですが、圧倒的に賛成と、そして国民投票に入る。しかし、テレビは毎日のように討論をやっている。街頭へ出れば両派がしのぎを削って宣伝戦をやっていると。
 私のイメージだと、それだけほとんどの政党が賛成ということであれば、テレビだって圧倒的に賛成派が論陣を張っているんではないか、街頭だって圧倒的に政党が大動員して賛成の論陣が張られるんではないか。ところが、テレビも街頭でも両派がしのぎを削っているというその意味がよく分からない。
 組織の上では圧倒的に賛成派が多いのに、論争では言わば拮抗しているイメージを土生参考人は先ほど語られたんですが、どうしてそうなるんですか。あるいは、それは平等に論戦の場を保障しているような何かシステムか何かあるんですか。

発言権が物理的に減っている弱小政党ならではの悲哀と必死さを感じる質問が泣ける。そのうち「テレビ討論は少数意見が尊重されるフランス方式にすべきだ」とか言い出しそうな勢いだ。