パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

自分の事

地上波の『ER6』でルーシー・ナイトが殺された2話が放送カットになったらしい。精神分裂症(統合失調症)患者が人殺しをする話を流すと、統合失調症者への差別が起こるため、だめだったらしい。NHKに内規があったり、番組編成を担当する人間達が自分の頭で「これはよくない」と判断したのではなく、放送前にどこぞの圧力団体から苦情がきてびびったんだろうな、というのが透けてみえて哀れだ。「無職引き籠もりのストーカーが女性を殺すドラマを流したら、人畜無害な無職引き籠もりへの偏見が強まるから放送するな」という理屈が通ったら、それはそれで面白いが。但し放送禁止への批判は当然として「この2話が第6シーズンのハイライトで傑作」という意見には異論がある。「無職引き籠もりのストーカーが女性を殺すドラマ」という安直な発想しか出来ない製作者批判が成り立つのと同様に、「視聴率重視の感謝祭シーズンらしく、人気のない(或いは契約が揉めている)ルーシーをセンセーショナルに死なせて盛り上げよう」という安直さには、もっと文句を言ってもいいのでは。『ER7』は、ロマーノのキャラ立ちっぷりに拍手を贈る他は微妙。お涙頂戴の人間ドラマ(コバチの背景物語多すぎ)とインフレ起こしがちな医療ドラマ(複数患者出る事故多すぎ)のバランスを取り戻す上で一番良いのは「最新流行の治療を受ける不治の新婚医者」グリーンだと思うが、術後の性格が云々というのはどうなんだろう。視聴者がグリーンの変わりっぷりに愕然としながらも、周囲の人間が掴みかねているのならば「今後どうなるのか想像がつくけど、その過程がドキドキする」というドラマ的な必然が感じられるけれど、視聴者が「グリーンって前からあんなものだろ?」と見ているなかで、周囲の人間が「グリーン先生、あんたおかしいよ」と先取りされると困る。結局、ドラマ内の人間、視聴者がともに『グリーンの性格は変わったのか、変わっていないのか」を同時進行で悩まなければならないのか。製作者の意図が分からない。私のドラマ読みとり能力が低いだけならば、それはそれで構わないが。