パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『ETV特集』他

明日から気が重い毎日となりそうなので、今まで溜まっていた分をまとめて放出。

ETV特集』「小田実 遺す言葉」
2008/3/9初回放送、90分、撮影:後藤修/二宮貴司、ディレクター:大原れいこ、プロデューサー:坂元良江、制作統括:塩田純/行成卓巳、共同制作:NHKエンタープライズ、制作・著作:NHK/ジェノム
不当判決が出た時の記者会見映像についたテロップが「2007年7月19日」になっていたが、怒る小田氏がとても亡くなる10日前とは思えなかったので検索したら、どうやら2006年7月20日だった。ディレクターしっかり。
小田氏の発言に「ポルトガルノーベル賞作家サラ・マーゴが書いている」とテロップで出たが、それはジョゼ・サラマーゴのことだろう。ディレクターしっかり。
自分の中で戦後民主主義者といえば進歩主義者の個人主義者で理詰めの冷血漢というイメージだったけれど、病床の小田氏が自身の日本史観を“軍需産業無しの科学技術による発展→中流の創出→富国強兵という過ち→敗戦→米国から自由と民主主義を貰う+独自に平和主義+元来から持つ軍需産業無しの科学技術→中流の創出→今度は格差社会という過ち”と説明しながら「これでは一体何をしてきたかわかんないじゃないですか」と涙声で語る姿を見て、ポジショントークの屁理屈ではなく心底そう願っていたのだと分かった。人間性が見えると言葉も違って聞こえてくる。文章では伝わらないことを表現してこそのTVドキュメンタリー。

ETV特集』「いのちの声が聞こえますか、〜高史明 生と死の旅」
2008/3/30初回放送、90分、撮影:松原武司、取材:李盛進、ディレクター:二宮一幸/茅根隆史、プロデューサー:冨沢満/武野和行、制作統括:塩田純/行成卓巳、制作協力:アウンズ、共同制作:NHKエンタープライズ、制作・著作:NHK
何の前説もなく高氏の会話に親鸞の教えが何度も出てくるのだが、これは幼少から高氏のベースに親鸞の教えがあったのか、息子の自死の理由を探しているなかで親鸞の教えに出逢ったのか、そこを伝えて欲しかった。「何故息子は死を選んだのか?」という問いを自分流に突き詰める作業は特に作家ならすごく苦しいだろうに、そこの葛藤を省いて「親鸞によりますと〜」で説明されると予備知識のない視聴者からすると「???」となってしまう。。

ETV特集』「神聖喜劇ふたたび〜作家 大西巨人の闘い」
2008/4/13初回放送、90分、撮影:平田友行、取材:釜口佳人、ディレクター:渡辺考、制作統括:塩田純、制作・著作:NHK
「『知りません』と言ってはいけない」「『忘れました』と言え」という無責任の体系論は面白かったが、私の受けた戦後民主主義教育80年代バージョンだと「まだ聞いていません/知りません」と反論したら「知らないなら聞きに来い」「お前は指示待ち人間か」と怒られた。「言われたこと以外は禁止」的管理教育と「自分の頭で考えろ」的個性教育の奇妙な折衷が戦後民主主義教育80年代バージョンの特徴。これだと教え忘れた上官(教師)の責任が問われない。まさに戦前の無責任の体系がより洗練されてバージョンアップされている。
番組内で映った『神聖喜劇』の初版本はカッパノベルズらしかった。自分の知っているカッパノベルズはノーベル賞授賞が噂されるような作品が出版されるレーベルではないが、昔は違ったのか。それとも偉そうな文芸出版社は大西氏から『神聖喜劇』の出版を頼まれても「こんなの売れないよ」と断るくらい無能だったのか。
阿部和重が1分くらい出てきた。沢山喋ったけどカットされたっぽい。動いている映像は芥川賞関連の時にちょろっとだけ見た記憶があるが、あんな顔だと認識していなかった。文庫の巻末にある写真はいつも違う印象だし。

ETV特集』「加藤周一 1968年を語る〜「言葉と戦車」ふたたび」
2008/12/14初回放送、90分、資料提供:矢島翠/本村久子 他、撮影:中野英世/小林正英、取材:日置一太、ディレクター:大野兼司、制作統括:塩田純、制作・著作:NHK
意外にチェコロケ取材が多くて旧東欧好きとしては得した気分。

ETV特集』「水俣と向きあう〜記録映画作家 土本典昭の43年」
2008/12/21初回放送、90分、撮影:一之瀬正史、ディレクター:西山正啓、制作統括:塩田純/岩下宏之、制作:NHKプラネット九州、制作・著作:NHK
西山氏も一之瀬氏も生前の土本氏と一緒に仕事をした人。制作会社への外注ではなく、ディレクター&撮影を一本釣りしたNHK直轄の制作ということか。
21世紀になってからNHKで数多く放送された水俣に関するドキュメンタリーについては、いつかちゃんと書きたいと思っているが、今はその勇気がないのでクレジットのみ記す。

ETV特集』「吉本隆明 語る〜沈黙から芸術まで」
2009/1/4初回放送、90分、撮影:南波友紀子/八戸聡明、ディレクター:山口智也、制作統括:塩田純、制作・著作:NHK
抽象的な話にはついていけないので、横光利一の話だけ少し引っ掛かった。
余談だが、吉本氏が働いていた魚津市の日本カーバイドは自分の父が若い頃に働いていた。"carbide"だからカーバイトではなくカーバイドなんだが、検索すると前者の方が多い。確かに耳から聞くとカーバイトに聞こえるんだな、これが。

大西巨人:1919年生。加藤周一:1919年生。吉本隆明1924年生。土本典昭1928年生。高史明:1932年生。小田実:1932年生。ちなみに4月12日の『ETV特集』で取り上げられる鶴見俊輔は1922年生。長年NHKでドキュメンタリーを制作してきた川良浩和氏が著した『闘うドキュメンタリー〜テレビが再び輝くために』(2009年、NHK出版)に、丸山眞男小林秀雄に出演を依頼するも断られて残念がるエピソードが出てくるが、個人的には最近の『ETV特集』制作者から「テレビに出ることをあまり好まない昭和の証言者達の映像を亡くなる前に記録しておくぜ!」という明確な意思を感じている。本人の思想を知りたければ書籍を読めば済むわけで、語り口や話のリズムを映像に残すことこそがTVの役割。『兵士たちの戦争』シリーズもそうだけど、後世に残すアーカイブという役割を担うことに公共放送の未来がある。

BS1『地球特派員2009』「非正規雇用50%の衝撃〜韓国・苦悩する格差大国」
2009/3/22放送(BS1で3/21初回放送)、50分、撮影:今井巧、取材:後藤琢磨、ディレクター:橋本直樹、プロデューサー:原田親、制作統括:京子/田中孔一、制作:NHKエンタープライズ、制作協力:マークワン、制作・著作:NHK
就職活動をする新卒を数値化することを「スペック」と呼んでいるという話を森永氏が批判的に紹介していたが、元はITやPCで使われていた用語なんだろうけど、ネットのジャーゴンの更なる転用ではないかと思う。恋愛系の話題で「基本スペックが低い男」とか言うじゃん。企業側が呼んでいるのではなく、学生側が自虐的に使うのは有りだろう。人間の能力を数値化することを皮肉って笑いに変えるというか。自称オタク経済学者の森永氏が何も言わなかったのは残念。それとも分かってて言わなかったのか。

BS-hiハイビジョン特集』「アブグレイブの消えない闇〜刑務所虐待 真実の対話」
2009/3/26初回放送、90分、撮影:南幸男、コーディネーター:成本慶吾/森圭子、ディレクター:吉岡攻、制作統括:坂元信介/若宮敏彦/星野敏子、制作:NHK情報ネットワーク、制作著作:NHK/オルタスジャパン
昨年10月にBS1放送された『BSドキュメンタリー』「微笑と虐待〜証言・アブグレイブ刑務所虐待事件」の拡大バージョンかと思ってスルーするつもりだったが、番組予告で見たことがないシーンが沢山あったので見ることにした。今年1月に追加取材があった。
トレーラーハウスの家賃が約2万円と知って驚く。意外と高い。それだったら普通の賃貸に住めば良いのにと思ったが、大都市ならともかくあちらでは、トレーラーハウスと持ち家の間に属する賃貸アパートがあまり供給されていないのだろうか。
こういう内容はそれこそ7人の名誉を回復するためにも日本ではなく本国で公開されれば良いのにと思ったが、本国でも似たような内容の映画作品が作られていた(ttp://d.hatena.ne.jp/doiyumifilm/20080619)。
番組がカーピンスキーの推論を元にして展開するので、彼女とコンタクトがあるシビッツとイングランド、ハーマンはやや被害者的に、会わなかったグレイナーとフレデリック(とグレイナーと結婚したアンブル)は虐待の首謀者的に描かれてて、そこはちょっとフェアじゃなかったかも。哀れな末端にいくらインタビューしても「真実」には辿り着けないだろうし、仮にラムやウォルフォに話を聞けたとしても嘘しか言わないだろうから無駄だとしても、アブグレイブで訊問を担当した民間警備会社や情報担当将校辺りの証言はあっても良かったのではないか。

BS1『放送記念日特集』「市民発ニュースが社会を変える」
2009/3/28再放送(3/22初回放送)、50分、撮影:小平智紀/キム・ミンウ、コーディネーター:西本義次/メン・サムヒョン、ディレクター:宮下瑠偉/申成晧、制作統括:坂元信介/前原信也/前川誠、制作:NHK情報ネットワーク、制作・著作:NHK/オルタスジャパン
毎年楽しみにしている『放送記念日特集』。今までは「NHKが自分の事は棚に上げて放送の将来を示してくれる番組」と茶化してきたけど、最近は「俺達だってこういうことをしたいけど、放送法とかあって出来ないんだ!」という心の叫びだと思って見ている。番組中の「彼らの考えが客観的だとは思いませんが、同じような考えの人達の心をとらえているのでしょう」(元ABCプロデューサー)や「私達の考え方が嫌いな人達はアクセスしてきません」(韓国市民メディアの人)という発言が表す通り、新しいネットメディアは仲間内で「そうそうそうだよね」とお互いの価値観を共有し合う為のメディア、つまりミニコミ誌みたいなもので、それがネットを通して全世界に放送する場合、政府の検閲がなくて良いのか、放送法みたいな縛りがなくて良いのかは難しいところ。以前読んだ憲法調査会の欧州視察報告によると「テレビは公共性が高いから中立であるべき、新聞・雑誌は偏って結構」というのが欧州のメディア認識らしいが、ネット放送はどっちなのか。「虐殺はなかった」「戦争犯罪はなかった」と報道する番組に対して抗議しても「嫌なら見なければいいじゃん」「好きなことを好きに報じる自由がある」と返され兼ねない。結局ミニコミネット放送局がやっていることって右寄りFOXの裏返しじゃないか、と言われ兼ねない。