パロップのブログ

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フジ「ワールドユース・日本対チェコ」

2001/6/24放送、実況:長坂哲夫、解説:風間八宏
スタメンは、
・・・田原・・・
・山瀬・・前田・
・・・カズ・・・
・浩司・・青木・
駒野・・・・石川
・羽田・・中澤・
・・藤ヶ谷・・・
の4-3-3といいつつ石川直が終始上がり目の3-3-3-1ぽくもある。10分の前田遼一、14分の山瀬、17分の山瀬、30分の山瀬、50分の田原と、枠を捉えたナイスシュートを放つ決定的なチャンスを迎えるが、この頃からチェフは素晴らしいGK。他にも17分には前田がドリブルでペナ内まで侵入する場面があるなど、石川を起点に中央にも人数をかけて細かいパスワークで崩す素晴らしいサッカーを展開していた。3センターに高さや速さがないため結構カウンターで危ないシーンも多いが、それは恒常的な弱点であったと同時に消化試合ならではの開き直りもあるだろう。
後ろを向いてキープしつつ出し所を探すけど無理で結局バックパスするカズ(ベンチから「ターン!ターン!ターン!カズ!」と声がかかるのは象徴的)とか、相手に背を向けてボールをキープしようとするけど後ろから突かれてノーホイッスルで奪われる浩司とか、唐突にサイドをドリブルで抜き出す駒野とか、狭い地域を華麗なトラップで反転する前田とか、緩急のドリブルと深い切り返しがブラジルっぽい山瀬とか、DFがとびこみにくいストライドで横方向に迷走する石川直のドリブルとか、20歳ともなると今とプレースタイルは変わらない。交代で入ってきた寿人へカズから裏へ抜けるスルーパスが出たときは既視感(というかこっちが先だが)で笑った。その中で唯一驚かされたのは、左右へサイドを変える正確なフィード、前が空けばドリブル、そして強烈なミドルシュートとダイナミックな青木だった。自分は広島対鹿島の試合であんな素晴らしい青木を見たことはないが、そりゃあ全クラブから誘いがあるのも分かる。

というわけで、木曜日に向けてゲンを担ぐのと、VHSテープからRAMに移す作業を兼ねて6年前のチェコ戦を見た。当時も何故か無職でグループリーグ3試合とも明け方に生放送で見たはずだが、あまり記憶にはない。初戦と2戦目を保存してなくて、この試合だけ残っているということは、多分チェコ代表目当てだったと思われる。自分がサンフに回帰するのは2002年のことだから、カズ/浩司/駒野が目当てというわけでもないはず。
現状ではJ2組は羽田と田原、中澤聡太がJ1上位のサブ、残りの選手はJ1レギュラーといったところ。靱帯切ったり骨折したりJ2降格したり紆余曲折のある選手が多いけど、ナイジェリア組と比較しても、プロからの脱落者を出さなかったのは立派なこと。サッカーを始めた頃に開幕したJリーグを夢見て、進路を決める頃にブームの終焉を迎え、地に足を付けてサッカーで食べていくことを考えた世代ということか。
それにしてもチェコ戦の後で実況や解説、スタジオゲストから「良い経験になった」「チェコ戦は自信に繋がる」「アテネへの第一歩」などと言われながら、結局この中でアテネに行けたのは駒野/浩司/石川だけで、しかも微妙な当落線上で微妙な使われ方をしただけ(アテネでレギュラーだった茂庭と那須はこのとき控え)。ドイツに行ったのもこれまた微妙な呼ばれ方をした茂庭と駒野のみ。そして今の代表には阿部/啓太/寿人の3人しか送り込まず(このときにベンチ入りしていたのは寿人のみ)。確か、あの頃の阿部はアンダー代表に呼ばれる度に怪我をしていたような記憶があるが、啓太は影も形もなかったし、アテネの大久保や達也がこれまた現代表で微妙。J1クラブで中軸になれる優秀な選手を数多く生み出しつつも、絶対的に飛び抜けた選手が現れなかったということか。
もっとも対戦相手チェコの方でも、スタメン11人のうち今でもフル代表に生き残っているのはチェフとポラークくらいで、ユンとフブシュマンも消えつつある(同年代でフル代表に飛び級してワールドユース免除はバロシュのみ)。とすれば、ユース代表からフル代表まで持ち上がるのはどこの国でも難しいということにしよう。