パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS-hi「ブロードウェーを変えた演出家 ジュリー・テイモア」

2007/6/16放送、50〜60分、撮影:柏原雅弘、取材:名倉美和、ディレクター:中村英雄、制作:土居勝徳、制作統括:小原正光、制作協力:NEP AMERICA、共同制作:NHKエンタープライズ、制作・著作:NHK
『ニューヨークまるごと72時間』という特番の一環として1時間枠で放送されたインタビュー&ドキュメンタリー。外国テレビ局が作った番組の翻訳だと思ったら、NHK自社制作だったので記録しておくことにする。
以前、映画『タイタス』を見て「これを作った人は(良い意味で)頭がおかしい」と思ったが、2000年12月にETVで放送された野村萬斎によるインタビューをみた時の印象は「東洋で学んだ知識を仕事で活かす理知的な人」だった。今回のインタビューで気になったコメントをいくつか書き起こしてみたが、「本来、踊りとは神に捧げるものだった」「評論家に評価されるのがなんぼのもんじゃ」と芸術家然としたコメントを出しているけれど、実際には自分の中にある引き出しから出したクリエイティブなアイディアを信頼出来る仲間と一緒に検討しながら作品を作る。自分の表現欲よりも「どうすれば見る人に伝わるか」を最優先に考えられる、バイタリティに溢れた(良い意味で)商業主義の才能を持った人だと思った。リベラルであるが故に商業主義に向いている自分を気恥ずかしく思っているというのもあるか。
ずっと実験的な演劇をやっていたテイモア氏に『ライオンキング』の仕事を依頼したチャレンジャーな人(ディズニーの偉い人)の話も聞いてみたいと思ったが、テイモア氏によれば彼女を大きなステージへ引き上げた最初の仕事は1992年の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で上演されたストラヴィンスキーのオペラ『エディプス王』だそうで、それに比べれば『ライオンキング』プロデューサーの勇気も大したことはないらしい。『エディプス王』を依頼したのは小澤征爾氏。

「外国の文化の力を借りているだけ」という批判に対しては、

様々な国の演劇技法やアイディアを自分の中で消化して、それがオリジナルな形で出てくれば良いなと、私はいつも考えているんです。

「アーティストは興行収入のことなんて心配してはいけないんです」と言いながらも、

そもそも、成功するか失敗するかなんて誰にも分からないですよ。興行的に成功する作品とは、娯楽性が高くて、ちゃんと出来ているものなんです。成功した作品の真似をしたところで受けるとは限らないのです。この点をみんな全然分かっていないと思いますよ。

オペラ『魔笛』の演出に関して、立見席にいる下層民が楽しめる下世話な話から政治や宗教の深い話までを含んだシェークスピア劇を引き合いに出しながら、自分の演出は「4歳の子供だって楽しめる」とし、

オペラのような大規模な芸術が興行的に成功するには、観客全員が舞台の全てを気に入る必要はないんです。いろんなレベルの人達を惹き付ける魅力をたくさん含んでいることが大切なのです。

ちなみに、このドキュメンタリーに引き続いて放送された『魔笛』を自分は見ていないが、その感想をブログ検索するとオペラ通の人達からケチョンケチョンに貶されていた。元はドイツ語の歌詞を英語に翻訳するのは我慢出来るにしても、お約束の名場面を切り刻んで本来は3時間近い作品を2時間にまとめるなど言語道断ということらしい。ドキュメンタリーの中では『魔笛』のリハも映っていたが、その場で「こっちの方がより直接的で伝わり易い」と言って英語の歌詞を直したりしていたので、完成度の高い原典/古典に敬意を払うよりも今の観客にちゃんと伝わるかを優先する演出家なんだろうとは思った。

本来「ドキュメンタリー」のカテゴリーでハロプロの話をするのはマイルール違反で申し訳ないが、上記のコメントを読むとどうしても我らがつんく♂プロデューサーを連想する(スケールが違うとか言わないで)。「自分の中で消化出来ていればパクりではなくオマージュ」「アイドルのプロデュースは過去の成功例を真似しても絶対に成功しない」等々の発想が似ている。ミニモニでも「子供相手だからこそちゃんとしたものを作らないと、すぐに見抜かれてしまう」的なことを言っていた。「世の中で流行っている気取ったアーティスト達の誰とも似てないけど、誰よりも面白いことをやってるやん」感があって、それこそ純アイドルヲタから楽曲至上主義者まで「舞台の全てを気に入る」わけではなかったけど、各々に引っ掛かるポイントがあった頃のモーニング娘も「娯楽性が高くて、ちゃんと出来ているもの」だったのだろう。