パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『ハイビジョン特集』「1万5千枚の“卒業画”〜小学生たちが見つめた100年」

2007/5/15再放送(2006/5/5初回放送)、110分、ディレクター:久保田直、プロデューサー:山田博久、制作統括:嶺野晴彦/橋本裕次、共同制作:NHKエンタープライズ、制作・著作:NHK/アズマックス
初回放送された時は何の興味もなかったが、自分の父親が高岡出身なので、放送後に舞台が高岡市と知って興味がわき、再放送時を待ちわびていた。とはいえ、放送予定をチェックしているはずもなく、捕獲出来たのは偶然の産物。平日の昼間からテレビを付けっぱなしにしている生活に万歳。
持ち家の広さは富山県が全国一という調査結果をみた記憶があるが、父方の実家もでかくて、持っている田んぼもでかい。でも金持ちというわけではなさそう。この番組で出てきた一家と同様に、仏壇がある部屋には明治以来の御先祖様の肖像写真が飾ってあった。子供の頃、父の小学校同窓会名簿を見ると、明治年間からの卒業生の名前と住所が並び、あの当時はまだ明治卒業の人も存命でぽつんぽつんと住所が書いてあったりしたのを覚えている。実家の周囲には同姓の家が沢山あり、名簿を見ながら「これは祖父さんの従兄弟、これは曾祖父さんのなんとか」とレクチャーされたような記憶もある。3代4代にわたって同じ小学校に通っているという事実には、それだけで圧倒される重みがある。自分が卒業した小学校も明治以来の歴史があったはずだが、名簿を作るなんて話は聞いたこともないし、やはり歴史を大切にするのは富山県人特有の感覚かもしれない。
母の兄、自分の叔父は仕事で中国に赴任していたが、これも富山県と大連がある遼寧省とが友好提携を結んでいるからということらしいと分かった。そういえば冷戦が終わった頃「環日本海経済圏」なんてのが喧伝されていたものの、その後首都圏メディアでは話題にも上らないようだが、意外と地方では着々と交流が進んでいるのかもしれない。
番組で出てきた高岡駅前は記憶にあるようなないような。岡山を朝に出て新幹線〜雷鳥と乗り継いだら大抵は夜に到着。そこからタクシーに分乗したりバスに乗ったりしてもあまり景色は目に入らなかった。盆や正月に帰省したのも18歳までで恐らく4〜5回だったし。番組で自分の知らない富山県人の「家族観」みたいなものも知ることが出来てなかなか面白かったが、自分の両親はあの濃密さを嫌って、転勤を理由に移住した面もあると思った。社宅の中でも一軒家を建てても移民同士で「リトルトヤマ」みたいに始終つるんでいるのも好きそうではなかったし。
「○○が〜」「○○なが〜」「○○ながやぜ〜」等々バリエーション豊富な語尾を使い分けられたら立派な富山県人。自分は2世だからニュアンスの違いとか分からない。
1学年46人で2クラスというのに驚いた。自分の頃は1クラス40人とか45人とかいたような。よく「1クラス30人制を導入します」などと選挙公約で唱える地方首長や議員もいるが、既に実現しているではないか。社会と接点のない生活を送っていると、無知故にいろんなことで騙されてしまう。