パロップのブログ

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国民投票制度について

2005年11月に衆議院議員による国民投票制度に関する欧州視察が行われている。
衆院での報告はhttp://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/015116420060223002.htm
PDFでの報告書はhttp://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/report-toku.htm
正直にいえば、制度の勉強なんて各国の資料を集めれば済む話である。たとえば、スロバキア共和国憲法制定者との対話で、

【枝野議員】貴国では、憲法改正それ自体は国民投票の対象とならないと伺っているが、最も重要な事項であると考えられる憲法改正について、国民投票が実施されないのはなぜか 。
【チーチ長官】冒頭のご説明でも触れたが、我が国では、「基本的権利及び自由」については国民投票にかけてはならない、とされている(憲法93条3項)。これが、一番の理由である。
ただ、実際に憲法改正が起草される場合には、公聴会において一般国民の意見を聴取することが行われている。例えば、1992年に現行憲法が制定された際には、250〜300くらいの一般国民や研究機関の意見が聴取されている。そういう意味では、現行憲法は、狭い専門家だけの成果物ではなく、広く一般国民の意見をも取り入れたものである。
【辻元議員】憲法改正国民投票を不要としたのは、ポピュリズムのおそれを懸念したのか、つまり、憲法の基本原則が国民投票によりねじ曲げられてはいけないということか。
【チーチ長官】現行憲法の「著者」の一人として述べれば、国民投票の対象とならない事項というものは、法的な問題というより、「人間のエチケット」や「倫理」により近いものなのだ。一般の国民は、何がそのようなものに当たるか十分には理解していないので、これを国民投票により変えるなどということは考えられない。
もう一つは、私どもはヨーロッパのスタンダードの中に生活しているということだ。このヨーロッパのスタンダードから、先ほどの国民投票とならない事項は普遍的なものとなっているのであって、それを国民投票により変えるということは、ヨーロッパの中で生きていくに当たっては、非常に難しいことだ。
それから、中山団長のお話にもあったとおり、我が国も国連加盟国であり、国連憲章の内容を自国の価値観として憲法に取り入れている。そういうものを国民投票により変えるのは、非常な困難を伴うことなのだ。
【笠井議員】そういう普遍的なことは、国民投票になじまないだけではなく、議会によっても変えるべきものではない、ということになるのか。
【チーチ長官】確かに、以上のような事項も、理論的には、議会で変えることはできる仕組みになっている。しかし、実際上は、政党間の意見の調整が難しく、変えることにはならないであろう。

立憲主義(基本的権利及び自由やヨーロッパ・スタンダード)と民主主義(社会主義の中で生きてきた一般国民の判断)は対立するという話で、これなんかは長谷部氏の議論そのままである。別に外国人から教えを請うほどのものではない。なので当然こちらとしては「せっかく税金使ってわざわざ国会議員が足を運ぶのだから、本筋とはあまり関係ない小ネタを沢山拾ってこいや」ということになる。まあ個人的にはサカヲタとして、

この日はチューリッヒからバスで約2時間。首都ベルンでの調査です。ちなみにベルンでの宿泊を希望したのですがサッカーワールドカップの最終予選とぶつかりベルンのホテルが一杯でチューリッヒを基点とすることになりました。
枝野幸男衆議院議員の国会報告〕http://www.world-reader.ne.jp/renasci/next/edano-051212.html

ベルンを訪れたら、サッカーの欧州予選プレーオフ「スイス対トルコ」とかち合って宿がとれなかった話が一番の面白エピソードだったりする。「事務局はあらかじめしっかり予約入れとけよ、この欧州情勢オンチ!」と言いたくなるが、多分訪問日程を立てた時はまだプレーオフの予定もなかったし、会場も決まってなかっただろうから、ある意味気の毒なまさかのハプニングではある。
スイスの直接民主政に関する、

【葉梨議員】スイス以外の国では、直接民主制が為政者の政治的ツールとして用いられる、と考えられることもある。スイスにおいては、直接民主制がいわゆるポピュリズムに陥る危険性を防ぐために、何か制度的工夫は施しているのか。
【リンダー教授】誰が国民投票を主導するのかということが、重要であると考える。 例えば、フランスの1960年代にド・ゴール大統領が行った自らの政治基盤を強化する目的のみの国民投票などは良い例とはいえないであろう。様々な悪影響を排除するためにも、国民投票を主導する主体の問題(政府か、議会か、国民か)は重要である。その中でも、やはりポピュリズムへの凋落などの危険を防止するためには、政府が国民投票を主導するか否かが、大きな要素となるであろう。スイスにおいては、冒頭にご説明申し上げたように、どのような場合に誰が主導するのかということを規定し、国民投票の実施に関して、政府が恣意的に関与することは、排除されているのである。

という話を聞いて、

ベルン大学でリンダー教授の講義を聴きながら、「郵政民営化YESかNOかの国民投票だ」と叫んでいた小泉首相の顔が目に浮かんだ。
辻元清美ブログ〕http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2005/11/14-247.html

と書くのは流石辻元議員。というか、この部分を読みながら「小泉首相の顔が目に浮かんだ」辻元議員の顔が目に浮かぶ。
個人的に一番面白かったのは、辻元議員とスペインのアルフォンソ・ゲラ下院憲法委員長との以下のやりとり。

【辻元議員】いくら議会内で各政党間のコンセンサスが得られても、議会と民意の間に乖離があると、憲法改正の場合を含めた国民投票はうまくいかないのではないか。例えば、議会ではコンセンサスを得たけれども、国民の中での賛否は半々という状況下では、国民投票に踏み切れるものだろうか。また、長い経験からお考えになって、民意のどれほどの賛成が得られれば、憲法改正の場合を含めた国民投票に踏み切る決断をされるのか。
【ゲラ委員長】揚げ足をとるようだが、国民投票を実施する前から、どうして「国民の中での賛否が半々」などということが、あなたには分かるのか。そういう想定が、私には理解できない。そもそも、憲法の重要事項に関する改正の場合は、議会が判断するまでもなく、国民投票は義務的なものでもある。それだけではなくて、議会の解散・総選挙をはさんでの議会における2回の議決といった複雑なプロセスを経なければならない。だからこそ、政治過程の中での合意形成が、大変に重要な役割を担うということを、私は、ここで強調しておきたいのである。
ただ、ご質問の趣旨は極めて重要なご指摘を含んでいると考える。私が考えるに、各政党間で次の3点についてはしっかりと合意を形成することが重要である。第一は、国家の基本法である「憲法」、第二は、議会の議員の身分、選出方法を決める「選挙法」、そして「テロリズムに対する戦い」についてである。
具体的な例を挙げて、ご説明してみよう。1986年のNATO残留に関する国民投票の際には、事前の世論調査において、賛成はわずか20%に過ぎず、反対が80%という状況であった。しかし、当時の政権与党であった社会労働党政権(私は、当時、その副首相をしていたが)は、国民投票に踏み切り、必死に賛成のキャンペーンを行った結果、最終的に勝利することができた。この与党のキャンペーンは、確かに、大変に厳しい状況下のものであったが、これは、世論に対抗した悪いキャンペーンだったのだろうか。しかし、結果的には、我々は、国民に納得してもらい勝つことができたのだ。ちなみに、私は、そのキャンペーンの責任者をやっていたので、その当時の事情は、大変に良く知っている(笑)。

ゲラ氏はフランコの死後、立憲君主制へと軟着陸するために全政党(独立を求めるバスク政党を除く)による円卓会議に社会労働党の代表として交渉に当たった偉人らしい。憲法記念日にスペイン国営放送(TVE)のニュースが流す当時の映像にも出てくる。そんな尊敬すべき社会民主主義者が「各政党が合意して国民投票を提出する以上、中立なわけないじゃん。必死こいて成立させないと」と言っているわけだから、辻元議員もがっかりである。辻元議員の質問からは「議会では少数派だけど、国民の意見は私達の側にある」という熱い思いが伝わってくる。
あと、国民投票運動に関するメディア規制の話なんか、「そもそも日本人がする質問の意味が分からない」というギャップがあって興味深い。

【辻元議員】今のスポンサーの話だが、新聞も広告を取るなどして、様々な企業との関係があると思う。スイスでは、新聞社が自らの意見を主張するときに、そのような広告主になっている企業との関係に配慮をすることがあるのか。
【アシュヴァンデン編集委員】スポンサーからの影響は全くない。これを行うと、マスコミとしての信用に関わるからだ。また、新聞社としての内規にも当然引っかかることになる。我々は、どのスポンサーからどれだけの資金が提供されているかということとは全く関係なく、中立に報道をしている。
【辻元議員】関連して、もう一点。先ほどの説明では、政府に対する反対の主張も増えてきているとのことだったが、メディアの独立・自由に関係して、政府に対する配慮、あるいは、政府から何らかの圧力が加わるなどといったことは、今までになかったのか。
【アシュヴァンデン編集委員】政府の意見がどれだけの影響を及ぼすかということだが、政府が新聞社に対して圧力をかけることは、実際上できない。もちろん、例えば、今度の日曜日の営業の件に関する国民投票についても、主要担当大臣である経済大臣の発言については非常に多くの紙面を割くことになるが、だからといってその発言を圧力とは受け取っていない。単に、事実を報道するために紙面を提供するだけのことである。

「スポンサーや政府の圧力はないのか」「メディアが圧力に屈したら信用を失うだろ、常識的に考えて」「いや、日本にその常識はないから」みたいな。電波媒体と紙媒体の違いに対する感覚も日本とは少し違う感じがするし。
そんなこんなで欧州好きなら楽しめる内容になっているし、無職で暇だという人は読んだらいいと思う。